『聖騎士』


 スノウ・アルトは、どこに続くとも知れない道を歩いていた。

 どこに続くとも知れない、といっても別に怪しい裏路地を歩いているわけではない。白昼に堂々と、人が多く行き交う大通りを歩いている。

 単純に自分がどこに向かっているのか、スノウが意識してないで歩いているだけだ。

 一応、屋敷を出発した時に目的地にしていたのは、ボルケーノが捕まっているらしい監獄だった。情けないことにウィトンに捕まったという話を聞き、ボルケーノとの面会を取り付けていたのだ。

 ボルケーノはスノウが主と仰ぐ人物の情報を多く持っている。スノウとしては余計なことは話すなと釘を刺しに行くつもりだった。

 予定通りならばとっくに面会室についているはずの時間だ。

 だというのに、予定時間を過ぎた今現在もスノウはまだ街の道を歩いていた。


「……ふむ?」


 ボルケーノと出会えなかったことに小首を傾げつつも、スノウは足を止めない。自分の現在地も把握しないまま、どこに行くかもわからずに歩き続ける。

 客観的に見れば迷子でしかないのだが、スノウは自分が迷っているという認識はしていなかった。いままでの経験上、適当に歩けば必ず自分の目的に沿う場所に着くと知っていたからだ。

 彼女はどこかに向かう時に、目的地がどこにあるのか確かめない。

 そもそも『目的地』というのが、スノウ自身が考えていた予定通りの場所であるとは限らないからだ。

 誰かに言われた目的地でもなく、自分が行こうとした場所でもない。

 スノウ・アルトという人物は、必ず、その時の自分にとってよい場所にたどり着くと経験から確信していた。

 それが、スノウに生来つながっている神秘領域の導きの一つである。

 だからこそ、『なにか頼んでもわけのわからない方向にすっ飛んでいく』と言われているのだが、それはそれ。スノウ自身は特に気にしていない。

 十年前、必死になって行方のしれなくなった尊き少女を探しまわった時にしたってそうだ。

 見つからなかったということは、あの時、スノウが見つけることができなかった方がいいということなのだ。事実として、十年の時を超えて主と仰ぐ人物に再び巡り合うことができた。

 そうして自分が昼頃に出立したはずの屋敷の門前にたどり着いていた。

 屋敷から出発して屋敷に戻るという結果である。だがスノウは、自分の行動を不審には思わなかった。


「なにか、来るな」


 なにが、というのはわからない。

 しいて言うならば、根拠のない予感だ。

 だが彼女は常に自分を導く予感に従ってきた。

 アルト家を出奔した時も、勇者パーティーに入った時も、のちにそれが、アルト家の家系が生んだ皇国由来の神秘領域につながる体質ゆえのものと知ることになっても。

 自分の信念すら、この身につながる神秘領域に翻弄されているに過ぎないと知っても、彼女は変わらない。

 変わることができないのだ。

 スノウ・アルトは、考えることなく正しさを選んで生きてきたのだから。

 彼女の主が住まう屋敷の門前に立ち尽くしていたスノウは、ふと目を細める。

 まっすぐ、近づいてくる人影があったのだ。


「ああ……なるほど」


 なにを知らされずとも自分の役割を理解した彼女は、小さく呟いてここにやってくる人物に視線を合わせた。




 奇跡でできた剣を片手に、レンは『聖女』の後ろに続いて歩いていた。

 同行者はミュリナである。彼女は驚くべきことに、デート時の服装のまま短剣を二つ持っていた。乙女の可愛さと凶暴さが合わさった奇跡のファッションである。

 なんでこうなったんだろうか。

 レンは歩きながら、ここに至る経緯を思い返す。

 レンの想像だと、もっとこう、ちゃんとした感じになるはずだったのだ。確かに物事は不測の事態にあふれているし、レンだってなにもかも思い通りにやれるとは思っていない。

 ただ、思わずにはいられないのだ。


「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ……」


 特にミュリナだ。彼女を巻き込む気はなかったのだが、デートを邪魔されたミュリナが納得するはずがない。

 ちらりと横に視線を向けると、ミュリナはにっこりと笑顔を返してくる。あらゆる言論を封殺できそうな素晴らしい笑みだった。

 あっさりとヘタレたレンが前に視線を戻せば、黙々と歩いているイーズ・アンの背中が見える。

 彼女の向かう先は、『皇国』だ。

 現世でなくなろうとも、いまだ滅びない神秘領域の彼方にある皇国。

 政権が変わろうとも、人の記憶にある限り永遠に存在する幽世の国。自らの信仰と矛盾する存在を、イーズ・アンが許すはずもない。唯一の神にそぐわぬ神秘領域を消し去るために、彼女はいまだ残る『皇帝』の実在を浄化するために動いている。

 レンの言葉で――いいや、他の誰の言葉であってもイーズ・アンの意思を変えられるはずもない。それでいながら、聖剣を手に入れるにあたって、彼女の協力はどうしても必要だった。

 静かに歩いていた三人が、たどり着いたのは、都市郊外にある大きな屋敷だった。

 ここが奴隷少女ちゃんのいるところなのか、とレンが感慨にふける間もなかった。


「ああ……なるほど」


 一本、芯が入った声が響いた。

 凛とした美貌に、レンよりも少し背が高く女性的な起伏に富んだスタイル。まっすぐとした立ち姿を、理想の女性の姿とする人間も多いだろう。

 門前に立っていたのはスノウ・アルトだった。彼女は真正面からレンを見据える。

 正確には、レンが持つ聖剣を凝視していた。


「来たんだな、隊員。いつか来るとは予感していたが、君は、そっちか」


 門前にふさがる彼女の圧は、尋常ではない。戦意か、殺気か。全身から迸る気迫が、レンたちの足を止めさせる。


「ここから先に立ち入れると思うな」


 明確に敵対した『聖騎士』スノウ・アルトに、レンは気おされることなく告げた。


「……教官。こっちには、『聖女』様がいるんですよ?」

「私は西方教会の信徒だ」


 スノウの返答に恐れはない。


「イーズ・アンの攻撃は、すべてが秘蹟によるものだ。私には効かないんだよ。なにせ彼女は絶対に、信徒を攻撃しない。厳密にいえば、イーズ・アンのふるまいは『攻撃』ですらないからな」


 スノウは、ふっとニヒルに笑う。


「もっとも、信仰の壁に閉じ込められることはあるかもしれないが……まあ、私が干からびるまで時間を稼げれば上等だ」


 スノウは絶対にイーズ・アンには勝てない。単純な実力差だ。だが同時にスノウをイーズ・アンが排除することもできないのだ。

 だからこそと言うべきか、イーズ・アンはスノウに目をくれることがなかった。

 迷いなく、まっすぐに歩く。信徒が門をふさぐはずがないとでも言いたげだ。実際問題、スノウでは彼女を止めることなどできない。だからこそ、イーズ・アンが門を開いて通り抜けるのを阻害することはなかった。

 スノウの狙いは最初から、一つ。

 レンが持つ聖剣だ。

 スノウが手刀を構える。その手から、光の刃が伸びた。断罪の剣。触れるものを断ち切る強力な秘蹟だ。


「悪いが――……ッ!?」

「邪魔させないわよ」


 踏み込もうとしたスノウの足元に雷が落ちた。

 手から光剣を伸ばしたスノウの動きが止まる。雷を放った下手人はミュリナだ。


「行って、レン」

「……わかった。ミュリナも、無理は絶対にしないで」


 ミュリナがスノウに相対する。レンもミュリナに目配せをして、イーズ・アンが開いた門を抜けた。

 ミュリナの牽制によって二人を通してしまったスノウは、酷薄な瞳をミュリナに向ける。


「……勇者の、妹だったか。いい加減、邪魔だ」

「だから、なによ。あんたの邪魔になったところで、ちっとも良心が痛まないわね」

「お前に、あの方に関わる動機はないだろ」

「ないわね。そもそも誰よ、『あの方』って」


 こともなさげに告げたミュリナは、短剣を引き抜いて両手に携える。


「あたしが言いたいのは、レンの邪魔をしないでくれない?ってことだけよ。頑張ってるのよ、すごく頑張ってるの。絶対にやり遂げたいんだってことをやってるの」


 ミュリナが、スノウをにらみつける。


「だからあたしは、レンがやり遂げられるようにレンを助けるのよ」


 あけすけなミュリナの動機を聞いて、スノウの瞳が細められる。


「私の勘は当たるな。やっぱり、貴様は面倒な女だ」

「うっさいわよ」


 ミュリナの全身を雷光が包む。

 魔術による身体強化を重ねかけにして、戦闘のテンションに精神を持っていく。


「実は言うとね。あたし、いまものすごく腹が立ってるの。デートに誘われたと思えばわけのわからない中断をさせられたフラストレーション、あんたにわかる?」

「わからん。欲求不満の類か?」


 かちん、とミュリナの額に青筋が浮く。


「……初めて会った時から、あんたには一発ぶちかましてやらないと気がすまないって思ってたのよね」

「そうか。何度も言うが、初めて見た時からお前のことはめんどくさい女だと思ってた」


 両手に短剣を携えたミュリナと断罪の剣を手に宿したスノウが、視線をぶつけ合って激しく火花を散らす。


「ちょうどいい八つ当たり先ね! ぶっ殺してやるわ、騎士気取り!」

「抜かせ! 端役の未熟者が邪魔をするな!」


 十年の時を超えた『皇帝』陣営と『勇者』パーティー。

 最初の戦闘が始まった。

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