友達の全肯定・後編

「ああぁあッ――ば!」


 奇声を上げたレンが、魔物を真っ二つにした。

 力任せの一太刀は、普段のレンではとても敵わないような魔物を切り捨てた。いつもより遥かに力強いレンの戦闘を後ろで見ていた勇者たちはひそひそと。


「すっげ……あれ、肉体の強化もそうだけど、一切恐怖を感じなくなってるっすよね」

「うん、久しぶりに見たけど、やっぱりすごいね。精神にしても肉体にしても強化の具合が半端じゃないよ」

「レンの奴の限界を完全に超えてるな。絶対明日に反動とかあるだろ……。それと、あの精神状態は強化とは言わねえ。狂化だ」


 レンの戦いぶりを見て、男三人は感心したり呆れたりといろいろだ。

 ようやく新人の域から抜けて三流冒険者を名乗ることができるようになっているレンが、一流冒険者の一歩手前ぐらいの力を発揮しているのだ。明らかにいろいろとリミッターが外れている。

 女魔術師が飛ばされたと思われる深部に行くとなると、勇者は温存しておきたい。

 とりあえずレンに露払いをさせつつ、魔物も片付けたし前へ進もうとした時だった。

 ぱきん、と金属が砕ける音がした。

 次の瞬間、空間が歪んだ。

 視界がぐにゃりと伸び縮みを繰り返し、四方天地の感覚が消失する。自分は一切動いていないのに、距離が離れる。空間が寸断される。明らかに、パーティーを分散させようとする何かだった。


「ちっ」


 迷宮のトラップか。とっさの判断でリーダーが加護を請う。仲間との絆のつながりを願う加護。弓使いの冒険者と勇者、そしてレンにつなげようとしたところで、失敗した。


「は?」


 秘蹟の失敗に呆然としたリーダーは、傍の勇者を睨みつける。


「おい!? 弾かれたぞ!? どういうことだ!」

「イーズ・アンの信仰と君の信仰でそれだけ差があるってことじゃないかな……」

「そういうことは最初に言えよ! 同じ神秘領域の秘蹟で反発干渉が起こるってありえねえぞ!?」

「僕もいま初めて知ったんだよ!」


 秘蹟使いのリーダーの加護が、イーズ・アンの聖句に拒否されたのだ。反発して互いの効果をそぐ形になってしまった。普通ではありえない現象である。

 勇者にしても革命時に随伴していた聖職者はイーズ・アン一人だった。ぶっちゃけ、戦闘面だけで言えば彼女一人で事足りたのだ。他の聖職者と組むとどうなるかなど考える必要がなかった。


「おや、仕分けられたのはお一人のみでございますか」


 たおやかな声に、言い争いが止んで視線が集まる。

 歩み寄るのは、不思議な少女だ。姿が見えているのに、その少女の情報が記憶と印象に残らない。おそらくはなんらかの術で認識がいじられている。目の前にいながらも『少女である』ということしか認識できなくなっていた。

 その時点で三人は、いまの現象が人為的なものだと悟った。

 クリスタルダンジョンの罠よりも強力な術を、単独で発動させているのだ。

 発動媒体なのだろう。彼女の手元には四つに砕けた鏡がある。一度割ってしまえば二度は使えないのか、いまなお勇者たちの視界を歪め、ともすれば距離を狂わせ分断されそうになる不可思議な魔術の発動媒体となった鏡をそっと袖にしまう。


「さて、さて。どういたしましょうか。思った以上に練達の方々のようで。用があるのは、勇者ただ一人なのでございますが」

「君は――イチキちゃん、だったかな?」

「……レジストしましたか」


 距離を割って分断する術と、自分の情報を読み取らせないように相手の認識を歪める術。

 イチキが発動させた二つの魔術のうち、前者は秘蹟使いのリーダーが防ぎ、後者は勇者のみは認識の阻害の抵抗に成功していた。


「軽々しく呼ばないでくださいますか? わたくしの名が穢れるようで、不愉快でございます」


 勇者に名前を呼ばれたイチキは侮蔑するかのような冷やか視線になる。

 彼女は女魔術師と別れた後に魔術で距離を潰して先回りをし、勇者へ強襲をかけに来たのだ。本当ならば先ほどの魔術で女魔術師の救出隊と勇者とを完全に分離してしまいたかったのだが、相手の優秀さゆえに思惑通りとはいかなかった。


「その節は、ずいぶんと策を弄してくださいましたね。よりによって、あの狂信者を差し向けてくださいますとは業腹でございます。姉さまの面前でわたくしの顔に泥を塗ってくださいましたこと、やすやすと許すとお思いで?」

「あ、あはは。それはレン君――あの少年のおかげで解決したんだし、お互い痛み分けということにはならないかな」

「それとこれとは話が別でございます」


 不愉快さを隠さず、バッサリと切り捨てる。

 二人のやり取りになんとなく事情を悟った秘蹟使いのリーダーは、じとっ半眼で勇者に問いかける。


「ウィトン。お前、あの女の子に何しやがった……?」

「あはは……イーズ・アンと二人きりにしたんだ。いい感じに勧誘の対象者になりそうだったからさ」

「マジですかい。あんな奴の宗教勧誘に付き合わされるとか、殺されても文句は言えねえっすね」


 そんなことをされたら怒り心頭だろうと、ここに来る前にイーズ・アンを説得しようと無駄な問答を繰り返していた弓使いの冒険者はむしろ同情する。

 とはいえ、いまは仲間の救出に一秒一刻を争う事態だ。


「とりあえず、っと」


 仲間の救出を邪魔するイチキを敵と判断。弓使いの冒険者は瞬きの間に矢をつがえて打ち放つ。

 牽制と様子見のための一矢が、空中で制止した。

 いや、放たれた矢は飛翔を続けている。前へと進み続けている。ただ、矢じりに距離をつくられているのだ。そのため前に進み続けても、イチキとの距離を縮められない。

 静止したまま飛翔する矢は徐々に重力引かれていき、やがて推進力を失ってぽとりと地に落ちる。


「うぉ……」


 発動された魔術のすさまじさに、冷や汗が流れる。

 この少女は、少なくとも弓使いの冒険者が引く強弓の飛距離を一瞬で構築できるということになる。彼女に攻撃を当てるには、その距離を埋める手段を持っていなければならない。

 無論、弓使いの冒険者も魔術を使えば飛距離も威力も伸ばせるが、おそらく目の前の相手はそれすらも届かせないと思わせる深みがある。

 己に向けられた矢にちらりとも視線を向けなかったイチキは、淡々と。


「しかし準備もなく遭遇するとは、わたくしも不運でございます。祭具なしでの単純な力比べでしたら五分と五分。もしかしたらわたくし、敗北を喫するかもしれませんね」


 とてもそうとは思えなかった。

 あるいは肉体強化のみで戦えば勇者と五分と言っているのかもしれない。ただ、それは何の慰めにもならない。勇者が最も得手にしているのが接近戦だ。それで五分というのならば、魔術も駆使された戦闘で勝ち目などあろうはずがない。

 そして何より、女魔術師の救出に来た勇者たちには戦う理由がない。引き離されたレンの安否も気になるところだ。

 これは見逃してもらうように説得した方がいいと、勇者が進みでる。


「さすがの魔術の冴えだね。東方魔術の大家の出だけはあるってことかな」

「……そういえば、わたくしの経歴まで調べてくださったようですね」

「ああ、そうだね。君が望むなら、家族のもとに帰る手はずを整えても――」

「あなた様は」


 かちんと固まったイチキの声が、勇者の台詞をさえぎった。


「本当に、人様の癇に障ることにかけて、この上なく、一流で、ございますね」


 強調するように短く区切った言葉。静寂にも怒りは宿るということか。びりびりと空気を震わせるような怒気が大気に満ちる。


「多少の仕置きをと思っておりましたが気が変わりました。どうぞ、死力を尽くしてくださいませ」


 たおやかともいえる仕草でイチキが両手を前に出し、不可思議な文言を唱える。


「『一隔世壺世隠一』」


 羽のようにふわりと舞う余剰の裾布。両手の裾口から、二つの壺がこぼれ落ちた。

 ぽろりと床に落ちた小さな壺が地面にぶつかり、割れた。

 先ほどの鏡のこともある。そうでなくとも祭具を捧げる魔術は、数ある中でも屈指の高等な術ばかりだ。三人は何が起こるかと身構える。

 割れた壺の中身は、なにかの粒だった。うぞうぞと蠢く極小の何かが大量に這い出る。

 まるで小さな虫が懲り集まったかのように不確かな物体。二つの壺から出てきたそれらが合流して混ざり合う。

 見たことのない魔術。警戒して注視する勇者たちの前で、不可思議な現象が起こる。

 粒子の集合体に触れていた壺の破片が、徐々に消えていったのだ。


「これは御しがたく、普段はばらまくようには使わないのですが……まあ、ダンジョンの中でしたらよろしいでしょう」


 消失の虫食いは徐々に広がっていく。触れた端から食いつぶして増殖していく。割れた壺の破片を食い尽くし、浸食範囲をダンジョンそのものまで進めていく。食いつぶした分だけ糧にして、極小の蠢く何かは延々と増殖を繰り返している。

 戦慄する三人に、イチキは丁寧な所作で一礼。


「世にも珍しい、対象を食い殺す攻勢結界でございます。どうぞ、お気をつけてお相手くださいませ」


 勇者たちの顔が、引きつった。








 レンは一人でぽつんと立っていた。

 どうするべきか。きょろりと周囲を見渡し一人になってしまったことを確かめたレンは、自分のやるべきことを考える。


「ジークさんたちはどこに――って、あ。普通にしゃべれる」


 呂律がちゃんと回る。ここに来るまで多少の時間が経ったこと、そしてイーズ・アンの加護聖句がリーダーの秘蹟と反発したことで、思考能力が指示を聞いて魔物へと突っ込むだけのマシーンから人間性を取り戻したものに回復しつつあった。

 身体能力的には、多少減衰したとはいえまだいろいろと強化されたままだ。思考能力はちょっとふわふわした感じが残っているが、テンションがやたら高い時くらいにおさまっている。奇跡的にものすごくいい塩梅になっていた。

 とはいえ、このダンジョンの奥に一人で行けるとはレンも思っていない。


「合流するべきなんだろうけど……」


 リーダー達が見当たらない。

 なにかのダンジョンのトラップだったのか。突然視界と距離感がゆがんだと思ったら引き離されてしまったのだ。分断されたリーダーたちも近くには見当たらない。

 撤退、するべきなのかもしれない。状況を確かめたレンの頭に、その選択肢が浮かぶ。

 イーズ・アンが通してくれた出入り口までなら、レン一人でも戻れる。

 でも、女魔術師をまだ助けていないのだ。

 普通に考えれば撤退するべき状況。だが、女魔術師を助けたい、見捨てたくないという欲求がレンの足を止めていた。

 そうして迷っているレンの強化された視力が、遠くにいる人影を捕らえた。

 流れるような金髪に、ツーサイドアップにされた二房がふわりと揺れる。育ちが良さそうなのに鋭い目つき。ここ数日で、すっかり身近な存在になった人物。なにより、レンたちがここまで来た目的の人物。

 女魔術師だ。


「あ……」


 それだけなら朗報ですんだのだが、その先で待ち伏せている魔物がいた。レンからは見えるが、女魔術師からは見えない位置だ。

 声を、かければよかったのだと思う。女魔術師ならそれだけで確実に対処できるだろう。そうでなくとも、彼女ならどうとでも対応できたかもしれない。

 だが、とっさに体が動いた。

 考えるよりも先にレンは走っていた。魔物がこちらに気が付いた。レンはそれと同時に、浄化の光を飛ばす。剣に纏わせて、その一部を飛ばす。まだ自分より格上の魔物を浄化しきるほどの威力ではない。だが牽制にはなった。

 ひるんだその一瞬で、距離を詰める。普段よりも遙かに強化されているからこそ、間合いを詰められた。強化された脚力、最後に一歩を踏みこんだ。

 そして、叫ぶ。


「あぁあああああ!」


 裂帛の気合いの発露。渾身の力で剣を振り落とす。

 浄化の光を纏わせた剣は、鉱石が形になった相手の固さを感じさせなかった。浄化の光で表面を消し去り、鋭い物理の剣線が内部を切り裂く。確かな力と技が合わさり、まだ足りない部分をイーズ・アンの加護が補いつつも、魔物を一刀両断した。

 それは、間違いなくレンの努力が結集した一達だった。、

 着地したレンは、倒した魔物には一瞥もくれない。今まで一番の攻撃の成果に目もくれない。それどころか、ほとんど剣を投げ出すようにして、真っ先に女魔術師のもとへ駆け寄る。


「は? ……え?」


 女魔術師は、ポカンとしていた。いきなり飛び出てきたレンに驚いているのか、明らかに普段の力量以上の力を発揮したさっきの攻撃に驚いているのか。そんな女魔術師の戸惑いを無視し、レンは女魔術師の状態を確認する。

 怪我は、ない。

 いつだかレンをかばった時のようにお腹に穴が開いていることも、呪い浸されて苦しんでいる様子もない。普段の冒険の時のように、あるいはレンの家で一緒にいる時のように、健康そのものだ。

 ほっと、力が抜けた。

 レンの全身に安堵が満ちて、新たな衝動が体を突き動かした。


「なんで、あんたが一人で――」


 なにか言おうとした女魔術師を、レンはなにも言わずに全力で抱きしめた。


「ちょ――」

「よかった……」


 女魔術師がとっさに身をよじる。だがそれより強く強く抱きしめると、女魔術師の抵抗が弱くなる。

 イーズ・アンの加護の効果もあって、何も考えられないレンは、ただひたすらに女魔術師を抱きしめる。


「よかった。ほんとに、よかった」


 レンの声は、潤んで震えていた。

 女魔術師が遭難したと聞いてから、ずっと、不安に押しつぶされそうだったのだ。

 女剣士が半狂乱になっていたのと同じくらい、レンだって不安を爆発させそうになっていた。傷ついていたらどうしよう。見つけられなかったらどうしよう。死んでいたら、どうしよう。

 そんな不安が解放されて、安堵というには激しい気持ちがレンを突き動かした。

 不安から解放された声。女魔術師の無事を心から喜んでいる涙混じりの歓喜。嘘の一欠片もない、助けることができてよかったという、ダンジョンの底にあった真珠よりも真白のまん丸な想い。


「……」


 気持ちが真っ直線に伝わる抱擁に、女魔術師は何かを観念したかのように力を抜いた。

 ことん、と顔をレンの肩に埋める。力を抜いた分、レンへと体重を寄せる。なにも言わず、レンが落ち着くまでされるがままに体を預ける。

 そうして、どれくらい経っただろうか。


「そ、そろそろ、いいでしょ……」

「あ」


 いま自分が何をやっているのか気がついたレンは、我に返って慌てて女魔術師を開放する。

 顔の赤い女魔術師は、そっとレンの胸板を押して一歩下がる。うつむいて、恥ずかしげな表情で自分の肩をさすった。

 レンに、抱きしめられていたところだ。


「ご、ごめんなさい! でも今のは、ほんと、ただ純粋に心配だったのが先輩の無事を確認して感極まって、そういう下心じゃ断じてなくて――」

「わかってるわよ。許してあげる」


 女魔術師は赤らめた顔をうつむけたまま、ぽつりと一言。


「助けてくれて、ありがと」


 なんとも言えない沈黙が流れる。

 しおらしい女魔術師に、やらかした自覚のあるレン。お互い言葉を発するにはしっとりし過ぎた空間のお見合い。

 それを打ち破ったのは、外部からだった。


「お! レン! 見つけたんだな!」

「よかった。二人とも怪我はないんだな。なんかやばい奴がいる! とっと逃げるぞ!」


 リーダーと弓使いの先輩だ。

 彼らは女魔術師と合流しているレンを見て、喜色の声を上げる。


「え? 戻るって……勇者様は?」

「気にするなっ。全部あいつのせいっぽいからあいつに押し付けてきたっ!」

「は? 勇者? ……あれが来てるんですか」

「お前も不満そうな顔すんなっ。遭難したお前が悪いっ! さっさと地上に戻るぞ!」


 やや慌ただしくも遭難者の女魔術師は無事救助され、救助隊の面々も勇者を置いて地上へと戻っていく。

 その最後尾。


「……」


 レンの背中を見つめる女魔術師は、火照る頬をそっと抑えた。

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