妹の全肯定・後編

 言葉、通じるだろうか。

 女魔術師が、黒髪の少女を見て真っ先に思ったことがそれだ。

 なにせ、一見して出身国が違う。

 鮮やかな染め上げの布を衣装に拵えた、この辺りではまず見かけない装い。袖に余分とも思えるほどの布を使っていながら、野暮ったさはない不思議なデザインだ。手先まで隠れる長さの裾先を動かせば、まるで羽を広げたようにも見えるだろう。

 おそらくは東の大国の民族衣装。首に巻いたチョーカーがアクセントとなって、たおやかな少女によく似合っていた。

 見慣れぬ構成の結界に引き寄せられて来たが、異国の少女がいるとは思わなった。思わぬ遭遇に、女魔術師はどうするかと勘案する。

 面識のないもの同士が同じ場所で二人きりになった時特有の、ちょっとした緊張。先に動いたのは、相手のほうだった。

 黒髪の少女が自分の座っているベンチの横に、袖から取り出した布をふわりと広げ、微笑む。


「隣、どうぞ」


 流暢な言葉だった。

 涼やかな声に、聞き取りやすい発声。

 言語が通じないということはなさそうだが、相席を勧められた女魔術師は小首を傾げる。


「……なんで?」

「なぜ、と。そうでございますね」


 初対面の相手と相席をする理由がわからないと疑問符をつけると、つと、あごに指を当てる。


「大した理由ではございません。なにかお悩み事があるお顔をされていますので、それを解消できればと」


 両手を合わせて提案した黒髪の少女の微笑みは、雅なものだった。


「あまりそういうことはしてきませんでしたが、わたくしも、たまには人の悩みを聞いてしかるべきと思っただけでございます。他意はございません」

「ふうん?」

「はい。ええっと、確か……一回十分千リンでお聞きいたします!」

「あっそ。お金とるなら遠慮しとくわ。じゃあね」

「あ、いえ! 冗談でございますっ。無料で拝聴いたしますので! お、お待ちくださいませ!」


 なんだ変な商売かと踵を返した女魔術師を、黒髪の少女の慌てた声が引き止める。

 必死の呼び声にしぶしぶ足を止めた女魔術師に、ほっと一息。


「看板の有無が問題でございますね。料金の後付けは、印象が悪うございました」

「そういう問題かしら……?」


 文化が違うからか、いまいちよくわからない子だ。

 変わった子だなと思いつつも女魔術師が促されるままに着席したのは、一人になってさっきの思考に戻りたくなかったからだ。ぐるぐると答えが出ない思考に付き合うくらいなら、初対面の誰かと話していたほうがまだよかった。

 黒髪の少女が、両手を膝に揃えて頭を下げる。


「わたくし、イチキと申します。どうぞ、お見知りおきを」

「そう。よろしく」


 丁寧な仕草で名乗りをあげたイチキという少女に、女魔術師は素っ気なく頷く。

 もともと、彼女は愛想のよい性格でもない。自分は名乗らなくていいかと、まずはここに来た原因を問いかけた。


「結界、あなたよね」

「まったくもってその通りでございますっ!!」

「はい?」


 突然の大声を出したイチキに、女魔術師はきょとんとしてしまう。

 なんだいきなり大声を出してと相手を見る。

 女魔術師のもの問いたげな視線に、イチキの顔がみるみるうちに赤くなっていった。

 数瞬、沈黙が。

 なんとも言えない空気の中、羞恥に耐え切れなかったのか。イチキが両手で顔を覆って広がる袖で赤面を隠す。


「な、なんでもございません……。わたくしのことは、お気になさらず。どうぞ、続けてくださいませ」

「そ、そう」

「ええ、そうでございます。わたくしはごとき未熟者が、姉さまの真似事など百年早かったと、それだけのことでございますので……!」


 なにやら忸怩たるものがあるらしい。

 相手の奇行と、かわいらしく恥じらうさま。それにちょっと気の抜けた女魔術師は肩の力を抜いた。

 いきなりの大声はともかく、周囲に張られていた結界はやはり彼女の仕業らしい。隠し立てせずに認めた彼女に、追及というほどでもない問いかけをする。


「どうしてこんな公共の場所で結界を張ってたの?」

「ああ、そのことでございますか」


 ようやく顔の赤みが引いたのか。イチキはそっと袖から顔を出す。


「実は先日、わたくしの姉さまがこの広場で変質者に出会うという不幸ごとに遭遇いたしまして」

「お姉さんが? それは大変ね」

「はいっ! しかもその変態、どうやら姉さまと出会って以来、我が家の周囲を嗅ぎまわり始めたらしく、これはわたくしが対策せねばと!」

「なるほど。それで結界を張ったのね」


 険のこもったイチキの声に同情を寄せる。

 この少女の姉ということは、美人で間違いないだろう。この国の人間とは少し異なるイチキの顔立ちは、しかし奇異に映らずに彼女の魅力を引き立てている。すれ違えば思わず目を奪われるような美少女だ。

 いつの世も女性をつけ狙う変質者は絶えることがない。なるほど、そんな事情があるなら結界ぐらいは必須だ。


「変質者が家の周囲を調べてたって……怖いわね」

「そうなのでございますっ。むやみやたらとスペックが高い変質者でございまして。何度か捕らえてやろうとしたのですが、わたくしの結界を感知して潜り抜けるほどの猛者なのでございます」

「本当に? このレベルの結界に気が付けるって――ただものじゃないわね、その変質者。そんなレベルの変質者がいるなんて、にわかには信じられないわ」

「悲しいことに、そんなレベルの変質者が存在するのでございます」


 いま張られている結界一つとっても、イチキの力量を察することはできる。

 構築精度と隠密性がずば抜けている。ここまでの結界を張れる使い手は、そうそういない。それをくぐり抜けるなど、驚異的な変質者である。

 治安維持に騎士隊が役に立たないなど、市民の間では常識。自衛の手段があれば、発揮するべきだ。


「本当はしばらく外出を控えていただきたかったのですが、姉さまは頑固なところもございまして」

「真面目な人なのね」

「ええ。世界の至宝でございます」


 イチキが女魔術師の悩みを聞く、というていで始まったはずなのだが、いつの間にか、どちらかというと女魔術師がイチキの事情を聞く感じになっている。

 そんな流れの変化には気づかず、イチキはふんふんと鼻息荒く頷いた。


「そんな姉さまなのですが、どうしてもお仕事を休みたくないと。それでわたくしが陰ながら控えさせていただいております」

「ふうん」


 この子の姉は公園の管理人でもしているのだろうか。

 公園が職場というのはよくわからないが、ずいぶんと仲の良い姉妹のようだ。

 少し、うらやましいなと女魔術師は思う。

 うらやましいと思ってから、気が付いた。

 自分は家族仲が良いことに、多少の羨望を持っているのだ。

 たぶん十年前に、唯一残った家族に失望したその時から、ずっと。


「本日は結界の起点を広場にいる姉さまからずらして、差し出がましいながらも中心点をわたくしにして変質者に天誅下そうと待ち構えていた次第でございましたが……」

「ごめんなさいね、期待外れで」

「いえいえ。件の変質者が現れないのが一番でございますから」


 にこやかなイチキの笑顔に、女魔術師は思う。

 イチキは服装や仕草こそ少し馴染みがないが、それゆえに異国の情緒が感じられる。態度もたおやかで、どことなく気品がある話しぶりには育ちの良さを相手に伝える。

 そしてなにより人懐っこい笑顔と、己の感情に対して素直にころころと変わる表情の数々。自分にはない『かわいげ』がイチキにはある。

 同性の女魔術師から見ても、イチキは魅力的な少女だ。

 異性の男子は――あの新人も、こういう子が好きなのだろうか――と思ってから、ぶんぶんを顔を振る。


「およ。どうかいたしましたか?」

「な、何でもないわ!」

「そうでございますか?」

「え、ええ。なんでもないのよ。それにしても、この結界の構成はすごいわね。初めて見る形式だけど、完成度が段違いだわ」

「いえ、大層なものでもございません」


 女魔術師の称賛に、イチキは照れくさそうに謙遜する。実のところ女魔術師のとっさの問いかけは、顔の赤みを指摘されたくなかったという割合が大きかったのだが、根が素直なイチキはそんな気持ちには気が付かない。


「音域の階位と心理状態の階位を結び付けての選別と音消し。隠密性は高めてございますけれども、強度が非常に低くなってしまいまして。結界としては大した魔術になりえませんのでした」

「心理状態への介入をあっさりこなしている時点で、だいぶすごくない? ていうか『なりえません』ってことは、まさかこの構成、オリジナル?」

「既存概念のつなぎ合わせでございますが、一応わたくしの独創でございます。それに介入、というより位相の差異の利用でございますね。ズレを利用とした誘導が主な目的です」

「位相の差異ってことは、波の振幅? それとも高低の判別?」

「高低でございますね。魔術はそもそも体系化された知識領域の概念化でございます。わたくしの祖国の体系ですと『階位』は常識として最も強固に概念づけられている分野でございましたから、自然、そこから派生した結界が発展したのでございます」

「ふうん。やっぱり国ごとに違うのね」


 お互い、優れた魔術師同士。魔術議論に花が咲く。


「正直、この国だと心理分野での魔術は体系付けが生理反応と経験領域とで重なっているから、概念化がいまいち進んでないのよね」

「ああ、この国はなかなか物質主義のところがございますからね。物質主義は共通理解と応用が広くとれる反面、概念的に見ると少し固いのが難点なのでございますよね。特に、魂の在りかがどうしても未解明の領域になって片手落ちになってしまうのでございましょう?」

「ええ、そうなのよ。もちろん、思考弾性を高めるために啓示概念には触れているけど、神秘領域までに踏み込んでいないわね。物質主義も極めれば神秘にまで行き着くっていう考えもあるけど、まだその領域にはないのよ」

「となると、『こうすればああなる』という、いわば反射的なものをどうとらえて歴史の中で体系付けされたかが重要でございますね」

「そうなんだけど、いまのところ経験的な感覚の集積でしかなくて、知識体系としては雑多で確定事項が少ないの。研究が進んでくれるといいんだけどね」

「神秘領域まで踏み込み術理を希う形になると、それは秘蹟の領域でございますから、やはり学術研究が進まねば魔術の発展はままならぬものですね」

「便利そうに見えて、秘蹟使いって大変だからね。あ、ここ最近、魔術で興味深いテーマとかあったかしら?」

「ああ、それでしたら、この間アカデミーの錬金術師アルケミストが発表した論文で、確か英知界への接続領域の考証が新鮮で――」


 表面的なことから、突っ込んだ話へと。

 魔術の議論ができる相手は少ない。女魔術師の周囲では、リーダーくらいなものだ。その彼にしたって、女魔術師とは分野が異なるので深い話ができない。

 レンなど論外。経験的な感覚による魔力運用での肉体強化と武器強化しかできないのだから、こんなふうに学識を交えて談義をするなど夢のまた夢だ。

 その点、イチキの見識は非常に深く、興味深い。彼女の祖国のものだけではなく、この国の魔術概念まで網羅している知見。話していて楽しい。

 そうして、十分ほど話し込んだだろうか。


「ありがとう。今度、勧められた論文を読んでみるわ」

「いえ、こちらも楽しゅうございました」


 すっかり打ち解けつつも、区切りの付いたところで女魔術師が立ち上がる。

 手を合わせてほほ笑んだイチキが、はたと気がつく。


「あ、申し訳ございません。本日はあなた様のお悩みを聞くはずが、まったく別のお話になってしまいましたね」

「ううん、いいわ。だいぶ、気分が落ち着いたのもの」


 イチキへ、余裕のある表情で答える。

 女魔術師の心は、イチキと話す前とは比べものにならないくらい気分は落ち着いていた。

 それはきっと、魔術議論で再び自分を見直せたからだ。

 自分の自身は何だ。積み上げてきたものは。掴み取ってきたものの根源は。

 今日の議論で、それを再確認できた。


「そう、でございますか?」

「ええ。ありがとう、助かったわ」

「よくわかりませんが、お力になれたのでしたら嬉しゅうございます」


 そうだ、と女魔術師は自分の過去を顧みる。

 そもそも、自分は感覚なんてものは信じていなかった。己の中にある曖昧なものではなく、外の有用なものを求めて身に着けた。

 確固たる定義づけされたものこそが、世界を形作る。解明されていないあやふやなものは、明確な魔術足り得ない。

 そうだ。

 自分の心理状態に振り回されるなんて、まったくもって情けない。勉強が足りていなかったのだ。

 多少、あの新人のことが気になるのは認めよう。

 ではなぜ気になるのか。まずは分析だ。

 気になる理由。それは、告白されたからだ。告白されたのは自分であって、自分がレンのことを好きになったわけではない。あくまで、向こうが、なのだ。

 つまり、自分がレンに恋愛感情を抱いているわけがない。他に何か要因があるはずなのだ!

 他の要因、となると、女魔術師には思い当たる点があった。

 レンは、女魔術師にとって、初めてできた『後輩』なのだ。

 たぶん自分は、先輩として後輩の成長が気になるとか、そういう状態なのだ。考えてみれば、いつも自分は年上ばかりに囲まれてきた。そういった上下関係を学んでこなかったばかりに、後輩という存在が気になってしまうに違いない。

 つまりは、そういうことなのだ。


「じゃあね、イチキ」

「はい。また、お会いできれば幸いでございます」


 今度、心理関連の学術書も読みこもう。あるいは、上下関係の交流のお手本でもあれば、なお良い。

 自分の状態に納得した女魔術師の心は、晴れやかだった。








 何となく、勘違いがあるような。

 女魔術師を見送ったイチキは、晴れやかな様子の彼女の背中にそんな直感を抱いていたが、まあ本人が納得したならと何も言わずに見送った。


「しかし、意外と難しいものでございますね」


 せっかくの機会だったのでやってみた、敬愛する姉の真似事。

 お金をとるのはさすがにできなくて当然だが、慣れないゆえに、ちょっと恥ずかしい失敗もあった。姉の偉大さを改めて知れたというものである。


「やはり、姉さまは偉大でございます」


 うむうむ、と一人納得する。

 イチキは、幼い頃から一人だった。

 故郷では、ひたすらに書物にうずもれるような日々を。

 そしてこの国に来てから、畜生と変わらないような者どもが。

 幼くして人に失望して余りある生だった。

 けれども、そんな中で出会えたのだ。

 最愛の姉と――もう一人。

 もう二度と会えない人となった、兄に。


「さて……」


 イチキはゆらり、と立ち上がる。

 その眼光は、先ほどまで女魔術師と話していた、ちょっとぬけたところのある少女と同一人物とは思えないほどに鋭い。


「今度は、まぎれもなく反応しておりますね」


 漏れだした声は、ぞっとするほどの隔意に満ちている。

 標的が自分の圏内に入ったことをイチキは感じていた。

 もとより、結界の起点をずらしただけでおびき寄せられるとは考えていなかった。だからこそ音よけと選別のまじないに載せた、探知の結界が本命。この三つ目の隠形は細心の注意を払っていた。事実、先ほどの女魔術師も気が付いていなかった。

 標的が、イチキの張った罠に気が付いていないのか。

 それとも構わないと踏み込んだのか。

 どちらでも、構わない。

 イチキを広場の方向に視線を向ける。


「あの者が、よくぞおめおめと姉さまの前へと顔を出せたものございます……」


 やることは、変わらないのだ。

 姉に迫る怨敵の存在を感じ取って、イチキは面相を羅刹に変え、一言。


「『勇者』ぁ……!」


 憎々しい名称を告げた。

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