Merry Xmas !
ペリオン家。
その家はハーバリア国の地方において、建国以前より土地に根差した名家中の名家である。
国の趨勢を左右する中央政治よりも地方の名家であることを優先し、国が変わっても家系を残して土地に影響力を保持し続けている。ここ最近では、五年以上前に長女が修道院に入ったことが、その筋では少し話題になったりもした。
イチキは、そんなペリオン家の市長の邸宅でもてなされていた。
イチキの尊敬する姉が玉音から解放された事件以来、カーベルファミリーを隠れ蓑にしてマフィアを裏から操る必要もなくなった。
それは彼女と姉の後ろ盾をなくすことを意味する。
少しばかり不安定になる自分たちの身上を固めるべく、イチキはファーンの紹介で市長と知己を得た。
「一生、頭があがりませんね」
イチキは、しみじみと呟く。
姉のこと、イーズ・アンのこと、そしてあの時の一戦で自分と妹の身を助けてもらった上に、この紹介である。ファーンには感謝してもしたりない。
なにが素晴らしいのかといえば、彼女に恩を返すことが不快ではなく、むしろ楽しみすら覚えるところだ。ファーンの人柄ゆえのもので、得難いほどの天性だ。イチキでは決して持ちえない才能である。
政治家となっていたら、どれほどの傑物となったのか。
そしてそれは、いまイチキの目の前にいる人物がもっとも惜しんでいることだろう。
「家を出た娘が久しぶりに頼りに来たかと思えば、君を紹介された。その時はなんだと思ったものだけど――僕はどうやら、あの子に感謝をしなければならないようだ」
五十初めの男性が、理知的な口調でイチキに語り掛ける。
地元の名士であるペリオン家の当主にして、この町の市長である。
この町の裏事情に精通したイチキの手腕は、皇国崩壊後の動乱期ですら地位をぴくりとも揺るがさせず、二十年近く市長の地位を保っている彼をして舌を巻くものだった。
頭脳の明晰さ、先見の明、彼女独自の人脈。ぜひ彼女を身内に取り込みたいと、市長は誘いかける。
「どうだい。僕の息子と一緒に、今度、食事にでも」
「申し訳ないとも思えませんので、お断りいたします」
遠回しな縁談の呼び水に、イチキはたおやかにほほ笑みながら、検討の余地もないとはねのける。
「わたくしは、心に決めた方がいますので」
「そうかい」
穏やかな口調を崩さないイチキに、市長は落胆の息を吐く。
「残念だよ、本当に」
自分の娘といい、目の前の少女といい、つくづく、優秀な人間ほど掌に収まらない。
そこまで思考を巡らせてから、いいや、と彼は内省する。
自分ごときでは手中に収められないからこその、優秀なのだ。
「しつこくして相談役まで下りられたら、困るからね。もう二度とこの話題は振らないことを約束するよ」
「市長さまの引き際のよさは、好ましく思っておりますよ」
イチキは本心から告げる。
必要以上に親しくならないが、相手に不快さを抱かせずに常に利益を提示する関係性に終始する。それが、この市長の人付き合いのスタンスだ。
「あなたとは長い付き合いをしたいと、心から思っております」
それがお互いの利益になり、恩人への恩返になるのだからなおさらだと、イチキは市長と笑いあった。
市長邸から出たイチキは、ミュリナと食事をしていた。
出会って縁を結んで以来、仲のいい二人である。予定が合えば互いのおすすめの店で、あるいは新規開拓をするためにと一緒に食事に出かけることはよくあった。
そこでミュリナはレンに告白されたことを打ち明けていた。
「でね、レンが言ってくれたの! 『俺と付き合ってくれ』って!」
「はい。それは、よろしゅうございましたね!」
ミュリナにとって、イチキは最大の恋敵だ。牽制の意味がまったくないとは言わない。けれども友達だからこそ、喜びを打ち明けたいという気持ちも大きい。
事前にレンからミュリナと付き合うことになったのは聞いていたが、そのことはおくびにも出さずにイチキは友人の幸せを祝う。
「ふふ、出会ったばかりの時は、お二人の関係がこうなるだなんて、予想だにもしいませんでした」
「ふへへ……あたしもレンと会ったばかりの時はこんな幸せになれるって、想像もしてなかったなぁ」
お互い好きな相手が同じ同士だからこそ、ミュリナは告白が成就したということは伝えなければならなかった。その口ぶりに少しばかり優越感と自慢が混じってしまったのは、ミュリナもまだまだ十六歳ということである。
ただ、恋に浮かれるミュリナといえどもさすがに気がとがめた。
「でも、あの……イチキ」
「なんでございましょう?」
「無理してない?」
イチキがレンに恋をしていたことは知っている。ミュリナにとって、彼女は最大のライバルだった。片思いだった時は、奴隷少女ちゃんとやらより、よっぽど危機感が煽られたものだ。
なのにイチキは悲しむそぶりもなければ、悔しがることもない。むしろミュリナとレンの仲を全力で応援して、喜んで暮れている。
恋が成就したばかりのミュリナの心が、痛むほどに。
「あたしの無神経なところがあったら、遠慮なく言ってね」
「……わたくしは確かにレンさまのことをお慕いしていますが、ミュリナのことも同じくらい大好きでございます。だから、お二人が恋人になったと聞いて、本当にうれしいのですよ?」
「イチキ……」
イチキの言葉は、ミュリナの胸にじぃんと響いた。
もしも立場が逆だったら、自分は決していまのイチキのような対応はできるはずがないのだ。
だからこそ、ミュリナが自分の態度を顧みて殊勝になっていた時だ。
「それにですね、ミュリナ」
「うん」
「この国では、婚前の男女が誰と、何人で付き合おうとも、罰する法律はございません」
「うん?」
話の雲行きが怪しくなった。
ミュリナの首が斜めになる。だがイチキはいつもと変わらない――あるいは、いつもより少し色が加えられた笑顔のまま続ける。
「それに、お付き合いというものは口約束で成立するもので、口約束以上の意味はございません。なんの実効性も物理的拘束力もなく、法的根拠を持たないのです」
「待って」
「なにをでございましょうか? 素敵だと存じ上げますよ、口約束。……とても、おかわいらしゅうございます」
「ごめんっ、謝るから! 謝るから、待って? ね?」
「ですから、謝られることはございません」
不吉な予感にミュリナは下手に出る。それこそリンリーばりに媚びたゴマすり笑みを浮かべるミュリナに、イチキはにっこりと微笑む。
「わたくし、レンさまとデートの約束をとりつけございますので。あ、もちろん、ミュリナとレンさまが交際される前のことですよ? でも、約束は約束でございますからね。遵守しれもらわないといけないと、そうは思いませんか、ミュリナ?」
「でぇ!? え? ちょ!?」
「なにを着ていくのがよろしいでしょうか? せっかくですので着物ばかりではなく、気分を変えてこの国の服装でもしようと思いまして……ミュリナのコーディネートなら安心できます。いまここで相談してもよろしいですか?」
「あ、う、ええ……」
そんな口約束なんて無効だといえば、自分とレンの関係性が薄っぺらいものになる。かといって、イチキとレンとデートするための見立てなんかしたいわけがない。
「どうでしょう。ミュリナなら、レンさまが好きな場所やお食事など、もちろんご存知ですよね。ご教授いただけると嬉しゅうございます」
「それは、その、あの……!」
半泣きになるミュリナに、イチキは笑みを崩さないまま矢継ぎ早に質問を繰り出す。
ミュリナは思い出した。
あれ? あたしってまだレンと、ちゃんとデートすらできてないよね? と。
前回の初デートでは聖女様出現とかいうわけのわからない出来事で邪魔されたのだ。そこから起こった一連の出来事が怒濤だったため、デートのやり直しができていなかった。
もちろんその程度の情報は入手済みのイチキは、思い人をともにする自分の一番の友達に声を弾ませて告げる。
「わたくしたちの人生に、まだまだ時間はございますから、人と人との交流で変わるものもございましょう。これでもわたくし、天才でございますので。移ろう人の心を捕まえる自信は、ございます」
「わかった! 土下座すればいいのね! そうすれば許してくれる!?」
笑顔のまま怒っている親友に、ミュリナは涙目で懇願した。
しかしイチキの笑顔は変わらない。ぞくぞくとする背筋の感触を隠したまま、そっと伸ばした指先でミュリナの目元に浮いた涙を拭い、そのまま頬に手を添える。
「わたくしが許す、許さないの問題ではございませんよ、ミュリナ」
雅に、艶やかに、同性のミュリナですら生唾を呑み込むほどにたおやかにイチキはほほ笑む。
「うかうかしていれば失うものもあると、この世の当然の流れのことを話しているだけでございます」
「ごめんイチキあたしちょっと用事思い出した!!」
勝利をしてもなお、勝てる気がしない。
そんな相手が、世の中にはいるのだと思い知らされたミュリナは、席を立つ。
「ありゃ」
残ったイチキはミュリナの背中を見送り苦笑する。少し、嗜虐心に任せてやり過ぎてしまったらしい。
イチキはミュリナが食べ残したケーキにフォークを突き刺し、口に運ぶ。
「本当にかわいらしゅうございますね、ミュリナは」
ミュリナと一緒のものを味わったイチキは、唇に残ったクリームを艶やかに舌でなめとり、ほほ笑んだ。
レンはその日、平和な日常を過ごしていた。
迷宮探索は休みの日だ。今日は訓練をすることもなく、先輩であるディックと情報交換をして彼の知り合いを紹介してもらって、迷宮での体験談を聞き、あるいは自分のことを話して盛り上がった。
また何人かの縁を増やして盛況で終えた食事会から帰って、あとはのんびりしようと思った夕方に、どんどんと扉を叩く音がした。
「レン!! いるのはわかってるのよ! とっとと開けなさい!!」
「……ミュリナ?」
レンのかわいい恋人ミュリナである。
そういえば前にもこんなことがあったなと記憶が刺激される。
あれはミュリナが家出をした時のことだ。よくあの時期の自分はミュリナに手を出さなかったものだと過去の自分を称賛しつつ、扉を開ける
「どうしたの、ミュリーーなぁ!?」
きらめく金髪をツーサイドアップにした美少女ミュリナは応対に出たレンの体に、ぶつかるような勢いで抱きついた。
「……ほんと、どうしたの?」
「レン……」
レンが戸惑いながらも彼女の肩を抱いて頭を撫でると、ミュリナは胸元から上目遣いで見つめてくる。
「あたし、レンのこと、好きだよ」
どうやら、自分が何か恋人を不安にさせてしまったらしい。
ミュリナのすがるような声を顔にそれを察したレンは、恋人を家に入れて、そっと扉を閉じる。
そうして抱きしめたまま、ミュリナの綺麗な髪を撫でる。
「俺もだよ。ミュリナのことが好き」
「大好きだから。あたしが、レンのこと、一番好きだから
「うん、ありがとう。俺もミュリナが一番大好き」
「一番じゃヤだ。ミュリナだけって言って?」
「俺は、ミュリナだけを愛してるよ」
「ふへ、ふへへ……うん。だからね、レン……」
一声ごとに伝わる思いに、愛おしい声のかわいさに、抱きついてくる彼女の華奢なやわかさに、レンの頭がくらりとしていると、ミュリナがすうっと大きく息を吸って、一言。
「ーー今日から、同棲するわよ!!」
「……はい?」
レンの首が、斜めに傾いた。
ミュリナがレンの家に押しかけたその日。
同棲を迫る彼女を一晩かけて必死になだめたレンから「この部屋狭いからっ。次の引っ越しの時には、一緒に住もう?」という約束をミュリナは引き出すことに成功した。
さらにその後日。
なんか二人がそのうち同棲を始めるらしいとリンリー経由から聞いたイチキは、くすくすと肩を震わせ大層、楽しそうに笑っていた。
全肯定奴隷少女:1回10分1000リン 佐藤真登 @tomato
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