修道女の説法・前編

 大通り脇の小道にあるオープンテラスの喫茶店。おしゃれな雰囲気の穴場なお店で、レンは常連シスターさんに午後のお茶タイムを提供していた。

 いま二人はテーブルを挟んで対面で向かいあって座っている。常連シスターさんの前にはホイップクリームがたっぷりと乗せられたパンケーキが置かれており、脇には紅茶が入っているガラス製のポットがある。

 そしてレンの前には水だけだった。


「ふむふむ、なるほど」


 年下の男の子に正当な理由でなんの気兼ねもなく午後のおやつをおごらせるというなかなかに高尚なストレス発散方法を実践しつつも、一通りの事情を聞いた常連のシスターさんは深く息を吐く。

 常連シスターさんに洗いざらい全部のことを白状したレンは、神妙な顔で沙汰を待っていた。


「ついこの間まで一緒に暮らしていた女の子に告白されて、レン君は奴隷少女ちゃんが好きだから断った。そんなことがあった手前、自分も奴隷少女ちゃんと距離を詰めようとしてあんなことを言った、と」

「は、はい。大体そんな感じです」

「へー」


 常連シスターさんは、レンにおごらせたパンケーキをパクリと一口。やっぱりこの店はおいしいなぁと、いったんナイフとフォークを置いた。

 そして掌に、ぽうっと光が宿らせる。

 最近レンも身に付けた秘蹟、浄化の光だ。さすが聖職者と言うべきか、明らかにレンよりも光の密度が濃い。


「あの、なんで浄化の光を……?」

「ん? 大したことじゃないんだけどね」


 おそるおそる尋ねるレンに対し、穏やかな表情で浄化の光を宿した掌を向ける。


「いまなら魔を滅する光でレン君を浄化できそうな気がするなって思って」

「うぇっ!?」


 レンがびくっと震える。

 怯えた反応に常連シスターさんは苦笑して浄化の光を消す。無表情のあの先輩者ではあるまいし、浄化の光が人に対して攻撃性のあるものにはならない。いまの発言は半分くらいしか本気ではなかった


「あはは、冗談冗談。にしてもレン君、思った以上に面白いことになってるんだね」

「……面白いですか?」

「聞いてる分には、まあね」


 生意気にも不満そうな顔をしているレンに、笑顔で答える。

 しょせん他人事である。自分の少所属するコミュニティ外の恋愛話なんてものは、楽しむのが健全なあり方だ。特にレンみたいな若い子の恋愛話など、青春してて結構という感想しか思い浮かばない。


「でも奴隷少女ちゃんの件は別。私、レン君と奴隷少女ちゃんのどっちの味方をするかって言われたら、奴隷少女ちゃん一択だから」

「そ、そうですか……」

「そうなんです」


 ナイフをくるりと回して返答。なにせ付き合いの長さが違う。

 何だかんだ、レンと交流するようになったのはここ最近のことだ。それに対して奴隷少女ちゃんとは、プライベートの話をしたことこそないが修道女になった時からの付き合いである。


「奴隷少女ちゃんの味方ってことは……やっぱりさっきの俺、まずいことしちゃったんですかね」

「そうねぇ……」


 レンにおごらせたパンケーキをもう一口。舌に広がる柔らかさと甘みとは裏腹に、常連シスターさんは気難しい顔を作ってどういうべきか考える。

 実は、別にレンのやっていることは間違いではない。

 好きな女の子にアプローチをかける。ごくごく自然で、青春としてはむしろ勇気ある推奨されるべき行為だ。

 好きだと告白された女の子がいるというが、そちらはきっぱりと断っている。下手に引き延ばしたりせず、ちゃんと返事をしたことについては褒めてあげたいほどだ。その子がレンのことを諦めていないと真正面から宣戦布告したバイタリティがすごくて女の子の方を応援したくなるが、レンの意思とは無関係だ。

 そしてレンは奴隷少女ちゃんが好きだという。これまたレンの自由だ。レンのことを好きだという女の子が他にいようが、レンがその子のために行動を控える必要はない。その女の子がレンにアタックするように、レンも奴隷少女ちゃんにアプローチをかければいいのだ。

 ただ、さっきの公園広場のついては、なんか好きな女の子にイジワルする十歳児みたいで見ていてイラッとしただけだ。


「さっきのはちょっとやりすぎだけど……レン君は、あれだよね。意外とやり手だよ」

「どういうことですか?」

「……なんでもない」


 天然か、と眉根を寄せる。

 聞いた話にしても奴隷少女ちゃんにやったことにしても、いちいちツボを点いているのだ。

 好きな女の子を褒めたり、好意を伝えたりというのは有効な手段である。よほど悪印象のある相手ではない限り、誉められば悪い気はしないし、好きと言われれば嬉しいのだ。言われた直後は戸惑いが優るが、後でじわじわと効いてくるし相手を自然と意識するようになる。

 それを天然でやるとは、なかなかすごい。


「そっかぁ。いるとこにはいるんだね、天然ものは初めて見たよ」

「天然……? なんの話ですか?」

「んー? こっちの話」


 意識的にやっているナンパが得意なタイプだと、手法を褒めれば自慢げになる。いまの反応に加えて田舎から出てきたというレンの経歴も考えると、本当に素のままでやっているのだろう。

 ただ、それはそれで問題ではある。


「さっきのがまずかったなら、俺、どうすればよかったんでしょうか」

「ところでさ、レン君。教会のシスターってね。実は結婚できないのよ、宗教上の理由で。結婚するとしたら、神職辞めなきゃいけないの。しかも籍が入っている限り復帰できないし。男の場合は聖職者でも普通に妻子持てるのに女はダメって、ひどい男女差別だと思わない?」

「なんの話ですか!?」


 現在の修道女(シスター)制度への愚痴である。

 唐突に転換した話の流れに驚愕するレンへと半眼を向ける。


「いや、だって私の愚痴を聞いてもらうために来たのに、私がレン君の相談を聞くのっておかしくない?」

「う……」


 ちょっと意地悪く言ってみれば、声に詰まる。

 ここで反論してこないのと不満そうな顔にならないあたり、素直でいい子なんだよなぁとため息を吐く。


「あのね、レン君。私はレン君が奴隷少女ちゃんにアプローチをするのを邪魔する気はないけど、協力もしないよ? それにあの子は……すごく、難しい子だと思う。レン君の手には負えないんじゃないかって忠告したくなるくらいには」

「それは……そうかもしれません」


 奴隷少女ちゃんの事情や背景は、常連シスターさんもなんとなく一筋縄でいくものではないと感じている。

 ほのかに見えるあいまいとした現状ですら、普通に生きる自分では及びもつかないような複雑な事情がありそうだと察することができる。レンも同意見なのだろう。顔をうつむける。


「オレは確かにあの子のことを、あそこで商売してる以上には知りません……そういえば、奴隷少女ちゃんとどのくらいの付き合いなんですか?」

「奴隷少女ちゃんと私?」


 うーんとあごに手を当て考える。

 どれくらいだったか。記憶を引っ張り出す。


「五年くらい前からかな。まだこの都市も荒れてた頃だね」

「へえ」


 改めて考えてみると、長いものである。

 初めてあの公園広場で出会った時は奴隷少女ちゃんも十代前半で、自分も十代の子供の甘えが残った頃で、そして無表情のあの先輩が来ていろいろと粉みじんに砕かれてた時期だった。

 あれから五年。

 何一つ変わらないのは、あの先輩の無表情さだけである。


「ていうか、たぶんあの子の最初のお客さん、私だよ」

「え、マジですか!?」

「うん。かわいかったなぁ。ういういしい感じの奴隷少女ちゃん。まあ、いまでももちろんかわいいけどさ」

「じゃあ、奴隷少女ちゃんがなんでああいう商売をしているのかとかも知ってますか!?」

「それは知らない」


 あっさりと返答する。もし知っていても勝手に教える気はないが、実際に知らない。


「そうですか……」

「……」


 レンの相手のことを知ろうとする意気込みは買う。ただそこにどれだけの覚悟があるのか。がっくりと肩を落としたレンの様子を見て、不意にそれが気になった。


「んー……レン君がどう思っているか知らないけどさ」

「はい」

「実は私ね、すごく無責任な人間なの」

「はい?」


 無責任。

 それはレンの知る常連シスターさんの人物像と最もかけ離れたものだった。話の転換も相まって戸惑うレンの反応に、常連シスターさんは淡々と続ける。


「私は、あの子に対して責任を負えない。だからあの子のプライバシーに突っ込もうとしないし、その機会があっても見過ごしてきた。必要以上に関わろうとしなかった」


 あの子が何かを抱えているなんて、初めて会ったときにわかっていた。いや、むしろ最初が一番わかりやすかった。

 いまとは比べ物にならないような、迷子みたいな顔をしていのだ。

 それでも。


「私はね、レン君。自分のためにシスターになったし自分の力でシスターになったの。だから、今の自分がとても大事。私は私のことが、一番大事なんだ」


 常連シスターさんにも、生きるために積み上げたものがある。

 努力と、決断と、そしていくばくかの惰性。良いも悪いも積み上げてきたものが彼女の人生だ。

 そして彼女は、ただの好意で誰かのためにそれを崩すことはできない。いいや、あるいは助けを求められれば別だったかもしれない。

 だがむしろ、常連シスターさんが最初に出会った時の奴隷少女ちゃんは、罰こそを求めていた。


「私の行いに責任をとれない人に、私の何かを犠牲にすることは、私にはできないんだ」


 だから最初に出会った時も、彼女は千リンを支払った。求められた千リンの対価を支払い、十分間の全肯定を受け取った。彼女の事情には、一切触れなかった。

 自分にとって、奴隷少女ちゃんの千リンという定められた対価の全肯定と関係性は、とてもわかりやすくて心地よいのだ。

 心が狭い人間だとは彼女自身でも思っている。聖職者になってはいけない人間だったと自覚している。それでも彼女は、仕事という責任でもって人の傷を癒やすシスターになりたかった。

 だから、目の前の少年に告げる。


「奴隷少女ちゃんのことをなんにも知らないんだから、レン君があの子に対して責任がとれるとは思わない。あ、いや。別に結婚しろとかそういう責任の問題じゃないのよ? あの子が抱えているだろうなにかに、レン君がどう関わるつもりなのかって話」

「……はい」


 レンは素直に耳を傾けている。彼にも思い当たることがあるのだろう。


「もし真剣にあの子を好きだって言うならね。相当の覚悟が必要だと思う。酷いことを言えば、告白されたって子と付き合ったほうが、たぶん普通に幸せになれるよ。レン君だって、告白されてまんざらでもないでしょ?」

「……確かにミュリナに告白されたのは、正直、かなり嬉しいです」

「じゃあ付き合っちゃえば? 付き合ってからわかることも多いよ。聞いた話だけど、いい子じゃない」

「…………」


 何か、思い出しているのだろう。レンが、ぐっと拳を握って目を閉じる。

 告白されたという女の子のことか、あるいは、レンが奴隷少女ちゃんを好きになった時の記憶を反芻しているのかもしれない。

 次に目を開けたときには、覚悟を決めた瞳になっていた。


「それでも俺は、奴隷少女ちゃんが好きなんです」


 意地悪を言ったのに、真っ直ぐな男の子の声が返ってきた。


「……そっか」


 常連シスターさんは、ちょいちょいと手招き。なんだろうという表情をしつつも前のめりになったレンの頭を、笑顔でくしゃくしゃと撫でてやる。


「ていやっ」

「ちょっ、なんですかいきなり!? や、やめてくださいよ!」

「あはは、いいじゃんいいじゃん。照れないの」


 この子の味方になってもいいのかもしれない。

 嫌がるレンの頭をなでくり回しながら、そう思った。

 ただの一介のシスターである自分では大したことはできないだろう。それでも機会があれば自分のできる限りを無条件で差し出してレンの味方になってもいいのかもしれない。奴隷少女ちゃんの事情に踏み込もうとする彼の一助になるためなら、リスクも責任も度外視で積み上げてきたものを切り崩してもいいかもしれない。


「まったく、君は本当に天然ものだね。おねーさん、自分に言われたわけじゃないのにちょっとドキッとしちゃったよ! うりうり!」

「さっきから言ってる天然ものってなんなですか!?」

「あはは、そーいう反応のこと!」


 子供みたいに頭を撫でられて照れた顔をしているレンがしたのは、そう思えるくらいには良い返事だった。

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