少女たちとご休憩・後編




 レンは、奈落の底へと落ちていた。

 視界の利かない真っ暗闇の中、重力に引かれて落ちて、落ちて、落ちて、精神だけが底なしに落下し続ける。寝ている時に階段を踏み外す瞬間を、全身で永遠に味わう寒気にレンは震える。

 このまま虚無に吸い込まれていけば、魂まで霧散する。

 せまりくる結末を悟りながら、抵抗のしようもなく落ち続けていた時だ。

 不意に、温かさがレンの意識を包んだ。

 やわらかく、心地よい。優しく、繊細で、まどろみを覚える温かさだ。無意識のうちに震えていた寒さが、溶かされていく。

 自分を受け止めているこれは一体、何だろうか。

 レンの意識が覚醒する。寝ぼけ眼で、そちらを向く。

 美しい少女がいた。

 とても、見覚えがある。

 自分が憧れて、目の前にいる人を救う彼女の在り方に焦がれて、こういう人間でいたいと目標にして手を伸ばすたびに遠くに行ってしまう人だ。

 そんな奴隷少女ちゃんが、いま、レンの隣にいた。


「……おはよ」

「うゃおえ!?」


 素っ頓狂を通り越した、我ながら意味のわからない声がレンの口から出る。

 眠気が一瞬で吹き飛んだ。とっさに飛び起きる。

 レンは自分の頭を奴隷少女ちゃんの肩にもたれかけさせて寝ていたのだ。


「な、なんで!?」

「……あなたが、外で寝るから」

「それでなにがどうしたらこんなことに!?」

「……とても、簡単」


 外で寝たら、なにをどうしたら奴隷少女ちゃんに拾われて隣でくっつきながら寝ることになるのか。全世界の男性のためにも意見を頂戴したいと狼狽するレンに、えへん、とかわいく胸を張る。


「……わたし、外での暖の取りかたは、詳しい」

「へ? あ、うん。……へー、そっか」


 営業時間外の彼女はあまり表情を動かさないのだが、心なしか顔がどやっとしている。

 しかし暖の取り方が、明らかに少女時代にスラムで過ごしていた時の手法だ。レンも玉音で記憶を伝えられたから知っている。小さい頃のイチキと彼女たちの兄とで寄り添い暖を取っていた光景はさぞかし微笑ましいに違いない。

 ただ、いまの奴隷少女ちゃんは幼い子供ではなく立派な女の子である。

 触れ合えば感じるのは、温かさ以上に異性のやわらかさである。布越しに伝わる体温と感触に、どぎまぎとレンの心臓が早鐘を打つ。

 そんな少年心の機微など知ったこともなく、奴隷少女ちゃんは確認をしてくる。


「……どう? あったかい?」

「は、はい。とてもあたたかいです」

「……なんで敬語?」


 不審そうにされてしまったが、そうでもしなければいろいろとたまったものではなかった。レンは居心地悪く、もそりと身じろぎをする。


「……それで? あなたは、どうして道で寝てたの」


 返答に窮して目が泳いだ。とっさのごまかしが口を突く。


「ね、眠くて……つい、道端で」

「……無理するから、そうなる」


 下手な言い訳はあっさりと見抜かれた。

 レンは気絶するようにして行き倒れたのだ。

 どうやら最近の自分の行動は知られているらしい。なんとか取り繕おうとしていたレンは、がっくりと肩を落とす。


「リンリーとかから、聞いてた?」

「……イチキが教えてくれる」

「イチキちゃんかぁ」


 やはりイチキの一番は、奴隷少女ちゃんなのだ。すでにレンの行動を読み切られて、泳がされている。イチキはリンリーから聞いているのだろう。あるいは、他にも情報を抜く経路があるのかもしれない。

 だが奴隷少女ちゃんは、そこらへんの動きなどどうでもよさげだった。


「……そんなことよりも。イチキがレンの助のことを好きなの、私、まだ納得してないから」

「それについては俺も不思議に思ってるんだよなぁ。なんでイチキちゃんって、俺のこと好きなの?」

「……大いなる謎」


 完璧超人故に愛らしい駄目さが好きの気質があるなどという理由は、私生活が割と駄目な二人ではさっぱり察せない。


「……第一、あなたは、よくない。会う女の子をたらして」

「そんなことしてないです。マジで、してない」

「……説得力がない。世の中、結果がすべて」


 ただの会話。全肯定でもなく全否定でもない、お互いの近況を知らせる話だ。

 何気ないやり取りの温かさに、張り詰めていた心が溶かされていく。

 自分の全部をかなぐり捨てて前に進んでいくつもりだった。自分の全存在をかけて挑戦するつもりだった。

 けれども、わかっていなかった。

 誰かに話しかけられれば、引き留められてしまう。

 自分は結局、その程度なのだ。


「俺、馬鹿だなぁ」

「……そうだね」


 静かに、肯定する。


「……人の言葉は、とても強いものだよ」

「うん。わかるよ」

「……言葉の価値を誤ると、昔の『私』みたいになる」


 玉音。

 一声告げるだけで、人生の意味すら塗りかえることができる言葉の持ち主が、彼女だ。


「……『私』の言葉で死んだ人は、あまりにも多い。だから私は、私の言葉でこの国の人を救い続けなきゃ……いけない。奴隷のように、この国人たちに尽くすのが『全肯定奴隷少女』としての私の、役割」


 それはなにも、公園広場での全肯定だけではない。裏社会でボルケーノと協力して行っている、必要悪としての役割。彼女は少しでもこの国をより良いものとすべく行動している。

 じゃあ、どうして、あの時。

 レンは疑問を覚える。

 初めて彼女に千リンを渡した日。全肯定の十分を過ぎてもみじめに泣き崩れ続けた自分に、この子は語り掛けてくれた。


「違うよ」

「……なにが?」


 いまだってそうだ。いまの彼女は、ただの彼女として言葉を与えてくれている。全肯定奴隷少女としての彼女以外の彼女が、確かにいるのだ。


「君がこの公園にいるのは、罪滅ぼしだけじゃない」

「……じゃあ、なに?」

「君はさ、困っている人を見捨てられないんだ。だから、この町で困っている人を、君は助けたいんだ」


 自然と笑みが浮かぶ。少しだけ彼女への理解が進んで、目の前の少女の温かさに触れて、自然体のままレンの言葉が出る。


「ただそれだけの、優しい女の子なんだよ、君は」


 千リンで始めた全肯定ではなく、彼女の無償のやさしさにレンは救われた。彼女の全肯定は素晴らしいけれども、それ以上に彼女の心こそが尊いからこそレンはこの子のことが好きになったのだ。


「……ばーか」


 少女は、小さく呟いた。

 青みがかった銀髪を揺らして立ち上がる。ベンチに座るレンを見下ろした彼女は、べっと小さな舌を出す。


「……何度でも言うけど、私は君のことなんて、好きでもなんでもないから」


 彼女に振られるのは、これで二度目だった。

 だからレンは苦笑して、肩をすくめる。


「うん、知ってるよ」

「……なら早く、私のことなんて……諦めて」

「それでも、諦めきれない」


 恋が叶わずとも、愛が実らずとも、レンは彼女を知ってしまった。思いが報われなくても、異性として見られることがなくとも、どうしようもなく、人間としての彼女が好きだ。

 いまの彼女を放っておくことなんて、誰になにをいわれようとも、できやしない。


「……ほんと、おひとよし」

「実は、俺さ。君よりはお人よしじゃないんだよ」


 レンは不敵に笑って、挑発的に宣言する。


「だから、負けてらんないよな」

「……ふん、だ」


 レンの返しに機嫌を損ねたのか、むくれた仕草でそっぽを向く。

 奴隷少女ちゃんは美しいショートカットを揺らして踵を返した。


「……レンの助の、ばぁーか」


 それだけ言って、看板を片手に公園を出る。

 静かな空間に戻った。目の利かない暗闇の中、わずかに虫の鳴く声が季節の移ろいを感じさせる。

 レンは大きく伸びをした。


「あーあ」


 空を見上げる。

 夜の星が瞬き、空の月が輝いている。

 随分と久しぶりに空を見た気がした。自分が息を吸っていることすら、いま、改めて気がついた。


「これが失恋、か」


 三回目ともなれば、諦めもつく。

 苦くて、悔しくて、情けなくて、でも少し、清々しい。

 自分が失ったものを自覚して、レンはまた一歩、大人になる。


「よし」


 ベンチから立ち上がる。

 鬱屈を吐き出したわけではない。原動力になっている気持ちを外に吐き捨ててはいない。けれども張り詰めたものが、ほどけて癒されていた。

 心身が充実していた。夜気は心地よかった。


「明日も、頑張れるな!」


 急き立てる無理やりではなく、心からそう言えた。

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