五章

新しい季節の全肯定・前編


 春。

 それは冬には潜んでいた種が芽吹く季節。自然の草木が花開くように、多くの物事が始動する節目である。

 この時期が一つの契機になるのは、つい先日、十一歳になったリンリーも例外ではない。

 リンリーは、今日という日を楽しみにしていた。

 少し前から待ちに待っていた、レンとの冒険の日なのだ。

 リンリーがレンと顔を合わせたのは、一度きりである。そんな縁が浅いレンがリーダーとなるパーティーへの参加をリンリーがもろ手を挙げて歓迎している理由は単純である。

 ここ最近、日常がつらいのだ。

 血縁上では姉であり、それ以上に師匠であるイチキの授業は、それはもう厳しい。リンリーとてイチキを失望させるのは嫌なので全力で頑張ってはいるのだが、イチキが当たり前のように説く教えが高度すぎる。自分が無学なんだと思い知らされて、座学だけでぺきぺきと自尊心が折れる音がするのだ。いままで一族にいた時の適当な教育方針に恨みを抱くほどである。

 つらいのはそれだけではない。

 紫の髪を隠した御方は存在そのものが怖くて目も合わせられないし、スノウはリンリーの顔と名前をまったく憶えないし、たまにくるボルケーノという男性は顔が怖い。何よりも周囲には自分の格上しかないという状況が、生来からして小生意気なリンリーには多大なストレスなのである。

 そこでイチキから任されたのが、レンとの冒険である。

 圧倒的な安心感があった。別にレンの実力が高いからこその安心感ではない。リンリーから見て、レンは凡の中の凡である。だからこそいいのだ。レンが凡人だからこそ、リンリーはレンへ安全圏たる安らぎを見出せるのだ。

 いまリンリーが頑張る限り、レンには追い抜かれることがないという信頼があった。一緒にいるミュリナとかいう女には微妙に実力で負けている気がするが、年齢を考えれば自分の勝ちだとリンリーは確信していた。なにしろリンリーは十一歳。伸びしろが違うのだ。つまり、新たにできるパーティーの中で、自分が一番であるという確信があった。

 一般的には危険地帯に認定されているダンジョンに赴くことになるが、はっきりいってダンジョンなどよりイチキによる修行のほうがよっぽど厳しい。久しぶりに周りに自分より雑魚しかない状況になることにうきうきしながら準備を進めているリンリーに、声をかけてくる人がいた。


「リンリー。一つ注意しておくことがあります」

「はい、尊師」


 イチキに声をかけられたリンリーは、しゃきっと背筋を伸ばす。

 もはやリンリーにとってイチキのいうことは絶対順守である。逆らう意味がなに一つないと経験で身に刻んでいた。

 このタイミングでの呼びかけは、冒険の心得なのか。リンリーは顔を引き締めて拝聴する姿勢をとる。


「お前の名前なのですが……」

「はい」


 名前。

 予想と違う話題になんぞや、と思う。首を傾げるリンリーに、イチキは神妙な顔で告げる。


「下手をすると、お前が教会の受付で本名を明かしたら、迷宮に入る前に死にます」

「え」


 リンリーは、絶句した。







 教会の受付で、一人の少女が難しい顔をしていた。

 彼女はタータという名前の新人シスターだ。この春から手伝い見習いの立場から新人の受付シスターの活動を本格的に許された少女である。

 そんな彼女の前には、新たなパーティーを組んでダンジョンに挑もうという三人組がいた。

 三人中二人は、十代後半の男女だった。新たなパーティーといつつも、この二人は新人冒険者というわけでもあない。冒険者歴もはっきりしている。もしかしたらカップルなのかな、と思ってしまうほど仲がよさそうだ。

 問題は、残りの一人だった。


「リンリン……ですか」


 タータは、リンリンと名乗った少女の顔を見る。

 リンリン、というのはリンリーの偽名である。

 レンはこのパーティーにリンリーを参加させるにあたって、事前にあることを言い含められていた。

 リンリーの名前のことだ。

 この国に置いて「ー」を名前に記すのは、神の恩寵を受け取ったという形式の表れである。だからこそ聖職者は、洗礼名の中間に「ー」の文字を置く。イーズ・アンしかり、常連シスターさんのファーンしかり。受付をやっている少女、タータだってその例に漏れない。

 その点、リンリーは最悪だといって過言ではなかった。

 まず、洗礼名ではなく本名に「ー」が入っている時点でよくない。しかも、名前の末尾というのもまずい。延々と神の恩寵を受け取らずにこぼし続けている形である。

 普通の聖職者ならば、眉を顰める程度で済ませるだろう。そもそもリンリーは外国の人間だ。自分の文化の押しつけなど、良識があればしない。

 だがイーズ・アンに名前がばれたら、最悪、死の恐れすらあった。

 だからこその偽名である。

 その甲斐あって、名前は問題視されていない。そもそもタータは別にリンリーの名前を問題にしているのではない。

 リンリーの年が、今年で十二歳のタータとさほど変わらないように見えるのが大問題だった。

 受付のシスター少女は、あからさまな不審な目をレンへと向けた。


「いくらなんでも、子供をダンジョンにいれるのはどうなんですか……?」

「い、一応、規定の上では大丈夫だって聞いてるから!」


 そもそもリンリーが冒険するにあたって常識的に考えて一番問題になるのは、名前ではなく年齢だった。

 不審人物認定されかけているのに感づいたレンは、慌てず騒がず、友好的な笑みを浮かべながら交渉する。


「教会の規定だと、十歳からはダンジョンに入れるっていうのは確認してあるから、問題はないんだよね?」

「……規定はあくまで規定です。教会の規約は変わりずらいので、百年以上前から残っている文面もありますし、常識的に考えてそんな小さな子供を――」

「なーによ、えっらそうに」


 理路整然としたタータの意見にレンの分が悪いと見て、リンリーが口を挟んできた。

 リンリーにしてみれば、ここで門前払いを食らったらイチキの言いつけを聞けなかったも同然だ。どの面下げて帰るんだという思いがあるため、反抗的な目つきで受付をしている少女をにらみつける。


「タータ、だっけ? あなた、あたしと歳、そんなに変わらないでしょ。それがなーによ。人のこといえるお年頃なの?」

「私は十二歳です。確かに一般的にはまだ子供といえるかもしれませんが、教会において十二歳という年齢は――」

「十二歳! あたしと一歳違いで偉ぶってるんだー! へー。へー! すっごーい。タータちゃん、おねーちゃん! じゅーにさいだなんて、おっとなー!」


 はやしたてながら、くすくすと小馬鹿にした笑いを漏らす。

 受付のシスター少女の目が剣呑なものになった。事態の推移を見守っていたミュリナは冷静に告げた。


「レン。このクソガキは置いていきましょう。大丈夫。イチキには、あたしから話を通しておくわ」

「ちょっと待って、ミュリナ。リンリ……ンも、失礼な態度はとっちゃだめだろう!」

「はーい。レンおにーちゃん」


 ミュリナがかなりガチな口調だったので、これは放っておけないとレンが間に入ると、リンリーはするりと引いた。

 叱責を素直に受け入れたかのように見せたリンリーは一歩下がって、あっさりとレンの背中に回る。ひょっこり顔だけのぞかせ、この場でレンだけは確認できない位置から、べーっと舌を出した。


「ごめんなさーい、タータちゃん。はんせーしてまーす!」


 タータのこめかみに青筋が浮かんだ。ミュリナも受付の少女に同情した。

 当然、これで事態が収まるわけがない。剣呑な雰囲気を察したのか、別の場所から仲裁者が現れた。


「まったく……なにをしてるのかな、レン君」

「あ、ファーンさん」


 常連シスターさんの登場である。知り合いの冒険者と新人シスターの少女とで何か衝突がおきかけているのを察して声をかけてきたのだ。

 頼れる女性の登場に、レンはほっと息をついた。とはいえ彼女だけだったら、リンリーは生意気な態度をひっこめなかっただろう。性根からしてマウントとりが染み付いているのだ。

 だが近づいてくるもう一人の人影を見て、リンリーの顔が凍り付いた。

 後ろに、イーズ・アンの姿があったのだ。


「あの、この人が小さな子供をダンジョンに連れまわす気みたいで……」

「……レン君?」

「ちょっと待ってください! 連れ回すっていいかはちょっとアレですっ。この子、実力はすごいんです!」


 常連シスターさんの瞳に、レンはとっさに言い訳をする。

 実際、リンリーの実力は高い。生意気な言動は、自身の実力によるものでもある。そこらの冒険者を蹴散らせるほどの能力はあるのだ。

 常連シスターさんは、ふむと思案する。

 いまさらレンの人格は疑っていない。教会の規約的に、十歳からのダンジョン探索を認めているのも知っている。だが常識的に考えて、子供をダンジョンに連れていくのも問題なのは事実だ。微妙に面倒な事態である。

 ここは権威に頼るか、と傍にいた無表情の先輩に話を振った。


「どう思います、先輩」

「止めるものでもない」


 聖女と呼ばれることもある教会の最高峰は、よどみなく許可を出した。


「ダンジョンを踏破することは、すなわち他者の感情に打ち勝つと同義だ。試練を潜り抜ける意志を前に、年齢など些末な問題である。異教を導くためとあらばなおさらであり、必要であるとすらいえる。励め、少年」

「だって、タータちゃん」

「は、はい。イーズ・アン様がおっしゃるなら」

「ありがとうございます!」


 お礼を言って頭を下げるレンの後ろで、期せず聖女と対面してしまったリンリーは涙目になって大層おとなしくなっていた。

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