才能の全肯定・中編

 ダンジョンを探索する冒険者の稼ぎ方は、主に二つだ。

 人の善の感情から生まれた恩寵を採取して売却する。もしくは、ダンジョンに関わる何らかの依頼を受けて金銭を稼ぐ。他にも細かい資金稼ぎの方法はいくつもあるが、主流なのはこの二つだ。

 今日、レンが仕事として受けたのは後者だ。

 教会が間引きのために魔物退治と世情調査も兼ねたダンジョン分布の依頼を常時発行している。

 報酬は多くないが、両方を受ければ安定した稼ぎになる依頼だ。


「はい。依頼の件は確認いたしました。本日は、ありがとうございました」


 生真面目な口調でレンの報告を受け取ったのは、少し前に神殿のダンジョン受付の仕事を始めたばかりの年若い修道女、タータである。

 十二歳という幼さの割には、とてもしっかりとした少女だ。努力して保っているきりりとした無表情は、彼女の憧れであるイーズ・アンを目指してのものである。

 だが、そんな真面目な態度は悪戯小娘のリンリーにとってみれば格好の餌食である。

 今日の受付がタータだと見るや、リンリーがきらりんと瞳を輝かせた。

 とてて、とレンの前に出たリンリーは受付の机の上から身を乗り出す。


「はぁーい、タータちゃーん。こちらこそいつもありがとーございまーす」


 頬杖をついて顔を近づけたリンリーは、自分とほとんど同い年のタータへ小憎たらしい笑みを向ける。


「お仕事大変だよねー? 地味ぃーでだぁーれも褒めてくれないつまんないお仕事、真面目に頑張ってるタータちゃんって、すっごーい!」

「あなたは……!」

「えー? どーしたの?」


 無表情を崩してびきっとこめかみに青筋を浮かべたタータに、リンリーはこてりと首を傾ける。憎たらしさ満点な仕草だ。


「なんで怒ってるのぉ? あたしと同い年くらいなのにお仕事がんばってるタータちゃんのこと、がーんばれ、がーんばれって応援してあげてるだけだよ? それなのにタータちゃんたら、いつもごごぉ? むぐぐぅ!」

「はい、そこまで」


 レンがリンリーの口を覆って受付から引き離す。

 最初に冒険者登録する時に一悶着あったせいか、それとも同世代がほとんど周りにいない環境のせいか。リンリーはことさらタータをからかって遊んでいる節があるのだ。

 イチキの目の届かないところにいるリンリーは始末に負えないお子様なのだが、タータが相手だとまた一味違うものになる。


「い、いつもごめんね?」

「……ちゃんと、無礼のないようにしてください。そいつが他の方に迷惑をかけると、あなたの評判まで下がりますよ」


 レンの謝罪に、表面上は怒りを収めたタータが冷ややかな目を向ける。目下のところ、リンリーのせいでタータの好感度はだだ下がりである。

 レンはリンリーを抱えるようにして神殿の外に出る。そこで解放すると、リンリーがぷっくりとほっぺたを膨らませた。


「もー! なんで邪魔するの! これからだったのに!」

「いや、邪魔するって。人に迷惑かけちゃダメだろ」

「ふーんだ」


 そっぽを向く態度は悪戯をとがめられてむくれる子供そのものだ。

 問題は多いが、幼さからは信じられないほどに優秀であることは間違いない。だからレンは何の気なしに思ったことを口に出した。


「そういえば……リンリーとミュリナって、どっちが強いんだろうな」


 それは本当にただの雑談の種のつもりだった。

 系統こそ違うが、ミュリナもリンリーも優れた魔術師である。レンとしては『どっちもすごいよね』という結論に持っていく話題のつもりだった。


「ん? あたしがこんなガキに負けるわけないじゃない、レン」

「ミュリナなんかに負けるわけないじゃん、レンおにーちゃん」


 ほとんど同時の発言だった。

 お互いの言葉の衝突に、沈黙が落ちた。ミュリナとリンリーがゆっくりと顔を合わせる。

 視線がぶつかり、ばちぃっと火花が散った。


「なに、ミュリナ。そもそもあたしに一回負けたの、忘れてる?」

「はぁ? あー……まさか、一回だけ不意打ちで雑な金縛りが成功したからって『勝った』とか思ってるの? 勘違いにもほどがあるわね」

「なーに言ってるの? イチキ尊師の弟子なあたしが、ミュリナみたいな雑魚に負けるわけないじゃん。ミュリナってば、自分の分際をわきまえてよね」

「分際を、ねえ。そうね。いい加減、この増長しきったガキにはどっちが上か思い知らせるのもいいわね」

「年だけが上のミュリナにそんなことできるのかなー? 格付け、はっきりさせよっかぁ。だいじょーぶ、ミュリナ? レンおにーちゃんの前で負けて、自分がよわよわだってわからせられちゃうよ? 泣いちゃわない?」


 挑発と挑発がぶつかり合って戦いの狼煙となって打ちあがる。

 しばらくにらみ合っていた二人の視線がレンに向けられる。


「レンおにーちゃん」

「審判しなさい」


 すでに事の是非はレンの手から離れている。

 強制力のこもった声に、がっくりとうなだれた。






 ミュリナとリンリーの模擬戦は訓練場で行われることになった。

 冒険者が修練のために使う訓練場は、ダンジョンを管理する神殿の傍に建っている。問題は二人が戦えるほどのスペースが空いているかどうかである。

 レンが、どうか混雑でいっぱいでありますようにと祈っているが、こういう時に限って祈りは通じない。運がいいのか悪いのか、訓練場の一画にレンの顔見知りの人たちがいた。

 向こうもレンの顔に気がついたのか、近寄ってくる。


「おお、レン君じゃないか! 久しぶり!」

「あ、お久しぶりです」


 町の治安を守る騎士隊の皆さんである。

 数人が訓練で使っていたようだ。声をかけてきた面々が、服装から治安維持隊だと察したミュリナがレンに視線を向ける。


「知り合い?」

「ちょっと前に、一緒に訓練してもらったんだ。ウィトンさんの部下……でいいのかな」

「へえ、お兄ちゃんの」


 ミュリナの台詞を聞いた騎士隊の面々が、どよ、とざわめいた。


「お兄ちゃん、ってことは……君はもしかして」

「妹です。兄がいつもご迷惑をおかけしています」


 こわごわ質問してきた騎士の一人に、ミュリナが丁寧に頭を下げて挨拶をする。礼儀正しい正しい態度だったが、騎士たちの動揺は収まらない。


「隊長の妹さん……」

「大丈夫か。大丈夫なのか?」

「パッと見はまともそうだけど……あの人の血縁だろ?」

「ミュリナはねー、ぜんぜん普通じゃないんだよ? レンおにーちゃんに対する執着がすごいもん」


 ウィトンの評価が散々なものだった。そこにリンリーがするりと入って、悪気なく噂をばらまく。

 訓練場に似合わない子供の姿に、騎士隊の面々が目を丸くする。


「おや、君は?」

「あたしはリンリーだよ。レンおにーちゃんのパーティーに入ってあげてるの」

「その歳で冒険者?」

「そりゃすごいけど……本当に?」


 しげしげとリンリーを眺めた視線がレンへと向けられる。

 ミュリナはともかく、リンリーに至っては若いというより幼いという表現がぴったりだ。疑問に思われてもしかたない。


「はい。間違いなく、二人ともパーティーメンバーです。で、ミュリナとリンリーが手合わせをしようってことになったんですよ」

「俺たちは休憩するから、レン君たちが場所を使うか?」

「いいですか? ありがとうございます!」


 好意に甘えることにする。あまりに若い組み合わせの戦いに興味があるのか、他の騎士たちも観戦するモードだ。

 そんな観客の視線を気にした様子もなく、二人は完全に戦闘態勢に入っていた。


「それじゃあ、はじめ!」


 審判役に任命されたレンの号令とともに、先に動いたのはリンリーだ。

 中指と薬指を親指と合わせて、人差し指と小指をぴんっと立てる。

 いわゆる、狐の手遊び。影絵をつくる子供遊びだが、誰もができるものだからこそ歴史も積みあがる。

 リンリーはその構えのまま、一言。


「こんっ」


 かわいらしく鳴いた言霊に呼応して、平面の影絵が浮かび上がる。人を丸のみにできるほどに巨大化した影の狐がミュリナに噛みついた。

 油断なく注視していたミュリナは、両手に短剣を携えたまま地を蹴った。バックステップで狐の影絵の一嚙みをかわす。

 影の狐を襲わせている隙に、リンリーが袖に忍ばせている竹筒から視覚では認識できない管狐を放った。

 四方からミュリナの四肢をからめとろうと迫る。

 管狐を使った呪術的な金縛り。知らないままならば、見えないままで縛られる厄介な術である。

 だが。


「もう、知ってるわよ、それは」


 ミュリナは表情を変えずに短剣を振るう。

 魔力が込められた刃は、あっさりと管狐をとらえて切り裂いた。ほぼ同時に放った火球が正面から襲い掛かってきた影の狐を焼き払う。

 リンリーの扱う魔術は、根本的には呪術から派生したものだ。その術理は相手の理解が及ばない位置からの搦め手が多い。

 対してミュリナは学術的な学問から派生した近接魔術と遠距離魔術を使う。正面戦闘に関していえばミュリナは非常にまっとうであり、正道だからこそ強い。わかっていても抗いがたいのだ。

 あえて後手に回って相手の攻撃を受けきったミュリナは鼻で笑う。


「イチキから教わってこれ? 程度が知れるわね」

「はぁあ? なーに言ってんの?」


 イチキを引き合いに出されたリンリーは、尻尾と耳の毛を逆立てて牙を剥く。

 怒髪天突くとはこのことか。かわい子ぶっていた皮が剥がれて、怒りを丸出しにする。


「ミュリナってば、大した才能がないくせに生意気ぃ。ちょっとマシなだけのザコなんだから、ちょーしに乗らないで欲しいんだけどぉ!」


 リンリーの尻尾の先から静かに、音すら立てずに青い炎が出現する。

 狐火だ。

 ただただ穏やかに揺らめく狐火の数は、七つ。狐火に照らされるリンリーの輪郭がぶれ始めた。

 ミュリナが無言のまま目を細める。

 狐火は、言葉の通り狐が灯すといわれる炎だ。ほとんどの伝承で火力の高さが強調されることはない。

 その本質は、宵闇に浮かび人心を惑わせるための灯りである。

 灯りに照らされたリンリーが、二人に、三人にと数を増やしてミュリナを惑わそうとする。


「幻術、ねぇ」


 ミュリナは慌てず騒がず、探査の魔術を発動。物質主義の魔術は、世界の観測が根本にある。視覚を惑わされようとも、多様の観測手段を持ってさえいれば幻に惑わされる道理はない。

 リンリーの使っている狐火は、意識に作用するものではなく視覚を惑わしているだけだ。音響探査の要領でミュリナがリンリーの居場所を掴む。

 だが狐火の幻術は見破られることが前提の時間稼ぎでしかなかった。


「こん、こん、こん……」


 ミュリナが攻撃に移るより先に、リンリーは小さく呪句をつぶやきながら、九字の刀印からはじまる七つの手印を結び切っていた。

 きッ、と鋭く視線をミュリナに叩きつけ、最後に大きく一鳴き。


「こんっ!」


 大喝でぶつけられた文言に、ミュリナの体が縛られた。

 短剣でもって斬りかかろうとしたミュリナの動きが停止した。首から下がぴくりとも動かせない。外圧ではなく、意識レベルで縛られている状態にミュリナは目を見張る。


「不動金縛り!?」

「あはっ、せいかーい!」


 ミュリナの驚愕に、してやったりとにししと笑う。

 いまミュリナを縛っているのは、正真正銘の念力。管狐を使ったまがい物の呪縛とは違う秘法の一種だ。

 不動金縛りは、物理的な縛りではない。肉体に圧をかける術ではなく、人間の抱える煩悩を縛り上げることで行動を不能とする術だ。

 リンリーは鼻高々と自分の技を自慢する。


「えっへへー! 不動明王由来、飯縄権現派生のダキニ天法とか、知らないでしょー!」

「どマイナーなもの進めたわね……! 清華の中でも極東一派の亜流で、しかも途絶してるやつじゃないっ。『飯縄の法』とか、そのうち鼻が天狗になるんじゃないかしらっ」

「……うわっ、なんでちょっとは知ってるの、ミュリナのくせに」


 ダキニ天法はイチキよりリンリーに叩き込まれている、密教由来の修験法である。

 東方の神秘領域は雑多だ。その多神教圏において、古来より狐は神仏の乗り物になることがある。リンリーはその縁を使って狐の呪いより格を上げ、神使となった縁より力を手繰る呪術を学んでいるのだ。

 狐由来のダキニ天法は天狗系列の愛宕の法と合わせて飯縄大権現を奉る『飯縄法』となる修験法だが、東方でもマイナーもマイナーな術である。そもそも邪法とされて弾圧の憂き目にあい途絶したはずのものだ。不動金縛りは密教の秘法としてあるために別だが、他の細々した術理はイチキが再編していなければ存在すらしていない。

 見事ミュリナを縛ってみせたリンリーは、にんまりと右の口端を持ち上げて手を口元にやる。


「ミュリナ、煩悩がおっきいからかかりやすいんだよー! レンおにーちゃんに相手にされてないから、たまってるのぉ?」

「んなぁっ!?」


 ミュリナは、怒りか、羞恥か、あるいはその両方で顔を真っ赤させる。とばっちりを食らったレンはさっと顔を背ける。

 百八つ数える煩悩の中には、色欲に言及するものもある。それを槍玉にあげて衆人のもとではやし立てられてはたまったものではない。


「この、クソガキ……! 絶対にぶん殴るわ……! 絶対によっ」


 ミュリナの怒りのボルテージが爆上げした。だが身じろぎすらできない。縛っているほうのリンリーも術の反動で動きがとれていないのが救いだが、それも時間の問題だ。

 それでも首から上は動くので、口で負けじと怒鳴り返す。


「密教由来の秘法なんて使ってたら、『聖女』が乗り込んでくるわよ!」

「こ、こないもん! 飯縄大権現は教理哲学がないから西方教会との神秘領域とかすりもしないし、さっき使ったのも真言(マントラ)の梵字を濁らせた呪だから、これくらいならまだ……こ、こないよね?」


 不安そうにきょろきょろと周囲を確認する。

 そして来訪の様子がないことから、ほっと一息。


「やっぱり、こないじゃ――」

「戦いの最中に相手から目を離すとか、甘すぎよ」

「――ぅえ?」


 いまの隙に金縛りから抜け出していたミュリナが、一呼吸の間に間合いを詰めてリンリーに足払いをかける。

 すこーんと転ばされてリンリーの天地が真逆になる。

 手加減する気などないミュリナは、当然のように追撃。リンリーが生やしているふさふさの狐尻尾をむんずと掴んで持ち上げる。


「むぎゃ……びぃ!?」


 逆吊りにされたリンリーがお尻の痛みに手足をじたばたとさせている間に、ばりりっと弾ける電流を流せば、決着だった。

 一声、悲鳴を上げたリンリーから、狐耳と尻尾が消える。身体能力の強化のために付与していた狐憑依が、意識の消失とともに解けたのだ。

 リンリーがびしゃりと地面に落下した。はた目からも、明らかに気絶している。


「ええっと……」


 大人気ない。

 特に油断の突きかたがあんまりといえばあんまりだったが、審判を請け負ったレンは感想をゴクリと飲み込む。


「ミュリナの、勝ち」


 決着は決着だと、ミュリナの勝利を宣言した。

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