新しい上司は全否定・前編


 常連シスターさんは、ふらふらとした足取りで公園広場に向かっていた。

 足取りは力ないのに、どこか重く見える。疲労だった。いつになく表情が死んでいた。口からどろんと漏れ出た魂が昇天し、肉体は地に埋まる。そんな死後の世界を示しているかのように、いまの常連シスターさんの体には軽さと重さが同居していた。


「私の職場は……終わるかもしれない……」


 地面にめり込むかと思えるほど重い言葉は、小さすぎて誰にも聞かれることはなかった。

 常連シスターさんは足を進める。公園広場に到着すれば、そこには一人の少女がいた。

 青みがかった銀髪に、楚々とした立ち姿の少女である。手に持ったプラカードで口元を隠して微笑む姿は、可憐と評するのがぴったりだ。

 その姿を目にして、常連シスターさんの足取りにもいくらか力が戻った。あと少し。その一心で歩みを進め、彼女の前に立つ。


「ねえっ! 聞いてよ、奴隷少女ちゃん!」

「もちろんなの!!!!! 一回十分一千リン!!!!! 奴隷少女ちゃんはあなたのことを全肯定するの!!!!!!!」


 清涼なハスキーボイスが吹き抜け、あざとい笑顔が輝く。それだけでも、すっと心が解ける。

 全肯定タイムの始まりに、生気が失せていた常連シスターさんも勢いを取り戻した。すうっと息を大きく吸って、背筋を伸ばして訴える。


「あのね! 今日は特大にひどいことが起こったんだ……!」

「そうなの!!!!! 嫌なことがあったのね!!!!!!」

「そうなんだ。実はいろいろと配置転換があって、うちの上司が変わったんだけど……新しく来た人は、ド無能だったの!」

「それは大変なの!!!!!!」


 すかさず奴隷少女ちゃんの相槌が入った。


「とっても大変なことが起こったのね!!!!! 無能な味方は有能な敵より厄介なの!!!!! なにが厄介って、こっちからは手出しができないところがストレスを増大させるのよ!!!!! それが上司ともなれば負荷は百倍!!!! 最悪の事態といっても過言じゃないの!!!!!」

「そうなの!」


 さすがは奴隷少女ちゃん。相手の心に寄り添う軽妙な例えに、常連シスターさんはぶんぶんと首を縦に振る。


「珍しいよ? 一日で無能だってわかるの、相当だよ? だって普通、最初は取り繕おうとするもん。でもその人、最初のスタートダッシュすら皆無なの! ううん。スタートダッシュで無能を決めてきたの!」

「それはタチが悪いの!!!!!! 職場の人に体面すら取り繕う気がないとは、無能を飛び越えたある種の『無敵な人』なの!!!!! 絶対に知り合いたくないタイプの人なのね!!!!!!」

「うんうん! 最初は事前に聞いてたのと違う人が来たからさ、どうしてだろうって思って聞いてみたの。そしたら堂々と答えてくれたよっ。コネで入ったから人事がズレたんだって! いや、別にいいんだよ? 教会の偉い人って、八割方はコネだし。コネがない人が出世するほうが珍しいし、いまさら別にこっちも気にしないの、それくらいなら」

「そうなのね!!!!! 偏見のないあなたの考えは、とっても素敵なの!!!!!!」

「ありがとぉ!」


 それはそれでどうなのだろうという教会事情だが、長く続いた組織である。コネクションの強さは社会的に信用されるための武器になるのだ。常連シスターさん自身、自分の出生自体に一種のコネがあるというのは自覚しているため、そこは責められない。

 問題は、本人の態度である。


「あの人、自己紹介の時に『全力で挑む』とか言ってたんだよ? 確かに言ったの! なのに仕事に対してこれっぽっちも知識がなかったの! 役職付きで入ってきた人間がそれって、正直どうなのって感じじゃん!」

「それはひどいの!!!! 責任ある立場の人間がやることじゃないのよ!!!!!」

「ほんっとそれ! 信じらんないよっ。うちの仕事、人の生き死にがかかってるのに……! なんの判断基準もない人になに任せろっていうのさ! なんにも任せられないし、なんの指示も出して欲しくないんですけどぉ!?」

「まったくなの!!!!! シスターは治療のプロ!!!!! 人の命を預かっているからこそのプライドがあるの!!!!! あなたたちをシスター足らしめているのは、金銭じゃなくって矜持!!!! そんなこともわからない門外漢が上司に来るなんて、最悪もいいところのなの!!!!!!」

「だよねぇ!」


 奴隷少女ちゃんは、常連シスターさんにぴったり息を合わせて濁流のような相槌を入れる。


「コネでねじ込まれた人って、あの先輩ですら昔に冒険者を何人か浄化で消しかけただけ――あ、ごめん。これは、なんでもないの。うん。あの人、実力は本当にすごい人だからね。比べるのが失礼だった」

「わかったの!!!!! いまのは聞かなかったことにするの!!!!」


 教会認定の聖人にして革命の功労者『聖女』の不祥事がさらりと流された。

 本題はそこではないし、あれで無表情の先輩もだいぶ丸くなってくれたと常連シスターさんは感じている。こほんと咳ばらいをして仕切り直す。


「経験も知識もないなら、もうこっちで業務を巻き取るしかないから同僚と手分けしてるんだけどさ……新しい上司の人、仕事に対しての姿勢も最悪なの。『私は武に生きる身だから、学など知らん。私のやるべきことは他にある』だって! そんなプライドこっちが知るかぁ!! ってやつだよ! 何しに来たの? ねえ、やるべきこととやらが他にあるなら、なんでコネまで使って治療部門にきたの? ほんっと意味わかんない!」

「本当なの!!!!! 仕事を腰掛けにするのは自由だけど、任された立場の責任を果たさない言い訳にはならないの!!!!! 仕事をさぼる理由に使われるほうも迷惑なの!!!!!」

「ね! だよね!」


 コネは武器だが、やる気がないなら帰ってほしい。現場の切実な願いである。


「それでも部門長の仕事を任せたら、お願いするたびに『これは私の仕事なのか?』とかいうんだよ? そうだよっ。それが! お前のッ! 仕事だよぉおおおお!!」

「まったくもってその通りなの!!!!! わからないならわからないなりの立ち回りがあるの!!!! 自分の仕事もわからないやつが偉そうな態度をとるだなんて、笑止千万!!!!! 仕事ができなくても、頑張る姿勢があるなら成長も見込めるけど、やる気すらないとは期待も抱けない相手なの!!!!!」

「なんでうちの部門、ロクな人が上司にならないんだろ。散々な感じだけどさ、実は最初の自己紹介の時だけは期待してたんだよ……。すごい人が来たなって思ったんだ」


 だいぶすっきりしてきた常連シスターさんは、愚痴をこぼす。まだ時間はあった。


「なにせ、新しい上司って『聖騎士』スノウ・アルトだったから――」


 ごとん、と看板が落ちる音がした。

 奴隷少女ちゃんが看板をとり落としたのだ。

 常連シスターさんは目を丸くする。彼女の知る限り、全肯定の最中で看板をとり落としたことなど皆無だからだ。

 だが奴隷少女ちゃんは看板を拾うそぶりもなく、わなわなと手を振るわせていた。どうしたのか。常連シスターさんの不審が心配に変わった時だった。


「ご」

「ご?」


 快活な全肯定タイムとは思えないような、絞り出すようなかすれ声。常連シスターさんも反射的に復唱してしまう。


「……ごめんな、さい」


 思わず、素に戻ってしまった奴隷少女ちゃんの謝罪が響いた。

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