二章
ぜんこうてい
百年ほど昔に、奴隷制度は廃された。
それを、ある人は人間の理性の勝利だといった。
悪しき風習。人間の支配本能から発生する人道を貶める行いの廃止。それが文明の進歩、人の善でなくてなんなのか!
そんな言葉は見せかけばかりのまやかしだ。
認めよう。文明は確かに進歩した。人の理性は徐々に洗練されている。法の整備、教育の普及。百年の昔と比べれば、信じられないほどだ。
それでも人は人を買うし飼う。
たとえ身分としての奴隷が無くなったところで、金銭で雇用した相手の尊厳を貶めるのはなぜだ? 規律や慣習を盾に従属を強いるのはなぜだ? 暴力で、甘言で、はたまた保護を装って。あらゆる手段で人は人を人以下に貶めるのは、なぜだ?
結局、人は人だ。
人類が己の醜い本能に打ち勝てるのは、果たしていつになるか。
その時に人は人なのか。
「ねえ、あなた様はどうお考えでございましょうか?」
そう問いかけたのは、黒髪の少女だった。
十五、六。かんばせに幼さを残した穏やかそうな少女では、この国にいるにしては珍しい装いをしていや。
鮮やかな刺繍の厚手の一枚布を羽織にしたような衣装。腰を飾りの布で締め、裾はゆったりと布を使っており少女の動きに合わせてひらりと舞う。
大陸の東にある大国の民族衣装の類だ。服装だけではなく、顔つき、肌の色も含めて、この国の主要民族とは異なる少女である。
「人の本能だと!? 下らぬっ。我らは理性でもって、言葉をしゃべる畜生を使役し活用してやっているのだ!」
その少女に向かって叫んだのは、縛られて、身動きすらままならない老人だ。
彼は自分を縛り上げた少女に向かって怒声を叩きつける。
「貴様らのような外来種が人間を名乗ることすらおこがましいっ。家畜を家畜として有用に使ってやっている! それの何が間違いだ!? 犠牲などとは笑わせるっ。我らに役立つ栄誉に、感謝してほしいほどだ!」
あらまあ、と少女は呟く。
生粋の純血主義。おのが民族の他を人間以下と信じて疑わない自民族至上主義。今時珍しいほど過激な思想に黒髪の少女が目を丸めていると、別室から二人の男が戻って来た。
「イチキの姐さん。あちらに生存者は、いません」
「そうですか。致し方ありません。確認ありがとうございます、ボルケーノさん。それと、ストックさん、でしたか?」
「うす」
「う、うっす」
ボルケーノと呼ばれた三十代の男が頭を下げる。その後ろ、ストックと呼ばれたスキンヘッドの大男も、慌ててて低頭の姿勢を取る。
彼はさっきまで確認していた部屋にあった光景に、顔面を蒼白にしていた。
ここは、郊外にある一軒家だった。
街の閑散とした片隅に立つ、何でもないような家。この老人が所有する土地だった。
だが、その地下には異様な空間が広がっていた。
人を鎖でつなぎ、目玉をくりぬき歯を抜いて子を成せぬ体に貶め全身を切り刻んで従属させる。
少し前まではただのチンピラだったストックでは、想像もできないようなおぞましい所業がなされていたのだ。
きょうふに、したがえ。
たった一つ、ダンジョンにその悪意を作り出すために、多くの人間が潰されていた。
生存者はないと聞いて悲し気に目じりを下げたイチキと呼ばれた少女は、老人に向き直る。
「ねえ、ご老公。なぜ、ダンジョンにあのようなものを生み出したのでございますか?」
「失せろ! 国にたかるウジ虫めっ! 必要悪などと名乗り正義を気取る狂人どもめッ! 唯一無二の血筋っ。尊き皇家の偉大さを知らぬ痴れ者がぁ! 貴様らさえ、貴様らさえいなければ……!」
この段になっても老人の気炎は止まらない。
老人の主張から、彼の思想を知ったイチキはうっすらと笑みを浮かべて嘲る。
「なるほどなるほど。皇家の御子の再誕を望みたもうたのですね」
「ッ」
大体、この老人の素性は洗ってあったのだ。
皇国時代の重鎮の一人。革命により落ちぶれた皇国主義者。皇国再建を掲げる過激派の一人。わずかに残った彼の権力は、騎士隊の追及を跳ねのけるものだった。
十年前にあった革命。皇帝を廃するのに、勇者を必要としたのには理由がある。
それは、皇家の血筋が特別だったからだ。
脈々と受け継がれた彼らの血には、力があった。偉大な、唯一無二の力が。
人を支配する玉音。
声を聞かせるだけ、人を支配し平伏させる力の持ち主。それが、この国の皇帝が皇帝であるゆえんだった。
だからこそ、その対抗にと望まれ、人々の願いが寄り集まった剣が生まれたのだ。
その剣をダンジョンで引き抜いた冒険者は勇者となり、皇家は討ち滅ぼされた。偉大な血は絶えたと言われている。
皇国再建を望む彼は、象徴として人を従属させる力の再現を求めたのだろう。
その過程に積みあがった犠牲を知って、イチキはにこやかに笑う。
「支配の玉音の求めて人の呪いを積み上げて、ダンジョンに魔物を生んだ。ふふっ、まったくの見当違い、呪術と秘蹟の違いもわからない愚か者でございますね」
羽のようにふわりと広がる裾を口元に当て、上品にくすくすと笑う。
「かの皇家にあった血筋は呪術の産物ではなく、最高位の秘蹟。純粋な奇蹟に最も近い顕現神授。それすら知らぬ木っ端が至高の再現など、滑稽でございます」
「な、がァ、きさまぁ……!」
ここで行われたこの老人の研究のすべては無駄だったと断言する。
見識の浅さを抉られ嘲笑われて、老人は顔を真っ赤にする。彼は皇国が滅びて以来十年、その研究に心血を注いできたのだ。
「人以下の家畜風情が……! この国に土足で踏み入りおってぇ!」
「あら、ご挨拶でございますね。わたくし、あなた様よりは上等だと自負しておりますが? そもそも、あなたと同じ類の畜生が、わたくしをこの国にかどわかしたのでございましょうに」
その言葉に、老人はイチキと呼ばれる少女の首にあるチョーカーに気が付く。
違法奴隷は、多くが国外からさらってこられた人物だ。老人がダンジョンで恣意的に魔物を発生させるために使っていた者達も同様である。この国の人間を傷つけなかったからこそ、騎士隊の追及の手が緩かったという事情もある。
そして人間を商品にする際には、焼き印を入れるか首輪をつける。
女ならば、首輪が圧倒的に多い。肉体労働に使う男とは違い、体に傷を残さないためだ。それでも首に革の首輪をつけ続ければ、痕がつくことがある。
イチキが首に巻く衣装に不似合いなチョーカーは、その痕を隠すためにつけられているのだ。
「さて、あなた様にたっぷり話してほしいことがございますが――」
「話すものか! 殺すならば殺せっ」
「で、ございますよね。もちろん、承知しております」
あっさりと頷いた。
「なので、ふさわしい方を召喚しております」
拷問士でも呼んだのか。
老人は内心、バカめとせせら笑う。
皇家の血筋の再誕のために、彼はあらゆる人体実験をした。その副産物で、老人は己の痛覚は消し去っている。いくら痛めつけられようとも白状するようなことはない。
そう考える老人の前に現れたのは、美しい少女だった。
イチキが深々と頭を下げる。他の二人の同様に。なぜかストックと呼ばれた大男だけは、びくりと挙動不審に肩を震わせた。
「このような些事におよびたてして申し訳ありません、姉さま」
「……ん」
現れた少女は、イチキの出迎えの言葉に短く頷く。
青みがかった銀髪に、着古したような白の貫頭衣。その首に巻いてあるものは、老人がここの奴隷たちに使っていたものと同じ品である。
百年経って、いまだ絶えぬ違法奴隷の印。
首輪は尊厳を奪うための隷属の証でもあり、身に着ける人の魔力を抑える役割もある。勇者などと言った英雄級に強い者でなければ、ほぼ完全に魔力を抑えきれる品だ。
老人はなんだ、こいつはと目を細める。
隠すことなく奴隷の首輪をつけているのもそうだが、わずかとはいえ髪に青みがあるのがおかしい。人の組織に、青の色は存在しない。当然、青髪などというものは自然ではありえない。
染色と考えるのが普通だが、学識はある老人は少女の髪の青を人以外の要素を内包しているからだと予想する。
目の前の少女は何かしらの人外の血筋を引いているのか、聖別の奇跡があるのか。
その正体を探ろうと観察した老人は、あることに気が付き愕然と目を見開く。
彼は、その少女に見覚えがあったのだ。
そう、十年よりも昔。間違いなく、その面影を残している。
「お前――いえ、あなた様は……!」
少女は老人に応えない。
縛られた老人に一瞥くれた彼女は、自らの手で革の首輪を外す。普通、奴隷の首輪には決して外れぬような魔術がかかっているのだが、それは解除してあるらしい。
人の力を抑えつける首輪が、外れた瞬間だった。
少女の髪の色が、変わる。
色素が抜けた美しい銀髪に、青の色が強くなる。染め上げるように変わった青から、さらに濃く。見る者を畏怖させる尊き紫紺の色に変わる。
尊位の紫。
その色を持てる存在は、かつて唯一無二だった。
髪の色を変えた少女は無言のまま、老人の耳元に口元を寄せる。少女が何をしようとしているのか察した老人はてきめんにうろたえた。
「な、なぜ! 私は――」
紫紺の少女は、老人を省みない。
老人は、とっさに精神防御を固める。イチキという少女は老人を縛りあげはしたが、魔力を封じることはなかった。それは己の力量の自負なのだろう。だからこそ、老人は全霊でもって自らの魔力で精神を防護した。
少女は、構わない。
老人の耳元で、周囲の人間では決して聴き取れぬ音量で、一言。
「――
それは、この世で最も純粋な奇跡に近い秘術。ただ人では決して逆らえない最高級の
「ぁ――」
脳が、とろけた。
耳から入り込んだ声が伝播し、老人の防護を濡れた紙でも割くように破り捨てて脳を蹂躙する。
彼はこの世に生まれてきた意味を知る。恐ろしいことに、人格の変容に、思考の改変に、従属に対して忌避感が湧かない。快楽に満たされる。安堵の念が湧く。法悦の涙が滂沱と流れ落ちる。
少女は、自分の首に革の首輪を付けなおす。紫に染め上がった髪の色が抜け、わずかに青みがかった銀髪に戻る。青が残るのは、この首輪でも少女に宿る秘蹟の力を抑えきれないことの証でもある。
「……終わった。あとは、なんでも答えてくれる」
「ありがとうございます、姉さま。残りはこちらで処理いたします」
「……ん」
丁寧に頭を下げるイチキに、銀髪の少女は短く答える。
「それで、本日も例のご趣味――もとい、お仕事に?」
「……ん」
「そうでございますか」
イチキがどんと、自分の胸を叩く。
「でしたら、姉さま。渾身の絶対防護の結界をわたくしめが――」
「……いらない。人が、来れなくなる」
「そ、そうでございますか。それでしたらせめて、十五陣の摂衣界方陣を――」
「……だから、人が来れなくなる」
「うぅ。で、では、いつものように選別と音消しのまじないをいたします」
「……ん」
だいぶ譲歩したイチキが、しぶしぶといった呈で銀髪の少女にまじないをかける。
少女を中心とした選別の人払いと、彼女の声が一定範囲以上に届かないようにするまじない。姉と慕う彼女のために魔術をかけるも、不満そうだ。
選別と音消し。一定条件を満たした人間以外を寄せ付けないようにする汎用性の高い結界の一種だが、いまいち効果が弱いのだ。たまに、変な人間が紛れ込んでしまう。
「アニキ、あの人は……」
「口を閉じてろ」
ボルケーノは、たまに紛れ込んだ変な奴筆頭のスキンヘッドの大男、ストックに厳しい目を向ける。
「お前、あのことイチキの姐さんに知られたら――俺ごと、あれだから」
ボルケーノは、周囲に転がるばらばらになった死体を指し示す。情報提供ならば主犯の老人から聞けばいいということで、イチキによって素手で引き裂かれては潰された、ここの警備や研究者たちだ。
その時の光景を思い出したストックは、剃り上げた頭を何度も上下させる。
十五、六の少女が紙でも破るように人の体をちぎって壊す異様な光景。アニキ分のボルケーノが今回の仕事に自分を連れてきたのは、手伝わせるためではなく見せつけるためだったのだ。
『騎士より厳格なる必要悪』
そのメンバーに連なる人間の、格の違いを。
銀髪の少女が現れた瞬間から冷や汗を流し続けている彼は、過去の自分の運の良さに感謝した。
何も知らないというのは恐ろしい。もう二度と、あんな愚かな真似はしまいと、固く固く決意した。
その頃、レンは決意をしていた。
「よしっ」
決意を固くするために、ぐうっと握りこぶしをつくる。
ここ数日で気持ちの整理をしていたレンは、自分の気持ちをはっきりと自覚している。
奴隷少女が、好きだ。
疑うべくもない。特にすることのないときは、あの時の微笑みが思いうかぶ。涼やかな銀髪が脳裏に浮かぶ。耳に優しいハスキーボイスが胸を焦がす。
そして無性にじたばたしたくなるのだ。
ダンジョンの探索で体を動かしている時以外は、気持ちがまったく落ち着かない。下手をすれば、ダンジョンで歩いている時ですら奴隷少女のことを考えてしまう。
だいぶ重症である。そして注意散漫だ。このままではいけない。そのうち大きな失敗をしてしまう。
女魔術師の件があったばかりである。絶対にこれ以上他のメンバーに迷惑をかけたくないし、そもそも命がけの冒険でなに考えてんだテメーはという話である。
ならば、どうするか。
恋に対してできることは、なんなのか。
思春期レン、十七歳。彼が出せた答えは一つだ。
「今日、あの子に告白しよう!」
何も知らない恐れない少年筆頭のレンは、にぎり拳をつくって決意を叫んだ。
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