我慢の全肯定・前編



 その日、女魔術師は無事にダンジョンの探索を終えた。

 家を出て行った昨日の今日だ。朝のミーティングの前に女剣士からなにか言われるかと思ったが、一切の詮索はなかった。

 顔を合わせた女剣士は、女魔術師が家を飛び出したことを責めるでもなく、「好きにしていいわ」と優しく微笑んだ。

 勇者のことは、彼女が対処してくれているのだろう。少し寂しかったが、信頼してくれているからこそだということが伝わった。リーダーは微妙そうな顔をしていたが家出の件に触れてくることはなく、その日もただのパーティーメンバーの一人として女魔術師を扱った。

 そうして無事に探索を終え、神殿の祭壇で解散となったのだ。

 メンバーが三々五々散っていく中、女魔術師は特に理由はないが、なんとなく朝のレンの笑顔を思い出す。


「……晩御飯、どうしよっかな」


 朝のうちに、好きな食べ物や好みの味付けとか聞いておけばよかった。少しの後悔を胸に足を止めて献立を考えていると、思わぬことにその張本人を見かけた。

 神殿に勉強でもしにきたのか。

 なぜか大量の本を抱えてふらふらしながらも神殿内部に繋がる扉から出てきたのだ。抱えた本で顔が隠れてることのあって他のメンバーはレンに気が付かなかったようだ。

 ぱっと笑顔になった女魔術師は、慌てて顔を引き締める。こほんと咳ばらいを一つ。つんっと顔を引き締めて、先輩らしい態度を用意。きょろりと周囲を見渡し、知り合いが他にいないことも確認する。

 見とがめられるような知り合いはなし、先輩らしい態度もできた。準備は万全である。

 よし、と気合を入れた女魔術師がレンへ声をかけようとして、しかし呼び止める言葉は出てこなかった。


「あ……」


 レンが出てきたのと同じ扉から、見覚えのあるシスターさんが姿を現したのだ。

 レンが倒れた時に、私服で付き添っていた美人のシスターさんである。あの二人が神殿のどこかで密会していたのだと想像するのは容易かった。

 女魔術師の唇が、自覚なしで唇をとがった。


「……なによ、あれ」


 自分でも掴みどころのない、もやりとした霧のような感情が女魔術師の声に込められていた。









 レンは自宅でイーズ・アンから授けられた神典を読んでいた。

 ぺらりと羊皮紙のページをめくるも、読み進めるに従って眉にはシワが刻まれていく。


「なんだこれ……」


 序盤の数ページ目を通してみたのだが、文章が頭に入ってこなかった。

 読めることは読めるのだが、まったく理解が進まない。読書の習慣がないこともあって、レンでは捉えられないような表現が多発する。時々で誰が何をしているのかさっぱりわからなくなる。文字を追えども内容が頭に入ってこず、何を言いたいのかちんぷんかんぷんだ。

 頭を悩ましていると、部屋の扉が開いた。


「あ、おかえりなさい」

「……」


 女魔術師は『ただいま』とは返さなかった。本を読んでいるレンに冷ややかな視線を向け、素っ気なく告げる。


「あたしはご飯、食べてきたから。あんたも勝手に食べなさいよ」

「ありゃ、そうなんですか。わかりました」


 女魔術師のおいしい手料理はなしということで、だいぶ期待していたレンは少し落胆する。

 とはいえ、しかたない。勝手に女魔術師の手料理を食べれると思っていたが、そんな約束をしたわけでもないのだ。

 自分でなにかまたよくわからない名前を付ける価値もない料理を作ろうと、読みかけの本を置いて立ち上がる。

 探索用の荷物を部屋の隅に置いた女魔術師は、ちらりとレンが置いた本に目をやった。


「原著神典の写本なんて、なかったわよね。どうしたの、それ」

「ああ、これですか。ある人にもらったんです」

「ある人、ね」


 心なしか、女魔術師の声がとがった。


「それって、あのシスターさん?」

「あのって言うと……」


 『あの』が『どの』かははっきりしていなかったが、女魔術師の口調には確信がある感じだった。

 はて、とレンは思案する。

 確かにこれをもらった相手、イーズ・アンは修道女シスターである。もしかしたらイーズ・アンは自分に渡してくれたようによく本を配っているのだろうか。「神典を渡されたっていうなら相手は『聖女』に決まっている」みたいな感じで有名なのかなと首をかしげる。


「先輩って、あの人に会ったことあるんですか?」

「あるわよ。あんたも知ってるでしょ」

「そうでしたっけ」


 女魔術師がイーズ・アンと面識があるとは知らなかった。

 聞きようによってはとぼけたようにも響くレンの返答に、女魔術師はすうっと目を細める。

 キッチンに向かうレンとは対照的に、席に座った彼女はとんとんと指で革表紙を叩いた。


「こんな高価なものくれるなんて、どういう関係なの? 名前も知らないって言ってた割には仕事中に会ってたみたいだし?」

「いや、俺だってあの人の名前くらいは聞いたことありますよ。てか、それってやっぱり高いんですか?」


 すっとぼけているようにも聞こえる調子のレンの答えに、女魔術師はどんどん不機嫌な顔になっていく。幸か不幸かキッチンに向かっているレンには見えない位置だ。

 女魔術師とイーズ・アンの話をしたことがあったかなと訝しく記憶を探りつつも、レンは続けて返答。


「『聖女』イーズ・アン様からもらったんですけど」

「ふうん、やっぱりあの時の私服の美人な――ちょっと待ちなさい?」


 やたらとトゲトゲしさを増していた女魔術師の声が、途中で一転して疑問一色になった。


「イーズ・アンってあの? 『聖女』イーズ・アンから? え? なんで?」

「いや、よくわからないですけど、話の流れでもらいました。先輩、あの人と知り合いだったんですね」

「ううん。ごめん。全然知り合いじゃないわ。イーズ・アンについてはジークさんから聞いたことがあるだけ」


 ちなみに女魔術師は、リーダーからこの神殿にいる『聖女』には絶対に関わり合いになるなと言われていた。


「あ、そうだ先輩。家賃、半分返しますよ。生活費も折半しましょう。その件について、知り合いのシスターさんからちょっとお説教されて。ほら、先輩も知ってる人ですよ。俺が倒れた時に迷惑をかけちゃったあの人です。色々と相談に乗ってもらいましたけど、いい人ですよね」

「ふ、ふうん。そう。まあ、お金についてはそれでいいわよ」


 はあ、と大きく息を吐いた女魔術師は背もたれに体重を預ける。

 心なしか、帰宅からずっと尖っていた雰囲気が柔らかくなっていた。


「イーズ・アンねぇ。よりにもよって……なに? あんたの知り合いのシスターさんに紹介してもらったの? あんた、たまによくわからないことするわよね」

「いや、実はなんでこれ貰えたかよくわからなくって。『聖女』様って、すごい人なんですよね」

「そりゃ、すごい人よ。世界でもトップレベルの秘蹟使いね。いわゆる『皇国最悪の十年』が生んだ、歴史的に見ても指折りの聖人よ。あの革命は国史なら勇者誕生の一色だけど、大陸史から見ればイーズ・アンの存在の方が重要視されるでしょうね」

「そんなにですか!?」

「そりゃ、聖人ってそういうものよ」


 誤解されがちだが、一国の勇者であるウィトン・バロウより、大陸的に影響を持つ教会から聖人認定されたイーズ・アンの格の方が上なのである。

 聖人に認定されるには『秘蹟』ではなく『奇跡』を起こし、教会に認定される必要がある。他者にまねのできない、唯一無二の神秘領域を持つ必要があるのだ。イーズ・アンに関しては心臓を刺され首を落とされても死なずに説法を続けたとか、泥をこねて祈ったら聖餠となったとか、眉唾な逸話を持つ相手である。


「でもそっか。イーズ・アンからなんだ。神殿にいたのは、なに? あんたの知り合いのシスターになんか相談でもしてたの?」

「はい。いろいろと助言を……って、なんですか、先輩」


 席に座っていたはずの女魔術師が、横から割り込むようにキッチンに入ってきたのだ。


「別に? 大したことじゃないわよ」


 女魔術師が慣れた手つきでエプロンを肩に通し、ひもを結ぶ。腰に手を回し、続いて胸元でちょうちょ結び。リボンとなったひもがふわりと揺れる。

 ワンルームの部屋だから、大層なキッチンがあるはずもなく場所は狭い。そこに二人が並べば、肩が触れそうな距離になり、至近距離から横顔を見つめることになる。普段にはない近距離に、エプロン姿という女魔術師の家庭的な格好が組み合わさって、レンの心臓がどきりと跳ねる。

 そんなレンの心臓の鼓動など知ったことではないと、女魔術師は澄まし顔だ。


「料理、作ってあげる」

「へ?」


 意外な申し出に、間抜けた声が出た。


「いいですよ。悪いですって。俺しか食べないのに先輩に作ってもらうなんて」

「いいから包丁貸しなさい」


 女魔術師は言い分を聞かず、ひょいっとレンから包丁を取り上げる。


「あんた、調理が適当すぎよ。火を通せばなんでも食べれるとか思ってない? 見てらんないわ」

「う。そうかもですけど……」

「ほら、横で見てなさい。指示出すから手伝って。これは先輩命令よ」

「はーい、わかりましたぁ……」

「なぁに、その情けない返事は。料理だって覚えて損はないでしょう? あ、そうだ。言い忘れてたわ」


 手際よく調理の手を進める女魔術師は、上機嫌にレンへと微笑む。


「ただいま」


 無防備なほどに明るい笑顔が直撃した。

 聞いたこともないほど心に響いたちょっと遅めの帰宅の挨拶に、レンは思わず膝から崩れ落ちた。


「なに? どしたのよ」

「いや……」


 この人は、本当にずるい。

 いきなり隣でしゃがみこんだレンを不審そうに見下ろす女魔術師に対して、レンは深く息を吐いて、なんとか平常心を取り戻そうとする。


「……おかえりなさい、先輩」

「ん、ただいま」


 真っ赤になった顔を膝にうずめて隠しながらも言葉を絞り出すレンを放って、女魔術師は上機嫌に鼻歌を流しながら調理の手を進めていた。

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