ぜんこうていは全否定・前編
休日のその日、レンは知り合いの家を訪ねていた。
レンは奴隷少女ちゃんの正体に、とある疑惑を抱いていた。
スノウとイーズ・アンからは聞けなかった奴隷少女ちゃんの情報を得るため、とある人が住んでいる屋敷に訪問したのだ。
レンがこの都市に来て知り合った中で、確実に奴隷少女ちゃんのことを知っている人間が何人かいる。実際に聞き出せるかどうかは別として、聞いてみる価値はあると考えた。
玄関についているノッカーを鳴らすと、しばらくして扉が開いた。
「はーい、って……レン?」
応対に出てきたのはミュリナだった。
事前の連絡なしの訪問だ。相手によっては迷惑としか感じないだろうに、ミュリナは意外そうに目を瞬かせてから、ぱあっと顔を輝かせる。
「どうしたの? いきなり家にまで会いに来てくれ――」
「あ、ごめん。今日は、ウィトンさんに用があるんだ」
「――て……は?」
ミュリナの表情が、笑顔のまま固まった。
笑みの形を作る口元も目尻の位置も、ぴくりとも動かない。不自然な形で停止した笑顔のまま、彼女はことりと首を斜めにする。
「なんで? レンは? あたしじゃなくて? お兄ちゃんに? 会いに? 来たの?」
「す、少し聞きたい話があるだけです……!」
揺るぎない笑顔の圧力に押されながらも、押し切られないように踏ん張る。とはいえ、無意識のうちに後輩時代の敬語になっている時点でだいぶ気おされている。
「ふぅーん? ま、いいけど」
ミュリナは不満げに目を細めつつも、それ以上は問い詰めなかった。扉を開けてレンを家に迎え入れる。
「ていうか、お兄ちゃんに会いに来るなら事前にあたしに言ってくれればいいのに」
「いや、ウィトンさんに会おうって思ったのが昨日の訓練所で巡回の騎士の人たちと顔を合わせた時のことでさ。いろいろあって、うっかり頼み損ねてた」
「あっそ。……何度でも言うけど、リンリーの件、あたしは悪くないから」
「それはわかってるって。リンリーには、これから俺のほうでフォローいれとくから」
「うーん……あのガキんちょがレンに構われるのも、それはそれで嫌なのよね」
「えぇ……?」
ミュリナはさりげなく嫉妬深い台詞でレンを困惑させつつ応接室のテーブルに座らせ、一旦キッチンに引っこんだ。再び出てきたミュリナの手で、湯気の立つカップが二人分乗ったお盆が運ばれてくる。
「はい、お茶」
「ありがと」
大した客でもないのに、わざわざお茶を用意してくれた。感謝を口にしたレンの正面に、ミュリナが座って頬杖を突く。
初対面の時と比べ、随分とゆるくなった青い目がじーっと、レンの顔を見る。
「……ミュリナ?」
なんの用だろうか。名前を呼ぶと、目元をほころばせて緩やかに笑う。
「おいしい?」
「ん」
「そっか」
何気ない、レンの日常になじんだやりとり。自分の言葉が違和感なくレンに入ったことを確認したミュリナは満足気に頷き、それ以上はなにも言わず立ち上がる。
「それじゃ、お兄ちゃん呼んでくるから、ちょっと待ってて」
立ち上がり、とんっと弾んだ足音で応接室をでる。ミュリナと一緒にいられなくなった空間に、レンは名残惜しさを感じてしまった。
さみしさを誤魔化すように、お茶を一口。ミュリナと入れ替わりになるようにして、ウィトンが姿を現した。
「やあ、レン君」
ウィトン・バロウ。
かつて勇者だった青年。育ちのよさそうな顔立ちがミュリナとの遺伝を感じさせる、優し気な風貌をしている。
彼の入室に合わせて、レンは立ち上がってぺこりとお辞儀をする。
「お久しぶりです、ウィトンさん」
「うん、久しぶりだね。僕のほうがしばらく首都に行っていたから、なおさらだ」
ウィトンが着席をして、にこやかに話しかけてくる。
「でもレン君と会えて嬉しいよ。ミュリナとは最近どうだい?」
「なんだかんだあって、うまくやれてます。ミュリナにはいつも助けられていますよ」
「そうか。なるほど。うまくやれているのか。……ふぅん」
相づちを打ったウィトンがやわらかい笑顔のまま、ミュリナが用意していたお茶をすする。
笑顔のくせに、心なしか目つきが鋭くなった。どことなく、前のミュリナを連想させる鋭さだ。
「それで、レン君。今日、君がわざわざ会いにきたのは、だ」
かちゃり、とカップをソーサーに置く音が鳴った。その音に、なぜかレンの背中がゾクッとした。
「もしかして、ミュリナとのことを話に来たのかい? それだったら、相応の覚悟を見せて欲しいかな」
「いや、違いますけど」
「……そ、そうか」
ウィトンの肩がずるりと落とされた。緊迫した雰囲気が霧散し、あははと気の抜けた笑いを漏らす。
「なんだ、そうなのかい。それならよかった。うんうん、まだまだ早いよね。わかるわかる」
「は、はあ」
ウィトンがなんの話をしようとしたのか。なんとなくわかってしまったが、レンは気がつかないふりで現実逃避をする。
「それで、なんの話をしに来たんだい?」
「革命の話を聞きたいんです」
「革命のことか」
よく聞かれる話なのだろう。力を抜いたウィトンに戸惑った様子はなかった。
「そういえば、こないだも記者の人に話したよ。たくさんのことがあったけど、レン君はどういう話が聞きたいんだい?」
「皇帝のことを」
レンはしっかりとウィトンの目を見据える。
「あの革命の後、『皇国最悪の十年』を治めていた皇帝は、どうなったんですか」
「……」
ウィトンの顔から表情が消えた。
レンはびくりと肩を震わせる。先ほどの緊張感とは、まったくの別物だ。彼の無機質な瞳が、底知れない恐ろしさを与えていた。
「……あの子と出会って、僕たちとも知り合った君だ。あの子や僕たちと交流する中でなにに思い至って、なにを探ろうとしてるのかはわかるよ」
ウィトンがゆっくりと口を開く。
放たれた声も人のいい穏やかな口調から一転して感情が読み取れなくないほど複雑なものになる。
「僕はね、彼女をどうするか決めかねてしまったからこそ、革命が終わっても数年、この都市に帰ることができなかった」
彼女とは、誰のことを指しているのか。
はっきりと明言しない彼の声には様々な感情が混ざり合っていた。きっとウィトン自身でも、なんと表現していいかわからないほどの数多くの思いが込められている。
「革命が終わっても、聖剣が残った。聖剣があるということは皇国がなくなっていないことを意味しており、僕が勇者である意味が消えていなかった。そのせいで、僕は教会に拘束され続けた」
ウィトンが語る内容は、レンの考えが見透かされた言葉だった。
レンがもしかしてと思っていることは具体的には口にされていない。それでもレンが気づいていることを見抜かれていなければ出てこない言葉だ。
「そして、僕が引き抜いてしまった聖剣は消えた。僕はもう、勇者じゃない」
言われた内容に、はっと気がつく。
レンはいつの間にか彼のことを勇者だと呼んでいなかった。最初は『勇者さま』と呼んでいたのが、いつの間にか彼のことを名前で呼ぶようになったのだ。
それはただ、交流が深まったゆえだと思っていたが、どうだろうか。なにか別の影響が、なかったと言い切れるのか。
「ウィトン、さん」
「うん」
「俺、奴隷少女ちゃんの……正体、みたいなのがぼんやりと思い浮かんだんです」
「わかってるよ。君が、そうだろうってことは」
ウィトンにうろたえた様子はない。平静と変わらない態度に、言葉が詰まる。
そんなことはあり得ない。レンの知っている、常識ともいえる知識が己の予測を否定している。
「でも、辻褄が合わないことが、いっぱいあるんです」
皇国最後の皇帝、フーユラシアート・ハーバリア四世。
歴代皇帝の中でも数少ない女性。彼女の年齢ぐらいはレンでも知っている。
彼女は皇帝の座に就いた時は、確か二十の半ば。
革命が収束した時には、四十を超えていたはずだ。
彼女の在位期間は、二十年余りある。レンが生まれる前から、最後の皇帝はこの国の玉座に座っていた。
それに引き換え、奴隷少女ちゃんはどう見てもレンと同年代の少女である。彼女がフーユラシアート・ハーバリア四世であるとするには、明らかに年齢が足りていない。
四十歳となれば、十代後半の年齢であるレンたちにとって親の世代の人間だ。
「だから、そんなわけありませんよね」
「史書は必ずしも真実を語らないよ」
ウィトンの返答はよどみなかった。
「聖書が人の言葉によって書かれたことで不完全性の矛盾を解消したように、史書も人が筆をとっている以上、主観から逃れることはできない。歴史は劇的であると同時に、あさましい欺瞞に満ちているんだよ」
後年できっと、この国の教科書に残り続ける人は、熱を奪われた冷たい声で続ける。
「だからこそ、僕は君が抱いている問いの答えを言えない。しょせん僕は、たまたま聖剣を抜いてしまっただけの男だ。君がどうするかは君が決めればいい。間違っても――僕のように、誰かに決められた偶像にならないことを祈るよ」
自嘲しながらの助言が、レンの心の深くに染み入った。言いたいことは理解しきれずとも、切実とした感情が伝わってくる。
「ただ、一つだけ言わせてくれ」
ウィトンが不思議なほど穏やかな瞳をレンに向ける。
「いまこの都市の教会には、イーズ・アンがいる。いいかい、レン君。彼女に悪意はない。大衆の声に自覚的な悪意がないように、彼女の信仰にも悪はない。だからこそ、どちらにも流されてはいけないんだ」
「どういうことですか? ちょっと意味がとらえきれないんですけど……」
「意味はわからないままでいい。わからないほうがいい」
ひどく一方的に、けれどもどこか切実に。
「だから、もしダンジョンで水面に刺さった剣を見つけても……君には、それに触れて欲しくない」
ミュリナのためにも。
そう小さく付け足したウィトンの兄としての声が、ひどくレンの心に残った。
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