始動の全肯定・後編
「心労は早いうちに取り除くのが一番なの!!!!!!! 我慢しすぎてため込んでもいいことはなし!!!! 毎日のストレスを解消するのは健康と長生きの秘訣!!!!! ここでどんどんとストレスを吹き飛ばすといいのよ!!!!!」
公園広場の中心で、夏の陽光よりも明るいハスキーボイスが涼しく響く。
看板を下げて朱唇の口元をあらわにした奴隷少女ちゃんに、ファーンは勢い込んで口を開く。
「うん! いっぱい聞いてよっ、奴隷少女ちゃん!!」
「もちろんなの!!!!! この十分間、いくらだって受け止めるのよ!!!!」
「やったぁ! あのね、今日も仕事で疲れたんだぁ! もー、たっくさん慰めて!!」
「今日も一日お疲れ様なの!!!!! あなたのお仕事は重要だからこそ、とっても大変なのね!!!!!! ここで癒されてくれたら奴隷少女ちゃんも嬉しいの!!!!!」
「うぅっ……! 嬉しいのは私だよっ! ありがとー!!」
もっとも慣れた常連との全肯定のやり取りは、他の誰との全肯定と比べてテンポよく進む。奴隷少女ちゃんとの会話というだけで、ファーンのテンションもスイッチが入る。仕事でたまった日常の澱が、言葉となって口をつく。
「あとね! スノウさんのことなんだけど、すごくいい感じの位置に押し込められたんだ! 仕事ができないならやらせなきゃいいんだよね! 戦闘が得意だっていうからとりあえずダンジョン救出に放り込んでみれば大正解っ。治療部門自体の評判が上がって広告塔みたいな立ち位置にできたの!」
「素晴らしい思いつきなの!!!! あんなのすらきちんと処理できるあなたは社会人の鑑!!!!! とっても尊敬できる手腕なの!!!!!!!!」
「へへっ、我ながらそこはうまくできたと思ってるんだ! フォローしますみたいな立ち位置で、本来の仕事は巻き取れたしね!」
「さすがなの!!!! なんにでも使いどころはあるってことなのね!!!!!! 人の使い方がしっかりわかっているあなたの功績は偉大なのよ!!!!」
「うんうん! ……ただね」
ふっとファーンの声のトーンが落ちる。
「なんていうのかな……直の上司が現場にいないから、職場のヘイト先がなくなっちゃった感はあるんだよね……」
「なるほどなの!!!! 結束は共通の敵から始まるものなのよね!!!!!! それがいなくなった時の戸惑いはわかるの!!!!」
「そうなんだっ。いざ上司っていうクソの塊だったものが消えるとさ、平和にはなるんだよ? でも余裕が生まれたからこそ、同じ立場にいてもささいな違いで溝も見えてきたのかな。修道院組がドンドン冷たくなってきたの!」
「同僚が冷たい職場は大変なのね!!!!!! 派閥なんてできてもいいことないの!!!!! 分裂を呼ぶ悪しき風習なのよ!!!!!」
「やっぱり!? 奴隷少女ちゃんならわかってくれるよね!」
「もちろんなの!!!!! みんな仲良くなんて無理は言わないのよ!!!! でも仕事の距離感くらいはきっちりして欲しいのよね!!!!!」
「それぇ! それなんだよー!」
怒涛に快活な奴隷少女ちゃんの話術に積極的に乗って、ファーンも他では出すことのできない勢いで愚痴を出す。
「修道院組の中でも、新しく上がってきた子とは仲よくなったんだけど……なんか、年配の人からその子に悪い影響与えたみたいな目で見られるようになってる気がするんだよね……!」
「それは偏屈なのね!!!! 狭いコミュニティは間違った方向に行くことが多々あるの!!!!! もともと神殿は閉鎖的な環境!!!!!!!! 外から来た人とのコミュニケーションを否定するなんて、とってもよくないのよ!!!!!」
「だよねぇ!」
「そうなの!!!!」
小気味よい快声が響き合う。愚痴というのは話すだけでも気が晴れる。まして、相談相手こんなにこやかに、爽やかに、気持ちよい相づちを打ってくれるとなればなおさらだ。
「そもそも修道院組がちゃんとケアすべきなんだよね! 前々から『イーズ・アン様みたいになりたいです!』っていう子がいざ一緒に先輩と仕事するようになったら、思い詰めないわけないじゃん!」
「まったくなの!!!!! 技能や職能が優れていることと生きることの幸せはまったくもって別問題!!!! 人はそれぞれ向き不向きあるのよ!!!! よりよく生きることを目指す修道院なら、メンタルケアもきちんとして欲しいの!!!!!!」
「だよねぇ! 先輩の凄さには私だって一時期打ちのめされたもん。それがタータちゃんみたいな真面目な子ならさぁ……先輩は確かにすごい人だけど、目指しちゃダメなタイプなんだから! 他にも年少な子がいるんだし、あたしに嫌味いう前にやることあるよね? って思っちゃうんだぁ!」
「その通りなのね!!!! 人を責める前に、まずは自分たちの至らなさを見つめて直して欲しいのよね!!!!!!」
「そうっ、それなの!」
ファーン自身もはきはきした発声を続けることで、ただの愚痴発散にとどまらない気持ちよさを味わっている。
これこそが奴隷少女ちゃん。打てば響いて高まるシナジーに、ストレスフルだった心が軽くなる。
職場の不満から顧客のゴミさを吐き出して肯定してもらっているうちに、時間も十分に近づいていく。
ファーンは、ぱっと笑顔になる。
「ありがとう、奴隷少女ちゃん! おかげで私、明日も人に優しくできそう!」
「それはよかったの!!!! でもあなたが人にやさしくできるのは、あなたがやさしい人だからなのよ!!!!! 奴隷少女ちゃんがいなくたって、あなたの素敵さは一片も欠けることがないの!!!!! あなたはあなたであり続けるだけであなた自身誇っていいの!!!!」
「奴隷少女ちゃん……!」
奴隷少女ちゃんの笑顔に照らされて、ファーンの瞳がうるっとなる。
「もう大好きー! 奴隷少女ちゃんが一番だよぉ! 私の人生で一番の出会いは奴隷少女ちゃんだよぉー!」
「奴隷少女ちゃんも、あなたのことが大好きなの!!!!! これは両想いなのね!!!!!!」
「わーい! 両思いだー!!」
両思いが確定した愛おしさのあまり、勢い余ってぎゅっと抱きつきかけたが自制する。
ちょっと衝動的になりかけたファーンは、こほんと咳ばらいを入れる。ここ最近、ちょっと彼女への感情が近くなりすぎているのだ。特にレンから話を聞いてからは、なおさらだ。
自分と奴隷少女ちゃんは顧客関係。過度なおさわりは厳禁だ。
ちょうどいまので、十分は過ぎた。看板が楚々とした所作で奴隷少女ちゃんの口元に戻される。
元気の充填はバッチリだ。最後の一言がぐっと来たのもあって、奴隷少女ちゃんの一番の常連を自負するファーンにとっても今日の全肯定は格別の威力だった。
「今日もありがとね! 暑いだろうし、これは差し入れ。あとね、奴隷少女ちゃん」
ファーンは事前に用意していた水筒を奴隷少女ちゃんの足元に置いて、別れ際に一言。
「レン君、頑張ってるよ」
あの少年のことを応援するため、この少女の将来のため。
掲げる看板通り、『全肯定奴隷少女』として清楚にほほ笑む彼女へ、頑張っている少年のことを報告した。
ファーンが立ち去った後も、公園広場に奴隷少女は立ち続ける。まだ一日は終わっていない。お客が来る限り、奴隷少女ちゃんは暑さを感じさせない元気さで全肯定を続ける。
ただ、心中がいつもと変わらないのかと言われれば、否だ。
頑張っている。一人になった時間、さっきのファーンの一言を思い出した彼女はそっと目を伏せる。
「……」
レン。
ほんの一年前ほど出会って、最初は遠巻きに全肯定を見物していて、お客さんとなって、なんか告白してきたのでいつものように袖にした、どこにでもいそうな、なんでもない少年だ。
なんでもない少年、だったはずだった。
それが、どうしてだろうか。
「……レンの助の、ばか」
頑張らなくてもいいと、自分のことをあきらめてと言ったのに。
周囲に誰もいないことを確認し、足元に置いて行ってくれた水筒を手に取って、口元にもっていく。
誰かのために頑張れる彼がどうすれば諦めてくれるのか、ちっともわからない。
奴隷少女ちゃんは、喉を鳴らして水を飲む。補給された水分が全身にいきわたる。
「……ふう」
夏の大気は湿度が高く、旺盛すぎる生命の気配が強すぎる。彼女が大好きな、空気がしんしんとして静かな冬とはすべてが真逆だ。
息を吸うために夏の大気を取り込んで、胸が詰まる。
これだから、夏は嫌いなのだ。
「……はぁ」
顧客には絶対に見せない、不機嫌な顔で唇を尖らせる。肺に絡みつくほどにうだった夏の空気が嫌いなだけで、常連のシスターさんから言われた言葉に胸を詰まらせたわけでは、決してない。
端正な顔立ちの頬を流れる汗をぬぐって今日の気温に一言。
「……あつぅ」
少女は憮然とした顔で文句を漏らした。
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