ミュリナvsスノウ・アルト 前編


 強い。

 それが、スノウを前にして感じたミュリナの偽らざる感想だった。


「……ちっ」


 舌打ちを飛ばして、目の前の女をにらみつける。

 『聖騎士』スノウ・アルト。

 ミュリナは彼女のことが嫌いだ。

 なにせミュリナからすれば、スノウのことを好きになれる要素が一つもない。そのくせ腹立たしいことに、彼女は世間体はなぜかすこぶるよろしいのだ。

 初見時には変な仮面を被ったままレンを誘拐した犯罪者であり、それ以降はやたらとレンになれなれしい態度を取っている図々しい女であり、その割にはいいとこ取りをして冒険者の評判はやたらいいというふざけた人物だ。

 人の彼氏に色目を使う女である。確かに当時のレンはミュリナと付き合ってはいなかったが、そんなのは関係ない。現在ミュリナの彼氏であるレンに近づいた女は、ミュリナの敵だ。ちょっと強すぎるのでミュリナ自身も敵に回したくないので一生仲良く親友でいたいイチキを除いて敵なのである。

 そんなこんなでミュリナのスノウへの好感度はどん底を抜けて奈落まで下降し続けている。

 それに気に入らないのはレンとの関係だけではない。

 彼女は、かつて勇者パーティーの一員だった。


「来ないのか?」


 自然体でミュリナの前に立っていたスノウが、手刀を構える。


「ならば、こちらからいくぞ」


 相手の戦意を受けて、ミュリナの集中力が高まった。スノウは無手だ。武器を持っていないようにも見える。無防備な構えに、思わず懐に飛び込みたくなる衝動に駆られる。

 だが、違う。

 無手での構えこそが、スノウ・アルトの多彩な持ち味をもっとも発揮できる戦闘スタイルなのだ。

 スノウが仕掛けるより早く、だしぬけにミュリナが踏み込んだ。

 警告なしに両手に持った短剣で斬りかかる。通常の近接魔術に加えて、雷を纏い『雷は速い』という認識で生まれた概念領域によって速さを底上げする魔術で上げたスピードは、並みの人間の動体視力を置き去りにする。

 左右の鋭い刃がスノウに迫り、貫こうと迫る。

 固い音が響いた。


「ぬるいぞ」


 スノウの左腕の前に現れた光の壁が、ミュリナの突き出した短剣の切っ先を受け止めた。己の信仰の固さをそのまま壁として展開させる秘蹟『信仰の壁』だ。

 隔世の信仰がミュリナの攻撃を阻む。

 スノウが左腕に展開した『信仰の壁』で刃を受けたまま、右腕を振るう。無手。しかも手刀では届かない間合いだ。迂闊な人間では無視しかねない動きだが、ミュリナはスノウの指先の延長線をはじき出して身をひるがえす。

 寸前までミュリナの首があった空間を、光剣が切り裂いた。

 『断罪の剣』。

 『信仰の壁』と同様に秘蹟ではあるが、珍しいほどに攻撃性に振り切った刃だ。行使者の敵と定めたものすべてを切り裂くためだけにある極めて凶悪な光の剣である。

 ミュリナの手札に『断罪の剣』を防ぐ術はない。秘蹟は『魔』に対する効果が高く、魔術に優位にある。魔術は物理に優位であり、物理は秘蹟に対して優位にあり、秘蹟は魔術に対して優位にある。例外はあれど、この三すくみが基本なのだ。

 できることは距離を置くこと、ではない。


「ふっ」


 鋭く息を吐いたミュリナが選択したのは、まったくの逆だ。躊躇なくスノウの懐に飛び込んだ。

 ミュリナはスノウに攻撃をさせないために、攻め続ける。手数を増やして、相手を防戦一方に追い込む。

 スノウは秘蹟『信仰の壁』を盾に、『断罪の剣』を刃と振るう。時として魔術を用いて牽制。魔術、秘蹟、体術。その全てが高レベルに釣り合っている。およそ隙らしい隙がないオールラウンダーぶりは、おそらくレンが理想とする闘いかたの理想形に近い。

 雷の魔術を布石に右手の光剣で切り裂く、と見せかけたスノウが前蹴りを放つ。これは避けきれず、ミュリナもたまらず大きく飛び退いた。


「最後の警告だ、勇者の妹」


 開いた間合いを言葉で埋めるかのように、スノウが淡々と告げる。

 肩で息をしたくなるのを必死になって抑えるミュリナとは裏腹に、この激しい戦闘にあって彼女は息一つ乱していない。


「道を開けろ。私は陛下のために、あの少年を追わねばならん」

「却下よ、騎士きどり」


 ミュリナは迷うことなくスノウに向けて親指を下に向けて突き出す。


「最初から言ってるでしょ、レンの邪魔をするなって」


 勧告を歯牙にもかけないミュリナの返答を聞いて、スノウの瞳に初めて殺意が宿った。


「……力量差を見せれば大人しく引くかと思ったが、そうか」


 スノウの思考が、侵入者であるレンたちを追うためには、まずはミュリナを倒す必要があると判断した。

 彼女の第六感と彼女の意思が一致して、歯車を回す。


「陛下の邪魔になるものは切り捨てる。私はただ盾であり、剣であればいい。武官とは、それでいいのだからな」

「浸ってんじゃないわよ」


 相手の増した圧力に怯むことなく、ミュリナはスッパリと切り捨てる。


「邪魔はあんたよ、自己陶酔女。なにが『陛下』よ。皇国はもうないの。亡国にしがみついてるんじゃないわよ、みっともない」

「体面など知ったことか。国なら、まだ、あるんだ」

「ないのよ、もう」


 革命の時、無力にも待つことしかできなかった少女が静かに告げる。


「あなたたちが、滅ぼした。争乱で死ぬ誰かの犠牲も顧みず、多くの人々を救うために皇国を滅ぼした。たくさんの人から感謝されて、歴史に残る英雄になった。……それで満足しなさいよ」

「黙れ、勇者の妹。私たちは、あの時代の結末に誰一人として満足していない」


 スノウの声の温度が、ヒヤリとした冷気にまで下がる。

 家に帰りたかった勇者。主君を裏切った騎士。民を顧みない聖者。仁義に背を向けた盗賊。

 最初から最後まで、バラバラだった。一人として志を達成することはできなかった。

 彼らはただ、民衆の願いだけを叶えただけの存在だ。結果として皇帝を玉座から引き下ろしたが、自分の願いだけは、叶えることができなかった。

 だから、スノウもいまだに囚われ続けている。


「皇国はまだある。常世の国に、歴代の御方々とともにあり続ける」


 スノウの剣戟が、台詞の途中に切り掛かってきたミュリナの動きを見切って押し返した。

 一撃で吹き飛んだミュリナを冷ややかに見下ろす。


「軽いぞ、なにもかも」


 『聖騎士』スノウ・アルトは生きるために戦っているのではない。自分が生きるためでも、他人を生かすためでもない。

 スノウは死んだ先を明確に定めている。死んでからこそが、彼女の本番だ。

 伝令官の真実を知らないまま皇国崩壊に加担したことを後悔する彼女の忠誠の本質は、『皇帝』への奉公や忠義ですらない。


「天地に誓って私は二度と、皇国を裏切らない」


 スノウ・アルトの望みは、自分の死に方にある。

 死んで、皇国の神秘領域、臣下臣民を迎える常世の国に招かれたいのだ。

 死後に臣下の一人として常世の国に招かれ、いまもそこにいるはずのアルト家の面々に会うために、スノウは『断罪の剣』を構える。


「死した先で、常世にある皇国で忠臣だった父上たちに会って詫びるまで――私は陛下のために戦い続ける。その重みが、色恋しか頭につまっていない貴様にわかるのか?」

「やかましいわね。重けりゃいいってもんじゃないでしょ。正面から重いもの押し付けたら、相手から逃げられるわよ?」

「ほう? それは自分の経験か? どうやら押しつけがましさで失敗した過去があると見える」

「あ゛?」


 ミュリナのこめかみ青筋が浮かぶ。

 レンにべた惚れした恋愛初期でしたいくつかのアプローチが脳裏をよぎった。ミュリナの苛立ちを表すかのように、全身の雷がばちばちと小刻みにはぜる。


「後悔と絶望とやらがどれだけお偉いさんなのか知らないけどね。あんたみたいに死にたがりの後ろ向きな女に負ける気がしないって言ってんのよ。手数と火力で押し切ってあげるわよ」

「ほざけ。手数が多かろうが火力があろうが、ロクに効果もなければ意味がない。ましてや空ぶっては無意味だ。違うか?」

「ありますぅー。ちゃんと命中してましたぁ! 効果抜群の攻撃でしたぁー!」


 舌戦は別の話に逸れつつも、二人の戦いは加熱の一途をたどった。炎が踊り、光が切り裂く。魔術と秘蹟と肉弾戦が高度に絡み合って展開される。

 劣勢は、ミュリナだ。

 相手は格上である。まともに戦っての勝率など一割を切っている。


「第一、貴様。その服はなんだ。ふざけているのか? デートにでも行くような浮かれた格好で戦いに出向くか普通!?」

「あたしは今日デートしに来たのよふざけてんのはあんたの元お仲間の聖女様でしょうがぁあああ!」


 ここに来る前、ミュリナとレンとのデートの最中にいきなりイーズ・アンが出現したのである。待ち合わせ合流して、これから手を繋ごうかなという瞬間に地面からにゅっと生えてきたのだ。

 本当にふざけるなと言いたい。デート服で戦闘する羽目になったのも、全部あいつのせいである。いまミュリナが戦っている理由の半分くらいは、デートを邪魔された怒りの八つ当たりだ。

 だが、怒りに任せた戦闘で勝てるほど甘い相手ではない。


「ふッぅー」


 ミュリナは息を絞って、細く吐き出す。

 怒りを、集中させる。

 イチキは、言っていた。

 一つを極めれば、神秘に届く。それは秘蹟だけではない。魔術も同じだと。あるいは、物理ですら極めれば神秘に至る。

 神秘と学術を分けて考えている限り、必ず世界への理解は頭打ちになる。すでに証明されたものを使うだけでは、真の英知には決して届きはしない。

 既存で収めるのではない。

 その先に進むために、いまあるものを組み合わせて革新を生み出すのだ。

 ぼっとミュリナの腰元から炎の翼が伸びる。


「死にたいって言ったわね、スノウ・アルト」

「そうだ。間違っているとでも言いたいのか」


 スノウの答えを、はんっと鼻で笑う。

 スノウの生き死になんて、ミュリナにとってみれば心底どうでもいい。正誤の答えなど知ったことではない。是非とも自分とレンの目の届かないどこかでのたれ死んでほしいとすら思う。

 だがミュリナは、嫌いな相手の希望に応えてやるほどいいやつではない。


「壊してやるわよ、あんたのその思い込み」


 ミュリナの全身から炎が溢れる。

 いまのミュリナが常時発動させているのは、二つ。近接魔術と雷による速度付与だ。

 それに加えて、さらに三つ目の魔術を発動させようとする。腰元から伸びた炎が翼となり、さらに増え続ける炎がミュリナの全身を覆う。


「お前ごときに、私の信念が壊せるとでも?」

「楽勝よ」


 ただ、磨いてきた。

 ミュリナが飛び級して入学したアカデミーで学び、ダンジョンで実践していったもの。

 それは人類が生まれてより数万年、絶えることなく受け継がれて発展を続けてきた技術である。

 戦闘という、人類史から切っても切り離せない学問だ。


「あんたらに勝つためだけに磨いたのが、私の魔術よ!」

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