聖心の祈り・前編
剣がひらめく。
右手から伸びた光剣が、弧を描く。彼女の体に染みついた動き。厳しい訓練により思考を必要としないほどに振るった浄罪の剣は、鋭い一閃となって目の前の少年にたたきつけられる。
「くっ」
目の前の少年が、とっさに両手で握った剣で受け止める。正面からの鋭い一撃を、なんとか防いだというのが丸見えだ。
『聖騎士』と呼ばれたスノウ・アルトの攻撃を防いだという意味では、成長はしている。
だが、それで満足してもらっては困る。
「違う」
自ら防御で剣の動きをふさぎ、あまりにも隙だらけになった彼の胴体に、スノウは容赦のなく蹴りをめり込ませた。
「ガハッ!?」
相手の体がくの字に曲がる。苦し気な声が上がるが、痛みなき訓練は実践で油断を呼ぶだけだ。体勢を崩した少年の横っ面に、左腕に展開した信仰の壁をたたきつける。
今度は、声も上がらなかった。
「剣で攻撃を受け止めるな、隊員。両手で剣を握る君が剣で相手の攻撃を防げば、次になにもできなくなるぞ」
なすすべなく訓練場の床を転がった少年を、スノウは冷ややかに見下ろす。
「なんのために信仰の盾を身に着けろと言ったと思っている。特に近距離の攻撃は、必ず信仰の壁で受け止めろ。攻撃の手は常に空けろ。迂闊な攻撃には剣での反撃があると敵に示せ」
床に転がる少年は、痛みにうめいているが意識はある。
ならば訓練はまだまだ続けられる。
「もう一度だ。立ち上がれ」
「――……ッ。はい!」
レンは立ち上がる。
素直でいいことだ。自分にはない彼の素質に微笑み、スノウは今一度叩きのめすべく、剣を振るった。
「今日はありがとうございました」
「なに、気にするな。未来の隊員のためだ」
神殿の隣にある訓練場の大広場で、スノウとレンは歓談していた。
今日はレンからの申し出で、スノウがレンの訓練を見ていたのだ。周囲の視線は、物珍し気に二人に注がれている。
スノウ・アルトは、見た目だけは文句の付けようのなに美女である。
身長と頭身のバランスが完全で、そこにいるだけで存在感がある。スタイルも出るところは女性らしい曲線を描き、くびれるところは引き締まった美しい体をしており、照り輝く金髪は腰元まで伸びて瞳は稀有なほどに鮮やかな青色だ。
同性が憧れ、異性が求める姿がそこにある。
首筋の汗を拭いたスノウは訓練中にまとめていた髪をほどく。腰まで伸びた長い髪が、しゃらんと揺れて広がる。絵になる仕草に誰もが目を奪われて訓練の手が一瞬止まった。
周囲の視線に、疎ましげに目を細める。
「……ふん」
自分などに目を奪われる人間へ、スノウは嘲るように鼻を鳴らす。
すぐに表情に笑顔を戻し、レンに向き直る。
「ここ数日、ダンジョンには行ってないようだな」
「はい。リンリーがなんか十日くらい休みが欲しいって申し出て……教官、なんか知ってます? なんかすごく泣きそうな顔だったんですよ、リンリー」
「リンリーというと、あのよくわからんちんまいのか? まったく知らないな」
スノウにしてみれば、リンリーは自分の主人の妹の付属品程度の認識である。動向を把握しているはずがない。むしろ、名前を覚えているのがちょっとした奇跡である。
「隊員の周りに、勇者の妹がいないのはいいな。あれは面倒くさい」
「……教官って、なんでミュリナのこと嫌いなんですか?」
「一目見て気に入らなかった。私の直感は当たるんだ」
根拠なき悪意に悪びれることなく、あっさりと答える。ミュリナの味方のレンは複雑そうな顔をしつつ、反論は無駄だと悟ってか、押し黙る。
「それより隊員。休日を過ごしているという割には、疲労がたまっているようだな。動きが悪くなるほどではなかったが、顔に疲れが出ているぞ」
真っ先に見抜かれたことに、レンは苦笑いを浮かべる。
「え、ええ、まあ」
「なにをしているかは知らないが、止めはしないさ。無理が必要な時もある」
「そう、ですか」
止められなかったことに意外そうな顔をされたが、スノウからしてみれば止めることこそ傲慢で罪深く感じる。
「そういうものさ。私は非才の身だからな。アルト家に生まれた並以下の私に、無理は義務だった」
「教官が非才、ですか?」
「ああ。制御もできない第六感なんていう欠落を持って生まれた時点で、私は歴史あるアルト家の爪弾きものだった」
スノウは自嘲する。
「なにが笑えるかと言えばな、隊員。私を爪弾きにした彼らこそが正しかったという事実が、たまらなく可笑しいんだ」
レンが口をつぐんだ。彼も知っているのだ。
スノウは、皇国を崩壊に導いた自分のことを許していない。だからこそ、先ほどの言葉が出てくる。
命を捨てても惜しくないもの。至るべき場所。
いまレンは、そこを目指しているらしい。
結構なことだ。
スノウは、心からそう思う。
命を懸けられる場所があるなど、誉ある人生ではないか。死ぬべき時に死ねないというのは、時に残酷な余生をもたらす。
命を懸けているのならば、死んだところで本望なのだ。
失敗して生き延びることほど、無様な一生はない。
「教官も、いまはあるんですか?」
「当然だろう?」
さらりと、至極当然の常識を語る口調で答える。
「死後にある、常世の国こそ我ら皇国の民の故郷だ」
口に出してから、スノウは直感した。
いま、目の前の少年と断絶が生まれた。表情こそ変わっていないが、不思議とそういう心情は伝わるものである。
レンは、スノウと同じ場所を目指しているわけではないのだ。
不思議だ、と首を傾げる。
スノウとレンと、同じ人物を守ろうとしていると直感したのに、なぜ、と。
「……教官は、奴隷少女ちゃんのために一緒にいるんですよね」
「当然。陛下のためにあるのが私だ」
なるほど、ダメか。
再度、遠のいたレンの心にスノウは静かに確信した。
どうやら彼ともわかり合うことはできないらしい。
『奴隷少女ちゃん』と『陛下』。
この呼び名には、スノウには理解し難い断絶があるようだ。
「そうなんですね。教官が守ってくれるなら、奴隷少女ちゃんも安心できます、きっと」
レンが笑った。その笑いが作り笑いだと、はっきりわかった。
今日、レンは訓練にかこつけてスノウを自分の陣営に入れられるのかどうか探りにきたのだろう。
よくあることだ。慣れているからこそ、彼女はレンを自分の領域に引き込むことをあきらめる。
「そういえば」
探る意味はなくなったということか、話題の転換がてら、レンがふと思いついた疑問を投げかける。
「教官は聖職者ですよね」
「ん? まあ、役職上はそうだな」
「それなのに、聖女さまに認識されないんですか?」
レンの問いにスノウは苦笑を浮べた。
「……あの狂信者が、ただの役職で聖職者とそれ以外を分けていると思うか?」
「……思いません」
「だろう? まして、私はコネで神殿に入ったからな。洗礼名も持っていない。秘蹟を使えるから信徒ではあるものの、聖職者として認識されるほどではないんだ」
イーズ・アンが教会の定めた組織の都合などに左右されるはずもない。
スノウでもイーズ・アンに存在は認知されても名前すら憶えてもらっていないし、レンでも『少年』と呼ばれるのみだ。
「じゃあ、どうやって区別をつけてるんですか?」
「たぶんイーズ・アンの奴は信仰心が見えるんだろうな。あとは、聖心の有無だ」
「せいしん?」
「私もよくは知らないが『聖心の祈り』という秘蹟があるかどうかが聖職者として一つの分かれ目らしい」
「あると、どうなるんですか?」
「イーズ・アンに人間扱いしてもらえるぞ」
なにが琴線に触れたのか、レンが真顔になった。
「ど、どうやったら習得できるんですか!?」
「私は知らん。結局のところ、秘蹟も魔術も使える私は半端でしかないからな。どちらも、使いこなすことはできていない」
便利さを置いておけば、魔術か秘蹟か、どちらか一方だけの道を歩むほうが正しく強い。神秘に至るほどに学術を積み重ねるか、物質を超越するほどに信仰に染まる。その二つ以上のものなど、まずない。どちらも極めれば常人の及びもつかないほどの高みに登れる。
スノウは、非才だからこそどちらにも手を伸ばした。
「教会の関係者なら、知ってるんじゃないか? 神の奇跡とやらに熱心だからな」
「教官も教会の関係者じゃなかったですっけ……?」
「金と世間体のためだ。主に恥ずかしくないようにしろと言われたからな」
「……教官って、なんで秘蹟が使えるのか、ちょっと不思議です」
「ははっ、簡単だ」
不信心さに呆れたらしいレンを軽く笑い飛ばした。
「私は、信仰に救われたことがある」
アルト家を出奔した時に、スノウは神殿に匿われた。その時に、教会の教えに救われたことがある。
だからこそ、スノウは確かに信者なのだ。
「……ありがとうございました。俺、これからちょっと神殿に行ってきます」
「うむ、またな」
次に会う時は、敵になっているかもしれない。
それでもスノウは、訓練場から立ち去っていく少年の背中を切り裂こうとは思わなかった。
別に人目を気にしているわけではない。するべきと直感すれば、スノウは躊躇わない。
単純に、まだ斬るべきではないと感じたからこそ見送った。
「……皇国の御代を信じる素質は、あったと思うのだがな」
レンという少年には、偉大な皇国を信じる素養があった。スノウの直感に間違いはない。けれども結局、彼がこちら側に来ることはなかった。
彼を導けなかったことを、残念に感じる。
出会いがもう少し早ければ、あるいはと思えるだけに。
イーズ・アンとはまったく違う意味で、スノウは現実を受け止めることをやめている。
彼女の時間は、皇国の崩壊から止まって動いていない。さらに言えば、時代の逆行を望んでいる。皇国の再建ですらなく、ただひたすらに、過去に浸り続けているのだ。
彼女は彼女自身の中にある生き方でしか、生きられない。
なぜならば、彼女の第六感は皇国主義が築き上げた神秘領域に繋がっているからだ。
いまなお神秘領域に確かにある、いつかの皇国に。言葉で説明できないのに、その存在を確信してしまえる。
彼女は三十年近く生きて、自分の内にある世界よりも大事な現実なんて、ひとつも得ることができなかった。
「変わっていくものなのだな、現実というのは」
スノウは立ち上がり、訓練場の出口に向かう。
彼女は、自分が他の誰かと同じだと思っていたことがあった。自分が他人と同じ物を見ていて、他人だと自分と同じように見た物を感じているのだと疑いもしていなかった。誰かの望む自分に自分がなれるはずだと信じて、望まれる自分こそが普通だと認識していたのだ。
第六感を持って生まれた自分には、他人を理解することができないというのに。
見える世界が違うのだ。同じになれるはずもない。スノウ・アルトは他人を理解できないという自分の悪徳を自覚している。彼女と他人との相互理解が叶うことは、永遠にないだろう。
「でもそれは、罪ではない」
小さく、自分を許す祈りを声にする。
この一節は、スノウが一つだけ信じる信仰のあり方だ。
スノウは悪びれない。誰かと話し、齟齬が生まれ、相互理解が達成しなくとも、結局のところそれは、世界がそういう風にできているという事実以上のものではないのだ。
訓練場から出たスノウは、ふと足を止める。
ここは立地的に、神殿の隣だ。出ればすぐに目に入る。訓練場から先に出たレンは、きっと神殿にいる知己に『聖心の祈り』の詳細を聞きに行ったのだろう。
ただ、そんなことは関係なく、ありし日に神殿に駆け込んだ記憶が蘇る。
――悪いということは、必ずしも罰せられないといけないわけではありません。
あの時、司教の語った人を許す言葉に、若き日のスノウは落涙して救われた。
なのにスノウは、悪いと思っただけで、皇国を滅ぼすことに尽力してしまった。
「…………」
そっと目を閉じる。
自分で自分の愚かしさを許せないのに、そんな愚行を許してくれる教えがある。
それを救いと言わず、なにが救いなのか。
自分の生まれを許してくれた教えだけがスノウ・アルトが皇国を信望しながらも教会の信者でいられる理由。秘蹟をふるえる資格を持つ由縁だ。
柄にもなく祈りを捧げたスノウは、目を開けて歩き出す。
いつかあの少年の前に自分が立ちふさがることを確信した『聖騎士』スノウ・アルトは、命をとして守るべき自分の主人がいる屋敷への帰路に着いた。
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