新しい季節の全肯定・後編



 広い迷宮の一画で四足の巨大な魔物がいななきを上げた。

 猪にも似た魔物だが、足一本で人間を軽々と踏みつぶせる巨体の持ち主だ。自然生物とはスケールが段違いな魔物は、三人一組の冒険者たちに鋭い眼光を向けていた。

 少年が一人、少女二人の人間たち。いわゆる冒険者パーティーだ。

 辺りに轟くような低いほえ声は明らかな示威だ。闘争心から生まれた魔獣に恐怖の感情はない。後ろ足を蹴り上げ、押しつぶす勢いで突っ込んでいく。

 しょせん、ちっぽけな人間だ。押しつぶすなど造作もないはずだった。

 だが、先頭の少年を跳ね飛ばそうとした瞬間に予期せぬインパクトが魔物の鼻先で発生した。とんでもない硬度のなにかに衝突したのだ。混乱とともに魔物の突進が停止する。

 激突の土埃が収まったあとには、無傷の少年が立っていた。ぶつかり合いを制したのは、明らかに彼だ。

 信仰の壁。

 少年の前に顕現した光壁が、巨大な魔物の突進を抑えていた。

 絶好の機会を作り出したレンが、鋭く呼びかける。


「リンリー!」

「はーい!」


 レンの目に、ふわりともふもふの尻尾が映る。狐の霊威をまとったリンリーだ。概念領域から力を引き出す魔術交信によって狐耳と尻尾を生やした彼女は、相手の動きが止まった隙を逃さず前に出て魔物の額に小さな足裏を叩き込んだ。

 驚くべきことに、衝撃で魔物の巨体が宙に浮いた。

 小さな体躯からは信じられないほどの威力だ。

 狐憑依をしたリンリーの身体能力は、普通の人間を大きく上回る。それに加えてこの国の肉体強化の魔術もイチキの教育により身に付けつつあるので、肉体能力はかなりのものだった。

 リンリーは幼さから考えれば破格なほど優秀な魔術師である。当然、扱える術は肉体強化に止まらない。

 魔物の巨体が宙に浮いたまま停止する。

 金縛り。目に見えぬ管狐を操るリンリーの呪によって、巨大な魔物を縛り付けているのだ。

 魔物は四肢をばたつかせて抵抗する。ここまで巨大な魔物だと、耐久力も尋常ではない。レンもリンリーも、とどめをさせる手札がなかった。

 だからこそ決めの一撃を放てる少女が控えていた。彼女には、レンが指示を出すまでもなかった。

 雷が落ちた。

 目がくらむ閃光が周囲を満たす。後方から容赦なく放たれた雷の刃によって魔物が縦に両断された。後ろで力を貯めていたミュリナによる魔術である。接近戦も一流の彼女だが、まだ慣れていないリンリーの動きを確認するためということもあって、今回は後ろに回っていたのだ。

 二つになって落下した魔物の死体が地面を揺らした。完全勝利である。

 この三人は、即席とは思えないほど戦力がハマっていた。

 戦闘が終わったとみて、くるりとリンリーが振り返る。てこてこと近づいた先はレンの傍だ。


「どう? あたし、すごかったでしょ! ね? ね!」

「おお、すごかったぞ。やっぱり強いな、リンリーは!」

「でしょー。レンおにーちゃん。リンリーのこと褒めていーよ。ほらほら」


 幼く可愛らしい満面を笑みで彩って、ずいずいと頭を寄せてくる。ミュリナがとても微妙な顔をしていたが、褒めてほしいのだろうと解釈して頭を撫でる。

 黒髪を撫でると、リンリーの頭に生えた狐耳がぴくぴくと動く。自尊心が補充されたリンリーは至ってご満悦の表情だ。自分の活躍をレンに褒めさせることによって、最近砕けがちなプライドを生成しているのである。イチキの教育によって多少は矯正されているものの、元がありとあらゆる方法でマウントをとっていないと気が済まない少女だったのだ。

 数少ない褒められチャンスで満足げな顔になったリンリーは、索敵のため先行する。周囲の警戒は、狐憑依によって五感も鋭くなっている彼女の役目なのだ。

 リンリーが離れたのを見て、何気なさを装ってミュリナがレンに近づく。


「……レン」

「ん?」


 隙あり、と肩を密着させるように身を寄せて、ことんと肩に頭を預ける。

 女の子の、香りがした。

 五歳以上年下のリンリーとは、はっきり違う年頃のミュリナだ。さらりとした金髪の感触にレンがどきりとしたのを知ってか知らずか、上目遣いで甘えるような口ぶりで。


「……あたしのことも、褒めていいのよ?」


 レンの理性が、がりがりと削れた。

 奴隷少女ちゃんにフラれて一週間余り。レンは以来、奴隷少女ちゃんのいる公園広場に向かえていないヘタれである。

 告白が玉砕したんだし、もうミュリナに対してノーの抵抗しなくてもいいんじゃない?という誘惑を頭の中で囁いてくる健全な本能が日に日に強くなっているのだ。

 心拍数が上がるのがはっきりわかった。体温が上がる。ミュリナの瞳に目が吸い寄せられる。だが、そこまでだった。


「す、ごいよな! うんっ。ミュリナすごい!」


 ぐっと堪える。ミュリナの肩に手を置き、密着していた体を引き離す。手に伝わるやわらかさと温かさをどうしても意識してしまいつつも、なんとか切り抜けた。

 ミュリナは、笑顔を浮かべる。悪戯っぽくからかうように、余裕のある魅力的な笑みだ。


「ちぇ。惜しい」


 グサリと言葉で突き刺してから「でも」と微笑む。


「そういうとこも、好き」


 ダンジョンという場所だということもあってか、攻め手を止めない。邪魔者が入らないと判断しているのだ。思春期の恋した少女のみが可能な、全力のアピールをぶつける。

 今日がレンの理性の命日か。

 だが、リンリーが狐耳をぴくぴくさせていた。

 ミュリナは少し離れたところにいるリンリーには聞こえないように気を付けていたのだが、どうやら狐の耳は通常時よりずっとよく聞こえるのである。

 一部始終を大変興味深そうに聞いていたおしゃまなリンリーは、振り返って、大きく息を吸って、思いっきり叫んだ。


「ミュリナがレンにやーらしいことしてるー!」


 辺りに響くような大声だった。

 ミュリナのこめかみに青筋が浮く。周囲に人気はない。だが、それはそれとしてはやし立てられたら腹が立つ。ミュリナの苛立ちを承知のうえでリンリーはにししと笑う。両手を口に当てて、からかいを続行した。


「やーらしいー! ミュリナ、いーやーらーしーいー!」

「あんたほんとにイチキの妹とは思えないわね! このクソガキ!!」


 堪忍袋の緒が切れた。ミュリナがかんかんになって追いかけると、きゃーっと楽しそうな悲鳴を上げながらリンリーも逃げ回る。つくづく他人を煽るのが好きな少女である。彼女は彼女で、イチキの目がないダンジョンを全力で楽しんでいた。

 ダンジョンの中で始まった追いかけっこに、レンは慌てて仲裁に向かった。

 正直、イチキがいてくれた時のような安定感はない。彼女がいたら安定しすぎて問題なのだが、それはそれとしていまの現状もどうかとは思う。

 だからこそ、やりがいはあるのだ。


「邪魔しないで、レン! そこのクソガキに年上への態度ってもんを思い知らせてやるわ!」

「むーりー! ミュリナみたいな雑魚じゃ、むーりー! 尊師と違ってそんけーできる要素ゼロだもん!」

「ミュリナは落ちついて。大人げなさすぎっ。リンリーも人を煽るのやめる! そういうのはよくないからなっ!」


 始まりというものは往々に騒がしく、不安定ながらも明るさに満ちているものだ。






 春。

 それは始まりの季節である。

 始まりということは、これからの物事が仕切りなおされるということでもある。それは常連シスターさんがいる教会も変わらない。

 春とは、人事異動の季節だった。

 そして常連シスターさんは晴れやかな気分で人事異動の結果を受け止めていた。長年、冒険者部門の部門長だったセクハラパワハラ上司がようやく部門異動をしてくれたのだ。後任に入ってくるというジークという聖職者は、常連シスターさんも知っている人物だ。知り合いの少年、レンが加入していたパーティーのリーダーだった。

 人となりはよく知っている。気配りがさりげなく、責任感のある人物だ。あの人ならそう悪いことになるまい。常連シスターさんはそう思っていた。しばらくストレスはだいぶ減りそうだと、新しい季節の始まりを祝福していたのだ。

 それは常連シスターさんだけではない。この部門で働くすべてのシスターの総意といっても過言ではなかった。

 だが、挨拶に現れたのは、ジークではなかった。

 シスターの事務室に入ってきた女性は、凛とした面持ちではきはきと挨拶をする。


「スノウ・アルトだ。少し前にこの国に戻って来て、縁あって教会の冒険者部門を預かることになった。任されたからには手を抜く気はない! 全力で挑むから、これからよろしく頼むぞ!」


 春の人事変更は、いつだって下っ端が思うような幸せを運んでこない、過酷なものなのだ。




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