膝枕の全肯定・前編
ちょっと待って、と言われたイチキは、慌てず騒がずレンの額に掌を乗せる。
「はい。もちろんお待ちいたします」
「そ、そっか。それじゃ――あれ?」
なぜイチキに膝枕をされているかはさておいて、まずはイチキの膝から脱出しようとして、できないことに気が付いた。
額にはイチキの掌、後頭部にはイチキの太もも。頭を挟まれて抑えられると、人間は起き上がることもままならない。イチキも本気で押さえつけているわけではないので無理に動けば抜け出せなくはないのだが、なにせ膝枕をされている状況である。無理に暴れることもできずに、というか無理に動くと色々際どいところにあたりそうなため、レンはもぞもぞ動くだけになっている。
魔術の要素は一切ない。レンの心理を読み取って、身一つだけを使って行動を制限する。原始的で、物理的で、けれども対象を捕らえて離さない。これも正真正銘、『結界』の一種だ。
言われた通りにちょっとだけ待ったイチキが、レンの動きにくすぐったそうに微笑みながら語り掛ける。
「レンさま。少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「あ、うん。答えるから、おでこの手をどけてくれる?」
「はい。お答えいただけたら、のけます」
「もうそれでいいや。で、質問って?」
さりげなく交換条件の言質を取られていることにも気がつかず、レンは膝枕をされたままうなづく。
リンリーの大声をイチキも聞いていた。レンの頭を乗せたイチキの膝が、気まずそうにそわそわ揺れる。動きが付くと、より一層太ももの柔らかさが伝わってレンの頬が紅潮する。
「その、で、ございますが……」
イチキはおずおずと、恥ずかし気に赤らめた頬を袖で隠しつつも、それでも確認せねばと問いかける。
「レンさまとミュリナは……いたして、しまったのでしょうか?」
「してないから!」
膝枕をされているという羞恥心が一瞬で吹っ飛んだ。
何をとは口にされなかったが、さすがに何を問われたかはわかった。奴隷少女ちゃんの妹であるイチキに誤解されたままではたまらないとレンは即答する。
「あれはリンリーがおおげさに言ってただけだから! イチキちゃんもわかるよね!?」
ぎりぎりで思いとどまったのだ。こう、流される直前だったがリンリーが空気をクラッシュしてくれたおかげで事なきを得たというか、半歩ぐらい手遅れな気もするが決定的なことはなにもしていない。
イチキがほっと息をつき、レンの額から手をどける。
「それでしたら、よかったです。昨日の今日で勝負がついてしまっては、さすがにわたくしも立つ瀬がございません」
身を起こしたレンに、ソファの隣に座っているイチキが微笑みを向ける。
「お体に障りはないようで、なによりでございます」
「冒険者だしね。一応、丈夫なんだよ」
「ふふ。たくましく鍛え上げておりますものね」
「ある程度はね。まあ、先輩たちにはまだまだ及ばないんだけど」
会話をしつつ、距離の近さにそわそわする。正直、さっきのミュリナのベッドに引きずりこまれたこともあって簡単に欲求が煽られる状態だ。
とん、と肩が触れる。布越しとはいえ、彼女の柔らかさと熱を感じる。ミュリナとはまた違う、上品な香で引き立てれらたイチキの香りがする。
これはいい機会だ。
前から言おうと思っていたことを告げるべく、レンは口を開く。
「イチキちゃん、距離が近いから気を付けよう?」
「距離が、でございますか?」
「うん。今もそうだけど、距離感が近いから気をつけたほうがいいよ」
きょとんと小首をかしげるイチキに、レンは精いっぱい重々しく言う。
「イチキちゃん、かわいいんだからさ」
「かわっ!? え、あの、そのぅ……」
素っ頓狂な声を上げたイチキは、慌てた様子できょろりと左右を確認した。罪悪感に駆られたようにうつむいてから、かわいらしく拳を握って顔を上げる。
うるんだ、けれどもどこか熱っぽい上目遣いのまま、おずおずと人差し指を立てて「1」を示す。
「よ、よく聞こえませんでしたので……も、もう一度、よろしいでしょうか」
「え? うん。かわいいよ、イチキちゃんは」
「ふぁっ……んぅ!」
悶えるような声を上げ、かあっと紅潮する。ぎゅっと内またになって太ももをこすり合わせたイチキが、両手をあげて広がる袖で顔を隠した。
なぜか、さっきよりイチキの香りが強くなった。
「だから気を付けようってこと。ミュリナも結構そうだったんだけど、強い女の子ってそういうとこ無防備なんだと思うんだ。その……誤解されたら困るのはイチキちゃんだよ?」
「……罪深いのはレンさまのほうでございます」
自分のやっていることを自覚してくれたのだろうかと注意を重ねたレンに返されたのは、すねたような口ぶりだった。次に視線を合わせたイチキは、凜としているほどの顔つきだった。
「レンさまは、ひとつ勘違いしております」
「俺が? なにを?」
「わたくしは、貞節と節度を尊んでおります。当然、リンリーとは違って人との適切な距離感もわきまえております」
「そうかなぁ?」
「ええ。もちろんです」
きっぱりと断言する。だがレンは懐疑的な表情を崩さない。なにせリンリーとは違う意味で無防備なほど間合いが近いのだ。
「わたくしは、レンさまをお慕いしているから、こうしているのです」
「ありがとう。友達関係でも、異性相手には距離感を保った方がいいと思うよ」
「……もう少し、わかりやすく言い換えたほうがよろしかったでしょうか」
少し、イチキの雰囲気が冷えた気がした。
寒気を感じたレンがとっさにイチキの顔を確認したが、その時にはしとやかに微笑んでいるだけだった。
「レンさま。ご存知かと思いますが、わたくしが得意とする魔術は結界です」
「知ってる知ってる。ミュリナから聞いたし、一緒に冒険をした時にも見せてもらったし。あれ、すごいよね」
「ありがとうございます。しかしながら実のところ、古来より人を捕らえるのに最も優れているのは、距離をつくることでも、壁を築くことでもありません。それどころか、そもそも結界というものの核心は、学術体系より生まれる魔術より、あるいは信仰より生まれる秘蹟よりも尊ばれるものがございます」
「へえ、そうなんだ」
「はい。物理ではなく精神に触れる技法。確立された魔術ではなく、幻想でしかない魔法。その人の心をとらえることこそが、最古にして最良の結界だと言われています」
レンが生業にしている冒険に関係する話から入って、魔術につないでいくわかりやすい語り口に、興味を惹かれる。自然と前のめりになったレンを見て、イチキは自分の胸に手を置いた。
「最古にして、最高の結界。この世の男女が結ぶ世界を、人は『恋』と呼びます」
何を言われたのかよくわからなかった。
一瞬、バカみたいに呆けたレンが、続いた沈黙でイチキの言葉の意味を悟った。そのタイミングで、イチキは肩を寄せてレンと触れ合う。
「わたくしの心を、女にしたのは、レンさまなのでございますよ? 心の距離を詰めるのに、触れ合うことは有効です。ですからわたくしは、レンさまにでしたら体を女にされたところで、文句など言いません」
「待って、マジで待ってイチキちゃん」
「はい、もちろんでございます」
イチキは決して無理じいをしない。待ってと言われようとも詰め寄るミュリナとは違う距離の詰め方がある。自分の気持ちを告げて、それ以上は心に踏み込むことなく、くるりと周りを囲う。レンから来るまで、待ち続けるのだ。
包み込み、受け入れて、迎え入れるように両手を広げる。
「いま気持ちを表明したところで、受け入れてもらえるなどと露ほども考えておりません」
レンをあえて自由にして、レンの好きなように行動できるようにしてから、レンの心に届くように幼さの残る顔に大輪の笑顔を花開かせて。
「わたくしなどに誘惑されないあなた様を、お慕い申し上げております」
指先の仕草の末端まで上品に、艶っぽく香り立たせたイチキが己の思いをレンに伝えた。
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