聖剣と奴隷少女ちゃん 後編


 奴隷少女ちゃんが、レンのことを真っ向からにらみつける。

 皇帝を打倒するための聖剣が、できた。

 皇帝に対する絶対の奇跡の誕生こそ、いまだ民衆が自分を許していない証拠だという目だ。

 彼女を説得することはできない。彼女に説得されてやる気がないからだ。慰めの言葉も、共感の姿勢も通じない。

 彼女は、罰されたいのだ。

 レンがどんな言葉をかけても、彼女は折れない。レンという個人の言葉に対して、民衆の希望という圧倒的な多数派は強大すぎる。

 たぶんこうなるだろうと思っていたレンは、ふっと笑った。


「この聖剣が、なにでできたか、わかる?」

「……え?」


 聖剣が生まれる時の民衆が思いは、負の感情であることを歴史が証明している。

 貧困に陥った恨みであり、飢えた怨嗟であり、国の舵取りに失敗した指導者への償いを求める叫びだ。

 事実、東の大国『清華』の宝貝パオペイ『化血刀』が願われた誕生の根源は、『失政を、血で購え』という数えきれないほどに重なった絶叫だった。

 過去にあった聖剣、そして直近で生まれた同質の存在である宝貝が、民衆の怨恨の結晶だったのだ。


「『私』の打倒……でしょ?」

「違うよ。この剣は、そんなことは目指してない」


 今回だって歴史の通りであるはずだと答える彼女に、レンは首を横に振る。

 この聖剣は、あの仙人が持っていた刀とは違うものだ。もちろん、ウィトンが抜いてしまった過去の聖剣とも異なる。


「俺さ、たくさんの人に君のことを伝えたんだ」

「え?」


 思いもよらなかった台詞に、少女はぽかんとしてしまう。

 彼女の存在が表沙汰になれば、世界規模での波紋を呼ぶ。彼女が生きているという事実を公表するだけで現在のハーバリア国の中枢が確実に揺らぐほどだ。

 だから彼女は自分の存在を秘匿してきた。イチキですら、その意見に異を唱えたことはない。

 そんな暗黙の了解をあっさり破ったという少年は、やや気まずそうに頬をかく。


「いや、もちろん物語としてだよ? 本当の話として広めたらウィトンさんとかにすごい迷惑がかかるし……フィクションとして、もしも歴史として、俺が知る限りの君の生い立ちをまとめて、広めてもらった」


 もしも、皇国最後の皇帝が幼い少女だったら。

 レンが広めたのは、そんなフィクションだ。もちろんレンは史実だと知っているが、民衆の多くは空想小説だと思う軽い読み物である。知る人しか知らなかった話を、娯楽の物語に落としこんで広めるために尽力した。寝る間も惜しんで記者であるキィマと相談し、なんとか話をまとめて公表した。

 そうして広まった人数は、レンの予想を遥かに上回った。


「7,088,534人P V 数


 数百万という数字を聞いて驚いた奴隷少女ちゃんの反応に、レンがほほ笑む。

 いまレンが公表したのは、奴隷少女ちゃんを知って、彼女に自分の想いを届けるために世界へと願った思いの数だ。

 レンという少年が彼女の真実を綴って世界にばらまいた文字を読んで、主人公でありヒロインである彼女のことを思ってくれた人の数だ。


「すごいでしょ。それだけの数の人が、君を見てくれたんだ」


 レンが始点となった話を読んだ多くの人は、自分が読んだ物語が事実だなんて気がつかない。なにせ信ぴょう性なんてまったくない媒体に掲載された、誰が考えたかもしれない文章だ。

 ある人は皇国の時代をこんな物語にできるようになったのかという興味本位で手に取った。ある人はよく神殿が許したものだと感心して読み進めた。あるいはタイトルに引かれ、あらすじを見て、面白い読み物だと知己に広め、評判を受けて本になることでさらに広がった。

 一冊の本になった全肯定奴隷少女の物語を読んだ、彼らは思ったのだ。

 もしも本当に最後の皇帝がこの物語の通りだったら、彼女を救ってほしい、と。

 彼らがフィクションだと思いながらも感情移入をした実在の皇帝への感想おもいこそが、いまレンが握る聖剣を生んだ。


「数百万の人が君を見つけて、万を超える人数が君のことを好きになって、何千っていう言葉と応援を投げかけてくれた。君を見て、君を知って、君を助けたいっていう想いがそれだけあった。数が、この剣を生んでくれたんだ」


 この世界にあるダンジョンは、人の思いを受けて発生する。

 レンがイチキに相談し、ファーンに頼み、記者であるキィマにつながり、そのほかの知己の力を借りることでさらに広がっていった。あらゆる知己に頼み込んだ。たくさんの人につながった連なりが『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』の看板の存在を知らせた。

 その起点すら、レンではない。

 全部、彼女が始まりだ。一人の少女が血の繋がらない兄の思いを受け継いだ看板を掲げ、街ゆく人々の心を救っていたからこそできた。

 奴隷少女ちゃんから始まって、数百万に届いた人々の想いの数が、いまレンが握っている奇跡の結晶となったのだ。


「この聖剣は、君を傷つけるものじゃないよ」


 ほら、と近づける。聖剣を間近で見て、少女は目を丸くした。

 刀身に、刃がなかった。切っ先も丸い。人を傷つけるための剣ではなかった。

 奴隷少女ちゃんの物語を見た多くの人が、彼女のことを許してくれた証拠だ。


「君の物語を見たみんなは、もう、君の敵じゃない」


 奴隷少女ちゃんの物語を見た人は、誰一人だって怒ってなんかいない。史書がなにを記そうが関係ない。

 いまを生きる彼らが、彼女を許した。

 言葉になった感情に、目の前の少女を責める思いなんて一つもなかった。

 人々の想いがより集まって結晶となるダンジョンで、皇帝だった少女を傷つけることを否定する聖剣が生まれたことこそが、その証拠なのだ。


「もう君は、自分で自分を否定しないでいいんだ。『自分なんて』っていう言葉で自意識を砕かなくてもいい。君がどれだけ自分のことを否定したって、君のことを肯定する言葉が集まって聖剣ができた」


 前に進むためには反省は必要だ。過去の躓きに後悔することだってある。自分の失敗に学ぶことは多い。

 でも自分自身を否定してはいけないのだ。

 お前なんて、と言ってくる奴には全否定で噛みついていい。人は、自分と自分の大切な人を否定してくる人間とは、戦っていいのだ。

 だからレンは、自分の大切な人々を守りながらも、己自身を犠牲にし続けた少女に告げる。


「俺たちは、君が君自身を否定する姿なんてみたくない」


 皇国が終わってから再臨した聖剣の想いを代弁する。

 レンは、彼女に刃を突き付けに来たのではない。一生懸命に生き抜いた少女を否定することは、誰にも願われていない。

 奴隷少女ちゃんを救うための数百万以上の想いで構成された聖剣の刀身を握る。

 持ち手である柄を、紫の髪をした少女に差し出すために。


「俺はさ。この聖剣を抜いたけど、選ばれてなんかいないんだ」


 結局のところ、レンはこの聖剣を扱う勇者に選ばれてなどいなかった。

 自分を責める彼女を許し、解放することができるのが、今代の聖剣だ。

 この聖剣が持つハーバリア皇国皇帝への特効、『玉音の無効化』という祝福を受け取るべきなのは、自分なんかではないことをレンは承知していた。


「君を見ているみんなが生んだ聖剣が持ち主に選んだのは、君だよ」


 この世界で『奇跡』と呼ばれる聖剣に選ばれたのは、いまの言葉を聞いて驚きに瞠目している少女なのだ。


「俺はみんなの想いの結晶であるこの聖剣を君に届けるために、ここまで来たんだけなんだ。だって俺一人じゃ、君を助けることができないからさ。みんなの力を借りたんだ」


 レンは『皇帝だった少女が救われて欲しい』という人々の願いがこもった聖剣を、彼女へと届けにきた。

 数百万人が創り上げた聖剣の思いを伝えて、彼女の手元に届けてこいと背中を蹴っ飛ばされる命令された運び手が、たまたまレンだったのだ。


「……で、でも」


 少女が、瞳を戸惑いに揺らす。皇帝だった自分が聖剣を受け取るなんていうありえないはずの事態を前にうろたえている。予想もしていなかった展開を受け入れることを、ためらってしまっている。

 そんな彼女と視線を合わせるために、レンはしゃがみ込む。


「わかるよ。罪悪感に囚われるのは」

「だって……それだけのこと、したの」

「知ってる。君に見せてもらったから」

「人が、いっぱい死んだ」

「……俺の周りも、そうだった」

「国が、亡びるくらいに」

「ひどい時代だったね」

「聖人が、生まれるくらいに」

「イーズ・アン様だって、つらい経験をしたんだよね」

「聖剣と勇者が、立ち上がるくらい」

「ウィトンさんが失ったものだって、多かった」

「私は、疎まれて、恨まれて、当然の皇帝だった」

「…………うん」


 少女が語る一つの歴史となった出来事に頷いていく。

 事実は事実であり、否定しても変わらない。レンは覆しようのない事実にうなづいて、彼女の気持ちに寄り添う。


「バカ兄に会って、イチキに会って、家族ってこんなのなんだって、幸せになった」

「うん」

「バカ兄が死んで……はじめて、人が死ぬことが悲しいんだって、知った」

「うん」

「知ろうともしなかった悲しみを知って、私がなんにも知らないせいで生まれたたくさんの悲しみに、どうやって謝ればいいのか、わからなくなったの」

「いいんだ」


 歴史の最中にあった少女の人生の悔恨を、レンは静かに受け取って応える。

 誰が言える。

 絶対の玉音を持った幼いだけの皇帝が悪だなんて、誰が言えるのだ。玉音を持って生まれたばかりに、悪い大人に利用され続けてしまった彼女が全て元凶だなんて、誰が主張するのだ。十歳にもなっていなかった幼い子供がなにも知らないということを責められる人間が、どこにいるというのだ。

 レンは、絶対に言い張れる。

 もしも彼女が悪いんだと言うやつがいれば、そんな言葉なんて、すべて否定してやれる。

 幼子の生き方を歪めた先天の秘蹟が悪いのだと、なにも知らなかった彼女を利用した伝令官が愚かだったのだと、それを取り巻く事象を生んだ大人たちの傲慢こそが悲劇を生んだのだと、声を張り上げて世界に訴えてやれる。

 レンには、その権利がある。


「ただのどこにでもいる俺が、皇帝だった君に言うよ。誰よりも、君の被害者でしかなかった俺だから、言える」


 『皇国最悪の十年』。

 時代に抗うことなどできるはずがない子供で、真実あの時代の被害者でしかなかったレンだからこそ、紫の髪を持つ皇帝だった彼女に、この言葉を言えるのだ。


「君は、悪くない」


 誰か一人が悪い世界なんてありはしない。世界の悲しみを償える責任者なんて、この世に一人だって存在しない。ましてや、自我も曖昧な幼子に罪のすべてを押し付ける世界なんてあってはならない。

 ひくり、と少女の喉元が動いて嗚咽をこぼした。


「あの、ね」

「うん」

「私は……誰かと、お話したかったの」


 それは、生まれてから一人だった、幼い彼女の最初の祈り。

 父を知らず、母とも引き離され、発す言葉の全てが肯定される世界に生きていた彼女は、自分以外のだれかが欲しかった。

 玉音を生まれ持っただけの少女が望んで、何気なく呟いた幼い願いは、彼女だけのものではない。

 きっと、玉音を賜った皇帝のすべてが、彼らの人生のうちで孤独のうちに願ったはずだ。

 誰かと、ただ、話してみたいと。

 伝令官が玉音にあらがう秘蹟を賜ったのは、きっと、彼らの一族が得た耐性などというものではなかった。

 民衆の奴隷たる人生を歩みきった歴代皇帝たちが積み重ねていった、『誰かと言葉を交わしたい』という、ささやかで切なる願いからこそ生まれた奇跡だったのだ。

 けれども、叶えられた奇跡は幸福な結果を生むことはなかった。

 皇帝だった少女は、皇国崩壊の引き金をひいた伝令官に宿った秘蹟の誕生の是非を問う。


「それって、わるいことじゃ、ないよね?」

「当たり前だよ。なんにも、悪いことじゃない」


 そう言い切れる理由は至極単純だ。


「俺も、君と話したい」


 前の時代に皇帝だった少女とではない。千リンで全てを肯定してくれる十分でもない。

 いつかレンの心を丸ごと救ってくれた、一人の少女と話したいのだ。


「君は自分のことが、どうしようもなく嫌いになっちゃっているみたいだけど、俺は知ってるよ。君が君自身の過去を見て自己嫌悪に囚われても、君のことを好きな人がたくさんいるって、知ってるんだ」


 国の崩壊という責任を、一人で抱えるなど限度がある。自責ばかりでは過去に囚われてしまう。自虐をするようになれば、自分で自分を傷つけることに慣れてしまう。自己否定という名の自傷行為を続ければ、いつかきっと、自分自身の未来までもが壊れてしまう。

 優しい彼女の未来が壊れてしまうなんて、そんなのは、嫌だ。


「みんなが生んだ聖剣を対価にして、やっと君にこの言葉を渡せる」


 人が自分で自分を潰してしまいそうになった時、どんな言葉を送ればいいのか、レンは知っていた。自分が生まれてきた意味がここにあるんだと思えるほどに誇らしい気持ちで百万の想いが詰まった聖剣を差し出し、胸を張って笑顔になる。

 あの日、あの時、あの公園広場で。

 人生の最底辺にいたレンに、看板を置いた彼女から贈られた言葉。

 自分を救ってくれた全肯定を、みんなの想いの結晶と一緒に彼女へ受け渡す。


「――君は、これからだ」


 誰かを認めることが、こんなにも気持ちがよいことだということを、レンは初めて知った。

 すがすがしくて、晴れ晴れして、誇らしい。自分の中にいない他人を心から認めて肯定することで、自分自身のことも好きになれるということを、レンは生まれ始めて知った。


「……ぁ」


 レンの言葉を聞いて、少女の頬に涙が伝った。

 少女が、おそるおそる手を伸ばす。自分を切り裂くはずだった聖剣の柄を、そっと握る。

 人々の願いでできた剣は、いかんなく込められた想いを現象にした。

 少女が聖剣を受け取った瞬間、無数の光となって彼女を照らす。光に照らされた紫の髪が、色を失っていく。民に望まれた先天の秘蹟が、民によって解放される。一声で国を統べる『玉音』の秘蹟が現世から昇華して神秘領域へと還っていく。

 残ったのは、美しい銀髪を持つ少女だった。

 ただの少女となった彼女に、レンは笑いかける。


「ねえ。いまの君は、なにがしたい?」


 彼女の人生とともにあった奇跡、運命そのものであった『玉音』から解放された少女は、口を開いた。


「イチキと、一緒にお出かけしたい」

「いいね」

「友達を作って、遠慮のないケンカをしてみたい」

「そっか」

「素敵な人との、恋もしたい」

「うん」

「信頼できる仲間をつくって、冒険してみたい」

「わかる」


 少女が言いつのったのは、レンがこの町に来た時に思い描いた希望と一緒だ。

 物語みたいな都合のいい夢を見て、村を出た。

 新しい場所に行く時は、いつだって今より素敵だと思える未来を描く。一歩踏み出せば世界は広がると知って、前に出ようという原動力で足を進める。

 最悪だった時代を経て、この国は、自分の将来を期待できるようになったのだ。


「これから、いくらだってできる。だって、俺にだってできたんだよ?」


 レンの全肯定に、少女は不器用に笑う。


「レン」

「なに?」

「……ありがとう」

「どういたしまして」


 答えると、少女の瞳から大粒の涙がこぼれた。

 喜びと、悲しみと、安堵と、感謝と、言葉にできない感情が未来と過去に混ざり合った涙だ。涙腺が決壊していながら、泣いてはいけないとでもいうように、少女がこらえようとする。自分は涙を流す資格がないんだと、顔をゆがめる。


「泣いていいんだ。だって、人は生まれてから死ぬまで、いつだって泣いていいんだから」

「ぇ、う、ぅううう」


 やさしい促しに、嗚咽が漏れる。堪えきれないと、少女が泣き崩れる。

 レンは自分と同じ歳くらいの、ただの女の子に肩を貸す。


「何度だって泣いて、泣いて、泣き終わったら、笑って次に進めるから」


 過去に囚われ、首輪を嵌められて、罪に囚われ続けた彼女を慰める。彼女にもらった言葉を、彼女に返し続ける。


「ぅあ、ぅあああああああああああああああぁああああぁん!」


 兄を失った時以来に、少女は大きく泣き叫ぶ。

 革命が終わってから失い続けたこれからの未来を取り戻すために、涙を流して、流して、未来で笑えるように。

 いつまでも、いつまでも。

 泣き続ける少女の涙が尽きて笑顔が戻るまで、レンは優しく寄り添って慰め続けた。


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 奴隷少女ちゃんを人に戻す聖剣を生んだ願いの人数は、『聖剣と奴隷少女ちゃん 後編』の掲載時にカクヨムとなろうの全肯定奴隷少女へ訪問してくれた読者さまのPV数です。

 読者のみなさまのお力、まことにありがとうございます。

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