今日はおやすみ・後編


 あちらこちらが不自然に穴だらけになったクリスタルダンジョンの階層。

 自分以外の人間が消え去ったその場所で、イチキはぽつりと呟いた。


「退きましたか」


 多少の交戦の末、勇者は撤退した。

 イチキは袖から新しい壺を出し、蓋を開く。うぞうぞと辺りを食い荒らしていた粒子が、ぴたりと動きを止めた。二手に分かれて壺に戻る。

 隠世と隔世の二種の結界を干渉させることによって、接触点に疑似的な消失現象を作り出している攻勢結界。それに対し、聖剣はなくとも勇者ということか。相手はいくらかは奮戦していた。


「素材を採りに来ましたのに、これでは収支があいませぬ」


 結界を納めた壺を袖にしまい愚痴るように呟く。

 分断のために使った鏡に、勇者にけしかけた結界の壺に、女魔術師を守りながら深部に行くために使っていた諸々にと、消費が大きい。

 だが問題は素材云々ではないということを、イチキは重々承知していた。


「ああ、もうっ」


 イチキはしゃがみこんで、両手に額を当てる。地面を見ながら、黒髪をぐしゃぐしゃとかき回す。

 確かに勇者は奮戦していた。祭具がなければ五分と五分というのも、まんざら嘘ではない。イチキが負ける可能性も、ほんのわずかといえどもあったのは確かだ。

 でも今は十分に備えがある。あの戦闘中、一度たりともイチキに勇者の刃が届くことはなく、イチキがそうしようと思えば逃がさずひねり殺すこともできただろう。

 だが、逃がしてしまった。

 おそらくは、殺意がないことを見切られていた。勇者にも、早々にイチキの相手を勇者におしつけて離脱したあの二人にも。


「なぜ逃がしてしまったのでございましょう……!」


 ぎりりっと奥歯を噛み締める。

 千載一遇の機会だった。

 偶発的な遭遇による、ここでの勇者との戦闘。やや強引でもイチキがしかけたのには、もちろん私怨を晴らすのもあるが、それ以上の意味があった。

 勇者が中心となってつくっている治安維持隊。

 いままでマモトな治安機構がなかったこの町での、有志を募って給金を払って警備体制をつくろうとする試み。

 あれはイチキと姉が身を置いているカーベルファミリーの禍根となりうる。

 まだ芽としては小さいが、自分たちを脅かす可能性がある。様々な興亡を経た国の歴史を頭に入れているからこそ、イチキは直感していた。

 所詮、自分たちのいる場所は無法が前提の暴力装置だ。

 正規の治安維持が十全に機能すれば、放逐されるしかなくなる。

 勇者を町中で殺害すれば、いらぬ騒ぎになりかねない。彼の影響力は、決して無視していいものではないのだ。

 だが、いまここなら。

 人目のないダンジョン内で死体も残さず殺してしまえば、下手人がイチキだと発覚することはない。このクリスタルダンジョンには、凶悪な罠が生まれたばかりだった。ここで勇者を葬り去れば、捜索の最中の不運な二重遭難者として処理される可能性が高かったのだ。

 治安維持隊の計画も、とん挫しただろう。

 女魔術師は自力で戻れるところまで送り届けた。救出隊は必要のないところまで彼女はいた。

 殺すべきだったのだ。

 勇者を、分断できなかった救助隊ごと。

 自分と姉の平穏を守るためには、それが最善だった。いまさら人を殺すのを躊躇うような資格は自分にはないはずだった。

 できなかった理由は、一つだ。


「……あの方がいなければ、食い殺しておりましたのに」


 さっきまで話していて、自分と友達になってくれた少女の顔を思い出して、イチキは悔恨に声を震わせる。

 もったいない。女魔術師に、あの兄などと、大変もったいないことだ。善意を称して他者の領分にずかずかと入ってくるあの性格。これまでも色々と問題を起こして来たに違いあるまい。ここで成敗してしまった方が世のためだ。

 そう思ったところで、あの勇者は腐っても女魔術師の兄だ。

 取り返しのつかない自分の家族とは、違う。

 だから、殺せなかった。

 初めてできた友達を、自分との距離を受け入れてくれた女魔術師を、この手で泣かせたくなかった。


「とりあえず、ボルケーノさんに相談いたしませんと……」


 友達とつながりがあるから殺せなかった、これからも友達の関係者を殺せそうもありませんなどと甘いことを言ったら、なんと言われるか。

 むしろ、喜ばれてしまいそうだ。

 もしかしたら自分たちの平穏は、そろそろ崩れるのかもしれない。そうなる前の対応を、あるいはそうなった後の身の振りを考えなければいけない段階になったら、どうするのか。

 はあ、と大きく息を吐く。


「兄さまに似ている人とやらに、わたくしも会いとうございます」


 悩みごとから現実逃避気味に思考が逸れて、そんな呟きが漏れてでた。

 『騎士隊より厳格なる必要悪』

 そんなものは、しょせん砂上の楼閣がごとき儚い幻影なのだから。

 永遠に続くはずがない欺瞞の終わりが、近づきつつあるのを、イチキは感じていた。











 レンは頭を抱えていた。

 なんで、あんなことをしてしまったのか。

 遭難した女魔術師を見つけたあの時。魔物から助けたまではいいとして、感極まって抱きついてしまったことを、レンは猛烈に後悔していた。


「絶対キモがられてるよ……!」


 レンはやらかしてしまった自分の行動に悶える。

 イーズ・アンの加護聖句。間違いなくあれのせいだ。あれの影響で、ちょっと理性を飛ばされていたのだ。

 そうでなければ、いくらなんでも出会い頭に抱きしめたりなんてしない。

 するわけない。恋人でもあるまいし、血縁でもないのだ。常識的に考えて男が女の子にいきなり抱きついたら、キモいやつで終わりだ。


「ああ、もうっ……」


 抱きついてしまった事実に対する気恥ずかしさと、やらかしてしまったという後悔で気持ちが落ち着かない。

 あの後は、事情を一通り聞いて帰宅となった。勇者の帰りは女剣士が待つということで決まり、レン達は神殿で軽い診断を受けたあとに早く帰って休むようにと言われたのだ。

 女魔術師は家出中の身である。まさか一緒に帰るわけにもいかず、帰り道をずらして別々で帰った。

 先に家に着いたのはレンだが、もうじき女魔術師が帰ってくるのは間違いない。


「とりあえずは、言い訳だな」


 よし、と自分の行動を決める。

 あの時、女魔術師は「許してあげる」と言ってくれたが、やはり再度しっかり謝るべきだろう。一緒に住んでいるのに気まずいとか非常に困る。なあなあにしたままにするのは良くない。きっちり自分の事情を話すのだ。

 そう考えていると、タイミングよく玄関の扉が開いた。


「ただいま」

「お、おかえりなさい、先輩」


 レンは迎えに出る。


「先輩。今日の先輩と会ったときのアレ何ですけどね、本当に変な気持ちがあったとかじゃなくてですね、ちょっと俺の頭がおかしくなってたのもあって!」

「あっそ」


 レンの下手くそな言い訳は、一言で終わらせられた。

 女魔術師は肩をすくめてあっさり告げる。


「許すって言ったじゃない。ごはん、作るわね」

「……あ、はい」


 思わぬ反応にレンは拍子抜けする。

 気の強い女魔術師のことだ。言い訳したところでなにか諭されるか注意をされるかと思ったのだが、咎める言葉が一切ない。さっさとキッチンに向かう女魔術師は思っていた以上に普通で、普段と変わった様子はない。

 ならばこれ以上気にするのはかえって失礼かと、レンは着席する。


「なんか手伝うことありますか?」

「ないわよ。座って待ってなさい」

「はーい」


 言われた通り大人しく席に座る。

 やることもないので、ぼうっと頬杖をついたレンが、女魔術師のエプロンな後ろ姿に見とれていると、背中を見せたまま声をかけてくる。


「そいえばさ」

「なんですか?」

「あんたさ、好きなものってある?」

「はい? 好きなものですか」

「あ、いや、好きなものってあれよ? 食べ物でっ!」


 なぜか慌てたように語調を強めて訂正を入れてくる。

 いくらレンでも、流石にこの会話の流れで変な勘違いをしたりはしない。


「好物……あんまり考えたことはなかったですね」

「そうなの? うん、まあ、なに? 助けに来てくれたわけだし、今日はあんたの好物でも作ってあげようかなって」

「好きな食べ物って言われても、これっていうのは難しいですね。何でもいいですよ」

「なによ、何でもって」


 女魔術師の声が尖る。

 なにか気を悪くさせることを言ったかなと首をひねりつつも、レンは続ける。


「いや、だって俺がいままで食べた中で一番おいしいものって、先輩がつくってくれたものですもん」


 ぴたり、とキッチンにいる女魔術師の動きが止まった。


「そう、なの?」

「はい。先輩の料理、どれもこれもおいしいんで、どれが好物って言われても難しいんです。強いて言うなら先輩のつくってくれたものが好物ですよ、俺」

「……ふへ」

「ふへ?」


 いま、女魔術師のものとも思えないほど緩み切った声が聞こえた気がする。

 ひょいと体を傾けて顔をのぞいてみるが、いつも通りのすまし顔だった。気のせいだったのだろうと体勢を元に戻す。


「そっか。あたしの料理、好きなんだ」

「好きですよ。いつも楽しみにしてるくらい、大好きです」

「そう。なら、これからも色々作ってあげる。……うん。これからも、色々、よ」

「なんで二回言ったんですか?」

「なんでって?」


 レンの疑問に女魔術師は振り返って、機嫌よく笑う。


「なんでも、よ」









 食事は相変わらずおいしかった。

 皮をパリパリに焼いた鶏肉のソテー。刻んだ玉ねぎをたっぷりと乗せてあり、野菜の甘みと鶏肉のうまみのバランスが素晴らしかった。

 片づけを手伝ってやることも終えたら、眠気が襲ってきた。気まずくなりそうだという危惧も杞憂に終わり、緊張が緩んだところに女魔術師のおいしい手料理が入ったのだ。

 なにより今日は、全力以上の力を出した。

 あくびをかみ殺しつつ、魔術師に声をかける。


「じゃあ、俺はそろそろ寝ますんで」


 寝袋を持って風呂場に引っ込もうとする。寝心地の悪い場所だが、もうすっかり慣れつつあった。

 だが、そんなレンの裾を女魔術師がつまんで引き止めた。


「先輩?」

「今日、疲れてるでしょ」

「まあ、そうですね」


 なにか、用があるのだろうか。

 振り向いたレンの裾を、ぎゅっと掴んだ女魔術師が引っ張る。


「明日、あんたもダンジョン、行くじゃない」

「ありますね。もらった分の休日も今日で終わりですし」

「だからベッド、使っていいわよ」

「え? いや、悪いですよ。先輩も疲れてるでしょ」

「だから」


 女魔術師だって救助された身だ。寝袋で転がせないと言うレンに女魔術師は、ぽんぽんとベッドを叩く。


「ベッド、半分こに、しよ?」


 眠気が吹っ飛ぶような提案を、してくれた。








 バカみたいに緊張していた。

 ベッドに横になった女魔術師は、隣で横になっているレンの気配を背中で感じつつ、じいっと壁を見つめていた。

 灯りは落としているが、目を閉じれる気がしなかった。右手はぎゅうっと胸元を抑えている。バクバクドキドキと心臓が乱暴に暴れていた。

 誘ってしまった。自分から。一緒のベッドに寝ようだなんて。善意っぽくいいわけがましい理由を作って。提案してから断ろうとしたレンを引っ張って、半ば無理やり。ベッドに転がしてから、自分も隣で寝て、灯りを落とした。

 自分を好きだって言ってる男の子と、一緒のベッドで寝よう、なんて。

 レンは、どう思っただろう。

 いやらしい女だとか、思われないだろうか。

 シングルのベッドに、二人。レンはベッドの縁の落ちそうなところぎりぎりにいる。自分も壁際ぎりぎりにいる。

 でも、一緒のベッドだ。

 二人の間に、隙間はほんのちょっとしかない。毛布だって、同じものを使っている。

 息づかいが聞こえる。身じろぎすれば、揺れを感じる。なにをしていても伝わる距離感だ。

 なにか、してくるだろうか。レンは。

 その思いは、不安のようで、期待の色をしている。

 そうして、どのくらい待ったのか。

 レンが、こっちを向いた気配があった。

 どきりとする。ぎゅっと目を閉じる。今日、レンが助けてくれた時、抱きしめられた感触がフラッシュバックする。

 だが、それ以上はレンは近づいてこない。

 秒が分になり、さらに積み重なっても動きはない。


「……」


 女魔術師は、目をつぶったままころりと寝返り。そしてほんの少しだけ、薄目を開ける。

 見ると、レンは眠っていた。


「……もう」


 呆れて、苦笑がこぼれた。

 レンの寝顔を見たら、するりと緊張がほぐれて愛おしさだけが残った。

 疲れたのだろう。そういえば、昨夜はほとんど寝ずに神典を読み込んでいたみたいだ。昼間に寝ただろうが、その後に訓練所にもよっていたと聞いている。そこで、自分の遭難探索だ。神経も張り詰めていただろう。肉体的にはほとんど限界だったはずだ。


「頑張って、くれたもんね」


 自分の、ために。

 今日の、あの瞬間。自分を待ち伏せていた魔物を、駆けつけてくれたレンが倒してくれたとき。正直言うと、自分でも対処できたことだが――そんなことは関係ない。

 彼のやってくれたことを思うと、きゅぅんと胸が締め付けられる。お腹の奥から嬉しい気持ちが湧き上がる。何度も何度もあの瞬間を、躊躇なくレンが抱きしめてくれた、幸せに包まれた時間が頭に浮かぶ。

 あの時、自分は観念したのだ。


「……ふへへ」


 だらしなく笑って、女魔術師はわずかにあったレンとの隙間を詰めた。

 起こさないように、ひっそりと。でも自分の気持ちに素直に、大胆に。

 安らかに寝息をたてているレンに寄り添って、たくましくなりつつある胸板に耳を当てる。

 心臓の音が愛おしかった。もう慣れてしまった匂いが胸を満たした。温かい肌のぬくもりを、初めて知った。

 ああ、認めよう。この心臓の高鳴りを。全身を満たして巡る喜びを。

 そうして、言葉にするのだ。


「好きだなぁ」


 レンの全身を感じて、そう思う。

 もう、言い訳すまい。

 好きだ。大好きだ。嫌いなところがない。ダメなところも、かっこ悪いところも、全部全部よく見える。レンの言葉がいちいち嬉しい。彼の行動の全部を独占したい。

 いつからかは知らない。どうしてだなんてわからない。

 好きだ。

 それだけだ。

 明日に、告白の返事をしよう。今回みたいな、曖昧で迂遠な誘いもかけない。ダンジョンでの冒険を終えて、晩御飯を作って食べて、自分の手料理でレンの子供みたいに喜ぶ笑顔を見て、今みたいに全身が幸せになったら言うのだ。

 両思いになったって。

 明日は、そうする。

 だから。


「今日は、おやすみ」


 鼻で、耳で、そして肌で。

 自分を使ってレンをいっぱいに感じながら、明日はもっと感じれるといいなと期待して、女魔術師は穏やかに瞳を閉じた。

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