乙女デートの全肯定・前編
路地裏で、フードを被った男が走っていた。
彼は西方教会の人間だ。すぐれた秘蹟使いであり、敬虔な信仰と荒事の腕前を見込まれ、他の組織に対して諜報員のようなことをしている。
そんな男が、疾走しながらちらりと後ろを確認する。
最近、この町で西方教会の意思に反する出版物が発行されている。その裏を探っていたところを、マフィアに感づかれた。
ただの下っ端の大男が出てきたところまではよかった。問題なく、あっさりとあしらうことができた。
だが、そこからがまずかった。
「あれは、何者だ……!」
男は路地を曲がったところで足を止め、気配を探る。
来た道から追手が迫る足音は、ない。
「振り切った、か?」
「追いかけっこは終わりぃ?」
ぎくり、と身をすくめる。
正面から耳に入ったのは、子供の声だ。いつの間に先回りされていたのか、追われていたはずの後ろからではなく行く手から追跡者が現れた。
狐耳を生やした少女が、つまらなさそうに尻尾を振りながら男を見据える。
「身体強化もしないで振り切れるわけないじゃん。逃げるんならせめて加護を使ったらぁ? ……ま、秘蹟使いは魔術と違って、秘蹟を使った時点でお家がバレちゃうから隠しときたかったんだろうけどね。信仰がないと使えないって、使えば信仰がバレちゃうって意味だもん」
まだ十歳を過ぎたばかりに見える少女が、人を食った笑みを浮かべている。まだ幼いというのに、身に秘める嗜虐性が垣間見える笑顔だ。
「……」
男は無言のまま目を細める。
この町のマフィア、カーベルファミリーについての諜報を進めていた時に現れたのが、この少女と、もう一人だ。
こうなっては仕方ない。子供といえども始末するのみだ。すぐれた魔術師のようだが、教会の暗部である彼にとっては倒せない相手ではない。
こちらだけなら、男でも処理できる。
「消えろ、異端者」
彼の右手から、浄罪の剣が伸びる。
この幼女に足止めをされている場合ではない。もう一人が出てきてしまえば、どうしようもなくなる。一分一秒が惜しいと、出し惜しみなく加護を乞うて身体能力を強化する。
魔を駆逐する秘蹟使いの性質は、魔術師を優越する。
真摯な祈りによって形成された光輝く秘蹟を振るおうとする男に、狐少女は鼻を鳴らす。
「あのさぁ。もう、終わってるの。そんなことにも気が付けないから、大人のくせにザコなの」
「は?」
男は、動きを止めた。
いま、ようやく気が付いた。いや、いまになって、ようやく気が付かせてもらった、というべきか。
彼の目の前には、小生意気な幼女のほかに一人、黒髪の美しい少女がいた。
男はあ然とする。いま理解した現象に、頭が追いつかず混乱する。
黒髪の少女は、突然現れたわけではない。彼女は最初からここにいた。幼女が現れると同時に男に正面から歩いて近づいて、袖から取り出した札を男の顔面に張り付けた。ゆったりとした彼女のすべての行動を男はしっかりと見聞きして、記憶していた。
だというのに、いまのいままでこの美しい少女の存在に気を払うということが、できなかったのだ。
全身から、どっと冷や汗が吹き出る。
「なにを、した……?」
「大層なことでもございません。わたくしの存在の位階を、あなたさまの認識が気に留めない程度に引き下げただけでございます」
こともなさげに魔術行使の絶技を語り、彼女が男の額に張った札を、ぺりりとはがす。
取られた。
男は直感で、なにをされたのか悟る。いまの札は、おそらくは教会聖句『汝、その身を示せ』に類似する魔術だ。男の中にある情報を抜き取られている。
札をしげしげと眺めて男の情報を見聞した黒髪の少女が呟く。
「イーズ・アンのいる街に、なぜかと思えば……教会の下位派閥の一派でございますか。あの教皇とも関係ないとなれば、あなたさまごときに姉さまのお手をわずらわせるわけにもいきませんね」
さらさらと墨で濡らした筆をすべらせて、内容を書き換えた札を貼り付ける。
諜報員である彼の行動が改ざんされ、彼が上層部に報告する内容は、たった四文字のみに決定された。
『異常なし』
教会上層部は、それ以外の情報を受け取ることがなかった。
自分たちの盾となっている組織を嗅ぎまわっていた曲者を処理したその日。
イチキの手元に手紙の折り鶴が届いた。
「おりょ。これは」
窓から入り込んできた自分宛ての通信魔術を見たイチキは、ぱっと顔を輝かす。
レンに預けている手紙の伝書魔法だ。秘密のやり取りとして渡していた文である。
はやる心を抑えながら丁寧に開いてみると、そこにレンから会いたいという旨がしたためられていたのだ。
「……ふふっ」
会いたい、と言われれば、そこはイチキも恋する乙女。胸がときめかずにはいられない。
特にリンリーを伝言に介さない辺りに、乙女心が刺激された。レンが直接言葉を届けてくれたのだ。
いそいそと自室の箪笥から衣装を取り出し、合わせる帯の柄に思い悩む。姿見を前にして服選びに一喜一憂して花を飛ばしている雰囲気は、傍から見れば浮かれているのが一目瞭然だ。
「失礼します、尊師ぃうび!?」
そんなイチキのお出かけ準備の場面を、うっかり目撃してしまったのはリンリーだ。しずしずとした態度でイチキの部屋に入ったリンリーは、尊敬する姉であり、絶対服従する師の様子に、奇声を上げて硬直してしまう。
無作法を叱り飛ばすのが常だが、機嫌がいいイチキはさらりと流す。
「なにか用ですか、リンリー」
「そ、その、お食事の、ご用意ができたのですけど……」
最近は食事番を任せられることもあるリンリーは、言葉を迷わせる。
ダンジョン探索でレンと一緒のパーティーにいるリンリーは、ほぼほぼレンの行動を把握している。してしまっている。同時に、あんまり認めたくないもののイチキがレンに好意を寄せていることも承知済みだ。
だからこそリンリーも、いまのイチキの様子に心当たりはあった。というか、イチキがあんなに乙女になる条件など他に考えられなかった。
「尊師……その」
自分は役目で部屋を訪れたのだから、後ろ暗いことはない。気を取り直して正体を取り戻したリンリーは、おずおずと話しかける。
「む。なんですか、リンリー」
「詳しくは、その、よくわからないですけど……」
「はっきり言いなさい。問答以前での時間を無駄にするのは嫌いです」
「は、はい! あのっ、最近のレンおにーちゃんの様子からして、たぶんデートとかそういうことじゃないと――」
自分で言いかけてから、ぴゃっと首を縮こめる。
そこには、ごごぅっと羅漢像を背負うイチキがいた。
「なんですか、リンリー?」
「な、なんでもありません……!」
ゆったりとした口調の、しかし迫力に満ちた再度の問いかけに、リンリーはひたすらに平伏した。
リンリーに言われるまでもなく、イチキとてレンからの手紙がデートのお誘いではないということぐらいわかっていた。
「まったく、あの子は……」
日中の人が行きかう大通りの交差点広場。
待ち合わせ場所に立つイチキは、広がる袖で口元を隠しながらぷっくりと頬を膨らませていた。
デートでないなど、忠告されるまでもない。イチキだってしっかりわかっている。まったくもって余計なお世話である。
きっとレンは、ここ最近、彼が主導して動いていることにイチキも巻き込もうとしているのだろう。
だが、とイチキは思うのだ。
レンの主観ではデートでなくとも、客観的にデートにしてしまえば、それは実質デートだといっても過言ではない。王権神授が薄れていくいまの世の中、どんどん多数決が強くなっている。当事者一人が主張しようとも、周囲の目が認めたことが世間的な事実になるのだ。
つまり、今日という一日が周囲からデートに見えていれば、それはもうレンがなにをどう考えていようとも、それはデートとしてイチキの思い出として残るのである。
つまり、やっぱり今日はデートであると言っても過言ではないのだ。
イチキはそわそわと体を揺らし、時々袖口から取り出した手鏡で前髪のチェックをしては整える。うきうきと胸を浮かれさせていると、待ち人の気配を感じる。
彼が姿を現す前に、櫛を袖にしまって両手を前で揃える。
「待った、イチキちゃん?」
「お気になさらないでください」
レンだ。時間通りに来た彼に、艶やかな黒髪を揺らしてイチキはにこりとほほ笑む。
「レン様が来ると思えば、待つ時間すら楽しめました」
待っていないと偽ることはしない。罪悪感を抱かせない軽さでありながらも相手の心に満足感を与える口上だ。
イチキの直球に、レンが声を詰まらせた。
「そ、そっか。よかった……のかな?」
「はい。このような喜びがあるとは、無知なわたくしは知りませんでした。初めてを教えてくださいまして、ありがとうございます」
「どういたしまして、って言いたいところだけど、イチキちゃん。なんていうか、ほら……言葉選びがね? ちょっとまずいというか、誤解を招くというか……」
「そうでございますか?」
頬に手を当てて、すっとぼける。
もちろん、わざとだ。レンを意識させるために言葉を選んでる。
たじろぐ思い人の反応に、そわりと悪戯心が刺激される。
世話好きで万事控えめのイチキなのだが、不思議とレンの困った顔は好物らしい。
「ただの本心でございますよ、レンさま」
我ながら意外な嗜好を自覚したイチキが、ついっとつま先立ちをして、レンの耳元で囁く。
「レンさまの振る舞い一挙手一投足が、わたくしの心を染め上げ開発してしまうのです」
「……っ!」
顔を真っ赤にしたレンに、袖口で口元を隠してくすくすと笑う。
心を開発して新しい自分を発見させてくれたレンがますます愛おしくなる。
「とりあえず! お昼だし、どこかでなんか食べよっか!!」
「はい。喜んで」
勢いで誘引を振り切ったレンに、素朴な明るさで同意する。
歩き始める前に、レンの手に目がいく。
手をつなぎたいが、恋する少女にとって、好きな人との触れ合いは一大決心が必要だ。いまのイチキでは、自分から言い出すのは、ちょっと勇気が足らない。
だから、レンの服の裾をそっとつまんだイチキは、つつましやかにはにかんだ。
「エスコートをしていただけると、嬉しいです」
恋する乙女の恥じらう微笑みと相まって、周囲からは初々しいカップルのデートにしか見えなかった。
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