少女たちとご休憩・前編
「いやぁ、聖女サマが出てきた時の場の凍り具合といったら……ヤバかったぜ、アレ」
「無理をお願いしてすいませんません」
「気にすんな、いい武勇伝だよ。てか、勘違いすんなよ。別にあんたの言うこと聞いたわけじゃねえさ」
路地裏でレンは面相の悪い大男と会話をしていた。
彼の名前はストック。一度だけ奴隷少女ちゃんに全否定されていて足蹴にされていた大男だ。神殿の受付で素行の悪い冒険者を装って暴れることでイーズ・アンを釣り出すための暴れ役をしてもらった。
彼は腕を組んで、危険な役目を請け負った理由を告げる。
「ボルケーノのアニキに頼まれたんなら、なんでもやるさ」
彼はカーベルファミリーの一員だ。特に、ボルケーノに直接誘われたらしく、彼には大きな恩と尊敬を感じているらしい。一度、ボルケーノにみっちり絞られて以来、素行も正された。
「てか、聖女さま、マジでおっかねえんだな。パネェわ。さすが昔のアニキのお仲間さんだぜ」
幸いなことにストックは素行は悪くとも異教徒ではなかったので、浄化の光で消え去ることはなかった。無表情のイーズ・アンに首根っこを掴まれてつまみ出されるだけでことなしを得のだが、それでも恐怖はあるのか、ブルリと全身を震わせる。
「ところであんた、アニキから変わったことは聞いてるか?」
「アニキさんですか? いえ、特には。なにかあったんですか?」
「いや、大したことじゃねえんだが……」
歯切れが悪くなったストックはスキンヘッドの頭をぼりぼりとかく。
「アニキがよぉ、なんか……いい機会だしこのまま冒険者にでもなれって言ってるんだよ。足洗えばどうだって。こっちも、元勇者の奴の行動でぼちぼちきな臭くなってきたからな」
「それは……」
レンの顔が曇る。ボルケーノとウィトン。二人の交流を知っているからこそだ。
ボルケーノは裏社会のまとめ役で、ウィトンは軍事組織以外の治安維持隊を定着させようとしている。
「ああ、悪りぃ。カタギのあんたには関係なかったな」
レンとは直接関係のない不穏な情報を残して、ストックは立ち去る。
「ふぅ……」
キマに頼んだ雑誌の続行刊行が決まってから、一週間。
今日は、三日目の徹夜だった。
正確には、合間合間に少しずつ睡眠をとっているのだが、まとまった時間、眠っていない。レンの忙しさは増すばかりだった。やるべきことが多いのだ。奴隷少女ちゃんを助けると決めたあの日から、一気に関わる人間が多くなった。レンが連絡を取りまとめなければならない。話が大きくなっていくにつれて、加速度的に忙しくなり、精神的な負荷も増す。
「それでも、やらなきゃな」
今日はダンジョン探索の日だ。
礼拝堂に先に来ていたリンリーが受付でタータと雑談をしていた。友達との会話を切り上げた彼女は、レンの顔を見るなり眉をしかめる。
「うわっ。レンおにーちゃん、顔色がキョンシーみたい。どーしたの?」
「いや……キョンシーってなに?」
「んんっと……この国で言うところの、ゾンビ?」
「ゾンビかぁ……」
ざっくりとした説明に、レンは自分の顔をつるりと撫でる。
そうか、いまの自分はゾンビみたいな顔をしているのか。健康な時と比べれば、かさついている気がしなくもない。
「レンおにーちゃんってば、なんか無理してない?」
「無理を? 俺が?」
「うん」
リンリーが頷く。
「なんかさ、尊師に『求聞持聡明法』の会得で十日ぐらい山籠もりさせられたあたしみたいな顔してるよ?」
「ぐもんじ……え? なにそれ? リンリー、山籠もりなんてしてたの?」
「うん」
ふっとリンリーの瞳からハイライトが消える。
「尊師が山に作った結界儀式場で、断食しながら日の出とともに日が暮れるまで、一日で百万回くらい真言(マントラ)を唱える精神修行だった……思い出すだけでも……つら……」
「俺の顔色、そこまでひどいの?」
遠い目をしたリンリーに慄く。
片鱗だけ聞いた修行だが、普通に死ねる。たぶんレンが倒れることとなった断食の正しい修行方法なのだろうが、聞きかじった内容だけでも厳しすぎる。
「リンリーこそ大丈夫か? 俺からイチキちゃんに注意しようか?」
「尊師は素敵で無欠で完璧な師匠です。リンリーは尊師に文句なんて、思い浮かびすらしないです。尊師がやれといえばなんでもガンバルのがリンリーの使命です。尊師が特製の儀式場をつくってくれたおかげ、百日間必要なはずの修業がたったの十日に凝縮されて、リンリーはとっても、うれしい、です」
カタカタと幼い肩を震わせ、ハイライトの消えた瞳になりながらも力強く断言する。
「お、おう……そっか」
相変わらずの姉妹関係の闇の深さに慄くレンは、肯定しかできなかった。よしよしとリンリーの頭を撫でると、徐々に目に光が戻っていく。
「ていうか、ミュリナは?」
「いないよ。今日は探索、休みだから」
「え?」
そんな話は聞いていない。
なぜリーダーである自分をすっ飛ばして休暇が決まっているのか。戸惑うレンに、なでなでで自尊心を取り戻したリンリーは頭一個分は低い子供の背丈で偉そうに語る。
「尊師がね、レンおにーちゃんには休んでもらいなさいって言ったの。尊師の言うことは絶対なんだから、今日は休み。ミュリナには尊師から連絡入れてるよ」
「お、おおう、そっか」
なにも話してないのに、イチキはレンの疲労度まで予測済みらしい。どんな千里眼だと、彼女との頭の出来の違いを改めて思い知る。
さらにリンリーは袖から布の袋を出して、レンに手渡す。
「はい、これ尊師から。ありがたく受け取って家宝にしてね?」
「イチキちゃんから? へえ、いい匂いだね」
「うん、匂香。『よく眠れますように』だって。寝る時に枕元に置いておくといいよ」
「……そっか」
イチキの気遣いに、頬が緩む。
刻んだ香料が入った布袋からの匂いはやさしく包み込んでくれような心地を覚えさせる。どことなくイチキの香りを思い出させ、何度か至近距離でかいだ彼女のやわらかさを連想してしまう。
「レンおにーちゃん、なに赤くなってるの?」
「な、なんでもないなんでもない!」
「ふーん?」
訝しそうにしながらも、追及はない。かわりにレンの目元のクマに、ピシッと指を突きつける。
「あのさぁ、ほどほどにしなきゃダメだよ? レンおにーちゃんは、あたしと違って凡人なんだから。あたしは器がおっきいから無茶でもやればやるだけ成長できるけどさ、レンおにーちゃんみたいなザコザコが身の丈に合わないことしてちゃ、あっという間に壊れちゃうよ?」
「あはは、大丈夫だよ」
レンは忠告をしてくれるリンリーの頭をぐりぐりと撫でる。
大丈夫だ。リンリーに改め指摘されるまでもない。
レンは自分が凡人だなんてこと、よくわかっている。天才と呼ばれる人間と、この都市に来てから山ほど出会ってきた。一を知れば十をこなして百まで手配できるイチキはもちろん、レンから見ればミュリナやリンリーだってまぶしいほどに輝く天才だ。
彼女たちは努力を信じている。やればなんでもできるという成功体験が彼女たちの自信と自尊心を裏打ちしている。
やればやるだけ成果を上げられる人間である彼女たちは、強く、正しい人間だ。
レンは彼女たちとは違う。
一を知るために、十を見聞きしなければならない。
十やっても、一くらいの成果しか上げられない。
だから千を見聞きして、百をこなすことで、ようやく彼女たちに並んで歩くことが許される。
「このくらい、ぜんぜん大丈夫だよ。まだまだやれる」
自分が壊れるくらい頑張るのが、ちょうどいい。
頭を撫でられていたリンリーは、不満げに頭をぼすりとレンのお腹にぶつける。
子供の頭突きで体幹がぶれたレンを上目遣いでねめつけて、一言。
「撫で方が雑ぅ」
せっかくしてあげた自分の心配が伝わっていないことに、リンリーはほっぺを膨らませてむくれ顔になった。
期せずして、予定が空いてしまった。
礼拝堂から帰路に着いたレンは、疲れと眠気でぼうっとする頭を動かす。
「いや、やることはいくらでもあるな……」
自分ができることは、やらなければいけない。自分ごときができることはすべて、こなさなければならない。
そうでなければ、どうしてあの子に届くだろうか。
イチキから貰った匂い袋を手に、リンリーの心配を置きざりにしたレンが家に帰る。近所の誰かが料理をしているのか、食欲をそそる夕食の香りが漂っていた。
待つ人がいるとはうらやましいと自嘲しながら、レンは賃貸で住んでいる自宅の扉を開ける。
部屋には、ミュリナがいた。
「は?」
ぽかんと口が開く。
ワンルームに併設されているキッチンに立って、ミュリナが料理をしていた。帰ってきてレンに気がつくと手を止めて振り返り、全幅の愛を向けた相手にだけ見せるゆるんだ笑顔を浮かべる。
「おかえり、レン」
「なんで?」
あまりにもかわいい笑顔に、レンは間抜け面をさらすほか、なすすべがなかった。
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