記者の全肯定・中編


「しょせんこの世は栄枯盛衰、諸行無常!!!! どれだけ重いものだと感じていても、悩みなんて吐き出ししまえば意外とあっさり吹っ飛ぶものなの!!!!!」


 奴隷少女ちゃんの声が清涼に響き渡る。

 エネルギーに満ち満ちた奴隷少女ちゃんとは違い、記者を名乗った女性はまず始めに陰鬱な声で問いかける。


「マスメディアとは、いったいなんなのでしょうか」


 口火からの問いが、早くもレンの知識の範疇を超えていた。

 そもそもレンの知識だと『マスメディア』という単語自体なんなのかが分からない。レンは新聞とか読む若者ではないのだ。

 だがもちろん、レンとは違い博覧強記の奴隷少女ちゃんはマスメディアについても心得ている。


「マスメディアっていうのは、多くの人に向けて情報を発信する道具や人、組織のことなの!!!! 最近では、特に新聞社や出版社のことを指し示すことが多いの!!!」

「その通りです」


 奴隷少女ちゃんの定義付けに異論はないらしく、記者さんはあっさりと頷く。


「皇国時代の後期、活版印刷の発達により情報が一般市民の手元まで流れるようになりました。もともと教会の活動により識字率が高かったこの国です。革命の折、表立って名をはせたのは勇者ウィトン・バロウや聖女イーズ・アンですが……その名が知れ渡るのに、私たちマスメディアの力が大きかったのは、ご存じでしょうか?」

「もちろんご存じなの!!!! 新聞や週刊誌、その他の媒体が大きく寄与したのはまぎれもない事実なの!」


 当然レンはご存知ではないので、おとなしく耳を傾ける。

 有名な事柄の自分の知らない側面について知れるというのは純粋に興味深いということもあった。


「ダンジョンとは、人が集合した感情によって生まれたものです。ダンジョンで生まれる魔物、恩寵も同様です。そして社会的な人の感情は、個々の事象よりもむしろ、大きな情報の流れによって左右されます」

「わかるの!!!! 個人ではなく大衆の感情は、世論と呼ばれるものを形成するの!!! 都市部にすむ人々が受け取る情報の媒介者の役目を担うのが、あなたたち記者を始めとしたマスメディアなの!!!!」

「そうですね。マスメディアは、いわゆる国民共同体という意識を形成します。聖剣を生み出したのも、あの頃のマスコミの不断の努力によるものだったという人もいます」


 人々が望んだ聖剣。

 それは皇帝の圧政によって生まれたものではあったが、人民の共通意識を結びつけたのはマスメディアだったのだ。


「そうした情報を取り扱う私たち記者は、常に権力者側との闘争に明け暮れていました。規制、圧力、検閲、恫喝……聖剣が生まれたのは、私たちペンを持つものが権力者に対し、真に勝利した革命でもありました」

「確かにそういう歴史的な意義もあるの!!!! 個人としてではなく、人類の歴史と発展から見ると、とても大きな出来事でもあるのよ!!!!」

「だからこそ、恐ろしく思うのです。私はそうした歴史的な転換点を担ったマスメディアが好きで記者になりました。そうして日々の仕事をこなしているうちに、ふっと危惧が芽生えたのです。私たちは……情報を操ることで好きなものを生み出せてしまうのではないでしょうか」

「必ずしもそうとは限らないの!!!! ダンジョンで生まれるのには『歴史』が必要なことが多いの!!!! 単純なその時の世情だけとは限らないの!!!!!」

「そうかもしれません。しかし、即物的なものは、世論で生み出せてしまうのです。そして世論は――確実に、マスメディアで潮流を作れるものなのです」


 記者さんはうつむき、ふっと暗くトーンを落とす。


「権力者と戦っていた私たちは、あの革命で勝利したことで、権力者になったのでは、ないでしょうか」


 うろに響くような、密やかな問いかけだった。


「自分たちを、第四の特権階級だと増長する新聞社が出始めています。しかも恐ろしいことに、私たちには自浄作用が付いていません。行政への抑止機関だと名目で言論の自由を勝ち取りましたが、はたして抑止のない自由が恣意的なものにならないと、なぜ言えましょうか。すでにいくつかの新聞社は……拝金主義の営利企業に墜ちています」

「そうなの!!!!! そういうことも、あるとは思うの!!!!」

「私たちは、扇動者ではないはずです。拝金主義で生まれた概念ではないはずですっ。自分たちの主義主張を紙面に載せるためではないのですっ! ただ、事実をありのままに事実として伝えたい。それが私たちのはずだったのに……現実は、違いました」


 冒険者しかやってこなかったレンにとって、他の職業の在り方なんて共感のしようがない。

 だが、記者さんの悩みは深いようだった。


「センセーショナルさを重視したもの。営利主義に傾くもの。強者に迎合したもの。最近、そうした風潮の中で記事を書くことに疲れまして……私は、自分の存在意義が分からなくなりました。情報を取り扱う者達の中で、自分たちの自己顕示欲のために情報を歪曲し、煽動しようとする人間が多いのです。そして、情報を扇動することこそが成果と目されることが、あまりにも多いのです……」

「確かにあなたの言う危惧は正しいの!!!! 情報の取り扱いに警鐘を鳴らす努力は怠るべきでないの!!!!!!」

「そう、ですよね」

「けれども思想の正しさなんていうものは、その時勢に合っているかどうかでしかないというのも事実なの!!!!!」


 記者さんが、はっと目を開く。


「その時の、時勢……?」

「そうなの!!! いまの時勢に反抗するものがいて、迎合するものがいて、それでいいの!!!! 営利企業なのも、まことに結構なことなの!!!! 彼らは彼らで確実に誰かを幸せにしているの!!!! それは間違いなく尊いことなの!!!!!」

「誰かを、幸せに……」

「何かの一面を見て、それが不要だと切り捨てるのはよくないことなの!!!! 一番の問題は『自分が唯一正しい』と思いこむことなの!!!!! そうなると、常に自分が信じたいものしか信じられなくなるの!!! それはとっても危険なの!!!!」

「た、確かに……!」

「だから、一つが偏っているにせよ、いろんな意見が流れる世の中は正常なの!!!! 競い、争い、しのぎを削って自分の正しさを歴史に残せばいいのよ!!!!!!!!! 間違っているから排除する、なんて行動は、結局より悪い結果しか招かないのよ!!!! 減らしていくのではなく、増やしていくことにこそ発展の意義があるの!!!! それは情報を取り扱うあなたたちだって一緒なの!!!!」

「私たちも、ですか?」

「そうなの!!!! 確かにあなたの言うような危険性はわかるの!!!! 営利に傾くマスメディアの正統性のなさは、いつかきっとどこでかで自壊に至る膿になるの!!!! でも、だからこそ!!!!」


 奴隷少女ちゃんはそこで言葉を区切って、輝く笑顔を花開かせる。


「あなたのような人がいるのなら、まだまだ大丈夫だって思えるの!!!!!」

「っ!」


 記者さんが息を飲む。眼鏡のレンズ越しの瞳に、涙が浮かぶ。


「そう、ですかね……」

「そうなの!!!」

「そう、思ってもいいのでしょうか……」

「もちろんなの!!!!」

「そう……そうですか……」


 記者さんの瞳から、ぽろりと一筋の雫が零れ落ちる。悲しみではない。自分が認められたことに対する、嬉し涙だ。

 そんな記者さんの心に、奴隷少女ちゃんはハスキーボイスを響かせる。


「結局のところ、すべての情報をすべて自分の目で確認することなんて不可能なの!!!! 誰だって、誰かの話を聞いて何かを判断するもの!!!! 情報を集めることに時間を割けない人は、真実はいつだって口伝でしかないことを心得なくてはならないの!!!! それは、あなたたちの責任ではないの!!!!!」

「その通りですねっ。情報の取捨選択をどうするべきかを教えるのは、教育の問題でした! そこまで私たちのせいにされては、たまったものではありません!」


 記者さんの目に輝きが戻った。

 眼鏡をはずして涙を拭きとり、再装着。


「目が覚めました! 私は私の取り扱いたい情報を発信すればそれでよかったのです! 事実を事実のままに。興味深く市民に届けるべく活動すれば、私はそれでよかったんです!」

「まったくもってその通りなの!!!!!!」

「はいっ。あなたの言う通りです! 会社の方針なんか知るかってもんです! どんな裏技を使おうが、私は私のやりたいようにします!」


 もとは活動的な人なのだろう。吹っ切れたのか、記者さんは、はきはきとした喋り方で息巻く。


「私がほんの少しばかり情報の媒介に近いからといって、真実を知った気でいました……! それこそが傲慢! あなたの言葉で、自分がやるべきことの道しるべが見えてきた気がします! そうです、やってやりますよ!」

「それはよかったの!!! 頑張るといいの!!!! あなたみたいな人なら、きっとうまくできるのよ!!!!」

「はい!」


 奴隷少女ちゃんの全肯定のエネルギーを受け取った記者は、活力に満ちた様子で立ち去っていった。

 世の中、いろいろと難しいことがあるものである。一連の全肯定を見たレンは、しみじみと感じ入る。

 だが、知るということの危険性、また情報に対する受け手の慎重さを知るべきだということは伝わった。

 それにレンは、一つ決意する。

 前回のこともあったので、よし、と気合を入れてから奴隷少女ちゃんに近づく。正直、プラカードで殴られる覚悟もしていたのだが、奴隷少女ちゃんは平常業務の状態だ。

 楚々と微笑む奴隷少女ちゃんに、レンは千リンではなく紫色の結晶を取り出す。


「これ」


 レンは、奴隷少女ちゃんに紫色の恩寵を渡す。最深部で探し当てたものだ。


「聖女様は『知れ』って言ったけど、見られたくないことだと思うんだ」


 誰にも見せたくないからこそ、この恩寵はダンジョンの深くで生まれたのだ。

 イーズ・アンが先導したからには、この結晶をレンが使うことには原典由来の神学的な意味があるのだと思う。

 ただ、どんな根拠があったとしても、自分が勝手に見るべきではないと思ったのだ。

 それが例え、歴史に残る聖女様のお墨付きであっても、だ。


「だから、奴隷少女ちゃんが持ってて。それは俺のものじゃなくて、奴隷少女ちゃんのものだから」

「……?」


 怪訝そうな奴隷少女ちゃんに構わず、苦労の末に手に入れた恩寵をあっさり渡したレンは、ぺこりと頭を下げる。


「それと、この前はごめん。ファーンさんにもメッチャ怒られて、反省してる。今日はそれだけ」


 言うことを言ったレンは、踵を返す。 

 奴隷少女ちゃんのことは、まだ自分が知るべきではないと思うのだ。なにより勝手に知るべきではないと思うのだ。

 だから知るべきものを、知る努力をしよう。

 それはきっと、ダンジョンに潜ることではない。奴隷少女ちゃんのことを知りたいのならば、彼女とちゃんと打ち解けなければならない。

 ああ、そっかと気が付く。

 レンは、奴隷少女ちゃんのの口から、彼女のことを知りたいのだ。


「難しいなぁ……」


 どうすればいいのか、その方法はさっぱりわからない。

 でも、その考えはきっと間違っていないと思うのだ。

 公園広場を出て、家への帰り道を歩きながら、レンは自問する。

 なあ、そうだろう?


「まったくもって、その通りだ!」


 自問の答えに、なんの根拠もないけれども、空を見上げてレンは大きく言い切った。








 奴隷少女ちゃんは、小首をかしげてレンを見送った。

 直前の、記者のお客さんの全肯定を終えた後のことだ。兄とちょっと似ている少年が、宝石に似た紫色の結晶を渡してきたのだ。

 常連のシスターさんにいつも通りに接してあげてと言われたから努めていつも通りにしたのだが、千リンを支払うわけでもなく、よくわからないものを渡してきた。

 謝られたからこの間のことは、まあ、許してやろうとは思う。イチキと常連シスターさんの口添えもあったし、あんまり長く引きずっても、気にしすぎているみたいだし、水に流してしまうのが吉だ。

 問題は、渡されたものは一体何なのか。宝石のようにも見えるが、魔力を宿しているのを奴隷少女ちゃんは感じていた。

 そういえばレンは冒険者だったな、日に透かして見てみる。

 ダンジョン由来の物品だろう。感じる魔力からなにかしらの恩寵なのはわかるが、詳細はわからない。

 手渡された紫色の結晶を掌で転がしながら、ポツリと呟く。


「……変な奴」


 今日にしたって、何をしに来たのやらと言った感じだ。

 どうにも、調子が狂わさせられる。

 あの、ちょっとだけ兄と似ている少年と顔を合わせると、思ったような事態にならなくて戸惑い心が乱される。今回はいつも通りにしようと気構えていた分、拍子抜けした、という感じだ。


「……ま、いっか」


 とりあえず、帰ったらこれが何なのかイチキに聞いてみようと、奴隷少女ちゃんはレンから手渡されたものを捨てることもなく懐におさめた。

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