女魔術師の全肯定・中編

 レンが、シャワーを浴びていた。

 落ちる水音に聞き耳を立てながら、ミュリナはベッドに座っていた。

 先にシャワーを浴びて、寝間着に着替えている。ご飯ももう食べた後だ。これからきっと自分とレンがすることに思いを巡らせる。

 まずは昨日の夜中に決意した通りに、両思いだって確認する。それで、いま座っているベッドで、公園の時みたいにぎゅうっしてもらう。だって、すごく幸せだったから。もちろんそれ以上のこともするために、満足したら唇を合わせてキスなんてして。初めてキスでとろけたら、次の初めても、なんて。

 想像に、体の芯から喉の詰まるような震え全身にいきわたって、心が溶け出した。


「ふぅ……んっ」


 いつもより、ずっと体が敏感だ。

 全身の末端まで、ぴんっと尖って神経の電気がいきわたっている感覚。肌がぴりぴりして、寝間着の衣擦れすら刺激になる。でも不快な刺激ではない。そわそわして、わくわくして、おろおろして、どきどきして、もだもだして、ぽかぽかして、全部の気持ちが体の感覚になる。

 すごく、気持ちがよい。

 好きという想いが体に満ちるとこんなにも気持ちいいなんて、初めて知った。

 もぞりと、太ももをこすり合わせる。

 あんまり、痛くないといいな。

 そう思う。体が耳たぶまで熱い。心臓が耳にうるさい。こめかみが、どくどくしているのを肌で感じる。緊張している。不安がある。羞恥がある。喜びがある。期待がある。

 レンとなら初めてでも幸せになれるって、確信している。

 さっきシャワーを浴びたばかりなのに、なんだか汗ばんでいる気がした。


「シャワー……」


 きれいになるために、もう一回、浴びようか。

 何も考えずに立ち上がりかけて、いまレンが使っているを思い出して顔を真っ赤にする。

 一緒にお風呂とか、まだ、やだ。狭いし、恥ずかしい。明かりは消してほしい。

 一息でそこまで考えて、ゆだった顔を掌で覆う。

 頭がバカになっていた。

 仕方ないじゃんって、バカになってもしょうがないじゃんって言い訳する。

 初めての、恋なんだもん。


「……ふへへ」


 緩みきった笑い声を上げていると、お風呂場の扉が開いた。

 ミュリナは、とっさに立ち上がる。何の考えもなかった。そこにレンがいるから駆け寄った。嬉しい足音を立てて傍まで寄った。

 湯上がりに出迎えにこられて面食らっているレンの手を取ろうとして、やっぱり裾をつまむ。


「先輩?」

「こっち」


 手を握れなかった自分のスーパー意気地なしをちょっと呪いながら、ミュリナはレンをベッドへと誘導。隣に座らせる。

 素直に誘導されたレンが、首を傾げた。


「えっと? 今日も、ベッド半分使っていいんですか」

「ベッドを半分というか……」


 自分をというか。 

 悠長なことを言うレンに何かを口走ろうとして、頭を振る。違う。順序というものがある。それを言うのはまだ早い。

 いきなりぶんぶんと音を立てかねない勢いで真っ赤な顔を振るミュリナを、レンは不思議そうな目で見る。


「あんた、ほら。いつだか倒れた時にした告白、あったじゃない」

「へ? ああ、はい。ありましたね。もうなんか懐かしいですね」


 あははと笑うレンに対してミュリナは、きゅっと唇をかむ。

 あの時は断ってしまった。だってあの時はこんなに好きになるなんて、神様だって思っていなかったはずだから、仕方ないのだ。

 その返事をいま翻そうって口を開こうとして、その前に、レンが言った。


「神殿の至聖所の時ですよね。俺が好きな子、そういえば告白してましたよね」

「う、うん。だから、その――」

「奴隷少女ちゃんの話を」

「………………――は?」


 勇者がレンに教えたなスイッチ方法は、ミュリナの呼吸法に近いものがある。共通しているのは、条件反射で緊急時に冷静さを保てるように刷り込むことだ。

 だからこの時も、ミュリナは自分の冷静さを保った。

 とっさに呼吸を吸って一瞬止めて、ゆっくりと吐く。そして、レンの顔を見て冗談でもなんでもないことを確認。


「ドレイショウジョチャン?」

「はい。あ、奴隷少女ちゃんって言っても変な子じゃないですからね。1回10分1000リンで全肯定をしてくれるっていう商売をしているすごい女の子なんです。口で言ってもなかなかすごさが伝わんないと思うんですけど……勢いがすごいんです!」

「すごいんだ。あんたの、えっと、好きな子、が。その、奴隷少女ちゃん、が」

「そうですよ。ほら、今日先輩の話を聞いた時の公園広場、あるじゃないですか。いつもはそこにいる女の子なんですよ」

「へー。あそこで」

「すっごいかわいい子なんですよ。あ、かわいいだけじゃなくて、すごい子で。いろんな人を助けてるんです! 俺が先輩に今日やったのより、ずっとずっとすごい全肯定をしてくれるんですよ!」

「ふーん。全肯定を」

「そうだ! 先輩も利用してみますか? シスターさん、いるじゃないですか。あの人も常連ですし、女の人にも人気ありますよ!」

「ううん、遠慮しておくわ」

「そうですか……。あ、先輩。さっき話しかけていたことって何ですか?」

「ああ、うん。あたし、自分の家に帰ろうかなって」

「へ?」

「ほら、あんたに話して、すっきりしたし。いい加減、ちゃんと和解しよかなって」

「いいですね。先輩がいなくなるのはちょっと寂しいですけど。……あれ? でも先輩、寝間着ですよね。シャワーも浴びてますし」

「いいのよ。この上に服を着るから」

「寝間着の上にですか」

「寝間着の上によ」

「そ、そうですか」

「うん。……よし、っと。やっぱり服は寝間着の上に着るに限るわね」

「は、はあ。そうですか……?」

「そうなのよ。それじゃ、世話になったわね。いきなり押しかけて悪かったわ」

「いえ。最初はどうなるかと思いましたけど、一緒に暮らせてよかったです。ご飯はおいしかったですし、料理とか聖書の読み方とか色々教わりましたし、先輩のことも知れましたし、すごくドキドキはしましたけど楽しかったです。あ、変な意味じゃないですよ? ただ純粋に、俺、先輩のことを尊敬してるので!」

「そうね。尊敬ね」

「はい!」

「じゃあ、また明日」

「……あの、先輩」

「なに?」

「なんか、すごく顔が青くなってますけど……大丈夫ですか」

「ごめん。あんたがなに言ってるのかちょっとよくわからなくて」

「はい?」

「それだけ? 他になんかない?」

「特には……」

「そ。じゃあね」


 ぱたん、と扉が閉まる。

 訪れた時の騒ぎとは対照的に、不自然なほどあっさり帰ったミュリナを見送って、残されたレンは首をかしげる。


「先輩、なんか変だった気が……?」


 ものすごく罪深い疑問符が、世界に浮かび上がった。








 どれだけ歩いたのか、わからなかった。

 顔面蒼白で夜道をふらふらと、目的も定めずに歩いていた。

 ミュリナは、少し賢過ぎた。

 あの一瞬で、今まですれ違っていたことを悟ってしまったのだ。最初の告白が自分の勘違いだったとすると、なるほど。レンの態度は真実、後輩が先輩に接するものだったのだろう。普通の褒め言葉で、先輩に対する気づかいで、それ以上のものではなかったのだ。あったかもしれないけど、少なくとも明確な恋愛感情によるものでは、なかったのだ。

 レンにも責任はあるが、自分にも責任はあると承知していた。だからいまの感情をレンに一方的にぶつけるのは間違っている。それが分かってしまっていた。

 レンが好きだから。

 胸に渦巻き轟く自分の嫌なところを、彼にぶつけたくなかった。

 まあ、まだ致命傷じゃないし? 告白してから、実は勘違いでしたねって言われたわけじゃないし? 自分からは告白してないからぎりぎりセーフというか、むしろタイミング的には良かったんじゃないかなって? なんかレンの言う好きな子とか、名前すら知らなそうだし? うんうん、うん。

 嘘だ。

 ダメージは相当だ。計り知れないと言ってもいい。死んでない自分が不思議だ。いま自分がどこを歩いているのかすらわからない。

 ていうか、レンも気づけよって思う。

 自分は、誰彼構わずぎゅっとしてなんて言わない。好きでもない相手とベッドを半分こになんてしない。レン以外の相手に胸板に寄りかかって甘えたりなんてしない。

 いくらレンが十七歳童貞野郎だからって、気が付いてもいいくらいあからさまに自分はレンが好きだったと思う。

 それを全部受け止めてくれたくせに、あいつは自分のことを好きじゃない、なんて。

 ふざけんな。ばか。きらい。しね。おもわせぶりやろう。おんなのてき。

 そう罵ってみた思ってみたところで、好きなのだ。

 八つ当たりも、暴力も、振るいたくない。嫌われたくない。好きになってほしい。

 だって好きなのだ。抱きしめてキスをしてほしいって思うくらいに、好きなのだ。初めてをもらってほしいと願ったくらいに、大好きなのだ。人生を預けられるって、確信したくらいの恋なのだ。

 なのに。

 これ、片想いだったのだ。


「……あれ?」


 見覚えのある場所で足が止まって、ミュリナは首を傾ける。

 気が付くと、ミュリナは自分の家に帰ってた。

 いつの間に、戻っていたのか。自分でもよくわからない。そういえば、レンとの会話で帰るって言っていた気がする。正直、あの時の記憶すらあいまいだ。

 現実感が喪失したままノッカーを鳴らすと、部屋をひっくり返したような慌てた音が響いた。

 二人分のどたばたとした足音。ものすごく慌てた様子が聞き取れる。それを、ぼけっとした顔のまま聞き流して待つ。


「ミュリナ!?」


 先に玄関に出てきたのは、勇者だった。

 開いた扉の先の家の中で、シャワーを浴びている音がした。たぶん、女剣士が身支度を整えているのだ。なんとなく察するものがあったが、何も言わない。

 ふ、っと現実感が戻った。

 言わなきゃいけないことが、あったから。


「お兄ちゃん」


 お兄ちゃん、と呼ばれたウィトンの顔が驚いて、次に輝いた。

 彼が帰ってきてミュリナにそう呼ばれたのは、今のが初めてだ。


「おかえり、お兄ちゃん」


 家に戻ったミュリナが、言う。

 家で妹を出迎えた兄が、それに答える。


「ただいま、ミュリナ」


 隔たっていたと思っていた時間が、一言で埋まった感覚があった。

 ああ、そっか。

 そっとうつむいて、なぜ帰ってきたのか、ミュリナは悟った。

 今の自分は、なにかあった時に家族に頼れるのだ。こういう時に、一番わがままを言っていい相手がいるのだ。家族とは、こんなどうしようもない時にすがれる相手なのだ。

 だから、他の誰にも頼めないようなことを、兄に頼むのだ。


「今夜、だけでいいから。わがまま言ってもいい? 十年分、待たせたから、それくらい、いいよね」

「うんっ、なんでも言ってくれ。いくらでも償わせてくれ!」

「ありがと、お兄ちゃん。実はね、もう、体がこらえきれそうも、ないの。自制が、効かなくて」

「体が? どういうことだい?」

「うん、ようするにね。今夜いっぱい――」


 そっと顔を上げたミュリナの目には、感情の光が消失していた。

 イーズ・アンの二歩手前みたいな、ガラス玉によく似た光を映さない透明な瞳。違うところを上げるとすれば、その目あるのは信仰ではなく純粋なまでに澄み切った殺意が詰め込まれていた点だった。


「――あたしの気が晴れるまで、思う存分、殴らせて」


 お兄ちゃんの顔が、引きつった。








 のちに『皇国の勇者』ウィトン・バロウは、あるインタビューに対して語った。


「人生で最も命の危機を感じた時ですか。アルテナ……ああ、妻の話なんですが、この都市に帰ってきた時に、そりゃもう怒られまして。こう、首筋に剣がすれすれに――」

 ――すいません。そういうのはまた別のエピソードなので、こう、真剣味のある話はありませんか?

「ええっと、じゃあ家出をした妹が帰って来た時ですかね。あの日に何があったのか。なんかもう機嫌が悪いを通り越したキラーマシーンみたいになって、一晩中機敏に動き続けて襲い掛かってきたんですよ。心臓に短剣が突き刺さるぎりぎりで――」

 ――だから家族のお話はいいので。もっと冒険者の時に命がけで戦ったとか! 革命時に戦った時とか! その後の騒動で奮戦したとか! あるじゃないですか。ありますよね?

「いや、ほんとに。笑い話じゃないです、これは。あの二人と戦った時以上に怖かったことなんてないですよ。真面目な話ですね、家族より怖いものなんてそうそうないですから」

 ――やめてください! そういうインタビューじゃないんでこれ!! 勇者の雄姿をしりたいんですよ!

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