新しい上司は全否定・後編


 奴隷少女ちゃんと常連シスターさんは、公園広場のベンチに並んで座っていた。

 奴隷少女ちゃんが十分の間に全肯定を止めるなど、常連シスターさんをして初めての経験である。困惑しながらも奴隷少女ちゃんの顔をうかがう。


「ええっと……どうしたの? 体調が悪かったら、無理はしないでね」

「……」


 奴隷少女ちゃんは、無言で首を横に振る。

 どうやら体調が悪いわけではないらしい。それは、看護と治療が仕事のシスターの視点からも見ても嘘を吐いている様子はなかった。

 さて、どうしようと思案する。

 常連シスターさんと奴隷少女ちゃんの付き合いは長いが、実は普通の会話はしたことがない。いままでの数年間、顧客としての接し方しかしていないのだ。

 ちらり、と横目で隣に座る少女をうかがう。

 奴隷少女ちゃんは、顔をうつむけている。蕭然とうなだれている少女ちゃんは、いつものはきはきした『奴隷少女ちゃん』とはまるで違う様子だ。

 いまの奴隷少女ちゃんみたいな顔をした人を、何度も見たことがある。責任を感じて、少し思いつめている表情だ。言うべきことがある。けれども、何かのためらいが原因でなかなか口に出せない。そういう心境になっているんだなと、見てわかる。

 とはいえ、不思議には思わない。仕事とプライベートで性格のスイッチを切り換える人間なんて、どこにだっている。むしろはっきりとした切り替えができる人間は尊敬できるくらいである。


「……」

「……」


 互いに沈黙を挟んだ時間が流れる。

 常連シスターさんに焦りはなかった。まずは、相手が口を開くまで待つと決めたからだ。

 気長に、ゆっくりと。話したくなかったら話さなくていいし、話してもいいと思ったら話してくれるだろう。聞き出すことは、誘導することに近い。知らず、自分が望むように相手の話を導いてしまうこともあるのだ。

 少しの沈黙が、人の言葉を引き出すことだってある。

 なにより、奴隷少女ちゃんが素の様子を見せていることが、ちょっと嬉しい。だからこそ奴隷少女ちゃんが彼女の言葉で話し始めるまで待つのだ。


「……あの、ね」


 やがて奴隷少女ちゃんがおずおずと、でも確かに口を開いて話し始めた。常連シスターさんは微笑んで耳を傾ける。


「……スノウって、その。事情があって、私のところにいたの」

「え」


 まさかの告白に、顔が引きつった。

 自分がなにを言ったか思い返した常連シスターさんは、とっさに頭を下げる。


「ご、ごめん。知り合いのことを悪く言うつもりはなかったんだけど――いや、その、悪く言っちゃったのは、うん。とにかくごめん!」

「……ううん」


 見知らぬ相手への愚痴と、知っている相手への悪口とでは意味がまるで違う。わたわたと釈明する常連シスターさんに、奴隷少女ちゃんは首を振る。


「……スノウって。人の話、聞かないし。人の顔、覚えないし。いつも、自己完結するし。傍にいると、あんまりにもあんまりだったから……その。つい、無職の穀潰しはいらないって、追いだしちゃったの」

「ああ、なるほど……」


 ぽつりぽつりと事情を話していく。

 切実である。常連シスターさんは心の底から同情した。スノウは、よくも悪くも裏表がない。おそらく、私生活と仕事で態度が変わる人間ではないのだろうというのは察しがついた。

 壮絶にウザそうである。プライベートであんな人間が傍にいたら、神経が耐えられそうもない。どうして奴隷少女ちゃんが仮にも『聖騎士』であるスノウ・アルトと知り合いなのかはさておき、続きを聞く。


「……処遇に関しては、他の人に任せてたから。どうしたかっていうのは知らなかった。そ、それで迷惑かけてた、なんて……知らなくて。本当に、ごめんなさい」


 ベンチに座った奴隷少女ちゃんが、深々と頭を下げる。

 真摯な謝罪を受けた常連シスターさんは、ぽりぽりと頬をかく。奴隷少女ちゃんに謝って欲しいわけではないのだ。

 ふむ、と顎に手を当てる。


「あのね、奴隷少女ちゃん」


 常連シスターさんは、努めて明るく、けれどもわざとらしい口調にならないように、いつも通りを意識して声を張る。


「スノウさんって、ほんとに面倒な人だよね!」


 奴隷少女ちゃんが目を丸くした。常連シスターさんは、構わずに力強く言葉を続ける。


「思い込みが激しいんだよね、あの人! 行動が思い込み基準で、そのくせなぜか自分が他人より正しいって思っているからいちいちズレるんだよ。悪気がないのはわかるんだけど、悪気がない人が悪くないかといえばそれは違うもの。悪気のなさは免罪符にならない! そこのところを分かってほしいよね!」


 あっけにとられていた奴隷少女ちゃんは、はっと我に返る。

 常連シスターさんの言葉を聞いて、こくこくと頷く。思い当たることだらけだったのだ。


「……! そ、そうなの」

「わかるよー。なにをしても悪気がない人って、自分のことを悪いと思ってない人だからね! 基本的に他人のことを省みないんだよ、あの人たちは!」

「……わかる!」

「でしょ? でも、ここまで上司運が悪いと、方針を変えなきゃかもだね。よし。私も挑戦してみる」

「……? なにを挑戦するの?」


 奴隷少女ちゃんの問いに、ふふんと得意げな笑みを向ける。


「上司を育てる、っていうことにだよ!」


 ぐっと拳を握った。おお、と感心した奴隷少女ちゃんがぱちぱちと拍手を送る。


「前のハゲの時にもいろいろあったおかげで、業務自体は巻き取れる体制があるからね! もう期待しないよ! 他のみんなと一緒に頑張る! ……ふふ。やっぱりこうして普通に愚痴をぶつけ合うのも、すっきりするね」


 笑みをこぼした常連シスターさんは、奴隷少女ちゃんの青みがかった銀髪を撫でる。


「だから謝らなくていいの。ね? 私たちは完全じゃないの。他人の悪口だって言うし、よかれと思ったことが違う結果を起こすことだってあるの。だから、今日もありがとね。スノウさんへの悪口、楽しかったよ! ……ただ、これは二人だけの秘密。ね?」


 人差し指を口元に寄せて、ぱちりとウインク。

 ぽかんとしていた奴隷少女ちゃんだが、やがてこくりと頷いた。素直だ。常連シスターさんは、いい子いい子と奴隷少女ちゃんの頭を撫でる。少し恥ずかしそうな顔をしながらも、奴隷少女ちゃんは黙って受け入れた。


「そういえば、レン君となにかあった?」


 もう、十分は経過している。それでも世間話にと、そっちの進捗があったのか話を振ってみる。

 意外なことに、反応があった。


「……ぁ、う」


 みるみるうちに、顔を赤くしたのだ。おやと常連シスターさんが目をしばたいていると、気恥ずかしさにそっぽを向きいたら奴隷少女ちゃんの答えが来た。


「……その。告白された」

「おお」


 意外とやるな、レン君。それが常連シスターさんの偽らざる感想だった。常連シスターさんの知らないところで、ちゃんと頑張っているらしい。これは気になる、身を乗り出した。


「それでそれで? どうしたの?」

「……ううん。断った」

「ありゃりゃ」


 告白を断られたとなると、レンはだいぶショックを受けただろう。次会った時にはフォローをしてあげようかな、と苦笑する。

 いま聞いている感触としては、悪感情を抱いている様子は見えない。


「でも、どうして断ったの? もちろん嫌だとか気が向かないっていうのは立派な断る理由だから遠慮なんて一切無用だけど、レン君っていい子だと思うよ?」


 レンのフォローがてら、興味本位の質問だ。ついでに、レンを慰めるための補強材料の調達の意図もある。


「……うん。いいやつだと、思う。だから私なんかより、ずっといい子と出会うべきだって。そう、思う」


 きょとん、とする。

 常連シスターさんからすれば、奴隷少女ちゃんはめったに見ないほどのいい子である。断る口実だろうかとも考えたが、そんな様子もない。

 奴隷少女ちゃんは、謙遜なしに自分を卑下した。

 どこか寂し気で、なにかに傷ついている彼女の表情を見て、ああ、と気が付いた。

 彼女は自分の名前を明かさない。誰かと向き合う時も、いつもは看板を掲げて『全肯定奴隷少女』という立場を身に纏っている。頑なに彼女自身を見せようとしない。その理由に、常連シスターさんはいま気が付いた。

 この子は、自己肯定ができていないのだ。

 彼女は、自分を認めていない。『全肯定奴隷少女』という枠組みの自分は別として、仕事をしているとき以外の自分を認めていない。それが今日の会話でわかってしまった。

 まったく、と常連シスターさんはつくづく後悔する。やっぱり、この子に一歩近づき寄り添うべきだった。そうすれば、もっと早く気が付けたはずなのに。あるいは、最初にあった時の、いまよりもまだ幼かった頃の彼女に教えてあげられたのかもしれない。

 こんな年頃の少女になってもなお、自分を認めることのできない悲しみが奴隷少女ちゃんの心にはあった。


「ひどい時代だったもんね」

「……」


 皇国最悪の十年。そのさなかに何があったのか。誰しもがあの時代に傷ついた。

 恋をしてほしいな。

 彼女の青みがかった銀髪を、まだ幼さの残る美しい顔立ちを見て、そう思った。

 恋をしてほしい。レンのような、まっすぐな少年の思いを受け止められる少女になれば、彼女はきっと彼女のことを認められる。彼女のことを好きな人の思いをちゃんと見据えれば、彼女はきっと自分の価値に気が付けるはずだ。

 看板を掲げていない時の彼女だって、かけがえのないほど素敵な少女なのだから。

 誰かを好きになれるくらいに、彼女が自分自身のことを愛することができるようになってほしい。自分自身を愛することができて初めて、人は本当に人を愛することができる。


「自分がどうとかじゃなくてさ、いまの気持ちを考えてみるのもいいと思うよ。人が誰を一番大切にするべきかって言われれば、それはとても簡単なことなの」


 これは悩める少年のためだけではない。


「だからね、奴隷少女ちゃん」


 目の前のにいる悩める少女のためにも。


「自分を、大切にして?」


 少しばかり長く生きて前を歩く年上として、助言を与えた。





 初めてベンチに並んで喋ったシスターさんは、笑顔を残して立ち去っていった。

 それを見送った奴隷少女ちゃんは、改めて看板を持って公園広場にたたずむ。

 草木が芽吹き、日差しが照り、空気が湿り、温かくなっていく。

 夏が来るのだ。

 強くなっていく陽ざしの中でも、奴隷少女ちゃんは日陰のない公園広場でお客を待つ。


「……」


 誰もが言う。

 最後の皇帝の時代は、ひどい時代だった。

 今日、はじめて普通に会話をしたシスターさん。あんな優しい人でも、言うのだ。

 最悪の十年を作り出したのは、自分だった。

 だからこそ、一人公園広場に残った奴隷少女ちゃんは、確信を込めて呟く。


「……許しちゃ、いけない」


 シスターの言葉でも払えぬほど重い罪を背負って、彼女は誰かを全肯定するために立ち続けた。

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