恋敵の全肯定・前編


 はあ、と憂鬱な息が零れ落ちた。

 ゆっくりと歩くミュリナは、暗い顔で落ち込んでいた。

 レンとの一件のあと、女剣士と話をして立ち直ったはずだった。まだまだ諦めないと息巻いていた。そうして今日も、レンと顔を合わせるダンジョン探索に臨んだ。

 それだというのに、いざ会ってみれば必要以上に素っ気ない態度をとってしまった。


「どうしよ……」


 行き場のない言葉が、宙に溶けて消えた。

 もの憂げな後悔がミュリナの胸に渦巻いていた。

 今日の最初に、いつも通りにレンにあいさつしようとして、失敗した。レンを見た瞬間、昨夜の出来事がフラッシュバックして、顔を背けてしまった。レンも、気まずかったのだろう。向こうから距離を詰めてくることもなく、その雰囲気を引きずって、結局一日変な空気のままだった。

 顔を合わせずらい雰囲気を作って、どうするのだと下唇を噛む。

 もっと、会うだけで嬉しいと思わせることが重要なのだ。気楽に話せて、愛嬌をもって接することが重要だ。会うことを忌避されてしまっては、次につながらない。

 このままじゃいけない、と思っている。

 あんな態度では、レンを遠ざけてしまう悪循環に陥るばかりだ。それは、絶対に嫌だ。嫌なのに、どうすればうまくいくのか答えが出せなかった。

 なんでだろ、と自問する。


「レンのこと、好きなのになぁ」


 自分のなかに当たり前に根付いた気持ちが、口をついては出てくる。

 ミュリナは、レンが好きだ。

 好きで、大切で、欲しいくて、自分をあげて受け取って欲しい。

 なのに、うまくいかない。

 好きだってだけでは、上手くいかないのだ。それは昨夜、イヤっていうほど思い知らされた。

 ミュリナがレンの心を捉えられない要因は、なにもレンに好きな人がいるから、というだけではない。自分で足りないものは、なんとなく分かっているのだ。

 なのに、それを自分ではどうにかできない。

 それが、レンのためであっても、だ。


「……やな女だな、わたし」


 自虐的な気持ちを抱えた家に帰る気にはなれず、帰り道、気分を変えようかと公園に訪れていた。

 広場から少し外れた散歩道だ。冬も深まってきたこの季節、並木歩道の景色は寒々しい。

 自分の気持ちを表しているようだ、と思って自嘲する。

 冬は、好きじゃない。

 寒いし、暗いし、生きにくい。

 思えば、兄が聖剣を抜いたのも、母が死んだのも冬だった。


「……」


 ほう、と寂しげに吐いた息が白く染まる。

 そろそろ母の命日だ。兄と一緒に、お墓参りに行こう。レンとは関係のない予定を決める。

 向かいから歩いてくる人影に、ミュリナは足を止めた。遠目から見てもわかる特徴的な服装は見間違えようもない。

 向こうもミュリナに気が付いたようだ。喜色を隠さず表情を華やがせる。


「ミュリナではございませんかっ。お会いできてうれしゅうございます!」


 異国の美少女、イチキだ。

 偶然を頼りに、たまに会う友人。約束のない邂逅だからこそか、イチキは出会っただけでしとやかに喜んでくれる。彼女のきらきらと輝く笑顔が、いまのミュリナにはあまりにもまぶしかった。


「これよ、あたしに足りないのは……」

「はい?」


 きょとん、と小首をかしげる仕草まで、卑怯なくらいにかわいげにあふれていた。。






 ミュリナはイチキと並木通りに設置されているベンチに腰掛けていた。

 イチキはたっぷりと布を使ってある袖で赤面を隠してぷるぷる震えていた。やけくその気持ちもあって、レンとのことを包み隠さず話してみたら耐性のないイチキはご覧の有様になったのだ。


「ミュリナは、その、なんといいますか……」


 おろおろと視線をあっちこっちにやって言葉に迷った挙げ句、あわあわと震える口元でイチキはなんとか台詞を絞りだした。


「じょ、情熱的でございますね……!」

「……そうね」


 たぶん、そうなんだろうなと思う。

 自分は、直截的すぎるのだ。

 ミュリナは、レンを欲しいと思った。だから行動に出た。そのこと自体には、後悔していないのだ。

 結果が、伴わなかっただけで。

 そして失敗の原因もわかっている。


「あたしはさ、あいつの気持ちを、軽んじちゃったのよ」


 情熱的といえば聞こえはいいが、自分勝手なのだ。自分が自分が、と迫りすぎた。そのことは、自覚している。

 ミュリナの後悔を聞いて、イチキもそっと袖を降ろして神妙になる。


「難しいところでございますね、人の心の距離というものは」

「うん、難しいわ」


 まずは他人を尊重するイチキの言葉を聞いて、うらやましいな、とミュリナは思う。

 いままで誰かと自分を比べたことはなかった。やればできるミュリナにとって、性質の違う人間と自分を比べることは特に意味はなかったのだ。

 でも、いまのミュリナは、イチキがうらやましかった。

 ミュリナは、他人のことを真っ先に考えられない。自分の気持ちが先に出る。


「やな女よね、あたし」

「そんなことはございませんっ。ミュリナの指針は、前へと進む力にあふれておりますもの!」


 愚痴るミュリナを慰めるというわけではなく、力強く励ます。


「あなた様の力強さは、道を切り開く強さです。わたくしもそういうミュリナを見習って、行動に出たのでございますよ?」

「行動? っていうと、イチキの方はなにか進展があったの」

「はい!」


 弾んだ声が返ってくる。


「実は例の殿方に直接、文を渡すことがかなったのでございます!」


 きらきらと輝く純粋さに、浄化されそうなほどの敗北感に襲われる。


「そっかぁ……文通かぁ。うん、すごくいいわね」


 これだ。この距離感が足りなかったのだ、自分は。

 はあ、とミュリナの口からため息が漏れる。

 それをどう勘違いしたのか、イチキは頬を膨らませた。


「な、なんでございましょうか! それは、その、ミュリナの積極性に比べれば、お子様がごとしかもしれませんが! わたくしなりに、勇気を振り絞った成果でございますよ!?」

「わかってるわよ。だから、そういうさっきのは違うわ」


 怒る仕草までかわいいイチキに、微笑んで首を振る。

 たぶん、自分に足りないのはこういうところなんだろうと思うのだ。

 配慮と、献身と、奥ゆかしさ。

 それらが品格と共に身に着けば、目の前の少女のような魅力になるのだ。だからといって、ミュリナがそれを身に付けられるかといわれれば、きっと無理なのだと答える。

 羨ましいなぁ、と思う。

 自分にない他人のものを羨望するのは、とてもひさしぶりな気がする。

 欲しいと思ったものは、なんでもがむしゃらに掴もうとしていた。そういう性格だ。自分でわかっているし、自分の中に譲れない一線がすでに引いてある。

 こういう性格をしていたから、イチキのようにはなれなかったのだ。


「ね、イチキ」

「……なんでございましょうか」

「お手紙の相手って、どんな人なの?」


 まだちょっと拗ねている風な態度に苦笑しつつも尋ねる。


「まだ一度お会いしただけので、わたくしがどうというのははばかれますね。……あ! ついこの間、ダンジョンの最深部まで潜って恩恵を得たという功績がございます!」

「へえ、すごいわね」


 さすがイチキが見初めただけはあるということか。少なくとも、レンには不可能な所業だ。

 ダンジョンの最深部まで行けるとなると、相当な力量だ。そうなると年上なのだろうか、と思う。なんとなく、イチキには年上が似合うような気がする。同世代だと、なんというか、スペックが高すぎるイチキだと、彼女が好意的に接するだけで相手をダメにしきってしまいそうだ。

 その点、ダンジョンの最深部までいけるような人物だというのならば、イチキと釣り合いが取れている。

 二人が年頃らしい会話をしている最中、ぱたりと白い鳥が舞い降りて来た。

 ぎょっとするミュリナとは違い、イチキが手を差し出すと指先に止まる。絵になるな、と感心してから違和感に気が付く。

 よくよく目をこらしてみれば、それは生物の鳥ではなく折りたたまれた紙面だった。


「……それ、もしかして文通の返事?」

「はい!」


 郵便が発達していなかった時代はもとより、現代でも隠密性の高く伝達精度のある通信手段として用いられている。非常に高度な魔術で具体的にいうと、国家機密のやり取りとかで使われる類の魔術だ。

 それを個人的な文通で使うとは、と苦笑していると、文面を読んでいたイチキが手を震わせていた。

 どうも様子がおかしいと心配になって顔を覗き込む。


「どうしたの、イチキ?」

「えと、その……ぶ、文通は承諾していただけのですが……」

「うん」


 そりゃ、イチキのような美少女に手紙を手渡しされて文通を断るとか、意味がわからない。普通承諾するだろうと、ミュリナもそこには疑問を挟まない。


「よ、読めなかったと、いうことでして……」

「え? なんで?」

「書体を崩して綴ってしまったものですから……」

「……それは、また」


 イチキの母国の言語を使ったわけでもなかろうに、と聞いてみると、意外な答えが返ってきた。

 イチキの教養の高さが裏目に出た形だ。スペックが高すぎるから失敗することもあるのか、とミュリナはイチキの肩を軽く叩く。


「普通の書体で書いた方がいいわよ?」

「……そういたします」

「ん、頑張ってね、イチキ」

「はい! ミュリナも、その……頑張りすぎないように頑張ってくださいませ!」

「ふふっ、そうね」


 二人の少女は、顔を合わせて笑い合う。

 自分とは違う魅力を持っている友人の歩みを、互いにやさしく応援しあった。

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