全肯定奴隷少女:1回10分1000リン
佐藤真登
一章
全肯定奴隷少女
夜も更けた町の中。木々に囲まれた閑静な公園の広場で悔し気な声が響いた。
「ああ、ちっくしょう……!」
頭を抱えてうめいているのは、十七、八歳の青年である。
彼の名前はレン。田舎からこの町に来た、新人の冒険者だ。
ダンジョンに潜って魔物と戦い、あるいは人々のクエストを受けて素材を採取する。この国の産業の一翼を担う職業こそが冒険者だ。近年多大な功績を出した『勇者』を輩出した職業だけあって、若者に人気がある職だった。
レンは巷で語られる英雄譚で夢を見て田舎からこの都市にやって来た、よくいる青年の一人だった。
だが現実は厳しい。
知り合いのいない都会。人脈も技術もない彼を受け入れてくれる先などそうそうない。やる気はあるとアピールしてはパーティーメンバーを探して断られ続け、くじけそうになりながらもメンバー募集の応募に参加して、なんとか中堅どころのパーティーのメンバーに採用された。
そこでは、ますダンジョンの空気に慣れるためということで荷物運びの役割を振られた。
まあレンは入ったばかりの新人だ。正直、ダンジョンで冒険者が何をすればいいのか、ぼんやりとしたイメージしかもっていなかった。荷物運びの立場も仕方ないと、英雄願望をなだめつつもしぶしぶ了承した。
だが、そんな荷物運びですらレンは失敗してしまったのだ。
「はぁ、なっさけねえ……」
今日の自分の失態を思い出して自虐の声がこぼれる。
初めて見る魔物に足がすくんで笑われたのは、まあいい。だが、途中で予期せぬタイミングで魔物に襲われた時にパニックを起こして、任されていた荷物をばらまいてしまった。それが原因でパーティーは早々に撤退することになってしまったのだ。
田舎から出てきて、冒険者になって、その初日での無様な失敗。特に堪えたのは、一年先に入った魔術師の少女の言葉だ。
『何のために来たの? やる気も才能もないなら、早めにやめたほうがいいわよ』
侮蔑するような目で言われたあの言葉。
心をざっくり削るようなセリフだった。何より反論できる要素がなかったことが一番情けなかった。
確かに自分は何もできなかった。パーティーに損害しか出していない。華麗な活躍なんて夢のまた夢。泥臭い戦闘以前の問題。下働きすら、ロクにこなせなかったのだ。
「こんなはずじゃ、なかったんだけどなぁ」
自分は、なんのために冒険者になったのか。今日のことを思い返すと、そう思わずにはいられない。
パーティーの年長者のおっさん達は、落ち込んでいるレンを引っ張って酒場に連れて行ってくれた。そこで慰められているのかバカにされているのかわからない話をされて、さらにげんなりして一足先に抜けてきたのだ。
あの女魔術師以外に、役に立たないから辞めちまえと言われなかったのが、良かったのか悪かったのか。
今日みたいな醜態をさらした自分が、これからやっていけるのだろうか。
いっそ、本当にやめたいほうがいいのかもしれない。
「はあ……って、ん?」
暗いため息を吐いた時だった。
レンの目に、ひとりの少女が入った。
見た感じ、十七、八歳。青みがかった美しい銀髪をショートカットにした少女だ。顔立ちも端正で目を引くが、それ以上に服装が特異である。
使い古しの貫頭衣を纏い、首には金属製の鎖の付いた革の首輪をつけている。広場に来たときは周りを見る余裕もないほど落ち込んでいたため気が付かなかったが、特徴的な格好だ。
しかも彼女は両手で木製のプラカードを持っていた。白の塗料で塗ってある木の棒と板を組み合せただけの粗末なものだ。プラカードは掲げているわけではなく、文字の書かれている板の部分でちょうど顔の鼻から下、口元が隠れるようにして持っている。
そのプラカードには、ある文字が書いてあった。
『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』
意味が分からなかった。
「……は?」
なんだあれはと自分の悩みも忘れて目を瞬く。
信じられない光景を目にしたレンの脳内で、プラカードに書かれている言葉自体は読めるのに、理解を脳みそが拒むという不思議な現象が起こった。
特に『全肯定奴隷少女』という文言は、ちょっと常人には哲学的ですらある文字の羅列だ。人権とか尊厳とかが一切感じられないひどいパワーワードである。なんにしても、この世にあってはならない格好と看板だ。
自分が目にしたものがちょっと信じられずにレンがぱちくりと目を瞬いていると、広場にいる貫頭衣の銀髪少女と視線が合った。
「……」
無言でにこっ、と微笑まれた。
プラカードで口元は隠れているが、人の心を引き寄せるような笑顔である。それを目にしたレンはうろたえる。
え、なにこれ怖い。
理解不能の事態に直面し、レンはベンチから腰を浮かしてちょっと後ずさった。
視線の先にいる少女の存在が、何一つ理解できなかった。
悪しき風習として、奴隷制度というものは遙か昔に廃止されたはずだが、なぜこんな堂々と奴隷少女なるものがいるのか。
革命により圧政を敷いていた前皇帝が勇者に打ち倒されてから十年。色々と世の中の仕組みは変わったが、奴隷身分が復活したという話は聞いたことがない。少なくとも、レンは奴隷少女なる存在を今までの人生で見たことがない。この国に、そんなもんはいてはならないはずだ。
しかも一回十分千リン? なんの料金だ。いかがわしい。
新手の詐欺かと彼は真っ先に疑う。あれは客引きの一種で、怖いお兄さんがどこかで待機しているのでは? 近づいたら、いかつい大男が手持ちの金を巻き上げようとするのでは? その程度の詐欺の話なら、若いレンでも聞いたことがあった。
だがプラカードを持った銀髪の少女の周囲に人はいない。
しかし風俗の類にしていくら何でも安すぎるし、貫頭衣という恰好が意味不明だ。
怪しい。怪し過ぎる。奴隷少女など、世の中の前提からして存在がおかしい。ありえない。何を考えればあんな格好、あんな看板を持とういう発想にたどり着くのか。あの子は、なんのためにあんな格好であんな看板をもっているのか。
「……いや、俺とは関係ないか」
そうだ。見なかったことにして帰ろう。
さんざん考えて出したレンの結論がそれだった。
変なものには関わらない。それが日常を過ごすコツである。しいていうなら、罰ゲームか何かであんな格好をしているのだろうとレンは無理やり自分を納得させる。
第一、明日だって迷宮の冒険の予定があるのだ。美人とはいえ、変な少女に関わっている時間が惜しい。家に帰って体を休めよう。
そう思って踵を返そうとした時だった。
「奴隷少女ちゃーん!」
広場に立つ変な少女に駆け寄る女性がいた。
二十代半ばだろうか。どことなく清廉な雰囲気がある女性だな、と思って見覚えがあることに気が付く。
はて、誰だったか。記憶を探って、思い出す。
神殿で迷宮から帰還した冒険者の治療をしているシスターの女性だ。傷を治してもらった時は修道服を着ているために、気が付かなかったのだ。
神殿のシスターが、なぜ奴隷少女とかいういかがわしそうな人物と知り合いなのだろうか。
レンの困惑をよそに、奴隷少女と呼ばた銀髪少女はニコニコと無言で笑っている。静かな微笑みで女性の来訪を受け入れた。
それに対し、広場に駆けこんだ私服のシスターさんはひどく悔し気に顔を歪めている。今にも泣き出しそうな彼女は、財布から千リンを取り出して奴隷少女に渡す。
「はい、これ!」
「……」
シスターさんから千リンを受け取った奴隷少女は、口元を隠していたプラカードをどける。
顔を半分隠していたプラカード。その下から現れたのは、形のよい顎の輪郭に、夜目にも艶やかな朱唇。期待を裏切らない美貌である。
「ねえっ、聞いてよ奴隷少女ちゃん!」
「わかったの!!!!!! もちろん聞くのよ!!! なんでも言うがよいの!!!!!! えへ!」
すさまじく勢いのよいハスキーな声が、広場に響いた。
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