聖剣と奴隷少女ちゃん 前編



 聖剣と両手斧が、切り結ぶ。

 金属同士がこすり合い。火花が散る。身の丈に合わない両手斧を器用に振り回している。いつもの看板に似せて作られている斧は、ポールアックスに近い間合いだ。長剣では迂闊に踏み込めない。レンは回避と防御に徹して凌いでいた。

 繰り広げられているのは、純粋な実力勝負だ。

 どちらも、実践的な実力はありながらも卓越しているとはいいがたい。イチキとイーズ・アンの戦いはもちろんのこと、門前で交戦していたミュリナとスノウの戦いにも及ばない。

 冒険者のレベルで言えば、二流のうちでも中くらいの戦いだ。


「てやァっ!」


 かわいらしい気合いの掛け声が響き、斧が振るわれる。

 奴隷少女ちゃんは接近戦だけならば一流に指をかけつつも、手札が近接魔術による肉弾戦のみだ。レンはその弱点を突いて、剣の攻撃に一手加えて小さな火球を飛ばす。決定打にはならないが当たれば消耗する威力の魔術。奴隷少女ちゃんは顔をしかめつつも、それに対応しなければならない。

 魔術で一手増やしたことで、レンと奴隷少女ちゃんの攻防は互角となる。


「うっとう……しい!」

「戦闘中なら、褒め言葉、だよ!」

「……器用貧乏。劣化スノウ」

「自覚あるからやめて!?」


 一対一で軽口を叩き合うのは、顔馴染み同士での決闘ではありがちだ。

 お互いに十分にプロの戦闘職を名乗れる実力ながらも、上には上がいるレベルだ。個人として生きるには不足しないながらも、世の中として見ればいくらでも換えがきく。そんな、よくある腕前同士の戦闘が続く。

 聖剣と玉音。

 国の興亡を左右するほど巨大な奇跡の産物の持ち主たちが戦っているだなんて思えないほど平凡な斬り合いで、実力が伯仲しているからこそ気迫のぶつかりあいだ。


「ふっ」


 均衡しつつある勝負に変化を加えたのは、奴隷少女ちゃんだ。鋭く息を吐いて、両手斧の間合いを変える。持ち手を柄の底面近くで握り、リーチを伸ばして遠心力によって威力を上げる。

 剣では受けきれない。タイミング的に避けるのも不可能だ。レンの肉体は反応しきれない。

 決定打になりうる攻撃を、レンの前に現れた光壁が防いだ。

 いまのいままで、この戦闘中に発動させなかった切り札。

 レンは信仰を盾にすることに迷いはない。彼にとって自分の身を守り、後ろにいる仲間を守るという実利以上に大切なものなどないのだ。

 攻撃をはじかれた衝撃に、奴隷少女ちゃんが体勢を崩した。

 チャンスだ。勝機を見出したレンは踏み込んだ。

 聖剣を、振り抜いた。

 半月を描いた刃が、斧の柄を叩く。少女の持つ両手斧が、手元から弾かれた。ぽすん、と尻もちをついた彼女の首に、聖剣の刃が添えられる。

 少年の、勝ちだ。


「……ん」


 少女は、恐れなかった。ある意味では儀礼的で、形式的なお約束の勝負に敗北したことにちょっと悔しそうながらも、反抗はしない。

 むしろ彼女は、敗北こそを待ちわびていた。やっと喉元に突き付けられた聖剣を見て、ほほ笑んだ。

 十年。

 あの時にこうなるべきだったこの瞬間を、彼女はずっと待っていた。

 だが、聖剣の刃はそれ以上、動かなかった。

 少女は不思議に思い、首を傾げる。


「……斬らないの?」

「君は」


 剣を突きつけられて安堵の顔を見せた彼女に、レンは思わず問いかけずにいられなかった。


「聖剣ができたって聞いて、どう思った?」


 それはレンが聖剣を握ってから、彼女に聞きたかったことだ。

 この聖剣は、確固たる意思でもってレンが生み出すきっかけをつくった、皇帝を終わらせる剣だ。

 その剣の誕生に、最後の皇帝である彼女はなにを思ったのか。

 聖剣が生まれた効果を発揮する前に、聴きたかった。


「……救われた」


 ポツリと、しかし確かに本心だとわかる声で少女は吐露する。


「ようやく、ちゃんと終われる。そう、思った」

「なんで……」


 レンの声が震える。

 そんなことは言って欲しくなかった。

 そんなものが生まれても自分は生きたいんだと、言って欲しかったのだ。


「だって、ね」


 少女はレンから一度目を逸らして、ほほ笑む。


「『皇国最悪の十年』。あの時代の末期で、私は幸せだった」


 彼女が、笑いながら泣いている顔をレンに向ける。

 ミュリナのように母親を失いながらも、彼女は身内の喪失に嘆くことができなかった。

 ミルシナという少女だったファーンのように裕福だから、必要以上に不幸にならなかったという意味ですらない。


「あの時代、私は数少ない、前よりも幸せになった人間だったの」


 皇国最後の十年は、ハーバリアの名を冠する国家にとって間違いなく最低の期間だった。

 それでも彼女にとっては、ただの自意識のない皇帝が人間になれた、大切な年月だ。

 家族というべき親愛な交流を結べ、生まれて初めて心からの笑顔ですごせた。

 その間にも、民は死に続けていたのに。


「首輪を嵌めて、はじめて普通の言葉が出せた。誰かと言葉を交わすことが、あんなにも楽しいだなんて、知らなかった」


 利用されるだけの伝令官との会話ではない。

 普通の子供として、気兼ねなく感情をぶつけて交流した。もしも伝令官がおらず皇国が続いたとして、彼女にそんな平凡な幸福は訪れなかっただろう。

 皇国が終わることで、大衆が苦しむ時代があったからこそ、彼女という人間は幸せになれたのだ。

 少女は、自分の首にはまった革の首輪をつまむ。


「これね。イチキやバカ兄にとっては、呪いでしかないけど――皇帝だった私には、似合いの首輪だよ」


 人を人以下に貶める首輪で初めて、現人神に等しかった皇帝は、やっと人と対等に話すことができた。

 初めて対等の視線で言葉を交わすことができた二人と親愛の情を交わし、兄妹家族となった。


「だからバカ兄が死んだ時……すごく、悲しかった」

「うん」

「これが、人が死ぬことなんだって、私は初めて知った」


 人が死んだら、悲しい。

 彼女がそのことを思い知ったのは、血のつながらない兄が死んだ時なのだ。

 ソプラノボイスの少年がいなくなるまでに、彼女にとって人の死とは他人ごとで、遠い世界の出来事だった。下手をすれば、人は死ぬのだということすら知らなかった。

 人は、自分と交流がある人を喪うことで初めて、人が死ぬ意味を知る。


「この国で、親しい人が死んでいない人は、少ししかいない」

「……うん」

「それだけの悲しみを、わたしが生んだ」


 残酷な言葉を、否定できなかった。

 レンもそうだ。両親こそ壮健だが、故郷の村では多くの人が死んだ。

 自分が皇帝だった時に死んだ人は皇国が殺したといっても過言ではなかったのに、彼女はその償いをできずにいる。

 そんな償いなどできようはずもないと、兄の理不尽な死の復讐を終えた時に、わかってしまったのだ。

 兄を殺した元凶を直接、手にかけても彼女の悲しみは癒えなかった。

 だから、皇国崩壊の象徴である皇帝を処刑できなかった民が、時代が変わった程度のことで心の収まりをつけることができるはずもないと、共感してしまったのだ。


「あの時代に、『私』は大々的に処刑されなければならなかった」


 それが、できなかった。

 せめても少女は裏社会に君臨した。悲劇の時代にこそ実利を貪った、自分と同類のクズどもを統制した。皇国崩壊後にハーバリアという国が外部から過度に干渉されず、急速に国力を立て直した要因として『騎士隊より厳格なる必要悪』というおとぎ話を玉音によって実現させていたことが挙げられる。

 表舞台で、ウィトン・バロウが厳格な警察組織をつくり上げることで無用となった。裏社会にいた犯罪者どもは犯罪者として捕らえられ、法的に罰せられる社会ができたのだ。

 そうして聖剣が再び生まれたことで、少女は、自分の終わりを悟った。

 レンは首を横に振る。


「違う。そうじゃない」

「……かばわなくても、いいよ。私の責任だから」


 彼女の言葉は、事実なのだ。

 彼女は皇帝だった。彼女の在位の失政で、多くの人間が死んだ。

 幼かろうが、騙されていようが、皇帝こそが悪だったのだと歴史に記された。正史として、人類史に永久に語り継がれる学問となった。

 人の知識と感情が魔力によって形となるこの世界で『聖剣』ができるとは、そういうことを意味するのだ。

 たとえ真実を知ろうとも、彼女のせいだと責める人はいる。彼女が先天の秘蹟を持っていたのは事実であり、玉音を振るって圧政を成したのも事実であり、たった一人、皇国最悪の十年を止められたかもしれない人間だったのも事実なのだ。

 皇国崩壊後の活動も、皇国の崩壊で積み上がった犠牲をなかったことにはできない。取り返しのつかないことは、なにをしたところで取り返しがつかないのだ。

 自分がちゃんとしていれば、あんなことは起こらなかったはずだというもしもの話。

 先天の秘蹟を正しく使えば悲劇はなかったはずだという、もしもの話。

 でも、それは。


「全部、その時代のことだ。時代が悪いから生まれた悲劇だ!」

「違う。私のせい」


 時代が彼女を生み、彼女が時代を生んだ。不可分の要素を分けて考えることに、意味はない。

 ほかならぬ彼女自身が時代と自分を切り離して彼女を許すことができないのだ。

 レンは、自分の言葉では彼女の心を救うことができないとわかっていた。公園広場でゆるしの秘蹟によって奴隷少女ちゃんの正体を知った時に、打ちのめされるほどに思い知らされた。

 自分一人の声では、奴隷少女ちゃんの心に届かない、と。

 だから、聖剣を必要としたのだ。

 そして皇帝だった少女もまた、大衆が願う聖剣を求めていた。


「私が『私』を許すことは、絶対にない。この聖剣こそ、私の罪が許されていない証拠だから」


 誰が許そうとも関係ない。

 他の誰でもなく、彼女自身が自分のことを責めている。

 皇帝打倒の聖剣という目に見える証拠があるのだから、なおさらだ。


「だから、はやく……その聖剣で、皇帝(わたし)を消し去って?」


 それが民の溜飲を下げる唯一無二の方法だと。

 最後の皇帝だった少女は、真っ直ぐにレンを見つめて、罪の贖いを求めた。

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