お給料の全肯定・前編


「よく頑張りましたね、タータ。これは我らが主からのお心です」

「はい。謹んで頂きます」


 神殿に併設されている修道院の一室。

 今年で十三歳になる修道女の少女タータは、年嵩の修道女からうやうやしく小さな紙袋を受け取った。

 今月分の給料の受給である。奉仕の精神が尊ばれる修道院では金銭の授与を給料とは決して呼ばないが、労働の報酬だから実質的に給料である。


「では、これからもよく励むのですよ」

「主のお心のままに」


 優等生な顔つきにふさわしく、タータは生真面目な声色で応答し、退室する。

 胸元に紙袋を捧げ持ち、背筋を姿勢よく伸ばして神殿の廊下を歩く彼女の姿は、まさしく世間が想像する修道女の姿だ。

 だが廊下を曲がり、階段途中の踊り場に至ったところで、お手本のような立ち姿が崩れた。


「…………」


 人気のない場所で、タータはきょろきょろと周囲を見渡す。周囲に人の気配はない。音がよく響くここならば、誰かが近付いてきた時の足音にも反応ができる。その二点を無意識に確認したタータは、紙袋からさっと紙幣を取り出して給与の金額を数える。

 金額は、五万リンほどだった。


「……えっへへ」


 修道女タータは、にへらと笑う。

 世間一般的には一か月の労働報酬にしてはあまりに侘しい額だ。同じ修道女でも、例えばファーンが一ヶ月週六出勤フルタイム勤務をしてこの給料を渡されたら、その場で上司にドロップキックを飛ばすか十年来の親子の確執すら解いて即日市長に直談判に駆け込むレベルである。

 しかし、いわゆる修道院組であるタータが受け取った金額は、同じ修道院育ちの修道女たちよりも額が多めなくらいだった。彼女たちは、元が孤児かなんらかの事情で親元にいられなくなった者ばかりだ。幼い頃から衣食住が神殿に併設されている修道院でまかなわられるので、労働は報酬を得るためではなく恩返しだという意識が強い。

 給料の過多に関わらず、生きるのに不足することはない。タータの給与は今年からの新入りでは一番よく働くからと、功績に応じた昇給がされていたのだ。

 それが、彼女にとって嬉しかった。


「ふっ、ふふっ、ふふーん!」


 紙幣を紙袋に戻したタータは、さっきよりも足取りを弾ませる。お金を受け取ったことが嬉しいのではない。自分の成果が数字となって目に見えたのが、タータの頬を緩ませていた。

 この金額が、自分の行いの成果なのだ。

 努力が結果になって認められたという事実が心を浮き立たせる。なんという俗物と叱咤する心はあるが、それはそれ。一度、奴隷少女ちゃんに全肯定されたタータは嬉しいものは素直に喜んでいいのだと学んでいる。

 そんなこんなで、いつもよりご機嫌に神殿の敷地を歩いていた時だ。


「あれー、タータじゃん!」


 聞こえた声に、はっと給与袋を後ろ手に隠す。

 この声は、知っている相手だ。ぎぎぎっと錆びた動きで声のした方向を確認すると、タータよりも年下で異国衣装をまとった少女がいた。


「り、リンリン……!」

「おひさー、タータ。最近、受付で会わないよね」


 お気楽な口調で手を振っている彼女は、タータの友達なんかではない。むしろ天敵だ。

 リンリン。

 彼女の名前は、冒険者登録の時にタータが担当したので知っている。まだ十一歳という幼さで、戦闘職である冒険者の鉄火場に飛び込んできた少女だ。

 十一歳ともなれば、まだまだ親元で庇護されている年齢だ。自分よりも年下の彼女が冒険者をしているのは立派であるとタータも理性では認めている。

 だが、性格が水と油なのだ。

 世の中をなめているような言動の割には、あざとい仕草を周囲に振りまく。自分がかわいいことを絶対的に自覚しているぶりっ子と才能をひけらかす言動の尊大さの組み合わせが、清貧と貞淑を重んじるタータの鼻について仕方ない。


「な、なんでこんなところに……!」

「なんでって、今日は尊師に休みをもらったからレンおにーちゃんがいないかなって神殿に寄ってみただけだけど? タータ、レンおにーちゃんのこと見なかった?」

「そ、そうですか……いえ、見てませんので、おそらく神殿にはいないと思います」

「そっかー。訓練所にもいなかったんだよね。まったく、あたしに時間ができたならちゃーんとあたしを迎えにこなきゃダメなのに、レンおにーちゃんは鈍いよね」

「はい? 約束もないのに相手に合わせるのは無理だと思いますけど……?」

「はぁー? あたしの頭、撫でさせてあげてるんだからそのくらいできて当然なんだけどぉ? 『真面目』なんていう悪口が長所だと思ってるタータにはわっかんないかなー?」

「わからないのはあなたの理屈と感性ですっ」


 真面目なところをよく褒められるタータの語調が強くなる。

 『レンおにーちゃん』というのはこの少女のパーティーリーダーだ。タータよりかは年上だが、まだ十代の青年である。見るからに東国生まれのリンリンとは明らかに人種が違うので血縁のわけがないのだが、なぜか『おにーちゃん』と呼びやたらとべったり懐いているところを何度も目にしている。


「それよりタータ、なーに隠して……あ」


 ひょいとタータの後ろ手を覗き込んだいたずらっ子の瞳が、給与袋を捉えた。

 反射的に紙袋を守るために胸に抱える。


「あ、あげませんからね! 生活を整えるために使って、余剰は教会に寄付するんです!」

「はぁー?」


 労働の証明を奪われまいという態度に、リンリンは心外だと顔をしかめる。


「人のお金、取り上げるわけないじゃ。タータってばあたしのこと、なんだと思ってるの?」

「うっ」


 気分を害した口振りに、罪悪感が胸を差す。いまの言動は自分が悪かった。むやみに人を疑うなど、聖職者以前に人としてあるまじき態度だ。


「す、すいません。私が愚かな疑念に捕われていました。至らぬ未熟を許してください」

「わかればいーの。ていうか、もらった給料って寄付しちゃうの?」

「それは当然です」


 世俗からのよくある問いに、タータは幼い胸を張る。


「金銭とは労働の対価であり、それ以上の意味などありません。慎ましく生きる以上の余剰は教会で還元することによって浄化されるのです!」


 修道女が受け取った給金の余剰を寄付することは、修道院育ちにとっては常識に近い暗黙の了解といってもいい。自分の育った場所であり、小さな後輩たちが育っているのだ。彼らのために、自分の労役を還元するのである。

 ほんの少しばかり、ファーンとのカフェ代を抜いたりもするが、それは誤差だ。ちょっぴりを自分のために使うことは許されている。

 だが、異国出身のリンリンにはなじまない考えだったらしい。


「ふーん。変なの」

「なにが変だと言うのですか」


 タータが生まれる前からの慣習に口を挟まれ、むっと唇をとがらせる。


「余分な金銭は持たずに教会に納める。蓄財は罪なのです。貯め込むことを覚えれば、人の心は腐ります。浄財はなにも間違ってなどいません!」

「蓄財を許さないんだったら、寄付したお金って、どーするの?」

「寄付されたお金は、修道院の兄弟姉妹のためになるんです!」

「それってさぁ。神殿の人が、お金で贅沢してるのとかわらないんじゃない?」

「え?」


 思わぬ反論に口ごもる。

 修道院の兄弟姉妹にお金を回すことが贅沢といわれれ、とっさに否定できなかったのだ。リンリンはさらにタータが考えたことのないような視点から指摘を繰り出す。


「あたし、尊師から習ったから知ってるけど、修道院の運営って国からはもちろん、市からだって補助金出てるよ?」

「ほじょ……きん?」

「うん。そりゃ贅沢できるほどじゃないけど、タータのいう『慎ましい生活』には十分な額。特にこの市は支援が厚いし……なんか神殿に市長の関係者がいるとかいないとか噂らしいじゃん」

「え? え?」


 初耳の仕組みや噂を聞いて、タータは目を白黒させる。


「その額を考えればタータの給料なんて誤差じゃない? てか、神殿が渡したお給料を生活費以外は寄付に充てるのを推奨してるって、結局、生活費以外の給料しか渡してないってことじゃん。西方教会のお金が西方教会の中で循環するシステムとか、搾取だよ、それ。生活費以外にお金を使えなきゃ、外のことを知る機会もないだろうし……こわっ! 洗脳施設じゃん」


 リンリンの弁は極端なものだ。反論の余地はもちろんあるのだが、生活の一部として信仰を得たタータは論理的に信仰を学んだわけではない。とっさに言い返すことができなかった。

 それどころ成果に対する報酬という資本主義の喜びに目覚めつつあるタータの胸に「もしかして」という疑念すら湧いてしまう。


「だ、か、ら、さっ」


 環境に対する猜疑心を植えつけた張本人が、声を弾ませてタータの手を両手で包む。


「一緒に遊びに行かない? お金を使うっていうのも、立派な人としての行いだよ?」


 きらきら光る瞳が、タータの給与袋に注がれているのは、さておいて。

 意外な提案に、なにより初めての外への遊びの誘いに、タータの心は予想以上に弾んだ。







 タータは街での遊び方など、ほとんど知らない。

 彼女の生活が修道院内で完結しているからだ。寝起きから労働、与えられる衣食住まで、神殿の敷地から出る必要がない。触れ合う人々も、同じく修道院で育った価値観を共有している修道女ばかりだ。

 外から来た修道女であるファーンに息抜きの仕方を教えてもらったが、カフェで少しの贅沢をするくらいであり、遊びというにはささやかだ。それですら、タータにとっては勇気をある一歩だった。

 修道院という敷地から一歩も出ないのが、孤児が引き取られて育った修道女の普通なのだ。


「ちょ、ちょっと待ってください、リンリン……!」

「やーだっ! タータ、歩くの遅ーい。早く早くぅ!


 歩き慣れていないがゆえに人波に流されないように、タータはリンリンに引っ張られるようにして

手をつないでいる。

 ぐいぐい手を引かれて歩いている街並みは、タータにとって異国に等しかった。


「自信満々で案内するとか言って、知ってるのがカフェ一軒だけなのとか、笑える」

「そ、そんなことありません! あのお店は素敵なところですっ」

「ま、確かにあのカフェは大人っぽくていい感じだったけどさ。いかにも誰かの紹介で知ってます、って感じが丸出しだよね」

「うぐっ」


 まさしく図星の推察に、年上の虚勢にヒビが入る。

 意外なことに……というか当たり前なのだが、リンリンは自分が使うお金は自分で出していた。タータの給与袋を見て目を輝かせていたのは、冒険者として稼いでいる自分の散財に付き合える同世代を発見した喜びだったらしい。


「この町の生まれなら、地元のことくらいもっと知っておけば? 貧乏で世間知らずとか、人生の無駄づかいだよ?」

「修道院からはそうそう出られないから仕方ないんです。清貧のなんたるを知らないあなたにはわからないかもしれませんけどね!」

「仕方ないとか、言い訳もだっさーい! 窮屈な考えで自分を閉じて楽しいのぉ?」


 リンリンの台詞は腹が立ったが、彼女の生意気さは今更だ。ぐっと堪えたタータは、きょろきょろと周囲を見渡す。

 この通りを行き交っているのは、明らかにハーバリアの人間ではない。


「ここって……」

「移民街だよ」


 怖じ気づいたタータに居場所が明かされる。

 リンリンのあっさりとした返答の通り、質素な東国衣装を着た人々が大半だ。


「清華の移住地は、たいていどの国にもあるから。この国だと、二世、三世も結構多いんだよね」

「へぇ……」


 移民街など、タータは初めて踏み入った。生まれ育った街のはずなのに、見慣れない街区に目を奪われる。木造建築に屋根の素材も違う。異国にあって祖国を感じたいとする人々が築きあげた街だ。

 さすが、清華の生まれだけあって、すっかり馴染んでいるリンリンが、こうばしい香りを漂わせている屋台でタータの知らない食品を購入していた。


「なにより食べ物がおいしーんだよね。清華の料理は世界一! ほら!」

「ちょ、むぐぅ」

「あはっ」


 言うなり、彼女はタータの口に焼き饅頭を突っ込む。頬をぱんぱんにしたタータを見て、下手人のリンリンがけらけら笑う。


「タータの顔、へちょむくれー! ぶちゃいくー! 饅頭顔の饅頭娘だ! あはは!」

「む、ぐくぅ」


 自分でやっておきながら、この言いようである。焼き饅頭を口に詰められたタータは、食べ物を粗末にするのはあり得ないと、まずは咀嚼と嚥下を優先。厚めの皮に詰め込んだ肉餡には、たっぷりと香辛料を混ぜ込んである。


「ご馳走様です……けど、リンリン!」


 舌に刺激的で濃い味付けは、修道院ではまず出ない。確かにおいしいとなんだかんだで味わい終えてから、きっと睨みつける。


「イタズラもほどほどにしなさい! 食べ物には、日々の生活の反芻と主への感謝を込めた祈りを捧げてからいただくものなんです! あなたに信仰の所作を強要するつもりはありませんが、私の食前にはちゃんと祈りの時間をください!」

「わっ、怒った怒ったぁ! 祈りなんて、思いこみと習慣だけになってるくせにー! あたし、タータの使える秘蹟の種類知ってるもんねー! 習慣の思い込みより、神学をちゃんと勉強し直したらぁ? タータなんて見るからに頭でっかちなんだから、そっちのほうが向いてるでしょ」

「な、なぁ……!」


 神殿で働きに出るようになってから、なかなか使える秘蹟が増えていないという悩みの地雷を踏み抜かれ、タータの頬に朱がのぼる。


「祈りと戒律を生活に溶けこませることで、秘蹟を得ることができるんです!」

「きゃー! タータ、お目め吊り上げて鬼みたぁーい! こわーい!」

「お、鬼……!? 修道女に向かって、よりもよって鬼だなんて! あなたはっ、本当に! あ、待ちなさいっ。お説教はまだです! 待ちなさいって……待てー!」

「あははっ、おーにさーんおーいで! こっちだよぉー!」


 けらけら笑うリンリンが、手を振り上げて怒るタータを身軽にかわしてからかう。

 ちょっと真面目な子を、活発な子供がからかう。どこにだってよくある子供の追いかけっこを、道行く人々は少し迷惑そうに、それ以上に微笑ましく眺めていた


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