聖女生誕・後編




 教会に、人が集まっていた。

 それは、ここで切り取られて配られるはずの肉を受け取るために訪れた人々だった。

 集まっている人々の顔は暗い。どこかバツが悪そうにしていたり、小刻みに震えていたりしている。

 罪悪感にさいなまれ、しかしそれ以上の空腹にさいなまれている。罪悪感に打ち勝てなかった人々は、先に死んで埋められていた。

 野太い悲鳴が響いた。怯えと制止が入り混じった声は、明らかに狂乱していた。なんだ、と教会にいる人々が戸惑いを浮べた時だった。

 男二人を、小さな少女が引きずりながら壇上に現れた。

 男二人は必死に抵抗しているが、少女が意に介した様子はない。子供のような背丈の少女が、自分よりも二回りは大きい男二人を引きずって、礼拝堂の祭壇の前に立つ。

 そして、男二人を放り投げた。

 悲鳴が上がる。投げ出された衝撃に、男二人が痛みに呻く。彼らに傷は一つもない。ただ、大柄で村随一の力自慢だった男たちが、どうしたことか怯えきって丸まっていた。


「人は、あまりにも余計なものを身につけすぎた」


 礼拝室の壇上に立った少女が、唐突に説法を始めた。

 誰だ、という困惑が流れる。見覚えがあるような気がしたが、こんな小さな少女が教会の関係者の中にいただろうかと顔を見あわせる。

 なにせ、全員が顔見知りであるような小さな村だ。見覚えのない人間がいるという時点で、まずは訝しむ。

 幼い子供にしては、顔に幼さがない。知っている少女がそのまま小さくなったかのような印象があるが、あの少女は今頃解体されているはずだという認識があった。そもそも人の背丈が急激に縮むはずがないという当たり前の認識があった。

 それを知ってか知らずか、少女は滔々と語る。


「世界を創りし我らが主は、唯一絶対無限の存在である。無限からすれば、有限に差異はない。無限の主がおわすからこそ、平等という概念が生まれた。この世は神に作られた時より有限であったが、しかし本来、消費などということは起こさない場所であった」


 ふと誰かが気が付いた。

 壇上の少女は、今日の食料となるはずの少女だった。もっと背が高かったはずの少女が、縮んで小柄な少女になったのだと気が付いた。


「この世界は主の御手によって創られた。人と星は同一であり、偉大なる唯一神からすれば星すらもとるに足らぬちっぽけな球体にすぎない。無限から有限が切り分けられようと、無限に変わりはないのだ。有限の差異は無限の前には誤差に過ぎず、大小という背比べは有限の内にしか存在しえない傲慢卑屈である」


 なぜこの少女が縮んで、ここにいるのか。少女の正体を司祭の娘だと気が付く人間が増えるにつれて、徐々に困惑が色を変える。彼らの中にあった後ろめたさも合わせて、うろたえる人間が出始める。


「だからこそ、神にとって有限の内の変動など、変化の内に入らない。総量に変化がないということは、すなわち全体の本質に変化がないことになんら変わりがない。変化なき世界に救いがいるはずもなく、神の御手が捏ねた世界は原初にあって救済の必要などなかった。この世に善悪という理が存在せず、絶対の裁きが下されることがないのは、それがためである」


 ぴゃあ、と誰かが叫んだ。滑稽な声だった。熟年の女性が上げた悲鳴だった。子供を二人かかえて育てている女性だった。必死な声だった。包丁を振り回して、少女の首筋に向かって突き刺してきた。

 刃は少女の喉に刺さって、ずぶりと沈んだ。


「それを、人は愚かに打ち破った」


 人を切った感触ではなかった。肉も、骨も、血もない。底なし沼に刃物を突き刺したような手ごたえのなさに、女性はわななく。

 恐る恐る、包丁を引き抜く。

 少女に突き刺した刃には、べったりと泥がこびりついていた。

 少女の声は、途切れない。


「有限から無限が生まれることなどありえぬのに、人は有限をむさぼる愚を犯した。自分が他より大きいという背比べの優越に浸り、他者を食いものにする罪の味を覚えた。乱れ、穢れが広がり、数多の煉獄が生まれたが、無限の視点から有限の総量に変化はなかった。ゆえに神は、決して人の世を救わない。彼の唯一絶対なる主にとって、世界はなにも変わってなどいないからだ」


 説法の声は、さえぎられることなく続いていた。刃など、少女は気にも留めなかった。女性が、おずおずと顔を上げ、少女の目を見た。

 自らを突き刺した刃にすら目もくれない眼球には、光も闇もなかった。


「以上が人の原罪、救いなき世の道理である」


 バケモノ、という金切り声が上がった。緊張感が破裂し、パニックが発生した。少女はいささかのうろたえも見せなかった。


「ゆえに、汝らも、回帰せよ」


 逃げ惑う人々を囲むように、光の壁がそびえたった。


「悪しき餓鬼に墜ちた罪を悔い、己の愚かさを自覚しろ。肉の欲に負けた己を知ることで、懺悔が生まれ、禊を得ることで理想を知り、ようやく人の祈りは始まる」


 神聖なる信仰の壁が、この場を包み込む。

 この教会から誰一人出ることが叶わないほど隙間なく、決して揺るぐことのない強度でもって。


「信仰と祈りこそ、原罪の禊。原初に戻る唯一の手段であると、知れ」


 教会は、少女の信仰に包まれた。






 大地が干からびて、ひび割れていた。

 水の一滴すらも枯れ果ててしまったような廃村だ。

 今年の夏の日照りの影響だ。近年まれに見る飢饉に襲われ、各地の農村部は荒れに荒れた。農村部の若者を都市部に動員していたことも悪かった。都市部を生かすために徴収を進めたせいで、農村部は最悪な状況に陥った。

 これでは一人として生きていないだろう。

 凄惨な現場だろうと覚悟しながら確認した騎士たちの顔が、徐々に怪訝なものとなっていく。

 人が、いないのだ。

 生存者がいないのは仕方ないとして、死体がない。あるいは、鳥獣に残らず食い殺されてしまったのかとも思うが、遺骨すらないのはおかしい。

 探索している兵士たちは、顔を見合わせる。

 何ともいえない違和感を抱えながらも村の様子を外側から確認していって、中心部の教会に足を踏み入れた時だった。

 そこには、異様な光景が広がっていた。

 祈りの姿勢のまま、餓死していた。どういう環境が生んだのか。ほとんどが腐ることすらせずミイラ化している。

 その中心には、泥で作った異様に精巧な彫像があった。


「これは……」


 眼前の光景に、息を飲む。

 泥の彫像を壇上に置き、教会にずらりと並ぶミイラ化した死体。過酷極まりない環境で、なにが彼らをそうさせたのか。争った形跡すらなく、最後までただ一心に祈っていたことが分かる。

 異常な光景だった。

 飢餓が極まって、ある意味では神聖とも呼べる光景を生み出したのか。おぞましいのか、いたましいのか、こうごうしいのか。どんな感情を抱けばいいのかわからず、騎士たちは恐る恐る足を踏み入れる。


「何者か」


 教会に入った兵士がぎょっとのけぞる。

 生命の気配はなかった。なにが声を発した、と見渡してみれば、その正体は真正面に会った。

 泥で作った彫像が、動いていた。いいや、彫像は泥ではなかった。騎士が生命だと認識しないほどに冷たい存在感を放っていただけだ。

 騎士は剣の柄に手を当てて誰何する。


「貴様ッ。これは、どういうことだっ」

「彼らはたどり着けなかった。余剰を捨てきることができず、回帰を成し得なかった」


 返答は、人の物とは信じられないほどに無機質な声だった。


「なにを、言っている」

「克己が足りず、欲望に囚われたまま、神より与えられたあるべき姿に戻りえなかった。彼らは最後まで、原罪を抱えたまま朽ち果てたのだ」

「あるべき、姿だと?」

「しかり。神典をそらんじれぬというならば、手にとって見返すがよい。人には原初の姿がある。神より与えられた、人のあるべき姿だ」


 何を言っているのか、まるでわからない。なぜここで、神典を差し出してくるのか。異様な存在感も相まって、人間と対話をしている気がしない。

 だからこそ、慎重に尋ねる。


「貴様は、人か……?」


 あるいは、この悲劇から生まれた魔物ではないのか。騎士は剣の柄から手を離さずに警戒する。

 稀に、そういうことが起こる。ダンジョンが生まれるほどの人がいなくとも、悲劇が過ぎれば強すぎる負の感情と魔力が結びつき、少数の魔物のみが現界することがあるのだ。

 だがしかし、泥の彫像によく似た少女の口上にはよどみがない。


「むろん。この身は人である」


 その瞳に光はない。闇もない。表も裏もなく、一切の疑念の余地なくただそこにある。

 鏨たる飢饉の末に到達した余剰なき清廉の果てに、一滴の信仰を注ぐことで最も純粋な不滅に近づいた傑物。

 そして何より、玉音の秘蹟でもって四百年続いた皇国の終わりの始まりとして滅んだ村にいたという歴史的な意味が重なって得た奇跡は、原典原初に記された人の形をしていた。


「神典原書にしるされた始まりの人に回帰したもの」


 すなわち、彼女こそ神が一滴の涙を砂に落とし、見えざる手にて捏ねた似姿の現身。


「我が泥の身こそ、人である」


 後の世まで『|神の泥(ルトゥム・ゴゥレム)』と人類史に記される聖人、イーズ・アンが観測された時だった。

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