少女たちの行く先は・前編
家に帰ったミュリナを出迎えたのは、女剣士だった。
泊まるかもしれない、と言っていたミュリナが日暮れ前に帰ってきたのを見て、何もかもを承知している顔でリビングに座らせる。
「おかえりなさい」
「……うん。ただいま」
リビングのテーブルに座ったミュリナは、しばらく無言だった。
女剣士は何も聞かない。ただ、キッチンで温かいミルクを用意する。
ミュリナはうつむきがちに問いかける。
「お兄ちゃんは?」
「あの人は仕事。帰りは遅くなるって」
「……そっか」
よかった、と小さく呟いたミュリナは、女剣士から受け取った温かいミルクを一口飲む。
一息ついてから、湯気の立つコップをテーブルに置いた。コップのとってから手を離し、くしゃりと自分の髪を握り締める。
「あたし、バカだ」
「なにが?」
「言わなきゃよかった……」
「なにを?」
「好きって言って、なんて」
向かい側に座った女剣士に、ミュリナは悔しさをこぼす。
「言わなきゃ、よかった……!」
あの時に欲張ったりしなければ、自分は今頃レンと結ばれていたのかもしれない。
顔を覆って震えるミュリナに、女剣士は穏やかに微笑んだ。
「バカね。言って、よかったのよ」
「なんで……?」
「それを言わなきゃね。たぶん、一生後悔していたわよ」
「……わかんないよ」
ミュリナには、わからない。
今以上に大切な未来が、まだ実感できない。未来のために今があるだなんて言えるほど、年月を重ねていない少女なのだ。
だからこそ女剣士は、余計な言葉は何一つ言わなかった。ミュリナが答えを出すまで、そっと見守る。
「アルテナさんは、さ」
「ええ、どうしたの」
「なんで、お兄ちゃんを、待てたの?」
勇者が聖剣を抜いた時から、二人は離れ離れになった。そうして何年も、何年も。この人は、ずっと待ち続けたのだ。
どうしてそんなことができたのか、ミュリナにはわからなかった。
「……そうねぇ」
遠く離れて、連絡は検閲が必要な手紙だけで、勇者のパーティーには女性もいて、それでも待ち続けるなんて、どうやったらできるのか。
それを問われた女剣士は、そっと目を閉じた。
「確かにウィトンはいろいろと自分勝手で、人の気持ちを察せない鈍感で、おせっかいの割には気を遣えないおバカだから、信用してなんてあいつから言われた日は『は?』って感じだったけどね」
恋人だからこそ言える愛情ある欠点の羅列の末に、理由を告げる。
「あの人は、それでも私との約束を破ったことがなかったから」
それは、彼と彼女の間だけで育まれた、確かな愛情だった。
自分の知らないことを聞かされたミュリナは、静かにうつむいた。
「アルテナさん」
「どうしたの、ミュリナ」
「あたし、レンとろくに約束ごとをしたこと、なかった」
「そう」
「レンと、手をつないでデートしたことも、なかった」
「そうね」
「それなのに好きって言ってとか、キスしてとかさ。やっぱり、あたし、間違ってたんだ」
「そうかもね」
ぽつり、と卓上に涙がこぼれる。
女剣士は手を伸ばして、ミュリナの頭を撫でた。静かに震えて涙をこぼす彼女を、優しく、幼い頃のミュリナが一人で残されていた時にそうしたように、妹のように思っている少女の成長と失敗を慰める。
「仕方がないことよね。そういうこともあるわ」
「そう、かな」
「そうよ。そういうものなの」
ミュリナは、まだ十六歳だ。初恋に振り回されるのも、恋する女の子が必ず一度は通る道だ。
アルテナは、この子の成長を見てきたからこそ言える言葉を贈る。
「大丈夫よ。まだまだできることがあるって考えればいいの。お互い、知ることがたくさんあるんだから」
「うん……」
涙をぬぐって、ミュリナは顔を上げる。
まだまだ、折れてはいないのだ。
「頑張る。レンが好きな相手って、レンの片思いみたいだし」
強い子だ、と女剣士は笑う。
ミュリナが剣を持ちたい、といった時には、みるみるうちに強くなっていった。それは失敗も恐れずに、試行錯誤を積み重ねていったからだ。
間違っても、そんな自分から目をそらさずに糧にするから、ミュリナは強いのだ。
「レンにアタックしてるのは、あたしだけだもん。だから絶対、振り向かせる! あたしのいろんなことを知ってもらって、あたしもレンからいっぱいレンのことを聞けるように、頑張る!」
恋にだって、これからもっと強くなるだろう。
この年頃の少女には、応援することぐらいしかできないから。強気の戻ったミュリナを見て、女剣士はその意気だと笑顔で肯定した。
ミュリナが帰ったあと、レンは自分の家で自己嫌悪に陥っていた。
ミュリナを傷つけた自覚がある。ああ言わなくてはいけないと思ってはいるが、それでも自分の言った言葉が自己嫌悪となってレンを苛んでいた。
それでも明日、ダンジョン探索に向かえばミュリナと顔を合わせなくてはいけないのだ。
どうするれば、いいのだろうか。どんな顔でダンジョンに向かえばいいのだろうか。今日のことと、明日のこと。そのどちらもに悩まされて一人で憂鬱に浸っている時、玄関のドアが控えめにノックされた。
「は、はい、いま出ます」
もしかして、ミュリナが戻って来たのか。
そう思っておそるおそる応対に出たレンは、目を瞬いた。
「は、はじめ、まして!」
カチンコチンの声を出したのは、まるで見覚えのない女の子である。
艶やかな黒髪の、ものすごい美少女だ。幼さの残る顔立ちからみて、レンより年下だろう。体の線が出にくい特徴的な異国の衣装をまとっているというのに、胸元の豊かさが一目瞭然だ。
一度見れば強く印象に残るような少女である。間違いなく、レンとは面識がない。
「れ、レン様、でお間違えないでしょうかっ」
「はあ。確かに俺はレンだけど……」
レンは『様』と呼ばれる違和感に首を傾げる。
名前を知られているのならば訪問先の間違えというわけでもないだろうが、レンには突然こんな見知らぬ美少女の訪問を受ける理由に心当たりがなかった。しかも見るからに異国の少女となればなおさらだ。
困惑するレンに対して、その少女は上品な仕草で口元に袖を寄せながら、そわそわと落ち着かない様子でレンを見る。
「わ、わたくしは、その、イチキと申しまひゅ!」
「ええっと、イチキさん?」
「は、はい! いえ、そのっ、わたくしなどに敬称は不要でございますっ」
「ええ……そんなこと言われても……」
レンの性格では、初対面で呼び捨てるほうがハードルが高い。
どうしたものかと思いつつ、ならばと呼んでみる。
「じゃあ、イチキちゃん?」
「は、はい! なんなりとお申し付けくださいませ!」
「いや、お申し付けくださいっていうか……なんの用?」
「そ、そうでございました! 申し訳ございません、つい癖で……」
先ほどから随分と落ち着きのないイチキの挙動に呆れ始めているレンの言葉に、羞恥で頬を染める。
普段のイチキを知る人ならばらしくないと驚く態度だが、初対面のレンからすれば見るからに年下が相手ということもあって『緊張しいな少女なのかな?』という感想ぐらいしか抱けない。少し微笑ましい気分になって、イチキが要件を伝えてくるのも見守る。
「その、約束もなく突然殿方の敷地に訪問をするのは、はしたないと承知のうえなのですが……」
いきなり迷うことなく自宅に突撃してくるどこぞの美少女とは真逆の奥ゆかしいことをいいつつ、自分の行いの大胆さにほっぺを朱色にしたイチキは袖口から何かを取り出す。
ふわりと、花の香りがレンの鼻先をくすぐっった。
「これをっ、受け取ってくださいませ!」
顔を真っ赤にしたイチキが差し出したのは、寒梅の枝を添えた一通の手紙だった。
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