ゆるしの全肯定・後編
煉獄の一角に、清涼な空間があった。
空間そのものが悪意に塗りつぶされたようなダンジョンの最下層。人が決して表に出すまいと心の奥底に追いやったすべてが揃う地獄の中で、不思議なほどに澄み切った空気を保った領域があった。
「ここが、目的地ですか……?」
「しかり」
悪意より生まれ、侵入者を阻む悪辣さにあふれていたここまでの道のりの先にあるとは思えないほど胸を打つ場所に、レンは感嘆の息を漏らす。
美しい光景が広がっているわけではない。ガラクタのように様々なものが積み上げられている。まとまりがない空間はひどく雑然として、むしろゴミ捨て場に近い。
なのに、見ていてなぜか懐かしいのだ。
「ここなるは、地上の都市にある人々の感情、心の最奥の一つ。郷愁のありか」
「意外だな。ダンジョンの最下層っていえば、夢も希望もないもんだと思ってたけどな」
「霊域と呼ぶのもわかる清浄さだね。こんな場所に魔物も寄り付かない場所があるなんて、驚きだよ」
ここに来るまでが地獄だった分、達成感はひとしおだ。イーズ・アンを除いてそれぞれが何度か死にかけてはよみがえったので、男三人には謎の連帯感も生まれている。
たった一人、無傷の女性は例外だが。
「どのような煉獄であれ、一筋の希望と、ありえるかもしれぬ奇跡が遺されていることの証明である」
人の心の奥底。表に決して出さぬように押し込めている中にも、こんな風景があるのだ。
胸に来る感動を覚えつつも、レンはイーズ・アンに尋ねる。
「ここで、何をすればいいのですか」
「探せ。汝のゆるしを」
レンたちをここに連れてきた無表情のシスターは端的に告げる。
「この上の都市、現世で侵した汝の罪が真に許されたというのなら、その証明たる恩寵は必ず生まれる。汝の罪は、被告の咎を知ることで注がれる。汝のゆるしを、見いだせ」
「へー?」
正直半分も言っていることを理解できないが、この場に積まれている物品の中から一つ、レンへと向けられた恩恵を探せと言われているのはなんとなく伝わった。
レンは改めて郷愁を感じる雑然とした光景に向き直る。
なるほど、ダンジョンには人の感情によって恩恵が生まれる。イーズ・アンは無茶苦茶な言動をするが、嘘は言わない。少なくとも彼女の視点で嘘になる言葉は決して口にはしないのだ。つまり、彼女があるというのならあるのだろう。
様々な雑多のものがある。人が見たくない思い出、忘れてしまったと思っている記憶の集積地がこの霊域を作り出しているのだろう。それこそ山のように様々な物品が積み重なっている。ここから一つの物品を見つけるなど、どれくらい時間がかかるか分かったものではない。レンたちは、何の用意もなく聖女様に引っ張られてきたのでロクな食料もなかった。三日もダンジョンにとどまれば、水も尽きて餓死するだろう。
そしてイーズ・アンはレンを連れてきた目的を達するまで、決して帰還の道を拓かないだろう。
それがわかっている勇者とアニキさんも、顔が引きつっている。当然、レンも同様だ。
「あの、この中からですか?」
「しかり」
「えっと、どんなものかとか、特徴ありますか」
「汝の心が知っている」
「知りませんけど」
「そうか」
イーズ・アンの発声に滞りはなかった。
「ならば、知れ」
たった一言、なんの解決にもならない無茶ぶりを告げた。
ミュリナは決意した。まずは敵を知らねばならぬと家を出た。
今日は休日。ミュリナが向かう先は、公園広場である。貴重な休みを使ってレンが好きだという相手、奴隷少女ちゃんとやらがどんな女の子確認するのだ。その動機には、昨日のことがあって女剣士とちょっと顔を合せづらくなって休日中に外出していたいという思春期な理由もある。
そんなこんなで、ミュリナは家を出た。
公園広場といえば、ミュリナにとってはレンにぎゅってしてもらった思い出の場所だ。そこに、自分のライバルがいるという。ちょっと複雑な気持ちだが、湧き出るもやもやは振り切って道を行く。
どんな顔をしているのか、奴隷少女やら全肯定とはいったい何なのか。
一度見ておかなければならない。敵を知って、対抗するために。明日はもっとレンに迫るために。レンの好みを把握して、レンに好きって言ってもらうのだ。
乙女心を抱えて、入口に着いた時だった。
公園の入り口に、顔見知りがいた。
「あれ?」
「おりょ?」
異国の衣装を身にまとった黒髪の少女、イチキである。ワンアクセントの彼女は身を隠すようにして、公園広場入り口付近に立っていた。
ミュリナを見たイチキが、ぱあっと表情を華やがせる。ととと、と上品に駆け寄って真っ先に手を取った。
「お久しぶりでございます!」
「うん、久しぶり」
挨拶前の表情からしてからかわいいとか、反則である。素直に喜びを見せてくるイチキの魅力的な反応に同性としての敗北感が湧きつつも、レンへのアタックの参考にしようと心に刻む。かわいいは正義なのだ。
それにミュリナも、友達に偶然会えるのは純粋に嬉しい。
「どうしたの、イチキ。こんなところで――」
言いかけてから、もしやという衝撃がミュリナを襲った。
公園広場にいる、自分と同い年くらいの少女。
レンが好きな子って、まさかイチキのことなのか。
それだったら納得である。異国風の少女の魅力は、街ですれ違っただけで虜になる男もいるだろうと確信できる。そして外見に以上に、内面が完璧だ。博識さに裏打ちされた、遥か高みにある魔術。上品な振る舞いでありながらも、かわいらしさを保った仕草。相手を立てつつ楚々として尽くす性格で、話していると隙の見える人懐っこさがあるのだ。
ダメだ、本格的に勝てる気がしないと絶望が忍び寄る。
「ね、ねえ」
「はい、なんでございましょう」
「イチキって、そのさ。そこの公園広場でさ。全肯定、なんちゃらみたいな仕事のこと、知ってる?」
「ああ、ご存じでしたか」
ミュリナのあやふやな問いに、納得したような声が帰ってきた。
やっぱりそうなのか。よりによって、このかわいい友達がライバルなのか。
あまりの強敵、しかも相手が友達だということで暗い顔になりかけたミュリナに、イチキは明るく微笑んだ。
「わたくしの姉さまが、あそこでお仕事をされているのです」
「……ねーさま?」
「はい。一回十分千リンで、町の方々の心を救うお仕事をしてるのでございます」
間抜けた声になってしまったが、イチキは気にすることなく説明を続ける。
言われてみれば、とミュリナは記憶を掘り返した。
そういえば、いつだかの会話で姉が公園で働いているとイチキ自身の口から出ていた。あの時は公園の管理人でもしているのかと思ったが、違うお仕事だったらしい。
ほっと安堵の息を吐いてから、我に返る。
安心するにはまだ早い。なにせこの子の姉だ。完璧超人美少女イチキの姉なのだ。あり得ないとは思うが、イチキの上位互換のような存在の可能性がありうる。
ならば、と決意する。
ライバルの身内であるイチキから聞き出すのみである。
「でも、こんなところで会うなんて奇遇ね。イチキは何かこの後、用事があったりする?」
「いえ、ございません。そういえばちょうどお昼の頃合でございますね」
「そ、そうね。ちょっとお腹が空いたかも」
「でしたら!」
両手を合わせて笑いかけてくる。
「よろしければ、お昼をご一緒いたしませんか?」
ランチのお誘いを断る理由はなかったが、打算で誘った分、ミュリナはちょっとした罪悪感に襲われた。
お昼処に心当たりが申し出たイチキがミュリナを連れて行った先は、異留地のレストランだった。
おそらくは東方風なのだろう。ミュリナにとって慣れない木組みつくりの店舗に入ったイチキは、ためらうことなく厨房に向かった。見るからに大きなお店なのだがイチキは店長と顔見知りらしい。あっさりと店の厨房を借りたイチキはミュリナのために料理を作ったのだ。
「どうぞ、召し上がってくださいませ」
そしてミュリナの前に並んだのは、見慣れないながらも食欲そそるものばかりだった。
未知の料理とあって、ややこわごわしながらも赤いソースのかかったエビを、ぱくりと一口。
「うわ、おいし!」
思わず目を見開く。
素揚げしたエビに、甘辛いソースが絡んだ一品。さくりとした触感の歯ざわりから、ぷりぷりしたエビの甘みと香辛料の効いたソースの味が絶妙にマッチしている。ミュリナも料理はそこそこできる方だが、イチキのこれはプロ顔負けだ。
褒められたイチキもうれしそうな顔になる。魔術や芸事も一流であり、料理も完璧。本当に非の打ちどころがないなこの子はと、料理の味を堪能しつつも雑談で本題である探りを入れる。
「ここに来る前の話なんだけどさ。イチキのお姉さんって、どんな人なの?」
「姉さまですか?」
ミュリナの対面で料理を食べ始めたイチキは、ふむと少し考えて返答する。
「素晴らしい方です。この世の至宝、あるいは至高の存在とは姉さまのためにある言葉でございますね」
「へ、へえ」
一言目から絶賛である。
「わたくしなどとは比べるのもおこがましい、美しいお姿。高潔にして責任感ある心の在りかた。人の心を救う役目を担い続けるなどなど、素晴らしい点を上げれば枚挙に暇がありません」
「そ、そうなの。イチキの料理とか魔術とか、お姉さんに教わったりしたの?」
「いえ……」
このイチキして、べた褒めである。これで他のスキルも充実していたらとんでもない強敵だとかたずを飲むミュリナに対し、こてんと首をかしげる。
「家事全般はわたくしがしますので、姉さまのお手を煩わせるようなことはございません。たぶんですが、姉さまは炊事などはされたことがないかと」
「……ふうん。じゃあ魔術は?」
「魔術は、むしろわたくしが姉さまに教授させていただきました。姉さまのような美少女には自衛の手段が必須でございますので! 近接魔術はしっかりと身に付けていただきましたっ」
握りこぶしを固めて力説する。どうやら姉のこととなると、周りが見えなくなる傾向があるらしい。そういえば、血がつながっていないと言っていたことがあったな、と思い出す。
ミュリナはちょっぴり冷静になる。
聞いた話だと、明らかにイチキが姉とやらに尽くしている感じだった。
もしや、この子が世話を焼きすぎて、その姉とやらは自堕落な生活を送っているのでは?
勝機が見えた。妹に頼り切っているような姉に、女子力で負ける気はしない。
「そっかそっか。なるほどね。そういえば、イチキはどうしてあの公園広場にいたの?」
「はい、そのう。実はですね」
これは勝てる要素があると随分と気が楽になったミュリナに対して、イチキは顔を赤らめて、もじもじと。
「ちょっと気になっている殿方が、その、姉さまのお客さんの中にいるらしいので、一目でも拝見したいな、と。まあ、本日はいらっしゃっていなかったようなのですが……」
「へー、そうだなんだ!」
まさかそれがレンである確率など無に等しいだろう。ほっと肩の荷を下ろしたミュリナは、イチキ手製のおいしいご飯を食べながらほのぼの会話を交わした。
「お腹すきましたね」
「ああ。だが、いざという時のために食料は節約しねえとな」
「そうだね。特に水は慎重に飲もう。水分が切れると、人は簡単に死ぬからね」
ダンジョンの底にある霊域で、男三人が雁首揃えて疲れた顔で物探しをしていた。
玉座を探せ。
それが、勇者とアニキさんの助言だった。二人とも迷わず、イーズ・アンの話を聞いて導き出した答えが玉座であった。奴隷少女ちゃんが、深層心理の聖域の押しこんでいるものが形になるのならば、それは玉座の形をしていると断言した。
彼らの意味は、レンにはまだわからない。
「にしてもレン。お前、根性あるなぁ。うちの若い奴らに見習わせてえわ」
「そうですか? ありがとうございます……って言っていいのか、アニキさんの立場を知っていると迷いますけど。それに、俺なんてほとんど役立たずで守ってもらってばっかでしたし」
「ここに来るまでで正気を保ってるだけでも、なかなかすごいよ。十分に誇れる功績だ。……というか前から気になってたんだけど、なんでレン君はイーズ・アンと会話が成立してるんだい?」
「俺もあの人が何を考えているかはちょっとよくわかなんないんですけど、知り合いのシスターさんを参考にしてるんですよ」
そんな会話をしながら探して、意外と時間はかからなかった。
ひどく、ボロボロになった豪勢な椅子だ。
様ざまなものが積み重なって、いくつも山ができている中で、その椅子だけはまるで神聖不可侵な存在であるかのように、ただ一脚で存在していた。
「あれだな」
「うん、あれだ」
どういう要素でもって確信したのか、勇者とアニキさんが断言する。すべてを寄せ付けない玉座を前に、二人の顔はひどく複雑な心情を表していた。
「あれ……ですか」
なぜ、玉座の形をしているのだろう。
いまにも朽ち果てそうなほど風化した、空っぽの玉座。レンが近づくと、玉座だったものは掌で紫色の結晶に代わる。
「善き」
いつの間にか、当然のようにレンの横にいて結晶化を見届けたイーズ・アンは頷いた。
「汝はゆるしを得た」
「あの、イーズ・アン様。これは、なんですか」
「ゆるしの恩寵である。それを砕くことにより、汝は被告の咎を知ることができる」
「奴隷少女ちゃんの、咎?」
「しかり。汝の罪が許された意味を真に知るには、被告の咎が必要である」
淡々と、レンの手にある恩寵の意味を告げる。
「ゆるしとは、罪罰をくれてやることではない。苦しみは人の贅肉を削り落とすが、苦しみそのものに意味を求めてはならない。耐え忍ぶ行動の本懐は、己の在り方を昇華することにこそある。そして人は一人では、決して許されることはない」
ここまでの苦しみの理由、そして手のひらにおさまった恩寵の意味をレンに告げる。
「喜べ、少年」
聖人の位を賜っている修道女は、レンへと言祝ぐ。
「ここに至るまでに、汝は一つ、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます