浮気の全否定・前編
次の日に会ったミュリナは、いつもより少し素っ気なかった。
ミーティングからダンジョン内まで事務的な受け答えのみで終始して、探索の後も、特に何かに誘われることもない。ほとんど、私語を交わすこともなかった。
あんなことがあった後だ。よそよそしい態度で接せられるのが、当たり前なのかもしれない。
ただレンは、それが少し寂しいと感じてしまった。
ミュリナの態度に寂寥感を覚えるのは、あまりに自分勝手なのだろう。
「レン。あいつとなんかあったのか?」
「いえ……」
二人の微妙な雰囲気を感じ取った弓使いの先輩の言葉に、レンは語尾を濁す。
「特には、ありません」
そう言って、ごまかすしかできなかった。
「好きって、何でしょうか」
「ぶふっ」
大通りから道を一つ逸れた路地にあるカフェの一席で、レンがその問いを投げかけた相手は、常連のシスターさんだった。
ダンジョン探索からの帰り道、奴隷少女ちゃんのところに行く途中で出会ったのだ。全肯定をしてもらう前に、せっかくだから甘いものでも食べようかと誘われて一緒にカフェに入ったのである。
そこでレンが深刻そうな顔で聞いてきた内容に、常連シスターさんは思わず吹き出してしまった。
「え? 好きってなにって、ふ、ふふふ、なにをいきなり、くふっ、ふふふふふ……あ、無理だこらえるの。――あははははは!」
なんとか笑いをかみ殺そうとした常連シスターさんだったが、我慢の限界をあっさりと超えた。いつもは年上の余裕を持っている彼女が、k声を弾かせて笑い始める。
「あははははっ、あーっ、おかしぃっ! いいねレン君! すっごく青春って感じがするよ! あはははは! さすが! 期待を裏切らないね! ふふっふふふ!」
ばしばしと向かいの席からレンの肩を叩き、軽やかな笑い声を響かせる。
レンがあっけにとられていると、ようやく笑い止んだ常連シスターさんは目尻に浮いた涙を拭いていい笑顔を向ける。
「はー、笑った笑った。で? なんかあったの? いやぁ、たぶん奴隷少女ちゃんとじゃなくて、例の一緒に暮らした女の子となんかあったんでしょう? あの金髪の、かわいい子だよね。なにがあったの?」
「そうですけど……」
常連シスターさんは仕事柄、レンのパーティーメンバーの顔を把握している。ずばり言い当てられたが、自分の真剣な悩み事を笑われたレンは不満顔だ。
だが常連シスターさんはにやにやとした面持ちを崩さない。
「やっぱりかぁ。ほらほら。いーから、おねーさんに話してみなさいな」
「なんでそんな嬉しそうなんですか……」
「いやぁ、こんな相談事されるなんて楽しくて仕方ないんだよ。包み隠さず教えなさいな」
こんな面白い話、二十も半ばになるとなかなか聞けないのだと常連シスターさんは上機嫌である。
この態度は納得いかないが、相談したかったのはレンも一緒である。腑に落ちない気持ちを抱えつつも正直に話す。
「実は――」
かくかくしかじか、包み隠さずミュリナとのことを話す。気恥ずかしさもあったが、相手は自分よりもずっと経験の多い大人ななのだ。
最初のうちこそニヤニヤして聞いていた常連シスターさんだったが、しばらくして表情が変わった。
料理でお皿を割った下りで難しい顔になり、あーんの当たりで赤面して、指を舐められた以降の話を聞いた常連シスターさんは両手で赤面を隠してぷるぷる震えていた。
「どうしました?」
「へ? あ、うん。な、なんでもないよ、あはは」
レンの不審げな声に常連シスターさんは、はっと我に返る。ぱたぱたと手を扇にして火照った頬を冷やしながら、何とかごまかそうとする。
「なんだっけ。レン君、その子と結婚するかどうか悩んでるとか、そんな相談だったっけ。まあ、私、一応は聖職者だし、そういう相談には乗れるよ、うん」
「違いますよ!?」
赤裸々に語られたレンの話が思った以上に刺激的な内容だったので、常連シスターさんはちょっと混乱していた。常連シスターさんは聖職者になってから色恋沙汰には遠く離れていたので、久しぶりに聞く生々しい話についていけなかったのだ。
レンのことだから、もうちょっと初々しい話だと思ったのに、予想以上にただれていたというか、肉感的だったというか。
端的にいうと常連シスターさんの恋愛観を越えていた。
「その、俺、そういうことがあって、よくわからなくなったというか、自分の気持ちに自信がなくなったんです。奴隷少女ちゃんが好きだって言うのは変わらないんですけど、その、ミュリナのことをどう思ってるかっていうのが、すごく揺らいでる自分がいて」
「そ、そっか。ちょっと待ってね。指……指、なめるかなぁ……?」
「それともう一つ相談があって」
「うぇ?」
ちょっといっぱいいっぱいの時に、まだ何かあるのかと変な声が出た。
そんな常連シスターさんの様子を深くは気にせず、レンは手紙を取り出した。
「なんか、ミュリナとのやり取りのあとに、他の女の子から手紙をもらったんですよ」
「……レン君さぁ」
女の子との関係を相談されたと思ったらまた別の女の子の相談を切り出してきたレンに、ぐっと眉間にしわが寄る。
「もしかしてさぁ、レン君って故郷に幼馴染とかいたりしなかった? こう、家族ぐるみで付き合いがあるような女の子で」
「え? いましたけど」
冗談のつもりだったが本当にいるらしいと聞いて、そういうとこだよ、と大きく息を吐く。
「その子がレン君を追いかけてきたりしない? やめようよ、そういうの。私は誠実なレン君のほうが好きだよ?」
「あ、すいません紛らわしい言い方で。死んじゃったんで、そういうことはないですよ」
「あ」
いま『した』と過去形になっていたことを思い出して、とっさに詫びる。
「ご、ごめん。無神経過ぎた」
「気にしないでくださいよ。よくあることじゃないですか」
失礼なのがよくあることなのではなく、身近な誰かが死んでしまうことが、だ。レンのような歳の少年少女を含め、身近な誰かが死んだというのが多くの人の共通に話題になるほど、ありふれている出来事である。
だが、常連シスターさんの気まずそうな表情は晴れなかった。
「そ、それで、レン君。なに? かわいい女の子からラブレターもらいましたーって自慢したいの? 私はレン君のことを見損なってもいいの?」
「いやっ、違くて」
当初はそれこそ顔見知り程度だった常連シスターさんとも、今ではけっこう仲良くなったのだ。奴隷少女ちゃんとは違う方面で相談にも乗ってもらい、頼りにしている一人である。
見損なわれてはかなわないと、レンは慌てて釈明する。
「読めないんですよ、これ」
「読めないって、そりゃまたどうしたの?」
この国の識字率はかなりいい。教会のあるところの住民ならば、だいたい読み書きができる。よほどの僻地でなければ文字は読めるし、常連シスターさんが知っている限りでも、レンはイーズ・アンからもらった神典を読み込める程度には教養がある。
「これなんですけど、見てもらっていいですか?」
「私が読んでいいの?」
「悩んだんですけど、読めないままよりはいいかなと……。本人に内容を聞こうにも、どこにいるかもわからないですし」
「ふむ、そういう事情なら一理あるね」
無表情の先輩の影響を受けている答えを返して、常連シスターさんは手紙を受け取る。
もらった手紙を読めないからと放置するのは問題だろう。書式に目を通した常連のシスターさんは頷く。
「ああ、なるほど。これはレン君だと無理だね」
神殿で習うのとは違う、崩してつなげた文字だ。見た目が華やかだから、と今はなき身分である貴族の間で使われていたような文字である。
私は読めるけど、と小さく続けて内容に目を走らせる。丁寧に書かれている。ずいぶんと格式高い形式の割には、文面は非常に下手に出ていた。
「こんなものをもらうってことは、相手はいいところのお嬢様なの?」
「たぶん。なんか、すごく上品な子だったので。手紙に梅の枝とか添えてありましたし」
「ふうん? 梅の枝ねぇ。うちの国、花はともかく木の枝を添える風習はないと思うんだけどなぁ」
常連シスターさんの知っている限りでは、草花はともかく枝木は武骨だからと敬遠されていたはずだ。身分こそなくなった貴族社会だが、風習そのものが完全に消えたわけではない。作法は多少の形を変えようとも、国の歴史として上流階級の教養として残るものだ。
くん、とにおいを確認する。匂いの中に独特の煙たさを感じた常連シスターさんは首を斜めにする。
「しかも香水じゃなくて、お香を焚いてあるとなると……その子、外国人?」
「ですね」
「なるほど。混ぜてあるんだね。その子、たぶん東方の出だと思うよ」
納得した常連シスターさんは、手紙を畳んでレンに返す。
「文通してください、って感じの内容だね。あで、知り合いとして交流したいですって感じ。この子、すごいよ。外国の人でここまでちゃんとした書式で手紙を書ける人なんて、そうそういないもん」
「あ、ラブレターじゃなかったですね」
「なんでちょっと残念そうなのかな?」
「あ、はは」
笑顔でざくりと刺されたレンは、ごまかし笑いを浮かべる。なんだかんだ、期待していた部分はあるのだ。
「でも、ずいぶんと詳しいんですね」
「あー、うん。まあね」
レンの疑問に、常連シスターさんはごまかし笑いを浮かべる。
しかし、文通となると取り扱いに困るのはレンのほうだ。恋文だったら断るのだが、友達になってくださいということだったら、断る理由がない。
「どうしましょうか、これ」
「別にいいんじゃないの? 文通、すれば」
「え? でも……」
「最初の相談にも関わるけど、レン君はさ、もうちょっと付き合いを広げてみてもいいと思う」
あんまり狭い交流で女の子との付き合い方を学ばれても困るというのが、ミュリナとの話を聞いた感想だ。
それに、好きな子がいて好きだと言ってくれる子がいるから異性との私的な交流がダメとなると、と常連シスターさんは思う。
自分だって、レンとこうやって会うのがダメだということになってしまうのだ。
「異性の友達、っていうのをつくってみればさ、自分の好きっていう感情がどういうものなのかわかると思うよ? レン君、友達になる前に好きになったり好きになられたりしてるでしょう?」
「い、言われてみれば、確かに……!」
「そういうこと。何事も経験! ……あ、節操ないことしたら、怒るからね?」
奴隷少女ちゃんという共通の接点から、顔を合わせたらお茶をして、相談事をするような気やすい仲になれたのだ。その縁を切るのが惜しいと思うのは、何もレンの方だけではなかった。
「相手が異性でもさ、やましいことがあるわけじゃないんだし、ね?」
ちょっとずるいかな。
私的な感情も入った助言にそう思いながらも、歳の差のある友人に、常連シスターさんはほほ笑んだ。
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