女魔術師の全肯定・後編


 朝ごはんが、まずかった。

 女魔術師が家に帰った次の日の朝。レンは自分のつくった朝食を食べて、レンは真っ先に思った。

 こんなものを毎日食べていたんだっけと首をかしげた程度には味気がない。

 一応、女魔術師に習った通りに魚の照り焼きを作ってみたのだが、思った以上においしくない。

 本家の女魔術師に及ぶものではないが、出来は悪くない。教わる前と比べれば、ちゃんと料理である。

 でも、なぜだろうか。

 とても、物足りないのだ。


「舌、肥えたのかな……?」


 つぶやきは誰に拾われることもなく零れ落ちて消え去った。

 レンは一人で黙々と食べ続け、料理に足りないなにかを感じつつもダンジョンへと向かった。






 女魔術師は、別段変わった様子はなかった。

 女剣士と一緒に来た彼女はレンとも普通に挨拶をして、普通に会話をして、ダンジョンでの行動も普通だった。勇者ともちゃんと仲直りをしたと聞き、レンも一安心だった。

 レンの復帰初日ということで、その日は早めにダンジョンの探索も切り上げ解散となった。

 そうして探索後のミーティングが終わった後、レンは女魔術師に話があるからと引き止められた。


「話ってなんですか、先輩」

「お礼よ。四日間、泊めてくれてありがとうって、あらためて言いたかったの」


 ミーティング用にと神殿に顔が利くらしいリーダーが毎回借りている個室に、いまは二人きりだ。

 とはいえつい先日まで一緒に暮らしていたのである。気負うことなく会話をする。


「お礼なんて、いいですよ。昨日も言いましたけど、先輩からも色々と教わりましたし」

「あんまり聞き流さないでよ。あたしが泊めてもらったあんたとの四日間は、本当に大切な日になったって思ってるんだから」

「そ、そうですか?」


 ちょっと照れくさい。レンは気恥ずかしさをごまかすために指先で頬をかく。

 そんなレンを愛おしそうに見た女魔術師は言った。


「だってあたし、あんたのことが好きになっちゃったから」

「………………はい?」


 聞き間違えかと思うほど、あっけらかんとした口調だった。

 ぽかんと呆けたレンは、まじまじと女魔術師の顔を見た。思いつめていたり真剣な顔立ったりはしないが、冗談や嘘を言っている表情でもない。

 ただいつも通りのままで、彼女はレンに告白したのだ。


「な、なんですかいきなり!?」

「ん? まあ、確かにあんたにとっちゃいきなりかもね」


 いまのが告白だと気がついて素っ頓狂な声を上げるレンに対して、女魔術師はすまし顔だ。


「いきなりこんな話したら困る?」

「いや、困るっているか、そういう問題じゃ……!」


 レンは挙動不審になって視線をあっちこっちに彷徨わせる。

 別に女魔術師のことが嫌いではない。むしろ好ましく思っている。かわいい女の子なのも知っている。素敵な人だ。そんな相手に告白されて、嬉しくないと言ったら嘘になる。

 でも。


「ご、ごめんなさい、先輩。悪いんですけど、先輩の気持ちには応えられません。先輩のことは尊敬してますし、素敵でかわいい魅力的な人だって思います。でもその……俺にとって先輩は、冒険者としての先輩なんです」


 告白されたからには真摯に答えなくてはと、レンは神妙な顔つきで言葉を紡ぐ。


「俺、好きな人がいるんです。それは先輩じゃ、ありません」 

「ふうん? ま、そうでしょうね」


 別に悔しがるわけでも、悲しむわけでもなかった。レンの断りに対して彼女は世間話でも聞くように軽く相槌を打つ。

 その反応に、レンは戸惑う。

 本当に、目の前の人はいま自分のことを好きといったのだろうか。というか彼女は、レンに好きな人がいると知っているはずなのだ。

 それなのに、どうしてこのタイミングで告白してきたのか。

 レンの疑念に答えるかのように、女魔術師は自分の胸に手を当てて微笑む。


「でも、この気持ちは抑えきれないわ」

「ッ!?」


 女魔術師はレンの目を見てきっぱり言い切る。

 レンの顔が真っ赤になった。直球の思いの丈に、どくどくと心臓が暴れ始めた。口をぱくぱくさせるも、言葉は出てこなかった。

 そんなレンの顔を、いじわるそうにのぞき込む。


「どうしたの? ははぁん? もしかして体調でも優れない?」

「ち、違いますよ!」


 からかうつもりなのか。女魔術師は、熱でも計るように額に手を伸ばす。レンは慌ててそれをよけながら、声を震わせる。


「せ、せせせ先輩っ、自分がどれだけ恥ずかしいこと言ってるのか自覚がないんですか!?」

「はぁ? ……あんたじゃあるまいし、わかってるわよ」


 パチパチと瞬きをした女魔術師は、呆れきったように息を吐く。

 そして一歩、レンとの距離を詰める。


「あたしはね、あんたが好き」


 もう一歩、近づいてくる。レンは反射的に後ずさった。

 それを追うために、彼女はさらにもう一歩。


「あんたの勇気があるところが好き。素直に頑張るところが大好き。時々いじけるのもかわいい。泣いたときはあたしが慰めてあげたい。あんたが笑うと、あたしも嬉しくって一緒に笑いたくなる」


 どん、とレンの背中に衝撃が。いっぱいの好きをささやいて距離をゆっくり縮めてくる女魔術師から、訳もわからないまま下がっていたレンの背後は、もう壁だった。

 もちろん、女魔術師は止まらない。


「日常のあんたを見てるだけで時間を忘れられる。あんたの頑張っているにおいを吸うと、胸がきゅんってする。あんたに抱きしめられると体がとろけそうなくらい幸せで、あったかい肌に触ると安心して抱きつきたくなる。胸板に耳を当てて、心臓の音を、ずっと聞いていたい」


 二人の距離が、ゼロになった。

 女魔術師がレンの胸に手を当てて、お腹をぴったりくっつけてくる。ぞくぞくとレンの背筋に電流が流れる。柔らかさと、暖かさと、女の子のにおいと甘さがレンを容赦なく襲ってくる。

 女魔術師が、そっと顔を近づける。

 壁際のレンは、逃げられない。

 頬に、彼女の唇が触れた。

 あ、これ、ほっぺにちゅーだ。

 真っ白になったレンの頭にそんな認識が浮かぶ。

 そして、それだけでは終わらなかった。

 頬に口づけた女魔術師が、ぺろりと舌でレンの頬をなめる。


「あんたの味も、いま、好きになったわ」


 呆然としているレンに、彼女は恋する乙女の笑顔を向ける。


「あなたの全部が大好きよ、レン」


 胸を貫くような告白だった。

 言うだけ言って踵を返した女魔術師が、ふと足を止めた。


「あたしさ、あんたより年下なの」


 部屋を出る直前、くるりと振り返ってそんなことを言う。

 話題の転換にレンはついていけない。

 女魔術師は冒険者としては先輩だが、彼女は確かにレンの一つ年下だ。

 だからなんだと絶賛頭混乱状態のレンに、彼女は甘やかに要求する。


「だから、これからは名前で呼んで。『先輩』じゃなくて、『ミュリナ』って呼んで」

「え、と」


 思考がぐるぐるしている状態で告げられた、ある意味わかりやすい頼みごとにレンは反応する。


「みゅ、ミュリナ、先輩」

「ミュリナ」

「……ミュリナ、さん」

「ミュリナ」

「…………ミュリナ」

「……ふへへ」


 一歩も譲らないという意思に負けて名前を呼ぶと、彼女は照れくさそうに、でも緩みきった笑顔になった。


「うん。これからもよろしくね、レン」


 ミュリナはきらきらと笑う。

 名前を呼んでもらえてうれしいと、笑顔でレンの心に届けて知らせる。


「それだけよ。じゃね」


 頬を幸せのバラ色に染めて手を振ったミュリナを、レンは呆然と見送った。









 これは、復讐だ。

 帰り道、上機嫌に鼻歌を歌いながら、ミュリナはさっきのレンの顔を思い出す。

 あの間抜けた顔。痛快である。なによりかわいい。思わずほっぺたに、ちゅーをしてしまった。舌でぺろって舐めてしまった。唇にキスをしなかった自分の自制心を誉めてあげたい。

 もちろん、あの程度で満足なんてしていない。

 これからも、どんどん迫ってやる。自分があいつに告白されたと勘違いしてからどれだけ気持ちを揺れ動かされたのか、思い知るがいい。

 負担になってほしくないなど、ちっとも思わない。この恋心を押し殺すだなんて、まっぴらごめんだ。大好きだって言い続けてやる。

 もっと自分のことを考えろ。頭を自分でいっぱいにしろ。一日中、一週間ずっと、一カ月の全部の日付で、年中無休で想いを募らせ背負ってみせろ。この胸に芽生えた想いの重さを思い知れ。

 そうしてレンの頭を自分でいっぱいにして、向こうから「ごめんなさい。付き合ってください」と言ったら、許してやるのだ。「いいわよ、付き合ってあげる」と、両思いになったことを祝ってやるのだ。

 だって。

 責任をとってもらわなきゃ、この気持ちは収まらない。

 だから、それまでは。


「ふへへっ」


 思い人の頬にあてた、唇。

 大好きな彼を思い出しながら指先を当てて、ミュリナは緩みきって微笑んだ。

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