タータの全肯定・前編
「……ふう」
神殿でダンジョンの受付をしている新人シスターのタータは、重いため息を吐いた。
午後の時間も深まる夕刻前。ダンジョンの受付は閑散とする時間だ。それでもタータは気を抜かず、ぴんと背筋を伸ばした姿勢で座っていた。
労役は義務だ。特に、修道院で育ったタータのような人間にとって糧を得るために働くのは当然のことである。
冒険者の中でも珍しい、自分と同い年ほどの少女が放った言葉が頭にこびりついていた。
――地味ぃーでだぁーれも褒めてくれないつまんないお仕事、真面目に頑張ってるタータちゃんって、すっごーい!
地味な仕事。その通りだ。
ダンジョンの管理は、人々の信仰を集める教会が行うべきものだ。だから教会で育ったタータは、少し前に十二歳になった時から教会で本格的な労役に就き、ダンジョンに関わる仕事をしている。
別にタータは褒められたくて修道女をしているわけではない。真面目にやっている、という意識すらない。
教会に育ててもらったから、生涯を教会に尽くす。夢でもなく、希望でもなく、いつの間にかタータの中で、そしてタータの周囲の人々の中で当たり前の進路として決まっていた将来だ。
「リンリンは……」
いつも絡んでくる少女の名前を、ボソリと呟く。
冒険者登録の時に、リンリンと名乗った少女。見るからに異国出身の彼女は、タータの生き方をいつも揶揄してくる。あの年齢で国元を離れて、冒険者になる。悲壮感のカケラもない態度を見れば、彼女が自由に自分らしく生きているのはよくわかる。そんな彼女からしてみれば、タータの人生は窮屈でつまらないものなのだろう。
タータには目指している人がいた。
幼い頃、まだ飢えて苦しむ子供いた時にこの都市に来た『聖女』。
困窮にあって苦しみを見せず、常軌を逸した秘蹟を振るう彼女は神の僕としてふさわしく超然としていた。教会の教えを体現したような人物で、教会の教えに従えば彼女のようになれるのではと憧れた。
あの人のようになりたいと思っていた。教会の労役はその一歩目だと考えていた。
なのに、自分は。
「タータちゃん」
とん、と肩を叩かれた感触に我に返った。
「ファーンさん?」
声をかけてきたのは優しい微笑みを浮かべる大人の女性、ファーンという名前の洗礼名を持つ修道女だ。
「す、すいません。ぼーっとして……」
「いやいや、いいんだよ? いまは丁度お客さんもいないし」
タータは、あまり彼女のことが好きではなかった。
彼女の人柄の問題ではなく、立場の違いによるものだ。修道院育ちの聖職者と、ファーンのようにも元の立場を捨てて教会に所属する人々とは、どうしても意識の差からできる溝がある。自分たちと、生まれと育ちがあまりにも違くて、きっと分かり合えない人なんだと思っていた。
ファーンは優しい人だ。とても優しいけれど、それは余裕がある立場の優しさだ。
自分の中にある俗な心を自覚して、タータは苦味に顔をうつむけた。
「まだ慣れないだろうし、疲れたでしょ? 今日は早めに上がりなよ」
「え、でも……」
まだ勤めを終えるには早い時間だ。顔をあげたタータの戸惑いを見て、ファーンはにこりと微笑む。
「大丈夫。私はまだちょっと、余裕があるから。代わりに受付、やっておくね」
「で、でも」
「量の問題じゃないんだよ。タータちゃん、あんまり顔色がよくないからゆっくり休んだほうがいいよ。仕事なんて、余裕がある時に、余裕がある人がやればいいんだから」
「……はい」
二度目の促しに、タータはのろのろと頷いた。
そんなにも、余裕がないように見えたのだろうか。立ち上がると後ろから、ファーンの明るい声が届いた。
「気を休めたいなら、近くの公園広場がおすすめだよ」
その言葉には返答せずに聞き流しながら、タータは教会を出た。
勤めを早めに上がったタータは外に出ていた。
神殿にいる気になれなかった。歩いて、外の空気を感じることで気を紛らわそうと思ったのだ。
労役に就いてから、なにか大きな失敗をしているというわけではない。周りの助けもあって、上手くやれている方だと思う。修道院育ちのタータは、見習いの頃からどんなことをすればいいのか、見ては学んでいた。
その実践は、今のところうまくいっている。
なのに。
「……ふう」
また、無意識のうちにため息が漏れた。吐息がこぼれてから、肩の重さを自覚する。ずん、と体が重くなる。疲れが取れない。もやもやした何かがタータの心に巣食っている。
なぜ、こんなにも疲れているのだろうか。
別に、嫌な出来事なんて起こっていない。周囲の人は優しいし、やるべきことはこなせている。受付をしていれば変な客もくるが、それだって他の修道女がカバーしてくれる。
なにも問題はないはずだ。
それなのに。
「はぁ……」
ため息が、止まらない。
どこかで、座って休みたい。そう思ったタータが足を向けた先は、近くにある公園だった。無意識のうちに、ファーンの言葉に影響されていたのかもしれない。
入り口からはいって、すぐに足が止まった。
公園広場に、誰かがいた。
白い貫頭衣を着た美しい少女だ。タータよりは年上だが、まだまだ年若い。首に皮の首輪を巻いた青みがかった幻想的な銀髪の少女が『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』と書かれた看板で口元を隠し、楚々と微笑んでいた。
「……」
タータは無言で自分の頬をつねった。
むにーと自分のほっぺが伸びる感触と一緒に、痛覚がこれ以上ほっぺを伸ばすのは止めろと訴えかける。
指を離したタータは、ひりひりする頬を撫でる。どうやら『全肯定奴隷少女』なる人物は夢でも幻でもないらしい。
困惑から解放されたタータの胸中に浮かんだのは、警戒心だった。
見るからに、まともではない。
なにか、怪しい商売なのか。しかし、全肯定とは一体。あんな少女がどうしてそんなことを。ぐるぐると考えが巡る中で、ぽんと一つの答えがタータの中に生まれた。
あの少女は、公園という場所で施しを求めているのではないか、と。
答えらしきものを見つけたタータの胸に、憐みの心が生まれた。
タータは自分の財布を見る。日々の糧を差し引いても、千リンぐらいの余裕はあった。意を決したタータは、公園広場の中央にいる少女に近づき、千リンを差し出した。
「これを、どうぞ」
銀髪の少女は、しとやかに微笑んで千リンを受け取った。
すっと口元から看板をどける。艶やかな朱唇に、形の整った顎先。隠されていた顔の半分も、期待通りの美しさだった。
ぽうっと見惚れてながらもどうしてこんな人が物乞いなんてと思うのと、少女の唇が開かれたのは同時だった。
「悩む理由は人それぞれ!!!! 老若男女のどんな人だって不満はあるの!!! 自分の中にある不満がどんなにくだらなく思えたって、あなた自身が蔑ろにしちゃいけないのよ!!!!!! ここでは気軽に愚痴をいっぱい吐き出すといいの!!!!!! えへっ!」
はきはきとしたハスキーボイスと、まばゆいばかりの営業スマイル。
「……え?」
清楚な外見を裏切る圧倒的なまでの声量に、タータは頭上にクエスチョンマークを浮かべる以外の反応をしようがなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます