お見舞いの全肯定・前編



 昼からダンジョン探索の予定だったその日。

 レンが借りぐらしをしている平屋に、ノックの音が響いた。


「はーい……って、アルテナさん?」

「こんにちは、レン君。久しぶりね」


 一人暮らしをしている部屋の扉をノックしたのは、アルテナだった。

 レンより少し背が高い、長身の女性だ。冒険者を引退しているが、彼女の腕前はいまもまだ一流の域にある。レンが世話になった先輩の一人だ。


「ご無沙汰してます、アルテナさん。それで、どうしたんですか?」


 最近、アルテナとはあまり会っていなかった。急な来訪に首を傾げるレンに、アルテナは穏やかに微笑む。


「ミュリナが熱を出しちゃったのよ。ダンジョンの探索には行けないってことを伝えに来たの」

「ミュリナが熱ですか? 大丈夫なんですか」

「ええ。少し体調を崩しただけだから、休んでいればすぐに治ると思うわ」


 予定のことよりも真っ先にミュリナの体調を心配したレンの不安を解消する。


「それで悪いとは思うんだけど、お見舞いに来てくれるかしら」

「はい、もちろんです」


 断る理由もない提案である。レンが安請け合いするだろうと予想していたアルテナは計画通りとほくそ笑む。


「よかった。私、首都に行ってたウィトンを迎えるために留守にするから、家に帰るのは明日の夕方になるわ。今日一日、ミュリナをよろしくね」

「はい?」


 思ってもみないお願いをされたレンの首が斜めになった。

 そんなレンの肩に手を乗せたアルテナは、至極真面目な顔になって念押しする。


「大丈夫よ。今晩は絶対に、私とウィトンはあの家にいないから。ミュリナとレン君が二人きりでなにをしようと、文句を言う保護者はいないわ」

「ちょ!?」

「そういうことだから、ミュリナをよろしくね」


 大慌てのレンを見て、ふふふと笑ったアルテナは立ち去った。

 見事な一撃離脱である。残されたレンは、お見舞い品はなににしようかと考えながらため息を吐く。


「……リンリーにも今日の探索はないって知らせなきゃだし、イチキちゃんに手紙で連絡入れておこう」


 いまの話を聞いて、ミュリナと二人きりを維持できると思うほど自分の理性を信じていないレンだった。






 お見舞いの品はリンゴにした。

 なんのひねりもないチョイスだが、外れなければいいだろうと途中の市場で購入した。イチキにはミュリナが熱を出したことと、お見舞いに来てほしい旨だけ伝えてある。

 返信はまだ届いていないが、イチキのことだからミュリナの不調を知れば間違いなくお見舞いに来るだろう。

 ノッカーを叩くと、寝間着姿のミュリナが応対に出てきた。


「ん。いらっしゃい、レン」


 事前にアルテナからレンが来ることを知らされていたのだろう。パジャマを着て肩にタオルケットを巻いた格好でレンを出迎えたミュリナは見るからに熱っぽい。


「起きてて大丈夫?」

「んー。だいぶ治ってはいるから、まあ、寝たきりになるほど体調は悪くない、かな」


 いまいち心もとない返答だ。

 ミュリナについて家に上がりながら、靴を確認。イチキたちはまだ来てないようだった。


「無理はしてほしくないから、部屋で休んでて大丈夫だぞ。このリンゴ、切ってから部屋に運ぶよ」

「そう? じゃあ」


 不意に振り返ったミュリナが、無防備に両手を広げた。


「無理したくないから、お姫様抱っこして、部屋まで連れて行って」

「……無理です」


 思わず敬語になったレンに、ミュリナが唇を尖らせた。


「なによ。いいじゃない」

「よくないから。付き合ってもないのに、絶対、そういうのはよくないから」

「へたれー。へたれのへたれんー」

「ヘタレ違うし。貞操観念しっかりしてるだけだから!」

「男が貞操観念しっかりとか言ってもねぇ。童貞のたわ言にしか聞こえないのはなんでかしら」

「童貞のたわ言で悪かったな!」


 強がるレンをあっさり論破したミュリナは二階に上がっていく。熱っぽそうではあったが、足取りはしっかりしている。本人の言うとおり、快方に向かっているのだろう。

 レンは台所を借りてリンゴの皮むきと切り分けをして、ミュリナの部屋をノックする。


「入っていいわよー」

「はいはい、お見舞い品をお届けにあがりました」

「食べさせて」


 あーん、と口を開く。

 ややたじろぎつつも、これはセーフだと心を落ち着けてリンゴを一切れミュリナの口元にもっていく。

 しゃくり、と音が立った。


「ん、おいし」

「普通のリンゴだけどね」

「そんなことないわよ。レンが切ってくれたんだもん」


 ミュリナがぺろりと唇をなめる。赤い舌がなまめかしく見えて、レンの心臓がどきりと跳ねた。


「ありがと。嬉しいわ」


 裏のない気持ちが伝わってくる笑顔だった。


「だから、もうひと切れちょーだい」

「はいはい。どうぞ」

「ところでさ」


 二切れ目をレンからあーんしてもらったミュリナが、不意打ちで切り出した。


「あんたさ、奴隷少女ちゃんとやらと、どんな感じなのよ」


 びくっと手が震えた。

 へたレンの名に恥じず、振られてから一回も奴隷少女ちゃんのところに向かえていないレンである。そもそもこの状況で、ミュリナに奴隷少女ちゃんに振られたことを知られれば、大攻勢必至である。


「それ、言わなきゃダメなことじゃないよね」

「あ、そういうこと言うんだ。ふーん」


 はぐらかそうとしたレンの態度に、ミュリナの青い瞳が細められる。


「じゃあいまからここであたしのレンへのアタック進行状況を伝えます。これでもあたし、いま、切羽詰まってるレベルで焦ってるから」

「この間、告白してふられました。イチキちゃんも知ってますので、詳しい状況はそっちで聞いてください……」


 気恥ずかしさの拷問予告には勝てなかった。

 あっさり屈したレンの言葉を聞いて、ミュリナが目を丸くして、小さくつぶやく。


「ああ、そっか。だからイチキが……」

「イチキちゃんが?」

「何でもないわよ。あたしからわざわざ言うことじゃないんだけどさ……」


 語尾が濁された。レンが問い返すとミュリナがふいっとそっぽを向く。布団を口元まで引き上げ、すねたような口調になった。


「たとえばさ」


 前置きして、続ける。


「あたしがレンよりイケメンで高身長で高収入の超有能で性格もいい人に告白されたら、レンはどう思う?」

「……」


 思わず、黙り込んだ。

 ミュリナの言葉を想像して、もやりとした感情が湧いたのだ。

 ミュリナが、他の誰かと。自分以外の誰かにこんな風に接する情景を想像して、圧倒的な嫌悪感が湧いてしまった。

 レンの表情の変化に、ミュリナは目ざとく気が付いた。


「レン」


 名前をささやく。

 甘く、熱を込めて。


「いま、やだって思ったでしょ」


 図星を突かれた。

 レンはとっさにベッドにいるミュリナから顔を背ける。


「い、いや。俺がそんなこと思うのは違うし!」


 なにせ告白を拒否した身だ。

 その分際でミュリナに対して独占欲を抱こうなど、最低にもほどがある。慌てているレンを見て、ミュリナは口元をだらしなく緩めた。


「ばぁか」

「ぇ?」


 レンの視界が暗くなった。

 ミュリナが不意にレンを引き寄せたのだ。ただ引き寄せただけではない。自分のベッドに引きずり込んで、布団をかぶせてレンを引き込んだ。

 ベッドのスプリングが、弾みをつけて揺れた。布団の中で、二人きり。暗い視界はミュリナのにおいと熱がこもって、レンを包み込んだ。


「思って、いいわよ?」


 耳元に口を寄せ、ささやく。


「あたしがレンのだって、思って、言いふらして、いいのよ?」


 ぞくぞくっと背筋に甘いしびれが走った。

 病人とも思えない力強さ。素の筋力ならばともかく、近接魔術を使えば腕力はミュリナに軍配が上がる。それ以前に、抵抗できなかった。布団で密封された圧倒的なミュリナの気配が、レンを捕らえていた。

 なにより、さっきの言葉で独占欲が膨れ上がっていた。


「レンと話してるとね、あたし、楽しいの。あたしの中に、レンが入ってきてるなぁって感じるの。だから、とられたくない。あたしの中にレンがいるんだから、外にいるレンだって、だれにもあげない。絶対に、絶対に。他の誰にだって、少しもわけたくなんか、ない」


 足が、絡みつく。

 ミュリナの両足が、レンの太ももをぐっと抱きしめる。腰を寄せて、体を合わせて、汗が、もしかしたら他の何かが、レンの肌に滑り落ちる。肌合いが、ミュリナの柔らかさが心地よくて、レンの理性が溶けていく。

 ミュリナに、自分以外の誰かへこんな言葉をささやいて欲しくない。肌を合わせて欲しくない。それは嫌だと、レンの正直な感情が叫ぶ。それは自分勝手だとレンの理性が抵抗する。

 暗闇に慣れた目が、微笑むミュリナの顔を捉えた。


「そのくらい、レンが好き」


 感じるミュリナのすべてが、レンの本能を刺激した。


「……!」


 他の誰にも渡したくない。

 声に出せない強烈な感情が突き抜ける。自然と手がミュリナの腰に回されていた。突き放すのではなく、気がつけば抱き寄せていた。あ、と小さく吐息を漏らしたミュリナも両手をレンの胸に這わせて頬を赤らめた。その動きで布団がズレて、二人の顔が外に出る。

 熱が密封された布団の中から外気に触れて、それでも二人の熱は冷めなかった。


「よかった。レンがあたしのこと、他の誰にもとられたくないって思ってくれて、よかった」


 ミュリナが甘えるように、首筋に頬を寄せる。レンの胸板に顔を寄せて、すうっと息を吸って、恍惚の吐息を漏らす。


「レンの中に、あたしがいるんだ」


 目が、合った。

 二人の視線が吸いついた。磁力で張り付いているかのように、吸い寄せられてはがせない。熱と、息と、汗と、体が混ざり合っている。その瞬間、二人は確かに互いの中にいる自分を感じた。

 徐々に顔が近づいていく。近づいて、接触して、混ざり合いたい。思いが膨れ上がって通じ合う。


「ミュリ――」

「ミュリナー!」


 熱に浮かされたレンが名前を呼ぼうとしたその時、扉が開いた。


「体調管理もできない雑魚雑魚が熱だしたって聞いて、わざわざあたしと尊師が見舞いに来て上げ――」


 リンリーだった。

 ノックもなしに部屋の扉を開けたリンリーは、汗だくで一緒のベットにいる二人を見て言葉を止める。

 まじまじと目を大きく開けて、二人の様子を観察。見るからに色っぽい現場を目の当たりにして、恥ずかしがることもなければ目をそらすこともない。

 ミュリナとレンは、完全に固まっていた。言い訳すらとっさに浮かばない。完全な思考停止状態だ。

 リンリーの口元がにまぁっと吊り上がった。

 ドアを閉めることなく、あえて思いっきり全開に。くるりと踵を返して階下に向かって叫ぶ。


「イチキ尊師ー! レンおにーちゃんとミュリナが二人でやーらしーことしてます! 部屋に! 二人っきりで! ベッドの上に! ぐちゃぐちゃ汗まみれで! ぬちょぬちょ絡んで! やーらしーですー!」

「ちょっと黙りなさいこのクソガキぃ!」


 布団を跳ね上げレンを置き去りにしたミュリナが、自分が病人だということも忘れた勢いでリンリーの口をふさぐべく飛びかかった。

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