忠臣の全否定


 二人の異国装束から離れた護衛の女性は、なにも考えずに道を歩いていた。

 髪を後ろで結んだ、二十半ばの女性だ。凛々しい顔立ちに、まっすぐ伸びた背筋、隙のない歩きは武術を高い水準で修めている者特有の無駄のなさだ。女性にしては長身なこともあり歩き姿は美しいほどだが、彼女には決定的に覇気が欠けていた。

 目が死んでいる。

 姿勢の良さは、動きの美しさはかつての訓練のたまものであり、もはや名残でしかない。彼女はこの国の出身者だった。この町の風景も知っているものだ。故国に戻ってきたのは数年ぶりだったが、郷愁の念は浮かばなかった。

 彼女の生家はすでにない。皇国時代の武門の名家だった。皇国の剣と名高いほどに、皇帝への忠誠が厚かった。

 皇国の崩壊とともに家が潰れた一因は、間違いなく彼女自身にあった。それが正しいと信じていたこともあった。称賛が嬉しかった時もあった。

 そして真実を知って、誇りは砕けた。

 一門はみな死んだ。彼らが少しうらやましかった。忠義を尽くし、忠義に死んだ彼らは常世の皇国に招かれたのだろう。

 自分は間違った。決して自分は間違ってはいけないことを間違えたのだ。

 無能がのうのうと生きていて、いいわけがない。

 だから本当は死のうと思って国元を離れたのに、死ねなかった。死に場所を探していきついた先、拾われた場所で興味もない女からの命令に多少の無茶でも唯々諾々と従っているのは、命の恩があるからではない。自分が死んでもいいと思っているからだ。


「……」


 宿に戻れと言われたが、どうするか。というか、宿はどこだったか。いっそ、寒空の下、一晩過ごしてみるか。

 うまくいけば凍死できるかもしれないと冷笑する。だが、もう冬の本番は過ぎ去っている。まだ春の訪れは遠いが、日差しには柔らかさがあり、夜になっても風に凍えて死ねるほどではなさそうだ。

 温かくなると、憂鬱になる。何もかもを詰めたさに閉ざして隠し通してくれる冬と違い、春の冬解けと夏の暑さは何もかもをむき出しにする。

 むき出しになって腐った人間の本性の、なんと醜いことだろうか。

 だが最も醜いのは、自分の愚かさなのだ。

 適当に歩きながら暗い自嘲に口元をひきつらせた彼女は、近道をしようと通り沿いにある公園広場へ足を向ける。そこを突っ切れば、通りを迂回せずとも宿にたどり着ける気がしたのだ。

 そこに、少女がいた。

 愕然と目を見開いた。がつん、と頭を叩かれたような衝撃が走る。


「あ、あああ、あ……!」


 言葉にならないうめき声が、意図せず漏れ出る。よろりとふらつく足取りで、公園広場に立つ少女に近づいた。

 そこに立つ少女の正体を、女性は間違わなかった。

 最初、冬の空気が見せた夢幻かと思った。その恰好と意味不明としか言いようがない文言が書かれたプラカードも相まって、自分の頭がおかしくなったのかと目を疑った。

 だが、まぎれもない現実だった。


「このようなところに、いらっしゃったのですか」


 突然声をかけてきた女性の姿を見て、一瞬だけ不可解そうな顔をした奴隷少女ちゃんは目を細めた。

 彼女が誰か見定めた奴隷少女ちゃんが、手元をひねる。くるりと看板が裏返った。


『全否定奴隷少女:回数時間・無制限・無料』


 あらわになった文言に合わせ、奴隷少女ちゃんの顔が嫌悪に染まる。


「奴隷少女ちゃんと無関係な知らない人に無意味に声をかけられるのは、これで二人目なの!!!! あなたみたいな人に近づかれるのは、とっても迷惑なのよ!!!!! ぺっ!!!!!」

「わ、私です。聖騎士スノウ・アルトですッ。近衛騎士でもあった私です!!」

「あなたのお名前なんて知ったことではないの!!!!! ストーカーに男も女も関係なし!!! 昔の身分がどうであれ付きまといは行為は犯罪なの!!!!! 官警の取り締まりが難しいからといって、犯罪者が頭に乗らないでほしいの!!!!!」

「お、お怒りはごもっともです。私が過去にしたことを考えれば……!」

「いまの話をしてるのよ!!!??!!? 過去なんてどうでもいいの!!!!! 大迷惑なのはいま現在なの!!!!!!」


 革命時に勇者パーティーにいた、一人。

 スノウはもともと武家の出であり、忠実な皇帝臣下の一門だった。それが、家門を裏切って革命に参加した。アルト家を出奔した一時期、教会に身を寄せていたこともあって聖騎士と呼ばれていた。

 大仰なことだ。

 近衛から皇帝の離反者が出たという政治的理由こそが、教会と人民の求めたスノウの存在価値のすべてだと言って過言ではない。


「あなた様を見て、自分の目を疑いました」

「たぶん現在進行形で見間違えているから、消え失せてほしいの!!!!! 自分のお目目が健康かどうか、ちゃんと疑って専門の人に診断してもらった方がいいのよ!!!!!」

「申し訳ありません。自分の愚かさをなんと詫びればよろしいのでしょうか……!」

「別にごめんなさいをしなくてもいいの!!!!! 知らない人に謝られても困るだけなの!!!!! だからとっとと見間違えと認めていなくなって欲しいの!!!!! というか、お願いだから人の話を聞いてほしいの!!!!!」


 冷たい地面に、膝をつけ続ける。

 叱責されるのは当然だ。どう言われても仕方がない。


「祖父が正しかった。父母が正しかった。兄が正しかった。私が間違っていた。私たちは、誰も彼も間違っていた」

「いきなりあなたの家族のことを言われても反応のしようがないの!!!! 家庭のご事情を持ち出されてもコメントしようがないのよ!!!!!」

「はい。おっしゃるとおり、我が一門のことはあなた様がお気に止めることではございません」

「びっくりするくらい会話が通じないの!!!!! コミュニケーション不全とはこのこと!!!!!! お願いだからちゃんと会話をしてほしいの!!!!!!」


 あの革命でもし間違っていなかった人物がいるとするならば、それはイーズ・アンただ一人だ。彼女だけは、あの革命で自分の成したいことと成したものが完全に一致した。現人神に等しかった皇帝を引きずり落とすという教会の本懐を完遂して見せた。

 けれども、ボルケーノも、ウィトンも、彼女自身も。

 やるべきことを間違えた。


「お許しください、などとは申しません」


 だから。


「ご処罰を、ください」


 身を捧げる機会が欲しかった。

 命で償いたかった。自分が生きてきたのは、いまここで死ぬためだという確信すらあった。

 ことり、と何かが置かれた気配があった。地面に丁寧に置かれたのは、スノウには理解不能なプラカードだった。


「『私』の臣下は」


 厳かな声が、降り注いだ。

 それは、普通の声だ。しかし、間違いなく皇帝だった者の厳かな声色だった。

 皇帝の玉音は、人の精神を蝕む。そして身の安全のために、皇帝に直接侍る人間は玉音にて意思を奪っていた。そうでなくとも、ただ声を聞かせるだけで人を操れる皇帝と会話をできる人間など、普通はいないのだ。

 ハーバリア皇国四百年の歴史にあって唯一の例外が、フーユラシア・ハーバリア四世の治世の中にいた。


「後にも先にも、一人だけだ」


 聖騎士が目を見開く。

 彼女の言う臣下が誰なのか、おおよその事情を知って絶望したスノウだからこそ分かった。

 あの伝令官。国を謀った大罪人。表沙汰にできぬと、罪を逃れた極悪人だ。

 そして皇帝と意思の疎通があった、たった一人の人物でもあった。

 皇帝の声を言付かり臣下に届ける、伝令官の男。


「なぜっ。あの伝令官は――」

「奴は死んだ。『私』が殺した。『私』の在位にあって、奴こそが唯一無二の臣下であったからこそだ」


 奴隷少女が、聖騎士の言葉をさえぎる。


「『私』が処すのは、その一人だけだ」


 彼女は、かつて皇であった。

 だからこそ、臣下の行いはすべて自分の責任だ。自分がどんなに愚かな王だったとしても、それだけは放りだしたくなかった。

 放り出してはいけなかった。


「その他のすべてにおいて、皇国末期の罪と責は『私』にある。『私』はすでに裁かれる側であって、もはや裁く者ではない」


 バーハリア皇帝歴最後の八年間、あらゆる功罪はすべて彼女のものなのだ。


「わかったのならば、消え去れ。『私』に近衛はいらない」

「それでもッ」


 片膝をついたスノウは、臣下の礼をとり続ける。


「どうか、どうか……!」


 寒空の下、聖騎士は頭を垂れ続けた。

 めんどくさいことになったなぁ、と口元にプラカードを寄せた奴隷少女は眉根を寄せた。







 

 確認するまでもないことだが、奴隷少女ちゃんは存在そのものが最重要事項である。

 彼女の出自から発生する政治的な力にも、彼女が持つ先天の秘蹟の力にも、その他ありとあらゆる点で、彼女が生きているということが知られれば、どんな騒ぎになるか知れたものではない。

 彼女の顔を知っているものがごく少数だからこそ公園広場で不可思議な商売をしているが、奴隷少女ちゃんがあそこに立てるのはイチキの結界があるからこそでもある。

 だからこそイチキが居なくなったとなれば、ボルケーノの不安は募っていた。

 基本的に、万事がぬかりないイチキだ。姉と慕って尽くしている奴隷少女ちゃんのもとを一時的に離れたもの何か意図したことがあるのだろうとボルケーノは考えている。公園広場にもきっちり結界を張り続けている辺り、姉への気配りもしっかりしている。

 それでも奴隷少女ちゃんの生活に確認は必要だと、彼女の拠点に自ら訪問したボルケーノは己の目を疑った。


「……ボルケーノさん。相談したいことが、ある」


 不測の事態が起こったなどということは、一目瞭然だ。

 奴隷少女ちゃんの後ろに直立不動で付き従っているのは、いつだかのパーティーで厄介度ナンバー2だった女だ。

 イーズ・アンよりかは遥かにましだったが、あの聖女と比較できるレベルという時点でもはや多くを思い出したくない。方向性は違うものの、聖女と同類だから『聖』騎士とか呼ばれていたのだ。

 それを後ろに立たせている奴隷少女ちゃんを前にして、ボルケーノは目元を揉みながら問いかける。


「あー……どうしたんだ、それ」

「……拾った。どうしよう」

「元の場所に返してこい」


 真顔で即答した。


「いや、な。イチキがいなくて寂しいのはわかるけど、それはねえだろ。代わりにならないぞ。さっさと記憶消して放り出せ。そいつがいると不幸になる。主に俺がな」

「……イチキの代わりなんて、この世にはいない」

「そうだな。俺が悪かった。だから首輪を外そうとするな……!」


 家出をされているのも大きいのだろうが、妹のことになると沸点ゼロである。

 必死になって奴隷少女ちゃんの説得に取り掛かろうとすると、ずいっとスノウが前に出てくる。


「ボルケーノか。久しいが、なぜ貴様のようなチンピラが陛下の傍にいる」

「……陛下って言うな」

「申し訳ございません!!」


 不機嫌そうな奴隷少女ちゃんの一言に、スノウは即座に膝をついて頭を下げる。

 そのやりとりを見てボルケーノはとうとう頭痛がしてきた。


「おい、スノウ。騎士ごっこはやめろ、くだらねえ。第一お前、東に行ったんじゃなかったのかよ」

「先日戻ってきた。それと、ごっことはなんだ。改めて見つけた主のため、私は騎士道に殉じるつもりだ」

「ならさっさと死ね」

「ほう? 貴様ケンカを売ってるのか?」


 いい大人が二人してこめかみに青筋を浮べ、目線で火花を散らす。知らない仲ではない両者の会話を始皮切りに、奴隷少女ちゃんはさっさと自分の部屋に戻っていった。スノウの扱いについてはボルケーノに全投げする気満々である。

 押し付けられたボルケーノとしてはたまったものではない。

 勇者に続いて聖騎士である。聖女と自分を合わせれば、勇者パーティーのそろい踏みだ。

 奴隷少女ちゃんのいる都市に、かつての革命主要メンバーが終結しつつある。偶然の要素が大きいが、明らかに悪い流れだ。舌打ちしつつ、ボルケーノは尋ねる。


「で? どういう経緯で帰ってきたんだよ。お前は二度と帰ってこないか、運がよければ死んでると思ったのによ」

「ああ、それがだな」


 真面目腐った顔で経過を告げる。


「教会から解放されたあとに、天運に任せて死のうと思ってロクな準備もなく適当に旅をしていたんだ。だが大砂漠の途中で干からびれるかと思ったら普通に横断できてしまうし、山頂が永久凍土の大連峰は頭頂してしまうし、落ちたら決して助からぬという東方の絶壁から飛び降りてみたら大けがするだけで終わった。頭から血を流してほっとけば死ねるかと思ったら、よくわからん一族に拾われて治療されてな。そこの当主について歩いていたら、巡り巡って、結局戻ってきてしまった」

「やっぱりお前はイーズ・アンとは違う意味で厄介だよなぁ……!」


 ボルケーノの寸評に、むっとした顔をする。


「あんなバケモノと一緒にするな。私は普通に怪我もすれば病にもかかる。食事もすれば睡眠だって人並みにとるぞ。実力も敵なしとはほど遠いこともわきまえている」


 スノウは、至極真面目な顔で自分の特性を告げる。


「ただ、なんか死なないだけだ」

「一緒だよクソがぁ!」


 現実を知り、思想を学び、知恵を重ねた果てにあって信仰が一切ぶれないイーズ・アンとは真逆で、聖騎士スノウ・アルトには何も学ばないし何にも考えていないという悪質さが満ちている。

 なにせ彼女は根本的に、頭が悪いのだ。


「とにかく、あの方は私がお守りする。奇跡のような機会を頂けのだ。今度こそ絶対、何があろうともな」

「お前の経緯は知ってるから、それは疑わねえけどよぉ。お前の護衛って、限りなく意味がねえんだよな……」


 そのタイミングで自室に戻って部屋を漁っていた奴隷少女ちゃんが、とてとてとした足取りで戻って来た。その手に持っているのは、最近撮影したイチキの写真である。ちなみにスノウは、一旦奴隷少女ちゃんが席を外したことに気が付いていなかった。


「……スノウ・アルト。この子はイチキっていう子なんだけどね」

「この写真の子女がどうかいたしましたか? あ、いえ、どことなく見覚えというか、似たような服と顔の者がいたような――」

「……わたしの妹だから、傷つけたら、絶対に許さない。傷つけた奴も、絶対に許すな」

「はっ! よくわかりませんが、肝に銘じます!」

「おいそこのシスコンの命令より、いま言った似たような服と顔の奴らについて聞かせろ。東国のやつがこの都市に入り込んでるのか? 目的はなんだ」

「ん? さあ?」


 問われたスノウは、首を斜めにした。


「名前も知らん。何をやってるやつらなのかも知らん。興味がなかったからな。顔もよく覚えていないぞ。東国の連中はだいたい同じ顔に見えるんだ。大人と子供の姉妹だが、年もよくわからん。宿泊場所は……どこだったか。我が主君を見つけた衝撃で忘れた」

「このクソ役立たずがぁ……!」


 忠臣を気取る無能に、ボルケーノはうめいて全否定することしかできなかった。

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