番外編 フィアとイチキ

奴隷少女ちゃんに怒られたので番外編書きます……

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「姉さま、失礼いたします」


 朝特有の清澄な空気の中、イチキは丁寧に声掛けをして姉の寝室の扉を開けた。

 朝食の準備は、リンリーに申しつけてある。小器用な妹には多少の家事を任せてもいいと判断を下し、イチキ自身は最優先である姉の身支度に参上したのだ。

 イチキの声掛けで起床したのか。美しい少女がベッドの布団から顔を出す。


「……おはよ」

「はい、お目ざめでなによりです。本日の天気も上々でございますよ、姉さま」


 けだるげな所作でベッドで上体を起こしている少女の顔は眠たげだ。


「……イチキ」

「はい。なんでしょうか、姉さま」


 カーテンを開け、寝起きでぼさぼさの姉の髪を櫛で丁寧に整える。美しい銀髪の少女は、イチキが呼んだ『姉さま』という単語に、ムッと頬を膨らませる。


「名前」

「これは……失礼いたしました」


 鋭い指摘に、イチキは慣れに身を任せていた自分を恥じた。

 姉には、もう名前がある。

 三百年続いた皇帝の御名ではなく、母親より受け取った彼女を彼女とする名前があるのだ。


「おはようございます――フィア姉さま」

「ん。おはよう、イチキ」


 イチキの親愛なる姉、フィアは機嫌よく挨拶を返した。





 朝食を終えると、屋敷にある稽古場にイチキとフィアは移動していた。

 リンリーはダンジョンでの探索に出かけたため、広い屋敷にある稽古場は二人だけだ。一時期はリンリーに修行を課していた場所で、フィアは両手斧を振るって自分の腕前を披露していた。

 ぶぉん、と風切り音が鳴る。近接魔術によって強化された身体能力は、男女の垣根をあっさり超える。岩を砕き、鉄を断つだろう力強い一連の動きは、迫力ある大上段の打ち下ろしで終わりを告げた。


「どう、イチキ」

「素晴らしいです!」


 イチキは両手斧を構えるフィアに、心からの拍手を送る。

 堂々たる構え、揺るがぬ体幹。すぐに実践に移ってもなんら問題はない。ダンジョンで後れを取るようなことはないだろう。

 イチキの賞賛を受けて、フィアも嬉しそうに微笑む。


「……よかった。ちょっと不安だった」

「姉さまの腕前で問題になるようなことはございません!」

「……うん。イチキがいうなら、来週の冒険の日も、大丈夫かな」

「もちろん、万全を期しておりますとも!」


 冒険。それは姉の夢の一つだ。

 普通の少女でいたい。人並みの人間でありたい。ずっと願い続けて、諦め続けていたフィアの夢だった。

 その願いを届けてくれたのは、イチキも思慕を寄せている一人の少年だった。


「レンさまもフィア姉さまのパーティーご加入を、快く受け入れてくれました」

「うん。レンは、喜ぶに決まってるよ?」


 レンは、喜ぶ。

 その言葉に、イチキはほのかな齟齬を感じた。

 なんだろうかと引っかかりの理由を内心で探しつつ、イチキはフィアにタオルを渡す。

 ふかふかの真っ白なタオルで汗をぬぐったフィアは、いままでにないくらい満面の笑みを浮かべた。


「だって、レンって、私のこと好きだし?」

「…………………………」


 自信満々のフィアの言葉にイチキは押し黙った。絶句したと言い換えてもいい。

 尊敬する姉のいまの発言は、理知聡明にして用意周到のイチキをして、なんというべきか、こう――手の付けどころに迷って途方に暮れた。

 だって、なにを言えばいいのだ。

 確かにレンは姉に好意を寄せていた。なんなら愛の告白だってした。しかも一回だけではなく、二回以上は思いを告げて、その後に姉を助けるために全身全霊をかけた。

 つまり、先の事件に於いて、「あいつ、そんなに自分のことを好きだから頑張ってくれたんだな」と姉が勘違いをするのも無理はない。

 人間は全知ではいられないのだ。姉の主観ではレンの行動原理が恋愛感情のものであると勘違いしてしまってもしかたないのだ。


 だが、いまのレンは、ミュリナと交際を始めている。


 イチキもレンのことを男性として愛しているが、イチキはいいのだ。親友と思い人が交際しているという現状であっても、二人が幸せならばそれはそれでと構えられる心のゆとりを持っている。

 なにせ、まだまだ焦るような時間ではない。いまの時期は雌伏の時と控えて、あわよくば初交際である二人の相談役に収まり、ミュリナにとっては良き友人、レンにとっては気安く頼れる異性としての距離を維持し続ければ、今後十年くらい間にイチキにとって望む落としどころが現れるだろうと気長に画策している。むしろ自分を含めたこの関係性を楽しいものとすら感じている。なにせイチキはレンは当然として、ミュリナのことも大好きなのだ。

 だがいまのフィアは、どうだ。

 世界で最も優れた尊き血筋に生まれ、高貴ゆえにプラトニックピュアが過剰で、争いなどする必要もなく君臨していたからこそ恋愛に闘争が必要だということすら知らない。

 率直に言って、周回遅れをしている感は否めなかった。


「……っ」


 イチキの背筋に冷や汗が滑り落ちる。

 レンは悪くない。そりゃ、二度以上フラれたのだから脈なしと諦めるのが普通だ。失恋の傷心から気持ちを切り替えて、自分に積極的にアタックしてきた少女に心惹かれて交際を始めて、なにが悪いというのか。

 やはり、誰も悪くない。しいていえばタイミングが悪かった。最初のレンは確かに姉一筋だったはずなのだ。むしろ姉の独り勝ちと言ってもよかった。なんならイチキだって姉とレンは相思相愛でハッピーエンドを迎えるのだと確信していた時期すらあった。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 フィアはイチキが手作りした稽古後のお茶菓子を頬張りながらご機嫌に花を飛ばしている。レンが自分に思いを寄せていると信じて疑っていない姉は、夢想する未来に前向きで満更でもないご様子だ。

 いまさらになって、フィアの好意の矢印がレンに向き始めた。恋に浮かれて自分の幸せに疑いを持たないあまりにも能天気――もとい、とても幸福そうでなによりな姉の様子に、イチキはごくりと唾を飲み込む。

 ほんのちょっとの差だと思うのだ。もうちょっとだけレンが行動を起こすのが早かったら、きっといまのフィアの思いは通じた。けれども想いが届くのが遅すぎた。周回遅れの告白受理がこんな悲劇を生むだなんて、誰が予想できるというのだ。


「あの、フィア姉さま」

「……ん?」


 イチキは勇気を奮い立たせる。

 いまの姉をほうっておくわけにはいかない。姉に恥をかかせるわけにはいかないのだ。

 これからフィアはレンがリーダーの探索メンバーのパーティーの一員として、ダンジョンで一緒に行動する。そんな探索の時にフィアがなにも知らないままレンに「レンって私こと好きでしょ?」なんて自信満々な宣言をしてしまった日には目も当てられない。

 レンは「え? 二回くらいフラれて諦めついたからミュリナと付き合い始めたのに……え?」みたいなすごく困った顔をするだろうし、念願かなって付き合いたてのミュリナは全力で反論してレンとの仲は良好だとのろけ話を暴露して牽制し始めるだろう。ダンジョン冒険中にそんな空間が発生したら最後、リンリーはレンの背後で隠形を始め、イチキはフォロー不能のいたたまれなさに膝を屈して広がる裾で顔を隠すことしかできず、真実を知ったフィアは突然用事を思い出して拠点に帰り引きこもってしまう。十中八九、同じメンバーでの探索は行われることは二度となく、パーティーは崩壊することになるだろう。

 そんな悲劇は起こさせない。

 姉にまつわる大きな事件がハッピーエンドに終わったからこそ、決して、不幸な事件を起こしてはならないのだ。


「これから説明することを、よくよく、ご清聴くださいませ」

「……ん? う、うん」


 自分の肩に手を置いているイチキの鬼気迫る様子に、フィアはちょっと気おされたように頷く。


「フィア姉さまが玉音から解放される、少し前のことになりますが――」


 そしてイチキは丁寧に、ミュリナとレンが付き合い始めた経緯を説明した。






 後日。

 不貞腐れて三日ほど引きこもって「……別に私、レンのことなんて好きでもなんでもないし」と主張する姉を、イチキはかいがいしく世話をした。

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