才能の全肯定・後編


「ま、まけてない!」


 訓練場で勝負がついた後に、ひと悶着が起こっていた。


「みゅ、みゅりななんかに、まけてなんかないもん! ぜったいだもん! あたしがミュリナに負けてるのなんて、年くらいだもん!! ま、負けた、なんてウソだもん!!」


 目を覚ましたリンリーがボロボロと涙を流しながら勝負の結果の異議を訴えていた。

 十一歳の子供だということを差し引いても、ここまで人目をはばからずに泣くことは珍しい。だがリンリーは常識なんて知ったことかと、涙を袖でぬぐって吸わせて訴える。


「レンおにーちゃんの判定が、ダメだったの! 審判がおかしかったせい決まってるし! ぜぇったいにぃ、まだまだやれたもん!」

「う、うんうん。すごかったよ。いい勝負だった! リンリーも強かったって!」


 泣きわめくリンリーを、レンがおろおろしながらも必死になだめる。興奮している感情に呼応してか、子供特有の高い体温がさらに上がって熱いくらいだ。

 レンが泣き止ませようと頑張っている一方で、自分の敗北を認めない往生際の悪いリンリーへ大人げない視線を向けている人物もいた。


「見苦しいわね。泣いても結果は変わらないわよ。自分の力不足での負けも認められないの?」


 上から目線に嫌味をたっぷり込めた声は、ミュリナのものだ。レンがとっさに咎める視線を向けるも、逆効果である。こっちはこっちですねているミュリナが不機嫌そうにむくれてそっぽを向く。

 燃料を注ぎ込まれたリンリーは、さらにヒートアップした。


「うるっさい! あたし、ぜったいにミュリナより才能、あるもん! さっきのは、なんかの間違い! ミュリナなんて、格下のぶんざいでなまいきぃ!」

「才能才能ってうるさいわね。才能でしか人間を語れないの? 自分の才能にかまけて結果すら受け止められないようじゃ、先はないわね」


 ミュリナは泣き言を鼻で笑う。

 致命的な一言で刺し貫くために、目を真っ赤にさせたリンリーに顔をずいっと寄せる。


「才能が全部だっていうのなら、あんたは一生イチキの足元にも及ばないわね」

「う、ぅううぅ……!」


 じわりとリンリーの目じりに涙が湧き上がって追加される。

 いままでは涙を流しつつも、わずかに保っていた理性のタガが決壊した。

 悔しさに口元を一文字にしたリンリーが、全身をわなわなと震わせる。立つこともできなくなるほどの激情に負け、体から力が抜ける。ぺたりとその場にへたり込み、上を向いて幼く真っ白な喉をのけぞらして、絶叫した。


「う――あああああああああん! ばーか! ミュリナのばーかぁああああ! ぁああああああああああぅううううああああああん!」


 幼い子供そのままにぎゃん泣きを始めたリンリーに、どうやって収拾を付ければいいんだとレンは茫然と空を仰いだ。






 結局、リンリーは疲れ果てて体力が尽きるまで泣きまくった。

 泣き疲れたあとはレンの見送りも拒否し、一人でとぼとぼと帰っていった。

 残されたのはミュリナとレンは、二人ならんで気まずい空気のまま帰路についていた。


「あの、ミュリナ……」

「あたし、悪くないから」


 具体的に何かを問いかける前に先回りして答えるあたり、ミュリナにも多少は罪悪感があるのだろう。並べられる言葉も、どことなく弁明じみている。

 ここで責めるのは簡単だ。

 大人げない。やりすぎ。相手は子供なんだから。他にもいくらでも言い立てられる。

 だが、そんなことをミュリナに言っても仕方がない。とレンは苦笑した。


「ミュリナって心を許した相手以外の全方位に喧嘩を売ってるところがあるからなぁ……」

「なによ」


 形のよい唇を、つんと尖らせる。自覚があるのだろう。ミュリナは基本的に負けず嫌いだ。自分の努力を信じているからこその負けず嫌いである。


「リンリーはね、才能があるわよ。あたしよりね」

「そっか」

「でも、あの子はまだ目的がないわ」


 リンリーは事の成り行きでこの国に来て、自分かわいさで国を捨て、言われるがままいまの場所に居続けている。

 何も定めないまま育ったとしても、リンリーにはそれなりの何かになれる才覚がある。

 ただ、それだけではもったいないという歯がゆさをミュリナは覚えていた。


「あのまま育って中途半端に腐らせるくらいなら、徹底的に負かしたほうがいいわ」

「……よかった。ただの八つ当たりじゃなかったんだな」

「その気持ちが全くなかったとは言わない」


 そこはミュリナも正直に告白する。リンリーの生意気ぶりがひどいとも言う。


「やってみてわかったけど、いまのリンリーだったらレンでも勝てるわよ」

「え、嘘? 俺でも? いや、ある程度なら戦えないとは思わないけど、勝てるとまでは……」

「やりようによっては勝てるわよ。だってレン、秘蹟が使えるじゃない」


 本気で驚くレンに、ミュリナが秘蹟使いの優位性を説明する。


「リンリーの術、ほとんどが呪術だもの。魔術師相手ならともかく、秘蹟と相性が悪いのよ。隔世の性質が強い信仰の壁は呪術じゃまず突破できないし、浄化の光を使えばリンリーの狐憑依を払えるでしょ? それで接近戦に持ち込めば、ほら。お終い」


 身体強化のための獣化が解ければ、リンリーは十一歳の子供のままの身体能力だ。レンでもあっさり取り押さえられる。

 そうでなくとも魔術と秘蹟の両方をそれなりに使え、体も鍛えているレンはどんな相手にも対応できる。

 言われて見れば目から鱗だ。なるほど、と納得する。


「自分の才能におごって他人をなめてるから、増長した鼻っ柱は一回折ったほうがいいのよね。イチキに負けたって『まあ相手がイチキだし』っていう考えかたしかできないもの」


 そこは、どうしたってイチキでは教えられない事柄だ。

 イチキは自他ともに認められた天才だ。彼女に負けたところで、本当の意味で自尊心が折れることはない。敗北してもあまりの遠さに敬意が浮かぶような、真実、格が違う相手なのだ。

 その点でいえば、ミュリナは違う。

 彼女とて才人だが、それ以上にミュリナは意志の強さが顕著だ。これと決めたことに邁進してつかんで引き寄せる握力こそがミュリナの強さである。

 少し前まで、ミュリナは勇者に勝利することが目的だった。そのために冒険者になり、強くなるための努力を続けた。

 ならば、いまのミュリナはどうなのだろうか。


「ちなみに、いまのミュリナの目的って、なんかあるのか?」

「レンのお嫁さん」

「待って」

「待たないわよ?」


 まさかの即答だった。

 有り余る才能の使い道にレンは戦慄するも、ミュリナの火力は途切れない。

 一歩先で立ち止まった彼女は、ふわりとミュリナの香りを振りまいて、笑顔でレンの心に一撃を入れる。


「頑張って、近づいてる最中だもの」


 レンの心に突き刺さる笑顔が、また一つ。

 こちらの決着がつく日も、決して遠くはないのかもしれない。







 リンリーは隠れ家である拠点の門前で、所在なく立ち尽くしていた。

 入るに、入れない。


「なにをやっているのですか、リンリー」

「そ、尊師……」


 問われ声に、ぎゅっと裾を両手で掴む。


「負けて、しまいました」


 リンリーが敬語を使うのは、たったの二人。イチキとその姉を前にした時だけだ。勇気を振り絞って告白する。

 今日の勝負。リンリーは負けてしまった。いっぱい修行をして前より強くなったのに、自分より才能がないミュリナなんかに負けたのだ。


「負けた? 誰に、なにをして、でございますか?」

「みゅ、みゅりなに、です。模擬戦で、ま、負けました」

「ああ、なるほど。それは、当然でございますね」


 イチキは欠片も気にした様子がなかった。弟子の敗北を聞いても怒りを見せず、当たり前の結果だと頷いた。


「あなたとミュリナでは、努力の質がまるで異なります。ミュリナは、あなたより幼い頃から戦う術に特化して学んでおりました。対してあなたがのめり込んでいたのが、なかば道楽に近い占術。比べれば、あなたが勝利できる道理がないことぐらいわかりませんか? 悔しがることすら不遜です」


 慰めの言葉は皆無だ。正論で叱咤されたリンリーが、ひく、としゃくり上げる。

 負けたことには気にも留められなかったのは、期待すらされていない証拠だ。それがわかってしまい、リンリーの涙がまたこぼれ始める。


「そ、尊師があたしと同じくらいの時、どんなでしたか……?」

「わたくしが、ですか……」


 はて、と小首を傾げる。

 答えあぐねたイチキの態度で察する。

 間違いなく、幼少のイチキはいまのリンリーより強かったのだ。それもいまのリンリーの実力では比較対象にならないほどに。

 イチキが過去の自分との比較対象として視線にとめたのは、小柄でいて、鍛え上げた体躯をしている男だった。

 ボルケーノ。

 この隠れ家を提供している男だ。カーベルファミリーなるマフィアの幹部でもあるらしいが、そのあたりの部分にリンリーは関わらせてもらっていないので、詳しいことはわからない。


「ボルケーノさん」

「あん、どうした?」

「わたくしがボルケーノさんと戦ったのが、ちょうどリンリーと同じ歳の頃でございましたね」

「ああ、あれか……」


 懐かしいものを思い出すためか、ボルケーノが視線を遠くにやる。


「懐かしいな。末恐ろしいガキだと思ったもんだぜ」

「姉さまに止めていただけなければ、果たしてどうなっていましたでしょうね」

「俺かお前か、どっちかは死んでただろうな。……いや、万が一お前を殺してたら、俺は即座にあいつにぶっ殺されてたか。そういう意味じゃ、間違いなく俺が命拾いをしたな」

「まさしく」


 袖を口元に当てて、くすくすと笑みをこぼす。

 ボルケーノは間違いなくミュリナより強い。その彼に、幼少のイチキが互角以上だったのだ。

 イチキとて、戦闘に特化して魔術を学んだわけではない。それなのに遥かに開いた差がある。

 リンリーはぽろぽろと涙を落とす。

 リンリーは、もっともっと自分が天才だと認めさせたかった。及ばない自分が悔しかった。隔絶した距離がもどかしかった。

 自分はイチキの弟子なのに、どうして自分はもっと天才じゃないのか。

 それ以上に。

 リンリーは、イチキと血のつながった妹なのに。

 なんで、姉と、こんなにも距離が離れているのだろうか。

 相応しくないのでは、という疑念がリンリーの心を圧迫し始める。弟子として、妹として、自分は相応しくないのではないだろうか。

 生まれて初めて自分を否定する思いが自分の中に湧き上がる。自責がリンリーの心を自縛して釘付けにする。


「悔しいですか?」


 リンリーの気持ちを知ってか知らずか、イチキが語り掛ける。リンリーは無言のまま、こくりと小さく頷いた。


「リンリー」

「は、はい」

「あなたの才能は、確かにミュリナに勝っています。あなたに魔術的な才能があることは明らかです」

「はい」

「ですが、才能があるからといって、あなたの才能はあなたを救うことはございません」


 誰よりも才能に優れたイチキが、鋭く、重い言葉を告げる。


「いいですか、リンリー。あらゆる才能は、決して才能が宿った本人を救うことはないのです。人に宿った才能とは、己に向けられたギフトではありません。人に宿る才能は己以外の人々に向けられることを運命づけられます」


 才能を持つ者は、才能に助けられることがあっても、才能に救われることはない。贅沢な悩みではあるが、才能があるからこそ、自分の中にある才能にこそ苦しまされる事実を知らなければならない。

 だって、イチキの才能が、イチキを救うことはなかった。

 だからイチキは、まだ己の分際すらわかっていないリンリーに問いかける。


「それでも、あなたは、あなたの才能に応える努力をする覚悟がございますか?」


 ここで頷くことに、才能は必要ない。

 覚悟だ。

 挫折を知って、自分が天才ではないと知って、それでも自分の才能を見つめて前に進めるかどうか。

 リンリーには即答ができなかった。怯えがある。迷いがある。未知への恐怖がある。もしかしたら、この世界は自分を愛していないのかもしれないとはじめて知った目だ。

 それでも彼女は時間をかけて、ゆっくりとそれらを呑み込んで。


「やり、ます……!」


 前を向いたリンリーは、はっきりと返答した。


「よろしい」


 イチキはわずかに微笑んで、幼く未熟なリンリーの覚悟を受け止めた。

 やはり、レンとミュリナのところに預けてよかった。その確信とともにリンリーの黒髪に手を乗せて、膝を曲げて視線の高さを合わせて、告げる。


「あなたには一つ、わたくしが持つ学術神秘を授けます」

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