『聖女』


 イーズ・アンはレンを先導して門を抜ける。

 彼女の傍には、聖剣を持った少年がいる。

 勇者として選ばれた彼は、民衆に認識させることで聖剣を顕現させた。前回は民衆が望んだからこそ聖剣が現れたが、この度の勇者は『皇帝』の存在を認知して知らしめることで聖剣に選出される条件を満たした。

 それにより、『玉音』を持つ皇帝を打倒する条件がそろった。

 彼女の足取りに迷いはない。門前で起こった戦いなど、彼女にとっては些事である。なんら気に留める必要性を感じることもなく屋敷の敷地に入った。

 門から一歩、踏み入ると広大な敷地の庭が広がっていた。

 庭の先に見える屋敷こそが神秘領域の現界の鍵たる人物がいる場所だ。

 だが。


「……」


 民衆に認知された皇帝が座する屋敷にたどり着く前に、広大な敷地の庭に一歩踏み込んだイーズ・アンは突然足を止めた。

 一見して、異常はない。門を通り抜ける前と後で、なに一つ変化があるようにもは見えない。

 違いがあるとすれば、一つだけ。


「……これは」


 イーズ・アンは小さく呟き、視線を横に動かす。

 彼女の隣を歩いていたはずの、聖剣を携えた少年が消えていた。

 前触れのない消失に、イーズ・アンが視線を巡らせる。異常な現象を前にしながらも、彼女の思考に戸惑いはなかった。

 静かに差し出した掌に、神聖な光が宿る。


「欺瞞」


 浄化の光が放たれた。

 聖なる輝きに照らされて、目に映る世界が消し飛ぶ。

 張り巡らされていたのは幻影結界だ。屋敷に入ると同時に意識の階層がずらされていた。聖剣を持った少年とイーズ・アン。二人の認識のずれがそのまま、踏み入れる場所の違いとなって二人を分断したのである。

 少年は、そのまま屋敷の中に入ることを許された。

 そして庭先で足を止められたイーズ・アンの前には、粉微塵になった世界の欠片が降り注ぐ中、先ほどまでいなかった二人の少女が立ちふさがっていた。


「お久しぶりでございます」


 東国の衣装を身に纏って立ちふさがるのは、イチキとリンリーの二人だ。

 堂々たる態度のイチキに反して、リンリーは虚勢を張って立ってはいるものの顔を青ざめさせていた。

 どちらの態度にしても、イーズ・アンにとってみれば大差ない。


「はて、其は何か」

「名乗るつもりはございません。あなた様がわたくし如きを記憶することないでしょう?」


 自分を人として認識すらしていない相手に、イチキは敵意をたたきつける。

 イーズ・アンによって結界を返されて閉じ込められたのは、イチキにとって屈辱的な思い出だ。だが『聖女』にとっては、記憶にとどめることですらない。

 それだけの実力差があることを自覚しながらも、イチキは自分の技術の一部を叩き込んだリンリーを引き連れて、最強の敵の前に立ちふさがる。


「まずは、あなたさまとレン様を引き離させていただきました」

「そうか」


 答えながらも、イーズ・アンはイチキの声など聴いていない。半ば神秘領域に身を置いている彼女の意識は、見るまでもなく聖剣の気配を捉えている。

 聖剣は自分と離れているが、屋敷の中に入っている。皇国の主の気配へと着実に近づいている。ならば急ぎ、追いかける必要もない。

 皇帝を裁くのは聖剣の役割である。

 己の役割は、目の前の異教徒をひねりつぶすことにあるのだ。

 聖剣と聖人がともにあれば、阻めるものなどないのだから。

 逆をいえば、聖人は聖剣とともにある。だからこそ、レンはイーズ・アンを帯同させることで彼女の行動を誘導していた。

 イチキの前に、イーズ・アンが来るように。


「あなた様だけはこの先、通すわけにはいきません」


 リンリーを侍らすイチキは、並々ならぬ覚悟でもって。


「聖剣を持ったレンさまとの面会は姉さま自身が望まれていますが、皇国崩壊の聖人であるあなた様だけは、なにがあろうとも姉さまと会わせるわけには行きません。まして――東国仙人のような暴走をされても困ります」


 行く手をふさぐ人物の意気込みを前にしても、イーズ・アンはいささかも表情を揺らさない。

 イチキはその頑なさに危機感を持っていた。

 聖人であるイーズ・アンの同類、東国にいた仙人。

 産廃の象徴たる彼は大国を壊し尽くした。村落を食らって発展する都市に劫火を落として、被災の怒りを知らしめた。その代償として彼はこの世界から消えさり、星と同化した。


「聖人としての役割を果たせぬあなたさまを放置した場合、あのような最期を迎える恐れがございます。違いますか?」

「仙人の結末は、あるべきままにあった」


 イーズ・アンは平時と変わらぬさざ波すら立たない平坦な口調のまま、立ちふさがった相手を怒ることも責めることもしなかった。

 イーズ・アンはイチキの言説に反論するのではなく、ただ彼女にとっての事実を淡々と述べる。


「彼のものの在り方は本懐を達した帰結である。暴挙でもなく暴走でもない。当然の必然にして、かくあるべしと帰結した。あるべき行いを、事の大きさでのみとらえて暴走というのは、はなはだ不見識である」


 イーズ・アンは二人に己の主張を語り聞かせたいわけではない。

 一切の光を映さない彼女の瞳は、そもそも最初から目の前にいる二人を人間としてとらえていないのだ。


「主の御心を知らぬ憐れな異教のものどもよ。隣人になりえぬ異端者よ」


 『異端者』という言葉の不穏さに、イチキとリンリーが身構える。

 神秘領域に意識を置く彼女の認識において、ほとんどの人間は厚みのない平面の存在だ。信仰を持たないものは、字面の通りに、立体的なものとして目に映っていない。まさしく次元が違う存在としか認識できない。

 かろうじて厚みを持っているのは信仰を同じくしている信徒であり、確かな人間だと感じられるは『聖心の祈り』を持つ聖職者だけだ。

 事実、いまの彼女の泥の瞳には、ぽっかりと世界に穿たれる二つの穴が映っていた。


「我が行く道を隔てる穴があるというのならば、成すべきことはただ一つ」


 この異教徒たちは信徒たる少年が導いていたが、いま彼は虚無の傍にいない。

 自分の成すべきことを絶対と確信しているからこそ、彼女は道を見失うことがない。

 ならば、彼女がいまやるべきこと一つ。


「あるべき信仰を持って、道を埋め立て進むのみである」


 戦おうという意思すらなく、後天的に秘蹟の頂点を賜り得た聖人『|神の泥(ルトゥム・ゴゥレム)』は、救われぬ世界を信仰で満たすために祈りを始めた。

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