恋敵の全肯定・後編
イチキは機嫌よく拠点への帰路についていた。
手紙ではちょっと失敗してしまったが、無事に返信ももらった。文通自体は了承されたのだから、あまり引きずることはないと思い直した。
それに、たまに出会える友人と話せたことも大きい。ミュリナの話は刺激的だが、自分にないものを持っている彼女との会話は得るものが大きい。
最近の自分は、とても恵まれている。
淡い思いを寄せる殿方がいて、それを相談できる友人がいる。まるで普通の年頃の女の子のような思いを抱けるなんて、本当に幸せなことである。足音を弾ませての帰り道、イチキはとある宝石店の軒先で目新しい広告を目にした。
「ブライダルフェア……?」
この国には男性が女性に宝石を贈るのはよくある風習だ。しかし対象となっている宝石がもの興味深かった。
ダイヤモンドである。
「これは、これは」
イチキは興味を惹かれ内容を確認して、なるほどと得心する。
いままでは、ダイヤの価値は民衆には手が届かない位置にあった。それほどの稀少性を持っていたが、現行の流通量を上回る埋蔵量が予想される鉱山の発見によって稀少性は崩れ去った。
ただ透明なだけのダイヤに値打ちはなくなった。そこで、産出量の増大したダイヤモンドの新たな価値を創出しようとしているのだ。
男女の仲を結ぶ宝石の主役をダイヤモンドにすることで、需要を増やそうという試み。
「これは、なかなか」
希少性ではなく、マーケティングによる価値の創出。物品にエピソードを付けることによって夢を持たせるという手法は、興味深いものである。
面白いことを考えるものだ。こういった発想は、イチキにはない。
あるいは、もっと悪辣な手段をとるかと思っていたが、これはなかなか夢がある。
「意外と、ダイヤモンドの価値は保たれるかもしれませんね」
よいことだ。
平穏な幻想をつくる広告に、イチキは機嫌よく微笑んだ。
「おかえり、イチキ」
帰ると、姉が出迎えた。
出迎えのあいさつに、あれとイチキは小首をかしげる。
この時間だと、いつもならば姉は公園広場で仕事をしている。イチキの記憶に久しくない早めの帰宅である。
「姉さま。今日はお早いのでございますね」
「……イチキ」
姉が帰っているなら炊事の準備に取り掛からなくては、と台所に向かおうとしたところを呼び止められる。
「……お姉ちゃんから、話があります」
「はい?」
姉がこういう風に切り出してくるのは、何か大事な話がある時である。イチキは招かれるまま神妙に座る。
「……手を出して」
「はあ」
なんだろうと疑問を持ちつつも手を前に出すと、姉はイチキの袖に手を入れる。唐突だが、基本的にはイチキは自分のものは姉のものであるという精神を持っているので、特に抵抗しない。姉はしばらくごそごそしていたが、やがて目当てのものを探り当てた。
ひょいと取り出したのは、一通の手紙である。
それに、目を尖らせる。
「……この手紙は、なに?」
「こ、これは、その……」
姉に黙って手紙のやり取りをしようとしていたという後ろめたさから口ごもる。
しかしイチキは、身内に嘘を吐けない少女だ。彼女は敵にはとことん強気に出るが、味方にはとことん弱気だ。身を置く場所の序列を重んじるのである。
「その、姉さまがお話してくださったレンさまと、お手紙のやりとりをしたくて……」
「…………」
奴隷少女ちゃんが顔をしかめた。
まさかあのへっぽこレン太郎とうちのイチキが、という気持ちである。やはり自分の話し方が悪かったかと、奴隷少女ちゃんは大きく息を吐いた。
「……イチキ」
「は、はい」
「……あのね。あんまり、こういうことにうるさく口出す気はないけどね。私は……イチキの幸せを願ってるの」
「は、はい。ありがとうございます」
「……あのへっぽこ野郎はね、別に悪いやつじゃないとは、思う。でもいいやつかって言われたら『んん?』って感じでね。女性関係も、潔癖かって言われると……とても微妙なところなの」
「そう、なのでございますか?」
「……うん。だから、ね? わかるでしょ」
迂遠な言い回しである。どういうことだろう、とイチキは姉の言わんとしようとしていることを予測する。
イチキの明晰な頭脳が回転する。様々な事柄がイチキの中で有機的に組み合わさり、仮説として浮上して取捨選択される。その中で一つの事柄がイチキの中で結びついた。
思い当たったことに愕然とした彼女は、大慌てで頭を下げる。
「も、申し訳ございませんでした、姉さま」
「……ううん。わかってくれれば――」
「わたくし、姉さまがレンさまのことを懸想されていたということに、考えが及んでおりませんでした」
「……――は?」
奴隷少女ちゃんが絶句するが、痛悔に襲われているイチキは平伏せんばかりの姿勢で顔をうつむけていた。
先ほど見た、ブライダルフェア。この国では、男女の仲になるために宝石を贈るのはよくある習慣だった。そしてイチキの姉である奴隷少女ちゃんは、ダンジョンの最深部から入手した宝石を贈られ、受け取っていた。
その意味を深く考えなかったなんて、とイチキは大いに悔いる。予想外過ぎて何を言われたかわからずきょとんとしている姉を前に、己の愚かさを恥じて声を震わせる。
「わたくしごときが姉さまの恋路に立ちふさがろうとしていたなんて……! なんて思い上がりも甚だしいことをしようとしていたのでしょうか、わたくしはっ」
「……イチキ? あの、なにを、言って――」
「本当に申し訳ございませんでしたー!」
「――……イチキぃ!?」
身を焼くような羞恥に、後悔。
あまりにいたたまれなさにイチキは、姉の制止の声を振り切って外へと飛び出した。
とある宝石店のショーウィンドウの前に、一人の少女がいた。
「ブライダルフェアかぁ……」
そう呟くのは、恋に悩む少女のミュリナである。
透明なダイヤモンドを主役にきらめく宝石を見て、憂鬱にため息。ショーウィンドウにそっと手を当ててる。
欲しいなぁと思う。
もちろん、自分で買いたいなんていう心理ではない。レンから贈ってほしいのだ。
あんな綺麗な宝石を、素敵な言葉と一緒にレンから贈られたら。それはきっと、人生の中でもひときわきらめく幸福の結晶になると思うのだ。
それが、遠い。
もう一息、憂鬱のため息が吐き出される。少女の吐息はショーウィンドウに阻まれ、きらめく宝石には届かない。
「……帰ろ」
ここで欲しがっても空しいだけだし、と踵を返そうとした瞬間、どすんと背中に衝撃が走った。
ショーウィンドウに目を奪われたままだったせいで、道を走っていた人とぶつかったようだ。
「あ、も、申し訳――」
「いえ、こちらも不注意で……って、イチキ?」
さきほど別れたばかりのイチキである。
これはまた偶然な、と驚いてから、ミュリナはイチキが涙をこぼしていることに気がついた。
「ちょっと、どうしたの?」
「へ? い、いえ。これはなんでもございません……!」
「なんでもないわけないでしょう!」
さっきのいまで泣いてるだなんて、短い間になにがあったのか。
このままにしておくわけにはいかない。ミュリナはイチキの腕をとって、事情を聞くために路地裏の喫茶店に連れていく。注文はミュリナが済ませてイチキは向かい席に座らせた。
「それで、なにがあったのよ」
「じ、じつは……」
最近発見した、パンケーキがおいしいお店。そこで事情を聴くと、ようやく観念したイチキは姉との会話をミュリナに打ち明けた。
「そっか。お姉さんと……」
事情を聞いたミュリナは、難しい顔でつぶやいた。イチキの普段の会話から、彼女が本当に姉のことを尊敬しているのを知っているからだ。その姉と想い人が重なったとなると、確かにショックだろう。
イチキは赤くなった目元を袖で隠しながらも、落ち着きを取り戻していた。
「はい。わたくしごときが、本当に差し出がましい真似をしておりました。帰ってから、再度、姉さまには謝罪しようと思っております」
イチキらしい、自分以外の誰かを立てて優先すれば台詞だ。
その言葉に、ミュリナのうちでめらりと怒りの炎が舞った。
「……差し出がましいって、なによ、それ」
「え?」
イチキがきょとんと目を瞬かせる。そんな友人を、ミュリナは鋭く睨み付けた。
「あのね、イチキ。謝ることなんてないし、諦めることなんて、もっとないわよ」
「え、え? でも――」
「でももだってもないわっ。なんで引くのよ。お姉さんと好きな人が重なっちゃったからって、なによ。あなたは何も悪いことなんてしてないし、イチキが引かなきゃいけない理由なんてないじゃない」
「そんな! だ、だってわたくしごときが――」
「ごときなんて言わないでっ! なんで自分を安く言うのよっ。イチキはすごいじゃないっ。あたしは自分のことをすごいって思ってるけどさ、それでもイチキにはいろんな面で勝てないって思ってるのよ?」
ミュリナは語気を荒げ、自分を卑下するイチキの台詞を遮る。
「だからね、イチキ。あたしはあなたに諦めてほしくない。あなたのお姉さんのことはよく知らないけど、あたしはイチキのことなら知ってるもの。なにもしないうちに自分で諦めるなんてこと、しないで欲しい」
ミュリナはイチキのことをよく知っている。彼女は自分にはない魅力にあふれている少女で、なにより素晴らしい友人だ。
だからこそ、声を大にする。
なんでも実現できるような才能をもって力を得ているのに、自分のためにそれを振るおうとしない友人の背中を力強く押す。
「親しい人が恋敵だって、自分の気持ちを偽ることなんてないのよ!」
ミュリナは全力で、イチキの恋を肯定した。
その頃。
残された奴隷少女ちゃんは、思わぬ展開に呆然としていた。
おかしい。かわいい妹に、レンのろくでもなさを教えようとしたら、信じられないような誤解が返ってきたのである。常識的に考えてありえない事態だ。
最愛の妹による最悪の誤解を受けて、ショックのあまり打ち震えていた奴隷少女ちゃんは我に返って一声。
「……ひ、ひどい誤解にもほどが、ある!」
切実なハスキーボイスで、振り絞るように叫んだ。
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