ぜんこうていは全否定・後編



 空気が、ぬるくなっていた。

 ウィトンから話を聞いた帰り道、レンは公園広場に足を向けていた。

 季節の違いは、肌で感じられる。空気の温度を肌で感じ、湿度の違いを鼻で吸い込み、景色の違いを目で楽しむ。それが四季だ。

 外に出れば春から夏への季節の移り変わりを感じられる節目にいて、一人の少女の正体についての考察がレンの頭を悩ませていた。

 彼女が『そう』だというのが、あまりにも突飛な妄想だと一笑に付そうとする自分がいる。

 同時に、周囲から入ってくる情報がレンの思い付きを補強するのだ。

 奴隷少女ちゃんが『そう』であることを否定するものが出てこない。誰も明言こそしなかったが、ほとんどレンの予想を受け入れていたに等しい態度ばかりだ。

 彼女がもし『そう』だったとしたのならば。

 自分を救ってくれた彼女の言葉が、あまりにも遠すぎるものになってしまう。

 迷いになんの答えも出せないまま、レンは公園広場に訪れていた。

 奴隷少女ちゃんはいない。

 ほ、っと安堵の息が漏れた。

 奴隷少女ちゃんに、聞きたいことがあった。

 だが、聞くのが怖くもあった。確証がないまま大きくなっていく自分の疑惑に答えが出るのが怖かった。

 いまのレンは、彼女のいどころが知れないことに安堵していた。

 帰ろう。

 レンが踵を返した時だった。

 公園広場の入り口に、一人の少女が立っていた。


「……こんにちは」


 声をかけてきたのは、静かな印象を与える少女だった。

 怜悧に整った美貌に、艶やかな朱唇。青みがかった銀髪を短く切りそろえている少女を見て、一瞬誰だか認識し損ねたのは、彼女があまりにも普通の服を着ていたからだ。


「奴隷、少女ちゃん……」


 白のブラウスに、赤いフレアスカート。

 シンプルでありながら上品で仕立てのいい服は、いつも彼女が身にまとっている貫頭衣とは比べ物にならないほど上質だ。

 首についている革製の首輪以外は、服装に全肯定奴隷少女としての面影はない。

 普通の格好をした彼女が、公園の入り口から歩いてレンに近づいてくる。

 なぜか、初めて彼女に会った気がした。


「……なんとなく、ひさしぶり」


 レンと同じことを思ったのか、後ろで手を組んだ少女が静かなハスキーボイスで語りかけてくる。

 この公園広場で、全肯定奴隷少女をやっている少女だ。

 レンは彼女のことは、それ以上は知らなかった。

 もしかしたら、それ以上のことに気がつきつつあった。


「……それで。君は、私が誰だか、わかった?」

「ど、どうして、そのことを」

「……イチキとか、スノウから話は聞いているから。人の秘密を探るなら……もっと慎重に、ね?」


 突然の登場と質問にうろたえるレンを見て、彼女は懐から紫色の結晶を取り出した。

 ゆるしの秘蹟。

 いつだか、イーズ・アンに引き連れられてダンジョンの最下層に向かった時に手に入れて、レンから手渡した彼女の罪の結晶だ。


「……これ。見つけた時に、どんな形だった?」


 レンは反射的に記憶を探る。

 ウィトンとボルケーノと一緒になって探したときに言われ、実際にそうだった形。ダンジョンの最下層で、雑然と積まれている中にあったもの。


「それはもともと、玉座だったよ」

「……そう」


 紫色の恩寵が――彼女の罪の形が、もとは玉座だったと聞いて寂しげに目を細めた。

 相づちを打った少女が、ころころと手のひらで転がす。


「……私のこと。知りたいのなら、教えてあげる。周りに聞くまでも、ないよ。あなたには……聞く権利があるから」


 知りたいことを教えてくれると言われたレンの中に生まれたのは、戸惑いだった。


「待ってくれ。なんで俺に……俺なんかにそんな大切なことっ?」

「……別に、あなただけじゃない」


 レンが特別なのではないと語る彼女の声には、熱が込められていない。聞かれたから答える。それ以上の感情はなかった。


「……あの時代の皇国に血を絞られた民のすべてに、知る権利があるの。私には、あの時代を経験したすべて国民に奉仕する義務が、あるから。むしろ……あなた普通の人だから、話すの」


 それは、どういう意味なのか。


「……でも、先に君の答えを聞きたいかな。君は、私を誰だと思ったの?」

「……君、は」


 静かなハスキーボイスに促されるまま、レンは自分の見つけ出した答えを差し出す。


「君は、フーユラシアート・ハーバリア四世だった」

「……うん。私は、先天の秘蹟を持って生まれた…『与える者』。それで、君の答えはおしまい?」


 奴隷少女ちゃんが、皇帝だった。

 それだけでも驚愕する事実だが、レンの予想は終わりではなかった。


「それ、で」


 続く予想に、からからと喉が干上がる。心を奮い立たせる。外れてくれと祈りながらも、言葉を絞り出す。


「君の母親も、フーユラシアート・ハーバリア四世だった」


 少女が、薄くほほ笑んだ。

 レンの胸にたとえようもない焦燥感が生まれる。自分の予想を否定してほしいあまり、口早に続ける。


「君の母親が死んだ時に、幼い君を傀儡にして操った誰かがいた。君が前皇帝の名前を騙らされていた期間が『皇国最悪の十年』だった。そんな大それた想像が、頭から離れないんだ」

「……」

「でもさ、そんなはずないよね。バカみたいな陰謀論にしたって、ありえない話だ」

「……ううん。君の予想はだいたい正解で、もうちょっとだけ、現実は酷かった」


 必死に答えを否定しようとするレンに正しい答えを出される。


「……私の母、フーユラシアート四世は、臣下だった伝令官に殺された。バカな私は、その伝令官に利用されて……母の死を隠すためにフーユラシアート四世として玉音を振るったの」


 皇帝が殺された。

 あってはならない事実を聞いて、レンは言葉の接ぎ穂を失った。予想を超える最悪を聞いて、愕然と立ち尽くす。

 レンに限らず、皇国に生まれた人間にとって皇帝とは絶対だ。玉音という権能は暗殺すら不可能にする圧倒的な力である。

 歴代を遡っても、殺された皇帝など皆無のはずだ。


「なんで、そんなことが……」

「……たぶん、だけどね。この世界にたった一人だけ、玉音が効かない人間が生まれた時が、きっと……皇国の終わりを決めたの」

「玉音が効かない人?」

「……そう。そんな人物が、いた」


 皇帝の玉音は聞くだけで人の意思を蝕む。だからこそ、玉音の強制力を及ばさないように言葉を伝えるために、仲介の人間が必要だった。

 それが、皇帝の傍に仕え続けた伝令の血筋。


「……伝令官の一族から、玉音の耐性がギフトとして生まれたの」


 伝令の血筋は、生涯を玉音に操られ、皇帝の言葉をそのまま伝えるためだけに存在した一族だ。

 皇帝の言葉を仲介する彼らは、もっとも近く玉音を聞き続け、意思なき人生を歩むことを義務付けられた。

 皇帝とともに続いた滅私の一族は、もっとも近くで純粋に近い奇跡を浴び続けた功績によって、ついに玉音に対する秘蹟を体質として獲得した。

 イチキやリンリーのような知恵の一族、あるいは皇国守護を請け負った武門の血筋であったスノウもそうだ。

 彼女たちは自分たちの血筋が信じるものに近い第六感を手に入れた。

 だから伝令官の一族が皇帝の玉音をただの声として聞けるようになったのは、一つの必然だ。


「……フーユラシアート四世の名前は、本当は私の前皇帝のもの。幼い私は、私の母に仕えていた彼にとって、とてもとても、都合のいい存在だった。母が死んだあとに、幼い皇帝を立てる必要すら……なかった」


 なぜならば。


「……私が会話をできたのは、彼だけだったから」


 人と言葉での意志疎通ができなかった幼い頃の彼女にとって、唯一、言葉が通じた相手を疑う理由がなかった。

 だからこそ伝令官は、自分が皇帝暗殺という大罪を犯した事実を隠し通せた。幼い玉音を操ることで、すべてをあるがままにできた。


「……私は母の死をなかったことにするためだけに、私の前の皇帝の名前を受け継いだ。私の母親を殺してまであの伝令官が成し遂げたかった政策をなすため、唯々諾々と奴隷のごとく振る舞って玉音を響かせた」


 レンの前にいるのは、存在しない少女だった。

 高貴な生まれにあって、歴史に記されることもない。悲劇の最中に生きて、誰かに認知されてはならない。

 ぜんこうていどれいしょうじょ。

 その看板を掲げる意味は、レンが思っていた以上の多岐に渡った。

 彼女には歴史に名を刻む、皇帝としての名前すらないのだ。彼女は、彼女の前の皇帝の名前をそのまま引き継いだ。本来、最後の皇帝になるはずだった彼女の母の穴をためだけに玉座に就いた。

 この国の歴史に、彼女は存在しないのだ。


「……勇者たちが私のことに気がついたのも、皇国が滅んだ後だった。そして彼らは、その事実を公表しないことを選んだ」


 すうっと息を吐いて正義の味方が彼女を透明にした理由を吐き出す。


「……私の境遇は、ともすれば『悲劇の皇女』として皇国を再建しかねないものに値したから」


 勇者は皇帝を悪として打倒した。

 言い換えれば、倒される皇帝は絶対悪ではなければならなかった。

 絶大な力を振るって暴虐を振るい続けた皇帝が、ただ唯々諾々を従っていた憐れな幼子だということを公表するのをよしとしなかった。

 なぜならば、残された玉音の持ち主が憐れな少女でしかないとなれば、皇国主義たちが発言権を得てしまう。悲劇の皇女という物語は、あるいは玉音以上に大衆の心をつかみかねない。

 王権制度から共和国へと変節した最中、それは絶対に認められないものだった。

 勇者は、革命者である。

 正当性がなくなれば、彼らただの反逆者だ。もし教会の後ろ盾さえもなくせば、どうなったか。

 少なくとも彼の母親は、彼の身内だったというだけ皇国主義者に襲撃されて命を落とした。


「だから、私はなかったことにされた」


 消え去った名前のない少女を大々的に探すことすら、革命側はできなかった。


「……同情されたわけじゃ、ない。もちろんそれもあっただろうけど……それ以上に、私という存在を見なかったことにしたかったんだと思う。どうせ……名前もない私だし、ね?」

「そんなこと……それに、そうだっ。『聖女』様がそんな理屈で納得するとは思えない! あの人は、そういう考えはしないはずだ!」

「……それは、逆。彼女がもっとも最初に、活動を終えた。だって、皇帝はいなくなったから」


 政治的な目的がないからこそ、イーズ・アンがもっとも最初に勇者パーティーの行動を止めた。

 イーズ・アンが現世を観測する時、彼女が重視するのは名前でも肉体でもない。彼女にとって皇帝というのは『玉音』の秘蹟を持つものだ。

 奴隷少女ちゃんが首輪を嵌めている限り、もしくはイチキの結界に隠されている限り、先天の秘蹟は隠し通される。神秘領域からの観測では、彼女を皇帝だと認識できない。

 彼女にとっては、それがすべてだ。

 イーズ・アンの目的は、貧困の救済でもなければ名誉の追及でもない。

 現人神とされていた、教典に反する存在である皇帝の存在をなくすことだ。そして間違いなく、彼女の主観では皇帝はいなくなった。

 現実的な理屈が通らないからこそ、イーズ・アンが皇帝の血筋を見逃したというのは皮肉でしかない。


「……私が逃げられたのも、単純な理屈。勇者たちは皇国打倒まで、二十年以上玉座に座っていたはずのフーユラシアート四世が、年端もいかない子供にすげ替えられているなんて、想像すらしてなかった。この首輪を嵌めて城を抜け出せば、それだけで気がつかれることはなかったの。……成長して、お母さんに似てきたせいで、知っている人にはわかるようになっちゃったらしいけど」


 彼らが気づいたのは、王城に入って資料を精査した後のことだ。

 勇者ウィトン・バロウは、幼い子供を追い詰めることを良しとせず。聖女イーズ・アンは先天の秘蹟である『玉音』の気配が消えたことで目的を完遂させ。騎士スノウ・アルトは真実を知って絶望し。裏社会の住人『盗賊』ボルケーノは、ひそかに皇帝だった幼子をかくまって確保した。


「それが、答え」


 知ることのなかった歴史に、レンは絶句する。自分の人生が、そのまま一国を左右する。なにをしようとも状況が大きく動き、なにもしなくとも周囲が決して放置しない。レン自身では考えられないスケールの大きさに、レンは黙り込んでしまう。

 奴隷少女ちゃんは、レンの顔を見つめる。

 レンはなにも言えない。

 奴隷少女ちゃんの表情に揺らぎはない。彼女はとっくの昔に受け入れているのだ。母を殺されたことも、母を殺した男に操られて国を崩したことも、事実として肯定している。

 彼女にとっても、もっとも大切なことは皇帝であったことではない。首輪を嵌めて逃がされた後から、彼女にとって最も大切で、残酷な時間は始まるのだ。

 どうしてこの公園に立つことになったのか。

 彼女の兄のことは、ここでは語らない。語る必要もない。


「……語り切れなかった部分は、見れば、いいよ」


 奴隷少女ちゃんは、首輪を外す。

 レンは、目を見張った。

 彼女の髪が、青みがかった銀髪から変化する。青みが強くなり、赤の様相が混ざり合って至高の紫紺へと変化する。

 紫の頭髪こそ、紛れもない玉音の証だ。

 そこに現れた『存在』の圧力に、ゆるしの秘蹟が耐え切れず、亀裂が走る。


「ただ、全部を知っても……『私』のことは、許さなくていい」


 彼女の手の中で、紫色の結晶が砕け散った瞬間。

 レンの頭の中に、知らないはずの記憶が流れ込んで来た。

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