四章
謝罪の全肯定・前編
ひらり、と紙きれのような魔物が宙を飛んでいた。
一枚一枚に文字が書かれた紙の群れは、ある紙面はゲラゲラと笑い、ある紙面は悲嘆にくれて涙を流し、ある紙面はひたすら愛を囁いて耳元に近づく。
この都市に散らばる紙に書かれた情念から生まれた魔物だ。
無数に宙を舞う紙面は同じ魔物のように見えるが、特性が一枚一枚異なるという厄介さを持つ。紙面を生み出した感情によって攻撃手段や習性がまったくの別物だ。数が多いこともあって、対処が面倒である。
そしてなにより紙の体が軽すぎて、逆に剣で切り裂くのが難しい。
「く、っそ」
切り付けたというのに、ぱしりと叩いただけの感触が伝わってくる。紙面の魔物は小馬鹿にするようにひらりと宙を翻える。
叩きつけるように剣を振るうレンの技術では、宙を舞う紙切れを切り裂くほどの技量には至っていないのだ。苦戦しているのはレンだけではない。
しかし主力の四人はさすがにてこずらない。秘蹟で、弓で、魔術で駆逐していく。剣が武器の女剣士も、あっさりと紙の群れを切り裂いている。周囲に舞う紙の魔物を始末しながら、着実にボスと思しき巨大な本型の魔物と戦っていた。
レンは自分の未熟さに舌打ち。とはいえ、焦りは禁物だ。冷静になるべく、頭にスイッチを入れて切り替える。
ぱちん、と思考がフラットになれば解決方法はすぐに思い浮かんだ。剣だけで手こずるならばと浄化の秘蹟を発動させる。浄化の光を剣にまとわせ、切り裂く補助にする。
あっさりと、ほとんど手ごたえなく魔物が切り裂かれた。
「よし!」
剣術単体ではまだまだ未熟なレンにとって、技術差をカバーできるこの秘蹟は使い勝手がよかった。
これならいけそうだと顔を明るくした瞬間だった。
「ぼさっとしない!」
横から、叱咤が飛ぶ。
同時に、レンの死角をカバーするように炎の魔術が飛んでくる。背後から迫っていた魔物が炎に包まれ燃え尽きた。
「ありがとうございます!」
「礼は後でいいわよ! いまは戦闘に集中!」
「はい!」
ミュリナだ。彼女は両手に携えた短剣で手近の魔物を切り裂きながらも、魔術の炎を放ってまとめて焼却する。戦闘中の彼女の顔は精悍で見惚れるほどだ。
戦闘は、レンたちの完勝で終わった。
その日の探索も無事終わり、ミーティング後に解散となった。
レンは自分の実力の向上を実感していた。
最近身につけた浄化と治癒の秘蹟。勇者から習った精神を安定させる方法。どちらも単体では劇的に戦闘能力を向上させるものではない。だが、自分の戦闘手段の補助とする分には十分だ。手応えを感じていた。
それはさておき、今日は月に一度の給料日だった。リーダーから給料を受けとりホクホク顔のレンに声をかける人がいた。
「ね、レン」
ミュリナだ。
彼女は腕を後ろで組んで、ツーサイドアップの金髪を揺らしながらひょいっと覗き込んでくる。
「なんですか、せんぱ――」
つい癖で呼びかけると、むっと目つきが尖る。
「ミュリナ」
「――はい。わかまりました。なんですか……ミュリナ」
「……ふへへ」
名前を呼ぶとふにゃりと笑った。探索の時とはまるで違う態度に、どきりとする。
ただ名前を呼ばれただけなのに、ミュリナは本当にうれしそうにだらしなく笑う。いつもは、きりりとした彼女がレンの前だけでは油断しきった笑みを向けてくるのだ。
独占したくなる落差が、たまらなくなるほど胸にくる。
――あたし、あんたのこと好きになっちゃったから。
否応なく、先日の告白が思い出される。
あの時のことを思い出しただけでどきどきとレンの心臓が脈拍を上げる。探索の時は平気なのに、こうやって接してくるミュリナの顔をまともに見れない。
なのにミュリナは、さらに近寄ってくるのだ。
「それでね、レン。今日は途中まで一緒に帰ろ。んで、一緒に寄り道しない?」
先輩後輩というには近い距離。身長差からレンの顔をじっと見あげてくるミュリナは、レンが他に好きな人がいるからと告白を断ったことなど関係ないと言わんばかりの態度だった。
「探索の時のお礼、してよね」
柔らかく笑いながら、そんなことを言う。
ただの好意だけではなく、きっちり理由までつくられている。思わず理性が揺らぎそうになるお誘いだったが、待ちかねた給料日である。
「ごめんなさい。今日は、用事があるんです。前々からの約束があって」
「ふうん?」
レンの真剣な顔を見て、ミュリナはつんと唇を尖らせながらも引き下がる。
「決まってた用事があるなら仕方ないわね。じゃあ、また明日、レン」
必要以上に食い下がることはなく、思いのほかあっさりと手を振って帰っていく。
レンも手を振って見送って、胸を抑える。
「はあ……」
ミュリナと話していると、胸がこそばゆくなる。言動がいちいち心臓を刺激してくるのだ。
当たり前のことだが、レンだってミュリナに好意を向けられて、いやな気持ちがするはずもない。もともと人として尊敬していた相手なのだ。追い抜いてやるんだと思っていたし、彼女に認められたいという気持ちもあった。
そんな人から、告白された。
尊敬する先輩だった彼女から突然異性の矢印を向けられて、いまのレンは困惑する気持ちが大きい。
「ミュリナが俺を、なんて……ほんと、まさかだよなぁ」
ミュリナと出会ったばかりの自分にいまの状況を継げても、絶対に信じないだろう。嫌われていると思っていたし、レンの方も苦手意識を持っていた。
冒険者になりたての頃をしみじみ思い出しながらも、レンは事前に待ち合わせをしていた場所に向かう。
そこには、私服の常連のシスターさんがいた。
「お、レン君。来たね」
「はい。今日はお願いします」
「ん、いいよ。あんまり緊張しすぎないで、気は楽にしてね」
レンと常連シスターさんは連れ立って神殿を出る。
お金が入った。
それはつまり、奴隷少女ちゃんに謝る日が訪れたということだ。
レンは常連シスターさんと一緒に、公園広場に向かっていた。
「奴隷少女ちゃん、いますかね。ここ数日は休んでたみたいですけど」
「うーん、私もちょっと心配かな。看板があったから無事なのは間違いないだろうけど、続けて三日間休むっていうのは初めてだったのよね」
レンよりもずっと付き合いの長い常連シスターさんである。彼女の商売習慣もきっちり把握しているのだろう。
だが二人の心配も杞憂だった。
公園広場の中心には、青みがかった銀髪ショートの美少女がいた。
いつも通りの貫頭衣に、首にはベルトまいて白塗りのプラカードを掲げた姿。
『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』
いつも通りの奴隷少女ちゃんである。
待機中は楚々と微笑んでいる奴隷少女ちゃんが、公園広場に入ってきたレンを見てじとりと半眼になる。口元に当てたプラカードをぐっと寄せ、ちょっと尖ったオーラを醸し出す。
だがレンと一緒にいる常連のシスターさんに気が付き、虚を突かれた顔になった。
レンは全否定の時を思い出して体を強ばらせつつも、奴隷少女ちゃんの前に出る。
「よろしくお願いします……!」
お金を払う側だというのに、拝み込むような態度でレンは千リンを差し出す
奴隷少女ちゃんはレンを見てから、常連シスターさんに視線を移す。常連のシスターさんが頷いた。聞いてあげて、という顔だ。
「……」
プラカードの裏で、奴隷少女ちゃんはそっとため息。
果たして、奴隷少女ちゃんは受け取ってくれた。
ぱっとレンの顔が輝く。
奴隷少女ちゃんの口元から、ゆっくりとプラカードがどけられる。瑞々しい唇が、端正に整ったあご先があらわになってさらされる。
「千リンを受け取ったの!!!! さあ!!!! 十分間、話したいことがあれば力いっぱい話すといいのよ!!!!! えへっ!」
いつものように、あざとくも清冽な笑顔。三日ぶりに、奴隷少女ちゃんのハスキーボイスが公園広場に響き渡った。
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