解散の???・前編
ボルケーノが奴隷少女ちゃんの住む拠点に顔を出すと、部屋が荒れていた。
ところどころ家具がひっくり返っており、衣服が散らかされている。特に台所の荒れ具合がひどい。室内だというのにそこだけ台風が通り過ぎたかのような状態だった。
「どうしたんだ、これ」
「……イチキが、帰ってこない」
ボルケーノが部屋の惨状に疑問符を上げると、部屋に一人でいた奴隷少女ちゃんは悄然とした様子で答えた。
「帰ってこないって、なんだ? ケンカでもしたのか?」
惨憺としたありさまの部屋を見て、ため息を吐く。
イチキの身の安全の心配をしなかったのは、基本的にイチキをどうにかできるような人間がほとんどいないからだ。大陸全土を見ても百人もいないだろうし、この町ではイーズ・アンだけだ。一度接触があって以来、あの聖女の動向にはボルケーノも目を光らせていた。
ケンカ、と言われた奴隷少女ちゃんは不満そうにぷっくりと頬を膨らませる。
「……不幸なすれ違いだった」
「そうかよ。だからって物にあたるのは良くねえぞ」
あれだけ仲のよい二人である。ケンカをするなど、よほど大きな火種なのだろう。
それでも周囲に被害が出るようなケンカをされては困る。イチキもそうだが、特に奴隷少女ちゃんは能力だけで一つの極みにいる人物なのだ。能力を無作為に行使して、彼女の所在を知られることはあってはならない。事が大きくなれば、勇者とて沈黙し続けてくれるとは限らないのだ。
そう思っての忠告に、奴隷少女ちゃんが首を傾げた。
「……え? これは、ご飯をつくろうとして、それだけだけど」
「……」
ボルケーノが押し黙った。
別に奴隷少女ちゃんは物覚えが悪くなければ運動神経に問題があるわけでもない。要領だっていいほうだ。基本的に、失敗は繰り返さない少女である。
なのにご飯を作ろうとして、何をどうすればこうなるのだろうか。
考えてもわからなかったので、彼は散らかったキッチンを片づけつつ、調理の準備を始めた。
「今日は俺がつくるから、そこで座ってろ」
「……うん」
「お前らさ、家事の分担とかどうしてるんだよ」
「……全部、イチキがやってくれる」
「だろうなぁ」
この有様ではしかたない。ほっとくと火事でも起こしかねないほど酷い状態なのだ。
そもそも幼少の頃は、彼女は使用人に身の回りのすべてを任せていたような人間だ。その後は、傍にイチキがいたのである。家事炊事が身についているはずがない。
とはいえ嘆かわしいとしかいいようがない生活能力である。
「……それより、ボルケーノさん。イチキに、レン太郎のこと話した?」
「レンのことか? まあ聞かれたからな。気概のあるやつだぜ、ってことは」
奴隷少女ちゃんが、ふくれっ面をますます膨らませて顔をまん丸にした。
「……全部、そのせい」
「いや、何があったんだよ。俺のせいみたいに言うなよ」
事情がさっぱりつかめないボルケーノに、奴隷少女ちゃんのジトーっとした恨みがましい視線を向け続けられた。
その頃ミュリナは、イチキを家に招いていた。
姉と喧嘩をしたとあっては家に帰りづらいだろうとミュリナが提案したのだ。その後、半ば強引に家の前まで引っ張ってこられたイチキは、この段になってもためらっていた。
「いいじゃない。身内といえど、敵になったんだから! これを機に一度距離を置いてみるのもいいと思うわ。イチキはね、もっと戦うってことを覚えたほうがいいの。それがたとえ味方だとしても、ゆずれないことは譲れないって言うのよっ」
「で、ですが……その、ミュリナのおうちといいますと、ええっと。いろいろと事情がございまして……!」
「大丈夫。いまうち、お兄ちゃんが首都のほうに行ってるから、女だけだし。遠慮しないで」
「そう、でございますか」
ミュリナの言葉を聞くと、イチキのためらいは薄れたようだ。ミュリナの引っ張る手への抵抗が弱まる。
「あれ――もとい、ミュリナのお兄さまはいらっしゃらないのですね」
「そうそう。だから遠慮しないで。相手が家族だろうと、嫌なことがあったら家出くらいしてやってもいいのよ」
さすが兄妹喧嘩で家出をして男の家に転がり込んだ娘は言うことが違う。
正直、危機感なくレンの家に転がりこんだミュリナは結果オーライだっただけでもうちょっと全体的に反省したほうがよいのだが、結果が良かったためにミュリナはあの時のことをさほど悪いことだとは思っていなかった。
「じゃ、決まりね」
「あ」
イチキも納得したようだし、とミュリナは友達を家に連れ込んだ。
「ただいまー」
「お、お邪魔いたします」
「おかえり……あら、いらっしゃい」
ミュリナを出迎えた女剣士が、おそるおそる続いて玄関をくぐったイチキを見て目を瞬かせる。
「あら、お友達? きれいな子ね」
「うん。アルテナさん。いきなりで悪いんだけど、しばらくこの子、泊めていい?」
「え? あなたがそうしたいのなら、私は口を挟まないけど……」
「申し訳ありません。急に上がり込んで、このような不躾なお願いをしてしまって。手土産もなく、恐縮の至りでございます」
「あらあら、気にしなくていいのよ。ミュリナのお友達なら歓迎だもの」
ミュリナが友達を泊めたいなど珍しい、というか初めての申し出だ。女剣士は驚きつつも、好意的に受け止める。
どういう経緯で知り合ったかはわからないが、異国の装束を身にまとうイチキは見るからにいい子そうだ。そもそもこの家は、部屋に余りがある。アルテナとミュリナの二人、そこにイチキが加わったところで問題は何もない。
ミュリナの兄である勇者は首都に用があるらしく、しばらく帰ってこない。二人で決めてしまっていいだろうと女剣士は笑顔で承諾した。
「それじゃ、ちょっと部屋に案内するわね」
「はいはい。わかったわ」
「本当に申し訳ありません。お礼は、あとで必ずいたします」
「あんまり遠慮しすぎないでよ、イチキ。あ、そうだ。急なことだったし、あとでお泊まりの用意を一緒に揃えよっか」
「え? 一緒に、よろしいのですか……?」
「ダメな理由がないでしょ」
微笑ましい会話をしながら、二階の自室に上がっていった。
友達らしい他愛ない会話をする二人を見送る女剣士の口元は、自然と笑みを作っていた。
ミュリナの薄く研がれたようだった鋭い瞳も、ずいぶん穏やかになっている。レンと出会ってから、ミュリナはどんどん変わっている。
どうしようもない気持ちを抱えて自分本位にならざるを得なかった少女が、どんどんと人の輪を作れるようになっているのだ。
「すごいわね、恋って」
レンに感謝をしなくちゃなと、女剣士は微笑んでから、はたと気がついた。
「あ、しまったわ。先にあのこと、伝えようと思ったんだけど……」
女剣士はあらあらと頬に手をあてて、首を斜めにして考え込む。
明日、パーティーリーダーから告げられることだ。それなりに重要なことだから、事前にミュリナにも伝えておこうと思ったのだ。
階上からは、楽しげな声がわずかに漏れ聞こえる。いまの空気に水を差すのははばかられた。
「……明日以降、相談すればいいわよね」
明日告げられることによって、日常は否が応でも変わってしまう。
だからこそ、それこそウィトンも交えてしっかりと相談するべきだ。時間はまだあるのだし、と女剣士はミュリナとの話し合いの日時をズラすことにした。
一方レンは自分の家のベッドに寝っ転がっていた。
もう一日の終わりである。
今日やることはしっかり終わらせてある。自炊で食事も済ませて、掃除洗濯も終わらせた。明日の探索の準備もばっちりだ。常連シスターさんの助言に従って、付き合いを広げるのもいいだろうと手紙も綴って、返信待ちの状態である。文通のやりとりは新鮮で、早くもちょっと楽しくなりつつあった。
気にかかることは、やはり少し気まずくなってしまったミュリナのとの関係である。明日も探索で顔を合せるのだ。
とはいえ、レンには乙女心などちっとも理解できない。女性の知り合いである常連シスターさんに聞いても面白がられるだけだった。なにより奴隷少女ちゃんに相談すると、全肯定か全否定か非常にきわどいラインの相談内容になるのが悩みだ。というか、好きな女の子に相談する内容ではないことぐらい、さすがのレンでも承知していた。
「はあ」
暗闇の中で目を閉じて、どうするべきか考える。
せっかく、同世代の女子とのつながりができたのだ。見るからに異国の少女だったし、いまの人間関係にまったくつながりがない人物だ。身内には逆に言いにくいことも、気兼ねなく相談できる。
読める文字での文通が始まったのならば、どういう経緯で自分のことを知ったのか聞いてみる。そうして手紙越しでも気心のしれた関係になれたなら、そのタイミングで。
「恋愛相談でもしてみるかぁ」
悩める少年のレンは、そんなことを呟いた。
ミュリナとのことで悩みは尽きない。けれども、と思う。
この町に来て拾われてメンバーに加わったパーティーは順調なのが、救いだった。
「ほんと、良い人たちに恵まれたよな、俺って」
この町で出会った人たちに感謝しながら、レンは眠りについた。
次の日の探索日。
「まだ少し先のことになるが、話しておきたいことがある。何人かには前もって話してあったが、他のメンバーにも伝えなくてはいけないことがある」
ダンジョンに入る前のミーティングで、リーダーが切り出した。
長年冒険者を続けた実績ある秘蹟使いの彼は、パーティーの全員をぐるりと見渡して口を開く。
「俺がリーダーをやって続いていたこのパーティーは、三か月後――春になったら解散する」
レンが冒険者になって、一年目の冬。
春が訪れば二年目になる時期に、そう告げられた。
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