はじめての全肯定


 血のつながらない兄を殺した相手への復讐を終えたその日、二人の少女は看板をつくった。

 彼女たちの兄が望んでいた希望を形にするために、簡素で丈夫な看板をつくった。


『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』

『全否定奴隷少女:回数時間・無制限無料』


 それを持って、少女はとある公園広場に立つことを妹に告げた。


「……あのね、イチキ。もし私が必要とされないなら……私は、この世界から消えようと思うの」


 息を呑んだイチキの頭を、そっと撫でる。

 イチキは説得しようとした。思いとどまってくれ、と。なにもこんな日にやらなくてもいい、と。それを振り切って、少女は看板を手に取った。


「ダメなお姉ちゃんで、ごめんね」


 最後の言葉になるかもしれない別れを告げて、彼女は看板を手に外に出た。

 季節は、冬の最中だった。

 しんしんと雪が降り積もるなか、公園広場に佇む少女が看板を口元に当てる。

 皇帝に成りすました少女。家族を救えなかった少女。それが自分だ。舞い散る雪を見ながら、少女が白い息を吐く。


「……」


 彼女は、兄を失ってはじめて自分の罪深さを思い知った。

 大切な人が死ぬ悲しみと、喪失。身内を奪った相手は根切りにしなければ気が済まないほどの怒りを生む。事実、彼女は復讐を完遂させた。

 自分は、この国の民のほとんど全員に、そんな所業をした。

 復讐が終わった後、彼女は自分の価値がまったくわからなくなった。そんな時に思い出したのが、兄の言葉だった。


『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』


 通りがかったほとんどの人は、不審げな目を向けていた。売春の類だと思って声をかけてきた男たちは看板を振り回して追い払った。

 兄が考えた世界の救い方を、どうしても実践したかった。玉音のない自分ができることなんて、たかが知れている。せいぜいが兄の言葉を実現することぐらいなものだ。

 昼が過ぎ、日が傾いて、それでもお客は一人もこなかった。

 吐く息が白く、夕日に照らされた。

 自分の言葉が必要されていると思いたかった。自分が世界にいてもいいんだという寄りどころが欲しかった。

 玉音のない自分の言葉を必要とする人は、いないのかもしれない。いいや、かもしれない、ではない。なんの力も持たない小娘の言葉を誰が必要とするだろうか。

 必要とされるはずがないなんてことは、わかっていた。

 でも、そんな当たり前を否定したかった。

 死んだ兄の遺した言葉を肯定したかった。

 自分の存在価値を計りたかった。

 求める心ばかりが胸にあった。夕日が落ちて、月がのぼる。冬の寒空に、星々が冷え冷えと輝いている。夜になろうとも、日にちが変わるまでは立っているつもりだ。日が変わっても一人すら肯定できなければ、少女は自分の価値を失って消え去るつもりだった。

 玉音を持つ彼女は、常世の国へと自分の肉体を移すことができる。

 そうすれば、イーズ・アンであろうと追ってくることはできない。あの荒野に、たった一人、伝令官の死体とともに永遠に存在するつもりだ。

 だって、すでにいないほうがいいのが自分だ。

 だから少女は自分の価値を量るために看板を持って立っていた。

 まだ、客は訪れない。

 寒さが少女の体の芯まで凍えさせる。自分で決めたタイムリミットまで、もう幾ばくの時間もない。じわじわと、凍える失望が心身を凍らせていく。


「……」


 言葉で、人を救いたかった。

 不用意な玉音で、対価も求めない軽い言葉で人を傷つけてばかりの自分だった。何も考えない怠惰で民を殺めてばかりいた皇帝だった。誰かの意図で動くばかりの、奴隷のような人生だった。

 だから、何の力もない自分の言葉で誰かを救いたかった。

 兄が言った、バカバカしいほど都合のよい世界を救う方法を実践したかった。

 そうすれば、自分にもなにか価値があるんじゃないかって。

 あの、バカな兄の意思が残せるんだって思えた。世界に軽く扱われるように死んだ彼の言葉を刻みつけることができるんじゃないかって希望が見えたのだ。

 けれども、お客は、こない。

 何度目になるのか。風俗と勘違いした男を一人追い払って、彼女は失望の息を吐く。

 そろそろ、日が変わる。彼女の言葉を求める人間は、現れない。

 やはり、と失意に肩を落とす。

 自分には価値がないのだ。玉音という要素をなくした自分は、誰も助けることができない。誰に助けを求められることもない。他人に必要とされない自分に、いったいどんな価値があるのだろうか

 ならば、現世にいる資格は、ない。

 刻々と迫る自分の終わりを感じて、冬の寒さに身を晒していた時だ。

 一人の女性が、公園広場に足を踏み入れた。





 神殿から自宅へと帰宅するファーンは、深く落ち込んでいた。

 彼女は少し前に、念願の修道女になった。父と決別して、生家を捨ててまで選んだ道だ。当初は張り切って使命感に燃えていた。

 信仰に優れなくとも、人を助けることはできる。自分の能力で誰かを助ける道を築き上げるつもりだった。

 だが、今日は心底から打ちのめされた。

 転任してきた『聖女』イーズ・アン。

 年齢は、ファーンと変わらない。修道女として、治療部門での活動はファーンと同じく初めてだったらしい。

 なのに彼女は格が違った。

 教会に所属する現職の聖職者の職務すべてを肩代わりしてなお余裕のあるほど、聖職者として極まっている。

 無表情のままのイーズ・アンはファーンのことなど一顧だにしなかった。彼女の瞳に、ファーンが映ることすらなかったのだ。


「なにうぬぼれてたんだろ、私」


 自分が特別だとでも思っていたのか。小手先が器用なだけで、人より優秀だとのぼせあがっていたのか。

 人を救うのに必要な人物とは、イーズ・アンのような傑物なのだ。

 自分の思い上がりを打ち砕かれていた帰り道、通りがかりの公園広場に一人の少女がいることに気がついた。

 まだ幼い少女だ。

 売春か、物乞いか。

 憐憫に、目を細めた。あんな小さな子が、そんなことをしなきゃいけないなんて、嫌な世の中だと嘆きが生まれる。

 都市政策に関わることを選べば、ああいう子を救えたんじゃないか。ちくり、と胸に痛みが刺さった。

 政治家こそが、貧困という問題に根本的な解決策を差し出せる数少ない立場だ。

 自分は、それを投げ捨てた。

 一万リンも施せば、一週間は身体を売る必要はないだろう。なんの解決にもならない、その場しのぎのためのお金を取り出す。偽善でもないよりはましだと、彼女の前に立って一万リンを差し出した。


「……?」


 少女は不思議そうに小首をかしげている。一万リンを見て、なぜだろうと困惑している。

 とんとん、と『1000リン』と書かれたところを指さした。

 今度はファーンが首を傾げる番だった。

 服装はみすぼらしいが、髪は綺麗に整えられている。よくよく見れば、物乞いにありがちな汚れは見当たらずに、身なりは清潔だ。

 もしかして、これは彼女なりの商売なのか。そう思い至ったファーンは、一万リンをひっこめる。そして改めて、千リンを差し出した。

 今度は、受け取ってくれた。

 少女は受け取ってから、千リンをどこにしまおうかとわたわたして、不慣れな仕草でポケットにしまう。お釣りも用意してないことが分かるあからさまな手際の悪さは、むしろ微笑ましかった。


「あ、あなたのことを、全肯定する……のっ」


 つっかえながらも一生懸命に言葉を紡ぐ。目を合わせるより自分の言葉に集中しているあたり、しゃべり慣れていない初々しさが前面に出ている。

 言葉の内容から、懺悔の真似事なのかとファーンは少女のやりたいことを察した。


「ええっと……」


 話したいことは、あった。

 いまのファーンは心が弱っている。家族と決別して修道院に入って幾ばくもないため、信頼できる知り合いもほとんどいない。けれども、お金を渡したとはいえこんな子供に吐き出していいことなのか。仮にも大人の自分が頼る相手にふさわしいとは思えないほど

 戸惑いとためらいを見てか、少女が必死に声を紡ぐ。


「遠慮すること、ないの。えっと……え、えへっ」


 無理に笑ったとわかる引きつった不自然な笑顔に、思わず噴き出した。

 笑ったことで、心の枷が緩んだ。笑みの残滓を口元につけたままファーンは語り始めた。


「私ね、教会のシスターなんだ」

「それは、すごく……えと、すごい、の!」

「いろいろあって、生き方に迷ってね。自分なりに考え抜いて決心したつもりだった。でも、ちょっとだけ後悔してるんだ」

「そうなのっ。そういうことも、あるかも……あるの!」


 たどたどしく肯定する少女の声に、ファーンは自分の至らなさが浮き彫りになるのを感じた。


「私、シスターに向いてないんだよね、きっと」

「その通りっ――じゃ、なく、て……えと……そう、なの?」

「ふふっ。うん、そうなんだ」


 苦笑しながらファーンは頷く。

 彼女にシスターとしての才能はない。

 多少の知識があっても扱える秘蹟が大したものではない。当然だ。信仰心に優れていないのだから、大層な秘蹟が使えるはずがない。

 そもそもの心が聖職者として向いていないのに、秘蹟使いの治療役として多くの人を救うなど夢のまた夢だ。

 それだったら。父親のところにとどまって、行政に関わっていった方がよかったのではないだろうか。


「大きな力を振るえるのなら、そっちの方がよかったのかもしれないかなって。私には、その道があったんだ。才能があって、環境にも恵まれていた。それを選ばなかったのが、私の後悔」

「それは……」


 少女が、息を呑んだ。


「……わかるの」


 白い息とともに吐き出された声には、深い共感があった。

 事情を知らずとも、言葉から伝わる彼女のシンパシーはファーンの口を軽くした。


「わかる?」

「うん。とっても、よく、わかるの」


 なんでもない言葉なのに、感情が伝播する声が胸に響いた。

 じん、と胸に染み入る言葉に浸るファーンに、奴隷少女は言葉を紡ぐ。


「私は、『私』の立場なら、もっとうまくやれたはずなの」

「そう。それなのよ」

「わかるのっ。よく、わかるの!」


 少女の言葉に、ファーンが頷く。少女は先ほどまでのたどたどしさから解放されたように、共感の声を響かせる。


「自分がちっぽけでも、自分の生まれにはおっきな力があったの」

「だよね。そうなんだよ」

「与えられた役割さえちゃんとこなせれば、きっと、たくさんの人を救えたの」

「うん。その通り。でもさ。それでも、私は思っちゃったんだ」


 少女の言葉に頷きながら、駆け出しのシスターであるファーンは自分の夢を告げる。


「私は、私の力を試したいの」


 少女が、こぼれんばかりに目を見開いた。


「バカだよね。自分に向いていないってわかって、それでも、どうしても自分を試したいんだ」


 バカだよねと自嘲して、自分で自分を笑い飛ばそうとした時だ。


「まったくもって……その通りなの!」


 自分を貶そうとしたファーンは思わず自虐の言葉を飲み込んだ。


「どんな親から生まれたって、他人にどう思われたって、自分は自分なの! 私っていう自意識が生まれた時から、人は誰かに従う生き方をしなきゃいけないなんてことは、ないの!」


 声を張る少女が、ぽろぽろと泣いていた。

 雪が降り積もり、息も凍りそうな空気の中、彼女の涙の一滴が雪を解かす。


「才能があって生まれても、才能に従うことなくやりたいことを選んだあなたは、きっと間違ってなんか……ないのっ。自分で選んだ道だから、正しくなかったとしても、間違いじゃないはずなの! 自由って、そういうことだからっ。人は、誰かの言葉に縛られる奴隷なんかじゃ、ないから! 私たち、生まれたときから、世界に肯定されているはずだから! だから!!」


 少女が驚くほど大きな声で、ファーンの決断を肯定する。

 話術も理屈のへったくれもなく、ただただファーンを肯定するために大きな声でハスキーボイスを響かせる。


「あなたが選んだ道は、絶対にぃ、間違ってなんかないの!!!!!!!!」


 叫び終わってから、嗚咽が漏れる。肩を震わせひゃくりあげて、続きの言葉は形にならない。

 ファーンはゆっくりと待った。支払った千リンの時間が立つまで。小さな少女が身のうちにためた感情を、涙とともに流しつくせるまで、優しく見守った。

 十分が経過した。それを区切りに、ファーンは微笑む。


「ありがとう。とっても、心が楽になった」


 まだ、少女は泣いている。けれどもきっと、大丈夫だ。自分が必要以上に慰めなくとも、この子はきっと大丈夫だ。


「また、来るから」


 それだけ告げて、ファーンは公園広場を後にする。

 とても、いい十分を過ごせた。

 とりあえず、明日から転任したばかりの無表情な先輩にいっぱい話しかけて仲良くしよう。自分の秘蹟は逆立ちしたってイーズ・アンに及ぶことはないが、そんな凄い相手だからこそコミュニケーションをとる意義がある。

 だいぶ前向きになった心で、ファーンは自分のできることで明日の予定を積み上げた。






 はじめてのお客さんが立ち去った公園広場で、少女が泣いていた。

 泣き止む気配もなくぼろぼろと涙を流していた。

 初めての全肯定は、ちゃんとは、できなかった。へたくそな語り口で、終始笑顔は引きつり、舌もロクに回らなかった。それどころか、後半はずっと泣いてばかりだ。

 なにより、救われたのは自分だった。

 商売として失格もいいところである。点数をつければ零点だ。

 でも、わかった。

 言葉で人を救うことができる。

 地位がなくたって、特殊な力がなくたって、たとえそれまで交流がなくとも。

 出会うべき時に出会えば、人は誰かの言葉で救われる。

 だって自分は、今日、救われた。

 あのシスターのお姉さんと話して、同じ思いを声にすることで、確かに救われた。

 心配そうに近寄ってきたイチキを抱きしめる。彼女もずっと、この寒空のもとで陰から姉を見守っていた。


「……イチキ」

「はい」

「……私、やっていけそうだよ」

「はい」


 イチキの手が、冷え切った少女の背中を撫でる。


「姉さまなら、大丈夫です」


 少年の掲げた夢の看板を二人の少女が作り上げたその日。

 彼女たちは人生で一番、涙をこぼして、強くなった。

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