刊行の全肯定・前編
「ねえ、レン。イチキとデートしたって本当?」
リンリーが申し出た十日の休暇も終わったその日。ダンジョン探索をするために待ち合わせていった神殿の礼拝堂で顔を合わせるなり、ミュリナが笑顔で質問してきた。
「んんっ、と」
出会い頭の質問にレンは反射的に「そんなことないよ」と否定しかけてから、ぐっとこらえる。
ここで安易な嘘をつくのはまずい。本能がそう警告した。
「だ、誰から聞いた、のかな……?」
「イチキからだけど?」
まさかの本人情報だった。
ミュリナとイチキは仲がいい。そのことはレンも知っていたが、まさか赤裸々にデートの情報も流しているとは思わなかった。というか、仲が良くて恋敵でもあるのに、どういう感情でレンのことを話題にするのか、性別男子であるレンにはさっぱり理解できなかった。
「……」
ごくりと生唾を飲み込んで、改めてミュリナの様子を見守る。
にこにこと笑っているが、まったく目が笑っていない。むしろハイライトが消えている。ミュリナは美少女である。えもいわれぬ圧力があった。
「レンってば、私がいっくら誘ってもデートをしてくれたことないのに? 好きな人がいるからとか言ってたくせに? その『好きな人』とやらの妹であるイチキとはデートするんだ。ふふっ、そっかぁ。レンってば、そういうことしちゃうんだ」
にこにこにこと、ミュリナはあり得ないほど愛想のいい表情で距離を詰める。
レンは、ダラダラと冷や汗を流す。いや、別に悪いことをしたわけではないのだ。レンとミュリナは付き合っているわけではない。ただ、レンがミュリナに好意を告げられたというだけだ。だから別に、デートっぽいことをしたところでレンは悪くないし、そもそもイチキとのお出かけはデートではなくて他に目的があったわけだ――と様々な自己弁護が走馬灯の勢いで脳内を駆け巡るが、レンは賢明なことに、それらを口に出すことはしなかった。
ぴたり、と恋人同士というには遠く、しかし異性間ということを考えれば近い間合いで立ち止まったミュリナが、不意に圧力を緩めて優しく微笑む。
「……あのさ、レン。今度、私とで――」
「レンおにーちゃん!」
なにか言いかけたミュリナの台詞を遮る大きな声で登場したのは、リンリーだった。
このクソガキゃと言わんばかりのミュリナのことなど一切気にせず、彼女はレンに飛びついた。
「お、おお。リンリー。久しぶり。元気だった?」
「元気だったわけないでしょー!」
最近、十一歳になったばかりの彼女は人目もはばからず絶叫する。子供の低位置からレンの胸倉をつかんで、がっくんがっくんと揺さぶる。
「レンおにーちゃん、この間、手紙で尊師をお誘いした時になにか言ったでしょ!? あの日から、なんか修行がすっごく厳しくなったんだけど!? どういうことなの!? ねえ!」
こちらは涙目で、自分の生存がかかっていると大声で訴える。
よく見れば、リンリーはあちこち微妙にぼろぼろだった。身綺麗が信条である彼女からすると、ダンジョン帰りのほうがまだ服装が整っているほどだ。
かといってレンもよくわからない。レンが言ったことといえば、「イーズ・アンを何とかして」ということだけだ。そこにどうリンリーが関わるのか、レンではさっぱり予想もつかない。
「いや、イチキちゃんの修行云々は、俺じゃちょっとわからないや」
「『わからないや』じゃないでしょー! レンおにーちゃんから尊師に、もっとリンリーに優しくしてって言うのが義務でしょ! じゃないとあたしが死んじゃう!! ほんとにそんなレベル!」
「わ、わかっ――」
「へー。まぁーたイチキとお出かけするの? ふぅーん?」
「ちがっ!?」
もはや混迷を極めすぎている。周囲の人々も「やばっ、近寄らんでおこ」とヒソヒソ会話をしながら三人を避けて通る。
だからこそ、第三者の声は天啓のようにレンの耳に入った。
「にぎやかだね、レン君」
「ウィトンさん!」
「やあ」
ウィトン・バロウ。
皇国打倒の革命を率いた立役者である。奴隷少女ちゃんと浅からぬ因縁がある彼だがこの窮地を救ってくれるなら、もはや誰でもいい。いっそイーズ・アンにすら付いていってしまいそうなほど追い詰められていたレンは、なにか言いたげな仲間を振り切ってウィトンの対応をする。
「聞きましたよ、ウィトンさん。すごい大捕り物だったらしいじゃないですか!」
「他のみんなが頑張ってくれた成果さ」
いまの台詞を謙遜抜きで、嫌味を感じさせないのは彼の人徳によるものだろう。
彼の行動は最近、新聞の紙面をにぎわせている。
彼の主導で軍組織の一部から治安維持隊を分離させて、最近では『警察組織』として独立させた。軍隊とは別に、市民のための武装組織を設立したのだ。画期的な取り組みであることはもちろん、成果も大きく上げている。
いまはマフィアの撲滅に力を入れており、首都での捕り物でも大活躍したというニュースが連日紙面をにぎわせている。特に教会の襲撃を指示した犯罪組織の首領を逮捕したのは、治安維持隊が独立性を高める成果として大きいものだった。
彼の登場に、ミュリナがぶすっと唇を尖らせる。
「おにいちゃん……」
「うん。ミュリナ。レン君を困らせるのは、ほどほどにしてあげなよ。彼には彼の事情があるんだろうしね」
「誰かと思えば、勇者だった人じゃん。いまリンリーたちがレンおにーちゃんと話してるんだけど?」
「そうだよ。君は……そうか。レン君の新しいパーティーメンバーだってね。妹を、よろしく」
ウィトンがほほ笑んでリンリーの頭を撫でようとする。
リンリーは、さっと避けた。レンの背後に回って、べえっと舌を出す。イチキの敵はリンリーの敵である。
ウィトンはリンリーの態度に気を悪くした様子もなく、苦笑してレンに向き直る。
「それで、レン君。ちょっと話をしたいんだけど、いいかな」
「もちろんです!」
いまこの場から逃げ出すならと、大歓迎してミュリナたちからちょっと離れる。
会話が聞こえない距離。ミュリナもリンリーも魔術を使って盗み聞きをしていないと確認してから、ウィトンはレンに聞く。
「アルテナに、あの場所のことを聞いたらしいね」
レンの表情が、すっと引き締まる。
嘘をつけない素直な反応だ。ウィトンは続けて問いかける。
「どうしてだい? もうなにもないんだけどね、あそこには」
「……興味本位です」
「そうかい? その割に、今日、ダンジョンに行くときは、そこに寄っていくと聞いたけど。というか、しばらくそこを通るルートを探索するんだろう?」
カマかけだ。
ミュリナはそこのことを知らない。イチキに絶対服従のリンリーからウィトンに話が漏れているはずがない。彼はレンの望みを踏まえたうえで、行動を予測しているだけだ。
つまり、証拠はない。
だから確信を持って、レンはウィトンの目をまっすぐ見据える。
「さあ、なんのことか、わかりません」
言い切ったレンに、ウィトンが苦笑した。
「残念だ。君もかわいげがなくなったね」
それはきっと、褒め言葉だ。
世間知らずではなく、世渡りのスキルが伸びてきた。
「ありがとうございます」
レンはウィトンとよく似た笑みを浮かべて、さらりとかわした。
レンにも、求めるものができた。助けたい人を助けるために、手に入れたいものが具体的になった。
だからこそ、いまはレン自身が動くことはしないと決めていた。
「そうかい。話はそれだけだよ」
ウィトンはレンの背後、少し離れたところでじーっと様子をうかがっているミュリナとリンリーを見て、にやりと笑う。
「じゃ、頑張ってくれ」
本当にちょっとの話時間だったことに、レンはたらりと冷や汗を流した。
キマ・ウスタは記者である。
もともとは大手新聞社に勤める第一線の記者だったが、情報を取り扱う職務につきまとう心苦しさに葛藤していた。真実と事実の差異。広報とジャーナリズムの齟齬。徐々に積みあがっていく現実と理想のずれは、彼女をひどく苦しめた。
そんな時に出会ったのが奴隷少女ちゃんである。
とある公園広場で奴隷少女ちゃんなる人物への相談したことで、キマは心機一転、翌日には勤めていた新聞社に退職届をたたきつけた。以降、ゴシップを扱う雑誌記者へと転向して活動している。
いわゆる三流誌と呼ばれる媒体だが、これが意外とキマの性にあっていた。結局は仕事なので発生するストレスを解消するために奴隷少女ちゃんのところに度々通っているのだが、それはそれ。
なにせ三流誌など、世間の人々は面白半分でのぞく娯楽媒体だ。情報は娯楽であると割り切っているほうが、いわゆる『一流』の紙面よりもよほど心偽ることなく文字をつづることができた。
彼女には大手にいた頃から続く人脈と、ゴシップ誌特有の雑然とした知識が同居している。同じ業界にある二つの温度差の混在こそが、いまのキマの記者としての武器だ。
そんな彼女はここ最近、いくつかの企画と並行して、ファーン経由で面白い情報を仕入れていた。
興味深くも、恐れ多い情報だった。
「最初に頼まれた時はどうかと思ったけど、思った以上に好評ね」
意外というべきか、ねじ込んだ企画は評判は上々だ。雑誌に載せることでまことしやかにささやかれる噂もほどほどに膨れている。順調といっていいだろう。
最難関はこれからだ。
レンが提案して、彼から何度も話を聞き出してキマが雑誌に載せている内容は、十中八九、教会の検閲で弾かれる。
内容が、まずい。検閲が入ればイーズ・アンでなくとも弾く。その確信が、彼女にはあった。
だからこそ。
形式的であっても、イーズ・アンの許可印があれば、その内容がどうであっても文句のつけようもなく発行、流通が許される。
「まあ、それが難しいんだけど……」
だが、当てはある。キマは眼鏡を指で持ち上げる。
そこに、上司の声が響いた。
「おい、キマ」
「はーい、なんでしょか」
なぜ上司という生物は人に呼びかける時に名前だけ呼んで用件を言わないのだろうと思いつつも、雑な呼びかけに答えて立ち上がる。
「少し前から連載してるこれ、伝記か? 文章書いてるのはお前だろうが、誰から話を聞いた?」
「いえいえ、滅相もない。あくまで創作ですよ。ちょーっと面白そうな妄想話を耳にしたんで、いけるかなと思ったらばっちりはまったんです」
「ほほう? 妄想なぁ」
情報源をはぐらかすキマと追及する編集長が、笑顔をぶつけ合う。
いま話題となっているのは、とある少年を取材してキマが書き上げた原稿だ。
彼の語った内容は、キマにとっても興味深い話だった。普通ならば与太話と片付けられるものだが、その少年がウィトン・バロウやイーズ・アン、スノウ・アルトとも面識のあることをキマは知っている。
皇国最後の十年を経験した人ならば、これを読んで完全な創作だと思っている人間は、ほとんどいないだろう。
誰しもが『もしや』と思い、そのもしやが現実だったらどうするべきなのかと思いを馳せる。
「反響はどんな感じですか」
「悪くねえな。まずまずだ」
「うまく話題になったら、本としてまとめられればいいですね」
「はっ、お前も三流ゴシップの何たるかがわかってきたな」
「編集長の薫陶は胸に刻んでますとも。『話題性がすべてだ』でしょ?」
大手では却下されるような情報を、無責任に流せる。それが三流雑誌の強みだ。高尚な情報雑誌ではなく、あくまで娯楽のゴシップ誌。手に取って鼻で笑い飛ばされることこそが目的だ。
常に真偽がないまぜになった話題先行の場所だからこそ、権威のないところほど、時として真実に近くなる。
「その通りだ。雑誌に載せる基準は話題性がすべてだ――と言いたいところだが、これよぉ。教会から警告が来てんだわ」
「大丈夫です」
忠告と警告に、にっこりと笑う。書く内容からして、話題になった時点で検閲の壁が立ちふさがることは確信していた。
「あそこには、心強いあてがあるので」
力強く保証した。
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