レンの全肯定・後編


 どれくらい、経っただろうか。

 尽き果てるほどに涙を流したレンは、ぐしゃぐしゃになっていた自分の顔を乱暴にぬぐった。

 時間の感覚がなくなるほど、泣いていた。

 それでも、ここに来た時とは比べ物にならないほど心が軽やかになっていた。

 ようやく立ち上がったレンは、目の前の少女に礼を告げる。


「ありがとう」


 いまあるすべての感情を込めた五文字だった。


「……」


 対面の彼女は、すでにいつも通りの奴隷少女に戻っている。

 貫頭衣を着て、プラカードを持って、楚々と微笑む。

 レンは改めて千リンを、あるいは財布丸ごとでもいいから置いて行こうとしたが、プラカードを口元に寄せた奴隷少女は、ふるふると首を横に振る。

 いらないと、そういうことらしい。


「そっか」


 彼女に報いることができずに申し訳ないという気持ちが湧くが、同時にそれでいいのかもしれないとも思う。

 彼女からもらったものは、言葉にできない。金銭には代えられない。だからいつか、どうにかして返すのだ。

 人の想い、恩というものの重みを、レンは改めて感じた。

 もう一度頭を下げて、踵を返した時だった。


「奴隷少女ちゃーん!」


 広場に響いたのは、常連のシスターさんの声だ。

 いつものように広場に駆け込んできた彼女は、レンを目に止めて「あら」と呟く。冒険者の治療を担当しているシスターさんである。レンも前衛をこなすようになってから何度かお世話になったこともあるので、顔を覚えられていたのだろう。

 一瞬だけ私服の自分の服装をつまんだシスターさんは、肩をすくめる。「ま、いっか」と小さくつぶやいてレンに向き直った。


「ええっと、確かレン君、よね」

「はい」


 名前も憶えられているのか、と少し驚いて答えつつも、ここから離れようとしていたレンは彼女に話しかけられたことに訝しむ。

 奴隷少女に会いに来たはずのシスターさんが、自分に何の用だろうか。

 怪訝な感情が声ににじんだレンに、シスターさんはあっさりと告げる。


「目を覚ましたわよ、あの女の子」


 息を飲んだ。

 あの女の子、が誰か。わざわざここでシスターさんが伝えてくれるのだから、明白だ。

 あの金髪の女魔術師に決まっている。

 レンは、そっと慎重に息を吐いて聞く。


「本当、ですか」

「本当よ。嘘ついてどーするの」

「あのっ、後遺症とか、そういうのは……」

「一切なし! お姉さんを誰だと思ってるの! 女の子には傷跡一つだって残しません!」


 シスターさんは、えっへんと胸に張る。

 自信たっぷりに保証されて、安堵の笑みがこぼれた。


「あ、ははっ」


 さすがだ。

 さすがは日頃ここで奴隷少女に愚痴ってリフレッシュをし、日々の仕事に全力を尽くしている、すごいシスターさんだ。


「よかった……ほんとに、よかった……」

「うん。よかったわね」


 今にも涙を流しそうなほどに安堵しているレンを見て、シスターさんは目元を緩めた。


「神殿の裏手門から入って、左を曲がって突き当りの階段を上って三階の左手五番目の個室」

「はい?」


 並びたてられた言葉の意味がよく分からず、きょとんする。

 そんなレンに、シスターさんはぱちりとウィンク。


「時間外だからほんとはいけないんだけど、よかったら会いに行ってあげて。パーティーリーダーの人も帰っちゃったし、あの子も目が覚めたばっかりで一人きりじゃ寂しいでしょ」

「……はいっ!」


 シスターさんに頭を下げて、レンは神殿へと向かう。

 まったく、敵わない。

 奴隷少女に仕事の鬱屈した愚痴を吐き出しに来ているはずなのに、たいした知り合いでもないレンに気を使って、女魔術師の心にも気を配って、よりよい方向へと導いてくれるのだ。

 この世界は、本当に自分なんかでは太刀打ちできないほどにすごい人ばかりだ。

 レンは広場を抜けて、神殿に戻る道へと向かう。

 そして、その背後。


「ねえ聞いて! 今日は集中治療の人が入ってね! すっごく大変だったの!!」

「とってもお疲れ様なの!!!!!!!!!!」


 後ろから聞こえてきた叫びには、思わず苦笑が漏れてしまった。








 言われた通りの侵入経路はさすがに覚えきれてなかった。

 いくらなんでも戻るのは格好がつかない。

 裏口から入って三階のどこかということだけは覚えていたので、レンは神殿に入ってそろーっと一部屋一部屋確認する。

 ダンジョンと共に建立された神殿は、主に二つの聖域に分かれている。

 人の信仰でもってダンジョンの入り口に蓋をする礼拝堂。レンが常日頃利用している場所だ。

 それと、冒険者の人々を癒す治療所アクスレペイオンである。

 一般の人々も多く利用する施設だが、もう夜も更けている。見舞いも含め、とっくに外来は締め切っている時間だ。見咎められたら追い出されるだろうと、魔力灯で照らされている神殿の廊下を忍び足で歩く。


「あんた、なにしてんの?」

「うわぁ!?」


 背中からの声に、びくぅっとレンの肩が跳ね上がった。

 後ろから声をかけてきたのは、安静中のはずの女魔術師だ。

 育ちがよさそうなのに、目だけはきつく吊り上がっている少女。いつもはツーサイドアップにしている金髪は、いまは完全におろしてストレートにしてあった。


「って、先輩ですか。なんで廊下に?」

「なんでって、のどが渇いたから水差し持ってきただけだけど」


 彼女の言葉通りに、その手には水差しが握られている。服装も神殿患者に着せられる白い服になっている。そのシンプルさが、ほんの少しだけ奴隷少女の服装を彷彿とさせた。


「病み上がりなんですし、水くらいで起き上がらないでシスターの人に頼んだほうがいいじゃないんですか?」

「いいでしょ。人任せは性に合わないのよ。――で? あんたは?」


 女魔術師は、不審の目を向ける。

 確かに客観的に考えてみれば、不審者はレンの方である。というか、実際に不法侵入者である。

 あはは、とごまかし笑いを浮かべて後ろ頭をかく。


「いや、先輩が目を覚ましたって聞いて、ちょっと忍びこんできました」

「忍び込んだって、あんたねぇ……」


 レンの言い分に、あきれ顔になる。


「まあ、いいわ。私が放りこまれた至聖所アバトンはこっちよ。立ち話もなんだし、来なさい」

「はい。あ、水差し持ちますよ」


 至聖所アバトン。要するに、長期の治療が必要だと判断された患者の宿泊所だ。

 正直たたき出されてもおかしくないと思ったのだが、意外にもレンの来訪はあっさり受けいれられた。

 集中治療の直後で、疲れが残っているのだろう。部屋に戻った女魔術師はすぐに寝台で横になる。

 なにを話そうか。

 自分のせいで隙を作ってしまったことへの謝罪か、助けてもらったことの感謝か。


「今日のことさ」


 レンが言葉に迷っていると、意外なことに女魔術師から話しかけてきた。


「別にあんたのせいじゃないから」


 つっけんどな口調だが、思わぬ言葉だった。


「あんたを囮にしたのはあたしの判断。あんたの未熟さを利用したあたしの戦術。あの時、あんたの判断で何かできた? できなかったでしょ」

「は、はい。目の前のことで、精一杯で……」

「そ。なら、やっぱりあれはあたしの責任で、あたしの功績よ」


 普通の口調だというのに強さがほとばしる言葉に、レンは圧倒される。


「あの知性あるインテリジェンス魔物モンスターへの決定打になったきっかけは、全部あたしのもの。……その時に負ったあたしの傷だって、血の一滴まで残らずあたしのものよ」


 語られるのは、自分の行ったすべてを握りしめて離さない自負。直面した物事に対しての、圧倒的な握力の強さ。

 失敗も成功も、関係ない。まとめて掴み取って、自分の中に引き寄せる。自分の過程に貴賤などない。どれだけ失敗しても、傷ついても血を流しても、彼女は悔しさも痛みも手放さないで糧にする。

 だから、結果が出る。

 圧倒的な利己的思考エゴイズム。並み居る他人から抜け出し優越するための個人主義インディビデュアル

 彼女は、時に傲岸に見える切れ長の瞳でレンを射抜く。


「だから、あんたなんかに分けてあげないわ」


 同じ年齢でもまるで違う心構え。

 自分と彼女。強さが違う理由がわかってしまった。

 彼女は、強い人なのだ。


「そう、ですか」


 ああ、くそう。

 レンは、一瞬だけ目を閉じる。

 まぶしいなぁ、ちくしょう。

 彼女が奴隷少女を利用することは、きっとないのだろう。

 自分の弱さを吐き出す人間を、女魔術師は不合理だと感じるはずだ。彼女にとっては栄養豊富なピーマンを前にして「にがいからやだ」と顔をしかめて好き嫌いする子供のように見えるはずだ。

 傷の痛みをくれてやらないと言った彼女に謝るのは、筋違いなのだろう。

 ならば、今日の彼女に贈る言葉は一つだけだ。


知性あるインテリジェンス魔物モンスターの討伐、おめでとございます」

「当然よ」


 功績をたたえるレンに、女魔術師は頷く。


「それと――初日に言ったの、悪かったと思ってるわ」


 奥歯にものが詰まったような物言いだ。


「その、なによ。あんたは、思ったよりも頑張ってると思うわ、うん。あの時は……ええと、きつい言い方して……きつい? まあ、うん。あれよね。とにかく、その、うん。そういうことだから」


 人を褒めるのと人に謝るのに、よっぽど慣れていないのだろう。だいぶしどろもどろな言いようになって、それでも自分の過去の言葉を撤回する。

 彼女の様子に、レンは苦笑する。

 そういえば最近少しだけ当たりが緩やかになっていたが、初日の発言を気にしていたとは思わなかった。

 実際、女魔術師の言葉はただの事実だったと思う。

 パーティーに入ったばかりのレンなど、やることもわからないやつだったからやる気がないように見えただろうし、今をいもって才能なんてないことはいやになるくらい思い知らされている。


「あはは」

「なに笑ってんのよ」


 ぎろりと睨んでくる。こういった気の強さはまるで変わらない。


「いや、なんていうか、はい。なんでもないです」


 かわいいところもあるなぁと思ったなど、口が裂けても言えない。

 だからやっぱり、自分の目標は、同世代のこの人に追いつくことだ。

 尊敬しようと強さの違いを思い知らされようと、負けっぱなしではいられない。

 とはいえ病身の彼女に宣戦布告をするのもかっこが付かないので、話を逸らす。


「それにしても、弱った時に慰められるのって効きますよね」

「そりゃどーも」


 なぜ女魔術師が「どーも」と感謝するのだろうか。女魔術師に慰められた覚えはないので、たぶん彼女は適当に返事をしているのだろう。

 自分にとって感動的だった出来事を聞き流されて、ちょっとだけムッとする。


「あんまり聞き流さないでくださいよ。今日俺がもらったのは、本当にいい言葉だったんですから」

「そ、そう?」


 そうなのだ。

 なぜかちょっと照れくさそうな顔をした女魔術師をよそに、レンは力強く頷く。

 今日、レンを慰めてくれた、静かなハスキーボイス。

 本当に、奴隷少女の言葉は効いた。効きすぎた。

 あんなの、反則だ。

 奴隷少女の言うような、自分を好きになれる瞬間が訪れるかは、わからない。生まれてきた意味なんて、分かる気がしない。

 ただ、この世界で大好きなものが一つ増えたことは、はっきりと自覚していた。


「俺、好きになっちゃいました」

「は? ……はぁ!?」


 なぜか女魔術師が素っ頓狂な声を上げた。

 どうしたのだろうとレンが怪訝に相手の顔を見る。


「な、なによいきなり!?」

「え、ああ、すいません。確かにいきなりですね」


 集中治療を受けて目を覚ましたら新人が神殿に侵入してきて、個室で気分を紛らわす雑談をし始めたと思ったらいきなり恋愛話をし始めたのだ。女魔術師にとってみれば、いきなりすぎるだろう。

 レンはさっきのセリフでうっかり『好きになった』対象の主語を抜いたことに気が付かず、自分の提供した雑談の話題のまずさに頬をかく。


「あはは……。確かにいきなりこんな話されて困りますよね」

「いや、困るっていうか、そういう問題じゃ……!」


 挙動不審になった女魔術師はしばらく視線をあっちこっちにさまよわせていたが、大きく息を吐いて呼吸を整える。さすがは幾度も死線をくぐった冒険者。精神の整え方をよく知っている。

 ただ、若干その頬に赤みが残っていた。


「わ、悪いけどあなたの気持ちには、応えられないわ。その……仕事相手でしょ。あたしは、冒険者としてもっともっと進んでいきたいから――絶対に、追いついてやらないといけない目標が、あるから」


 何を追いかけているのかは、知らない。

 ただ、彼女の切れ長の瞳には、はっきりとその道すじがみえているのだ。

 そこまで言ってから、なぜか女魔術師らしからぬ芯のなさでひょろりと視線をさまよわせる。


「だから、なんていうか、恋愛ごとにかまけている時間なんて、なくて、うん。そういうことっ。わかった!?」

「はは、そうですよね」


 なぜか最後に逆ギレされたが、この人の言う通りだ。レンは軽く同意する。

 背景もわからないのに恋愛相談されても、回答しにくいだろう。

 女魔術師の言う通り、奴隷少女は仕事でレンを相手してくれたのだ。最後にしたって、自分の仕事場で延々と足元に転がっていたのが迷惑だったか、心優しい彼女のサービスだったに違いない。さすがにその程度のことは、レンだって忠告されなくても承知している。

 そもそも、今の返答を聞いてわかった。

 恋愛相談とか、全然向いてる人じゃない。

 ただ、ここで引いたら自分の気持ちが嘘になる。だから、自分のスタンスだけははっきりさせておく。


「でも、この気持ちは抑えられないんですっ」

「っ!」


 レンは、相手の目を見てきっぱりと言い切る。

 生まれた感情に、高鳴る思いに嘘は付けないのだ。

 なぜか女魔術師が顔を真っ赤にする。ゆであがったタコのような顔色。いまにも湯気が出てきそうだ。

 わなわなと口をわななかせ両手を震わせ、言葉を失っている。

 さっきから、どうも女魔術師の反応がおかしい。


「どうしたんですか? ――はっ! もしかして、体調がすぐれないとか!?」

「ち、ちがうわよ!」


 呪いが残っていたのか、それとも傷がふさがりきっていないのか。とっさに熱を測ろうと額に伸ばしたレンの手を弾いた女魔術師は、逃げるように毛布をかぶる。

 寝台の上で隠れるように白い毛布にくるまった女魔術師が、威嚇する。


「あ、ああああああんた、自分がどれだけ恥ずかしいこと言ったか自覚がないの!?」

「はあ……?」


 レンはパチパチと瞬きをする。

 他人の恋愛相談に対してここまで顔を真っ赤にするとか、意外に初心だなこの人。

 過剰に思える女魔術師の反応に、むしろレンの気持ちは落ち着いた。


「まあ、今日はそれだけなんで! 無事に傷が治って、ほんとによかったですっ。じゃ!」


 そもそも見舞いのためとはいえ不法侵入だ。ここが個室とはいえ少し騒ぎすぎたし、当直のシスターに見つかれば怒られてつまみ出されるだろう。

 常連シスターさんの言っていた通り女魔術師にも後遺症などはなさそうだ。目的は達したし、もう帰るべきだろう。


「あっ、ちょっと――」


 女魔術師に呼び止められたが、長居するわけにもいかない。


「――~っ。な、なんなの、あいつっ……!


 残された女魔術師が寝台でしばらくジタバタする羽目に陥ることになったことなど露知らず、こっそり外に出たレンは、神殿の裏門を抜けて夜道に戻る。

 少し前までぬるかった夜気は、涼やかになっている。空気が入れ替わるようにして、夏が終わろうとしていることに、肌で感じ取る。

 日が進み、季節が変わる。

 取り返しのつかないことは、起きていない。

 明日も、自分は頑張れる。

 だから笑って生きていこう。

 まだ、これからだ。

 負けないぞ、と思う。負けてやるもんか、と心を固める。

 自分より強い人々は、世界にあふれている。

 でも自分だって、強くなりたいのだ。

 だから、諦めてなんてやらない。

 それでも耐えられなくなったら、あの広場に行くのだ。

 一回十分千リンの全肯定。あの女魔術師ほどの握力で望む未来を掴み取れる力のない自分には、時には道のりの厳しさに吐き出す場所がどうしてもいる。

 それは弱さかもしれない。

 でも女魔術師にはないそれが、いつか強さになることになるかもしれないじゃないか。

 そうだろう?

 自問したレンは、月を見あげる。

 夜空に浮かぶ白い月。冴え冴えとした銀光に奴隷少女の声を想起する。恋をしたあの子の声と自分の心と重ね合わせて、口を開いて肯定する。


「まったく、もってその通りだ!」


 この世界の片隅で、明朗な少年の全肯定が響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る