宣戦布告の全肯定・後編
「……」
イチキが見上げる先には、一軒の屋敷があった。
閑静な住宅街にある、ミュリナが住んでいる家だ。少し前までイチキもここで居候をしていた。血のつながらない兄姉とのひと時以外でくつろげた、数少ない思い出の場所でもある。
今回の訪問で、それが壊れてしまうかもしれない。
イチキはそっと自分の胸を抑える。得たものがあるからこそ、臆病になってしまう自分を自覚する。こんなことではいけない、と苦笑する。
実際、そこまで心配しているわけではないのだ。
「ミュリナなら、大丈夫でございます」
友への信頼を胸に、よし、と両手の拳を握ったイチキは玄関のノッカーを鳴らした。
久しぶりに訪問してきた友人を、ミュリナは大歓迎した。
なにせ短期間とはいえ一緒に住んでいた仲だ。そしてミュリナにはあんまり友達がいない。幼少時から冒険者になるための訓練に明け暮れて、飛び級でアカデミーを卒業した彼女には、同世代同性の友人はイチキだけなのだ。そろそろイチキのことを親友って呼んでいいのかなと最近タイミングを見計らってそわそわしているくらいには、ミュリナは友達という関係に慣れていなかったりする。
当然、ミュリナと一緒に住んでいるアルテナもイチキを歓迎した。非常によくできた少女だと知っているのだ。ちなみに家主であるミュリナの兄、ウィトン・バロウはいない。首都の神殿に呼び出されており、先日ようやく解放されていま帰路についている最中なのだ。
紅茶と焼き菓子を用意したミュリナはイチキを自室に招き、女子二人はわいわいと近況報告をしていた。
「リンリーの様子はどうでしょうか。ご迷惑をかけていないとよいのですが……」
「迷惑というか、ひたすらに生意気ね。才能は確かだけど、世間と年上を舐めきっているのはどうにかなんないかなってつくづく思うわ」
「性根がどうしようもございませんね……」
イチキが眉根を寄せる。
「リンリーはまだまだ他者に対する距離の重要性というものが分かっておりませんね。だから距離感を誤ってすぐに火傷をするのです」
「でも、不思議とレンには懐いているのよね。生意気なのに変わりはないけど、甘えてる感じがするのよ。イチキをすっごい尊敬しているっていうのもわかるわ。……人によって距離感が極端なのよ」
「レン様はお優しいですから、受け入れてくれるというのがわかるのでしょう。あれで、勘はいい子です。わたくしのほうは……まあ、それなりに厳しくしつけている最中ですから、猫を被るのだけはうまくなっております」
「レンはともかく、イチキはすごいもの。イチキに対してだけは猫かぶりとかじゃないとは思うわよ、リンリーも」
レンの話題になったところで、これは頃合いかとイチキが切り出した。
「ところで、ミュリナ。お話しておきたいことがございます」
「うん、どうしたの」
「前々からお話していた、文通をしていたお相手なのですが」
文通といえば、イチキの『憧れの人』のことである。
お、これは進展があったのかな、と友達のコイバナにミュリナは目を輝かせて耳を傾け
「実はあれ、レンさまなのでございます」
「はい?」
ミュリナの青い瞳が、ぱちくりとなった。
とっさになにを言われているのかわからなかった。正確には、言われた言葉自体は認識したのだが、その先を想像することを脳みそが拒否した。
「んん? レンだったって……レンが?」
「はい。レン様が、です。横恋慕のようで、とても申し訳ないと思っております。ただ、それでもミュリナにはきちんと伝えておきたいと思いまして、本日は参りました」
「ふうん? そうなんだ」
意味がわからない。
ミュリナは混乱していた。混迷をする彼女の脳裏に、イチキが『憧れの人』のことを話していた時のことが思い浮かぶ。
時に恥ずかし気に、時に目を輝かせて一喜一憂していた、イチキのかわいげあふれる態度の数々。同性の自分でもこんな子に思われたら嬉しいだろうなと思い、イチキにはかなわないなぁと苦笑した日々が、まざまざと思い浮かぶ。
たぶん、走馬燈の一種だった。
「なるほど。イチキが、レンを。なるほどなるほど?」
至極普段通りの相槌を打ったミュリナは、慌てず騒がず紅茶に口をつけ、一息つく。
うっかり飲み込むのを忘れた紅茶が、だばーっと口端からこぼれた。
零れた紅茶が服を汚す前に、イチキが無言のまま魔術でフォローして距離を構築。ミュリナの口端から垂れた紅茶はどこかへ消えていった。
むろん、ミュリナにはそんなことに気が付く余裕もない。彼女の脳内はいま疑問符に占領されていた。
「え? ごめん? なんで?」
ミュリナの恋愛防衛本能が、イチキがレンに好意を持つのはおかしいではないかと大声を上げていた。
だってイチキは魔術も家事も完璧で、容姿端麗でなにより性格がかわいい女の子である。いっちゃ悪いがレンでは到底つり合いがとれない。
ミュリナの問いに、イチキは生真面目に自分の想いを打ち明けた。
「まずは、レンさまの誠実さです。ご自分の力不足を認めながらも足りない部分を補うべく努力し、克服しようとしている。上を目指している姿勢にこそ、目を奪われます」
「う、うん。そうよね。あいつの頑張ってるところは、その……すごくカッコいいと思うわ」
「そうで、ございますよね。わたくしが風聞から想像していた魅力などよりも、レンさまのまっすぐさを見ていたら、秘めようにも思いが秘められず、どうしようもなく惹かれてしまいました」
「で、でもさ、イチキ!」
うっかり好みが一致してしまったので深く同意してしまったのだが、納得してばかりではいられない。はっと我に返ったミュリナは、イチキに正気に戻ってもらおうとまくし立てる。
「あいつ、他に好きな人がいてね!? なんていうか、結構大変なのよ? 他に好きな人がいる相手を選ぶとかさ、そういういばらの道をわざわざ歩く必要はないと思うわ!」
自分の発言がブーメランとなってぐさぐさとミュリナの精神に突き刺さったが、この際、多少の自爆は仕方がない。
「もちろん存じております。ミュリナのような女性に思われても想いを突き通そうとする一途さも素敵で、それが自分に向けられたらと思うと胸が高鳴りますし……あと、そのぅ」
ふわりと袖を持ち上げて、恥ずかし気に顔を隠す。
「実は、姉さまにフラれてしまった直後のレンさまの弱った姿に、ときめいてしまいまして。そこが、決定的でございました」
「…………」
頬を染めながらの告白を聞いて、ミュリナは沈痛な顔でうつむいた。
同居していた時や、一緒のパーティーにいた時にもうすうす感じていたのだが、イチキは他人の世話をすることに意義を見出しているところがある。しかも自分が完璧超人な割には自己評価が低い。たぶん、過去に何かがあったのだろう。自分がどれだけ優れていようと自分を認めていない節がある。他人に献身することで自分の意義を見ているところがあるのだ。
つまりイチキは甘やかし体質であり、割とダメ男好きっぽいところがあった。
そしてレンは、割とダメな部分が多い男子だった。
「なのでミュリナ」
初めてイチキの欠点を見つけてしまったが、悲しいことにその欠点がこの窮地を招いている。
たぶん、イチキの好みは『すごく頑張っているけど飛躍するような才能はなく、自分の意思でちょっとずつ前に進むタイプの放っておけない人』なのである。それでいて他人を見る目があるものだから、変な男に引っかからずに、根は誠実なレンに惹かれたのだ。
「わたくしもレンさまに振り向いてもらえるように全霊を尽くしますので、お覚悟ください」
まっすぐな宣戦布告だった。
覚悟を決めて、それでも不安が混じったイチキの黒い瞳。見つめられたミュリナは、すうっと息を吸う。
大丈夫。ちょっと心臓が止まりかけるほどびっくりしただけだ。
確かに自分はイチキに敵わない。魔術の腕、家事の周到さ、かわいげのある性格。ミュリナが欲しかったものを全部持っているといっていい友達がイチキだ。
それでも、レンを好きな気持ちは絶対に負けていない。挑発的に、ミュリナは笑う。
「こればっかりは負けないわよ、イチキ。恨みっこなしでいきましょう!」
カッコよく、言い切った。
その言葉を聞いて、イチキはとても嬉しそうに微笑んだ。きっとミュリナとの関係は壊れないと思っていて、それでも少し不安だったのだ。
「はい。さすが、わたくしの親友でございます!」
想う相手を共にした二人の少女は、不敵に、素敵に笑みを交わした。
その日の晩。
「うーん……ううぅ……」
「どうしたのよ、ミュリナ。いきなり体調を崩すなんて、何年ぶり?」
「だってぇ……アルテナさん……! だってぇ! だってなんだもん……!」
「はいはい。熱が下がったら聞いてあげるから、明日は休みなさい」
「ふぇええええん」
悩み過ぎで熱を出してちょっぴり幼児退行気味のミュリナは、アルテナにあやされていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます