少女たちは姦しい


 当たり前の話だが、デートの誘いを好きな異性に断られて落ち込まない女の子はいない。


「はぁ……」


 家に帰ったミュリナも例にもれずに、自室のベッドで枕を抱きしめて落ち込んでいた。

 ダンジョンからの帰り道、レンと一緒に帰ってデートをしようと誘ったのに、あっさり断られてしまった。

 断られた直後はもちろん表面上は平気なふりをしたが、ダメージを受けていないはずがない。ベッドでころりと寝返りを打ったミュリナは、レンを誘った時の言動を反芻する。


「……誘い方、打算的すぎたかな」


 理由づけよりも、もうちょっと一緒に帰りたいという気持ちを押し出すべきだったか。

 用事があるならあんまり強く出過ぎるのも良くないかと思ったが、やっぱり落ち込む。

 約束があると言っていたが、もしや断るための方便だったのではないだろうか。よしんば嘘でないにしても、誰と待ち合わせをしていたのだろうか。

 あのきれいな私服のシスターさんとだったりしたら、嫌だな。モヤリとした思いが湧く。あるいはもしかして、レンの言ってた好きな人――奴隷少女ちゃん、とやらのところに行っているのではないだろうか。そもそも奴隷少女ちゃんなんだよ、などなど。考えたところで答えは出ないなんてわかりきっているのに、乙女心はぐるぐるとレンのことばかりを考える。

 寂しい。

 一人自室にいる時間が、とても物足りなく感じる。

 ちょっと前までは帰ればレンと一緒にいられたのに、それがいまでは、ダンジョンの時でしか会えない。ダンジョンでの探索でべたべたするわけにもいかないから二人きりになるべくデートに誘ったのに、それも断られてしまった。


「……はあ」


 想いの分だけ、ため息が出る。

 レンが感じられない時間が長すぎる。レンの部屋にいた時は、レンをいっぱい感じられた。帰ればレンと一緒にいられた。でもいまでは、自分の自室にレンの要素はない。

 もったいないな。

 後悔が、湧き出た。

 家に帰ったこと、兄と仲直りをしたこと自体はいいことだが、やはりレンの家を出ていってしまったことはもったいない。レンの家にいた時に、もっともっとレンをいっぱい感じればよかったのだ。もっとレンに甘えればよかった。


「あ」


 レンの家に泊まっていた時のことで、そうだと思い出すことがあった。

 ミュリナはベッドから立ち上がって、荷物を引っ張り出す。

 レンのところに転がりこんだ時の家出のセット。そこから寝袋を取り出す。ミュリナがレンのところに泊まっていた間、彼がずっと使っていた寝袋だ。


「…………」


 取り出してから、なんとなく周囲の気配を確認。自分の部屋だから他に誰がいるはずもないが、何か悪いことをしている気になってきょろりとあたりを見渡す。

 自分が間違いなく一人であると確認したミュリナは、おずおずとためらいがちに寝袋を胸に抱いて、顔をうずくめる。

 レンの、においがした。


「……ふへへ」


 ふにゃりと相好が崩れる。だらしなく笑ったミュリナは寝袋に顔をうずくめたままベッドに再度寝そべる。

 レンを感じられる。レンがいないのに、レンを感じられる。嬉しいのと切ない気持ちが湧いてくる。


「レンだぁ……ふわぁ」


 もっと欲しい。

 ずっと一緒にいたい。いつもそばにいてほしい。もっとレンが欲しい。自分の中に、もっともっとレンを入れたい。自分の体に、レンを注ぎたい。自分の人生をレンで満たしたい。


「……好き」


 素直な気持ちが声に出た。一度出れば、歯止めが利かなくなる。


「レン……レン、のばかぁ……ばかばかぁ。こんなに、あたし、レンのこと、好きなのに……あんまり素っ気ないと、あたしだってレンのこと嫌いに――きらい、に、なんて……なるわけないよぉ」


 言葉に出す度に好きな気持ちが強まっていく。心の好きが体に巡ってレンを求める。寝袋にのしかかるように、膝を曲げてベッドに腹這いになる。ぎしり、とスプリングがきしむ音を立てた。

 お腹が幸せな熱を帯びる。胸がとくとく恋の音を打つ。頭がふわふわと幸せになる。寝袋に鼻先を押し付けたまま、息が荒くなる。ぎゅ、っとシーツを強くつかんででもう一息、大きく息を吸ってレンを感じる。


「レン、ぁ……好きぃ、好きっ、世界一、だい、しゅ――」

「ミュリナ。ちょっと話が――」


 部屋の空気が凍った。

 ベッドで寝袋を抱いているミュリナと女剣士、二人の視線がかち合う。

 寝袋を抱きしめているところを見られただけならまだ言い訳は利いただろう。なにせ寝袋はミュリナ本人のものだ。それを抱きしめているのは多少不審だが、一目で事情が分かるほどでもない。声も扉越しに聞こえるほどの者でもなかった。うまくすれば挽回はできた場面だ。

 だが、ミュリナの表情が大変わかりやすかった。


「あ、ぇぅ、と、ちが、くて」


 寝袋に顔をうずくめていたミュリナは硬直して、みるみる内に赤面する。何かを言い訳しようとして、言葉にならずに失敗する。

 女剣士が、耳まで真っ赤になって震えるミュリナを見ていろいろと悟った。直近の連泊の際、きっと寝袋はレンが使っていて、レンのことが好きになったミュリナはそれを抱きしめて顔にうずめてごろごろしてたんだろうな、と無慈悲にも正確無比な分析をしてしまった。

 女剣士は気まずげに思春期ミュリナから目をそらし、やんわりと笑う。


「あ、あら、ごめんなさい、いきなり部屋に入ったりして。今度からちゃんと、ノックするわね。あ、ドアに鍵をつけるのもいいかもしれないわね。えっと、話は、あれね。いまから三十分くらい間を空けて、その後であなたがお風呂から上がった後でいいわ。それじゃ――」

「ちょっと待ってぇ!」


 扉をそっ閉じして立ち去ろうとした女剣士を、ミュリナは必死の形相で呼び止める。


「違うから! そういうんじゃないから! ほんとにっ、そこまではしてないから!!」

「大丈夫。わかってるわよ。私は何も見てないわ。もちろん、なにもわかってないし、なにも言わないから。気にしなくて大丈夫。これからもいつも通りにしましょう?」

「だから違うのぉ! レンでとかそういうのじゃなくてっ、ほ、ほら! あたしが帰ってきた日、アルテナさんがお兄ちゃんと何をしてたとか、あたしも知らないふりしてるから! ね! ね!?」

「ちょ!? 誰も幸せにならない暴露はやめなさい!」

「だってぇ!」

「だってじゃないの!!」


 動転したミュリナが死なばもろともと大声で言っちゃいけないことを口走る。それにはさすがの女剣士も動揺を隠せないと、口をふさごうと躍起になって会話がヒートアップする。

 バタバタとした騒ぎに、この家に住む最後の一人が。


「アルテナ、ミュリナ。何を騒いでるんだい? レン君がどうとか――」

「あなたは黙ってて!」

「そうよ、お兄ちゃんは邪魔!! どっか行って!」

「……はい。ごめんなさい」


 二人に怒鳴られた勇者は、すごすごと引っ込んでいった。

 自室に戻る途中、自分に近しい二人の声が響く内容を聞くともなく聞いてしまった彼は、ぽつりと一言。


「レン君がどうの言っていたし、ミュリナのあの様子……やっぱり、レン君に一度話を聞かないとだね」


 無意味にシスコン気味の兄、目を細めて知り合いの少年の顔を思い浮かべた。








 レンたちが住んでいる都市の、奥深まったところにある拠点。

 工房も兼ねた部屋で、イチキはせっせと祭具をつくっていた。

 ここ最近、祭具の消費が著しいのでその補充だ。特に騒動の火種がある現状、備えは十全にしておきたかった。

 よく使う祭具をつくり終え、次にこの間採取した真珠を核に何をつくろうかと悩む。


「真珠……宝物の祭具よりも、いっそ砕いて塗料か薬剤にしてしまったほうがよろしいかも――」

「……イチキ!」

「――ありゃ?」


 駆け込むように帰宅してきたのは、偉大なる姉である。

 珍しく息を切らしている様子にイチキは小首をかしげる。とりあえず真珠は裾にしまい、姉へと向き直った。


「どうなさいましたか、姉さま」

「……あいつ、殴る! ぼこぼこにする!」

「はい? 落ち着いてくださいまし、姉さま」

「……いいから! カチコミ!」


 久しぶりに猛々しい姉のお言葉だが、何を言いたいのかさっぱりわからない。もとから見た目ほどクールな性格でもなく、どちらかと言うと物静かな外見を裏切る毒舌家な姉なのだが、それにしてもいまの言動には脈絡がない。カチコミなど、いまの姉の立場で軽々しく言葉にしていいものでもない。

 興奮している姉をなだめて事情を聞き出すと、例の『兄にちょっと似ている人』とやらが絡んでいることが判明した。


「ふむふむ。お仕事の最中に、殿方に『世界一かわいい』とか『声がきれい』などと言われた、と」

「……うん! ああいうの、よくないっ。だから!」

「ですが、姉さま」


 一部始終を聞いたイチキは、きっぱりと言い切った。


「姉さまの声がお綺麗であり、姉さまが世界一かわいいのはただの事実でございます」

「……イチキ?」

「事実を口に出しただけでセクハラというのは少々酷でござますので、無罪判決かと思われます。なので今後も普通に接して差し上げてくださいまし」

「……イチキ!?」


 姉の驚愕をよそに、真面目くさった顔で告げる。イチキの内心は、少しのからかいと懐かしさがあった。


 昔は、この姉もよく食ってかかったものだった。今みたいに声を荒げて、子供らしく拳を振り上げたりして、それを仲裁するのが自分の役割だった。

 自分たち二人の兄が、いた頃は。

 姉はイチキの言葉に、不満そうな顔をしている。そんな姉へ、お願いごとを。


「……普通に? 次も、普通に接する……? むむむ」

「姉さま、姉さま」

「……なに? やっぱり、協力してくれるの?」


 期待のまなざしを裏切るようで心苦しいが、正直に自分の希望を述べる。


「やっぱり、わたくしもその方にお会いしてみとうございます! ご紹介くださいませんか?」

「……だめ」

「どうしてでございますか」 

「……あんなたらし野郎にッ。うちのかわいいイチキは会わせられない!」

「そうでございますかぁ……」


 イチキはしょんぼりとうなだれた。そっと裾で口元を隠し、少し未練がましい視線を送る。奴隷少女ちゃんは惑わされず、つーんとそっぽを向いたままだ。


「お前ら、なに騒いでんだよ……」


 奴隷少女ちゃんとイチキのやり取り。姉妹の会話に入って来たのは、カーベルファミリーの武闘派中の武闘派、アニキと呼ばれていた男だ。

 だが、だいぶ雰囲気が違う。小柄な体格だと思わせないほどの威圧感を放っている外面とは違い、どちらかというと少し軽めの口調だ。


「ここなら別にいいけどよ。人前であんまり年頃っぽいやり取りはしてくれんなよ。建前ってもんがあるし、威厳の問題もあるからな。いまのバランスは、お前らで保ってるようなもんなんだ」

「もちろん、心得ております。万事つつがなく進めますので、ボルケーノさんもご心配なく」

「……やる時は、ちゃんとしてる。この間だって、あのクズどもの前じゃちゃんとしてた」

「まあな」


 イチキと奴隷少女ちゃんいボルケーノと名前を呼ばれた彼の態度は、随分と気さくなものだった。

 会話のやり取りも、他の人目があった公園広場や、皇国主義の老人の居所の時とは段違いに親し気だ。『姐さん』と呼んで絶対服従を示していたのとは、まったく別人同士ではないかと見まがうようなやりとりである。


「で、なんの話をしてたんだ? 珍しく色っぽい話をしてた気がするんだがよ」

「あ! そうでございます。なんと姉さまが――」

「……イチキ」

「――むう」

「……ボルケーノさんも、首、突っ込まないで。そっちとこっちは、別」

「はいはい、そうかよ」


 奴隷少女ちゃんに睨まれたボルケーノは肩をすくめて部屋を出る。

 地下につながる階段から一階に戻る途中に、ぽつりとつぶやく。


「あいつらが男の話題を出すとはなぁ」


 出会っておおよそ五年。共犯という関係性がもっとも近い奇縁の少女たちの、あまりにも少女らしい会話を思い出してしみじみと呟く。

 彼女たちが普通の会話をしてくれるのは、彼にとっては嬉しいことだ。少し前に、イチキに友達ができたから、その関係者を殺せそうにないと聞いた時も、少しうれしかった。

 五年前。

 彼女たちの申し出を、自分は断らなければならなかったのだ。

 まあ、しかし、それはそれとして、だ。


「しかしあいつらのあの様子……どんな奴か、この目で確かめねぇとな」


 これはちょっと面を拝みにいかねばと決めた彼の全身からは、手下たちの前にいる外面の時よりも濃い威圧感が漏れ出していた。

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