リンリーの全肯定


 ひぃく、と喉をしゃくりあげる子供の泣き声が響いた。

 顔を覆って嗚咽しているのはリンリーである。消え去った気配を離れたところから感じていた彼女は、年相応に泣きじゃくっていた。

 イチキによる干渉でいままでと段違いに広がった感覚で知ったからこそ、リンリーは震えていた。


「うぁあぅう……なんで、あんなものが……!」


 顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっているのは、イチキに感覚領域をいじられた痛みだけではない。

 視せられた場所には、彼女が見たことも感じたこともない恐怖が存在した。


「おかしい……あんな、あんなの、いちゃいけない……!」

「そうでございますね」


 聖人と仙人の邂逅。

 めったなことでは鉢合わせることのないものを見て、体の芯から震えきっている。時代より発生したものの本質など、見れないほうが幸せなのだ。

 イーズ・アンにしても仙人にしても、リンリーに感じられていることに気が付かなかったのではない。

 彼らは一切、興味がないのだ。

 特にイーズ・アンが能動的に行動するのは、布教か、神敵を滅するか。そのほかはすべて、神典と戒律に沿って動く。ゆえに、あらゆる利害やしがらみは、イーズ・アンを縛る枷になりえない。

 身に宿す力以上に、根幹をなす精神性こそが常人とは一線を画するのだ。


「あれが、聖人や仙人というものでございます。格の違いというものが理解できましたか?」


 こくこく、と必死で首を縦に振る。あんなものに敵対しようなどと、死んでもごめんだと強く頷く。いまとなっては、姉であるオユンの愚かさが信じられないほどだ。

 知ると知らぬというのは、それほど差がでる。


「しかし皇国の聖剣が、でございますか。あの勇者が解放された理由がわかりました。そうなると次は――いえ、まだ時間がかかると考えるべきでございますね」


 さっき知った事実から考えをまとめたイチキは、リンリーへ冷酷な目を向ける。


「それでは、あなたはどういたしますか?」


 え、と呆けたリンリーはイチキを見上げる。

 それから、気が付いた。

 祖国に帰るということは、仙人との敵対を続けることと同義だ。いまなお地方動乱は続いており、仙人はそれに手を貸している。

 リンリーの保護者であるオユンは、その身の内に虫が寄生しているという事実にすら気が付いていない。仙人がどのようなものかを知ってしまったリンリーからすれば愚かとしか言いようがないが、知らぬからには仙人との敵対を続けるだろう。事によっては、仙人に記憶を操られる恐れすらあった。

 はっきり言って、このまま国元に戻っても破滅以外の未来は見えなかった。


「わたくしがとるべき手段は二つあります。あなたを国元に返して、傀儡にすること。あなた程度でも、オユンさま如きが上に立ついまの一族なら治めることはできるでしょう。ただ……東国清華は、おそらくまた王朝を変えることになります。仙人が生まれ、清華王朝を築いた始祖天帝はすでに御隠れ遊ばれております。その末にあなたたちの一族が残るかどうか、陰から操るにしても分の悪い賭けになってしまいますね」


 東国は大国だ。人口、国土ともに大陸でもっとも規模が大きい。それゆえに王朝の変遷はいく度もあった。血で血を洗う闘争の末、敗者は一切合切処分され最下層へと落とされる。

 リンリーも、破滅が待っている国に帰るなどごめんこうむりたかった。


「も、もう一つは、なんですか」

「その前に、聞きますよ?」


 リンリーはうすうす自分がどうするべきか悟っていた。この国にかろうじてある縁と言えば、イチキのみだ。姉に、取り入るのだ。

 だが、イチキが甘くないことも、重々承知である。

 少し前まで小生意気であったリンリーは、すでに心が折れている。口元には媚びた笑みが、目にはすがりつく光に彩られている。

 イチキの瞳は酷薄だった。


「あなたは、使える駒になれますか?」


 泣きそうな顔になりつつも、諾と答えるほか、選択肢などなかった。








「ということで、不肖の者でございますが、代役として加えていただきたいのです」


 レンは、笑顔のイチキに新しいパーティーメンバーを紹介されていた。

 誘拐事件解決からさほど時間は経っていない。

 ミュリナが宿の扉をぶっ壊していたので、捕まらないうちにとオユンのところから離れたところでイチキと合流したのだ。ちなみに誘拐事件の実行犯であるスノウはいつの間にか消えていた。

 非常にめまぐるしい事件だったが、とりあえず解散しようかとしていたところでイチキと出会い、彼女の馴染みの店でことの顛末を話すことになったのだ。


「そうですか。オユンさまは、二度とこの国に来ることはございませんね。大変、ご迷惑をおかけしました」


 オユンとイチキが姉妹関係だろうというのはレン達も察していた。宿であったことを包み隠さず報告すると、まずはイチキによる丁寧な謝罪があった。

 それよりも、気になる人物がいた。

 店に入ってからずっと、平伏している子供がいるのだ。


「そっちの子は、なんで床に……?」

「はい。いまからお話しようと思っておりました」


 なんて事でもないかのようの軽い口調だ。


「パーティーの本格活動を前にして大変申し訳ないのですが、わたくしは少しやるべき事が多くなりそうでして……ですが招待を承諾した後に無責任に抜けるなど、あまりな無礼です。取り急ぎ、穴埋めをご用意いたしました」

「り、リンリーです。この度の不始末に際しまして、平に伏してご容赦くださいますことお願い申し上げます……!」


 彼女は姉に厳命されたように、床にひれ伏し頭を下げていた。もはやリンリーのプライドは九割方、破壊されていた。イチキにやれと言われれば、犬のほえ声くらいためらわずに真似をしただろう。


「ええっと……」

「とりあえず顔はあげてほしいんだけど……」


 レンはミュリナと戸惑い顔を見あわせる。

 そもそも、何度か顔を合わせたが、イチキの実力が離れすぎていたというのは二人も感じていた。そのイチキの紹介というからには無下にできないが、いくらなんでも子供過ぎる。そして子供に土下座をされると非常にいたたまれない。

 挨拶を終えたリンリーは、おそるおそる顔を上げた。そしてレンとミュリナを見て、目をぱちくりさせる。


「あの、イチキの姉さま」

「師と呼びなさい。あなたに姉と呼ばれるいわれはありません。あなたがあまりにも愚かなので使えるよう鍛えなおすべく教鞭を振るう身がわたくしです。無知無才の分際をわきまえない振る舞いは、打擲に値します」

「はいぃっ! イチキ尊師、し、質問、よろぴぃでしょうか!」


 台詞を噛んだリンリーは真っ青になっている。

 姉妹だというのに、このやり取りはどういうことなのか。リンリーの怯えようも不審だが、イチキの態度の刺々しさが尋常ではない。いつものかわいげあるイチキしか知らないレンとミュリナは目を丸くしていた。


「許します。申しなさい」

「金髪女の方はともかくとして、見るからにクソ雑魚の男は、なんの価値があるんですか? 一緒にいて、得られるものが微塵も――」

「リンリー」


 幼気なリンリーによる至極純粋な疑問に帰ってきたのは、笑顔だった。

 にこやかだが、言葉では表現しがたい凄みのある笑顔だ。リンリーの舌が根っこから凍り付いた。


「いまのようなくだらぬ問いを、わたくしは生まれて初めて耳にしました。わたくしの面前に泥を塗る疑念しか思い浮かばない頭ならば、きれいさっぱり洗浄したほうがよろしかったでしょうか。いえ、礼儀をわきまえぬ舌を引っこ抜いたほうが手早いでしょうね」

「あ、あわわあわ」


 リンリーが額を抑えてがくがくと震えはじめる。いまにもぴいぴいと泣きだしそうだ。

 はあ、と失望を露わにしたイチキは、レンたちに向き直り深々と頭を下げる。


「しつけがなっておらず、申し訳ございません。紹介した身で恥ずかしいほど不出来な者ですが……いざという時の肉盾にくらいはなると断言できます! 窮地に置いて、殿程度はこなせるかと!」


 想定される扱いが、実の妹に対するものではなかった。


「ですからどうぞ、この者をお連れくださいませ。このような者でも実力が最低限あるのは保証いたしますし、これよりわたくしが教育を施します。まったく見どころがないというわけでもございません。リンリーっ。あなたからも御願い申し上げなさい!」

「は、はい。いざというときは、身を捧げてお守りしましゅっ。だ、だから、五体満足でいさせてくだしゃい……頭をぐちょぐちょされるのは、いやぁ……!」


 十歳である。

 恐怖のあまりかみかみになって訳の分からないことを口走っている十歳の少女にそんなこと言われて、どうしろというのか。


「いや、イチキがそこまでいうなら、いいんだけど……ねえ?」

「ミュリナがいいんなら、俺から文句はないんだけど……うん」


 イチキとリンリーの関係が、なんというか、不自然すぎる。

 つっこんでいいのかどうかもわからない姉妹関係を前に、レンもミュリナも困惑を隠せない。特にミュリナは微妙な顔をしていた。このガキ、レンを誘拐した時に雑な呪術をうって足止めしたクソ生意気な声の主では、と察していたからだ。

 とりあえず泣いている子供相手だ。ひょいっとかがんだレンが、リンリーと顔を合せる。


「俺はレンだよ。リンリーちゃんだっけ。よろしくな」

「れ、レン……さま?」

「いや、レンでいいよ」


 びくびく怯える幼女に様づけで呼ばれるとか、あまりにも外聞が悪すぎる。イチキが敬称を付けるのは非常に様になっているのだが、リンリーの呼び方には怯えしか感じられないのだ。

 リンリーはちらりとイチキを見る。呼び捨てで呼んでいいのかどうかに、レンの意思など関係ない。イチキが許可するか否かがリンリーの生殺与奪を決める。

 イチキの笑顔を見て「あ、ダメっぽい」と鋭く悟ったリンリーは、頭をフル回転させる。様づけはだめ。ならばさん付けか? しかし、やや敬意というか媚びが足らないと考え、一つの答えを見出す。


「レン……おにーちゃん、って呼んでいい?」

「いいぞー」


 媚び方面に極振りした呼び方である。レンは気軽な笑顔で了承した。

 リンリーは見破っていた。

 姉に媚びてもまったくの無意味であるどころか不興を買うだけの逆効果だが、レンに媚びれば無事に生き残る可能性が上がる、と。この場においてレンが一番組みやすしと正しい判断をくだしたのだ。

 必死である。レンに媚びるのは、遊びではないのだ。リンリーにとって死活問題なのだ。少なくとも、イチキが要求する水準に自分の力量が一朝一夕に引き上げられるとは到底思わない。ならば使い捨てられないように、誰かに気に入られるのだ。

 篭絡にあたって最も容易い相手はレンであると見抜いた。

 子供らしいあざとさは、いまこの場でリンリーが発揮できる最良の武器である。

 レンにとって自分が死んだら悲しむ存在になれば、イチキも自分を使い捨てることはなくなるはずだ、と一縷の望みに賭けた。

 そんな計算などつゆ知らず、レンは相手の気持ちをなだめようと努めて明るく話しかける。


「それより、リンリーちゃんとイチキちゃんって、姉妹だよね。やっぱりリンリーちゃんも魔術が得意なの?」


 ふっとリンリーの瞳からハイライトが消え失せた。


「いえ、あたしなんかがイチキ尊師の妹なんて、恐れ多いです。イチキ尊師は、とても優しくて強く、偉大なお方です。リンリーは、尊師のような女性になりたいです。いっぱい、お勉強、頑張る、です」

「そ、そっか」


 うわごとのようにイチキを称賛するリンリーに、レンはちょっと引いていた。どうしようかと迷って、とりあえず頭に手をおく。


「なんか大変そうだね」


 ぽんぽん、と撫でるとリンリーが目じりに涙をためた。

 緊張の糸が切れたのだ。なにせ普通の人間から人並みに優しくされたのは久しぶりである。少し選択肢を間違えれば一生が終わる重圧に晒され続けていたのだ。


「ううううぅ」


 レンの腰に、ひしっと抱き着く。

 そこは安全な場所だった。激しく流動する自分の立場と価値観の中で、ようやく得られた安全地帯がレンの周囲だと悟っていた。


「あたし、頑張るから。レンおにーちゃんのこと、全力で守るから!」

「お、おう」

「うん! やーっと見つけた安全地帯だもん! だから死守するぅ!」

「あんぜ……?」


 その光景を、ミュリナはジト目で見ていた。

 レンが女の子にひっつかれている。とはいえ、リンリーは十歳である。さすがに子供相手に嫉妬するのは大人げないとミュリナも思っている。思ってはいるが、自分でもそうそうできない距離でひっつかれるのはあまりに面白くない。

 ならばとミュリナが下した作戦は無慈悲だった。


「ねえ、レン。あんまりにその子をひっつけていると、あたしあんたがロリコンだって噂を流さなきゃいけなくなるわよ?」

「やめてくれない!?」


 ただ実際問題、十歳の女児を引き連れてダンジョンに入った場合にレンの社会的信用が安全かどうか、誰にも保障はできなかった。

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