錬金術師の全肯定・後編


「奴隷少女はあなたのお悩みを全肯定するの!!!!! さあ!!!! あなたも力いっぱい叫ぶといいの!!!!!!!」


 広場いっぱいに響く特徴的なハスキーボイス。奴隷少女の浮かべる笑顔はあざといはあざといのだが、打算的ないやらしさはまるでない。不思議と清廉さも内包している笑顔は、対面する相手の警戒心を解くような屈託のない明るさで輝いている。

 始まった全肯定タイムに、レンはちぇっと口を尖らせる。

 列に並ぼうとした瞬間、すっと誰かが先に入ったあの感覚。タイミングの問題であって別に相手が悪いのではないのだが、自分が利用しようと思ったのに割り込まれたように感じられて、いらっとしてしまうやつだ。

 とはいえこれで文句を付けたらただの逆恨みだ。十分待ってれば交代するのだからと大人しく観戦モードにはいる。

 疲れ切った顔の錬金術師は、ぽつぽつと語りはじめた。


「見ての通り、僕は錬金術アルケミストで、アカデミーで助教授を勤めているんです……」


 アカデミー出。

 聞こえてきた来歴に、レンはますます渋面になる。アカデミーと言えば、この国の最高学府のことを示す。あの女魔術師と一緒の出身である。

 冒険者の難客の錬金術師で、アカデミーの研究者。出そろった経歴に、どうにも好きになれそうもないと感じてしまう。

 第一、と後ろで聞いているレンは思う。

 アカデミーの教員なんて、知識階級の際たるものだ。みんな余裕があって頭のいい人ばかりだろうに。田舎育ちでろくな教養もないレンには遠すぎる人々だが、おそらくは知性的で理性的で論理的な人々の集まりだろうという印象を持っている。

 そこにいて、ストレスだなんて贅沢じゃなかろうか。

 冒険者なんて粗雑ですぐ手が出るような奴が多くて、煽り合いは日常茶飯事。他のパーティーからライバル心をむき出しにされるような競争社会だというのに。まったく、やれやれ。机に向かうのがお仕事だという学者様に、どんな悩みがあるっていうんだ。

 そんなレンの僻みなどもちろん考慮されず、奴隷少女は元気いっぱいに錬金術師の来歴を肯定する。


「それはすごいの!!!!! アカデミーの錬金術師といえば歴史ある優秀な人材の宝庫!!!!!!! そこで助教授になったということは、あなたが狭く苦しい門をくぐった証なの!!!!!」

「ははは、そう、ですね」

「そうなの!!!!!! 錬金術部門はアカデミーの中でも最初にできた三部門の一つなの!!!!!! この国のみならず、世界的にも権威のあるところなのよ!!!!!!」


 明るく響く奴隷少女の全肯定に、錬金術師の青年は疲れた笑みを浮かべる。


「よく、ご存じで……ははっ。僕も、そうだと思っていたんです……」


 奴隷少女の励ましが彼に響いた様子はない。乾いた笑みをこぼすばかりだ。

 まるで、砂漠に水を撒いているような手ごたえである。一体なにが、と当事者でないレンまでもが錬金術師の青年の状態を不審に思う。

 彼は、底が腐食し穴が開いたブリキ缶から水を漏らすような調子で言葉を出す。


「まあ、僕は学徒時代に教授に目をかけていたいだいて、とんとん拍子に助教授まで引き上げてもらって、それで講義のかたわら、論文と研究に打ち込んでいたんです……」

「お疲れ様なの!!!!! 自分の研究と学生への講義、二つのお仕事の両立はとっても大変だったと思うの!!!!!」

「いえ、そんなことは……研究が、趣味みたいなものですから。それで、環境を整えて実験を繰り返しているうちに、教授が、僕の研究成果を……徐々に彼のものにしていって、ですね」


 思った以上に内容が重かった。

 レンの拙い予想など三段飛ばしにすっ飛ばしていくほど悩みのレベルが違った。

 これ、愚痴というには少し重すぎないか? というか、普通に犯罪の類なんじゃ。

 傍で聞いてて思わず絶句してしまったレンとは違い、やはり奴隷少女はプロである。すかさず錬金術師の青年の悩みを肯定する。


「それはひどいの!!!!!!!! あなたの考えたものはあなたのものであるべきなの!!!!!!」

「そう。そうなんです。最初は連名にしてくれって頼みだったんです。教授が実績が足りないから、お前の実績を貸してくれって頼んできて、そのくらいならって僕も思って……だんだん連名になるのが当たり前になって…………いつのまにか僕が連名者になっていて、今回、ついに僕の名前が削られて……」

「なんて奴なの!!!!!!! 盗人たけだけしいとはまさにそいつのことなの!!!!! 泥棒に入った家で家主のように振る舞うがごとくなの!!!!! そいつは泥棒であることすら忘れたクズなの!!!!!」

「ははっ。そう、なんですよ」


 一見さんだからだろう。奴隷少女と錬金術師の青年と、少し会話がかみ合っていない。

 常連のシスターさんは、肯定される側である奴隷少女の話術を知っている。いわば、効果的な慰められ方を知っているのだ。だからこそ大声を出して、息をぴったりにして心の澱を吐き出せるところまで素早く発展した。

 だが、錬金術師の青年はそうではない。そもそも、あまり人と話すのが得意とは言えないのだろう。ぼそぼそと愚痴を絞り出し、悔しげに歯を食いしばる。


「僕もさすがに耐えきれなくなって、もう辞めるといったら、教授からは『お前が他でやっていけるわけない』とか『学会は弱肉強食なんだから弱いお前が悪いんだ』とか『逃げるような奴は潰してやる』とかさんざん脅されて……」

「他人の成果を盗んでおいて、その人の価値を認めないなんて信じられないほどの外道なの!!!!!! 狭い場所で生きてきた裸の王様の増長ぶり!!!!! 他の場所でやっていけないのはそいつなの!!!! そんなやつは早く捨てて、あなたは新しい人生を歩むの!!!!!!!」

「はい。それでも、辞めるって、民間の研究室からの誘いもあるからって。そうしたら教授は急に態度を変えて、黙っていれば、准教授にしてやるからって言われて、それでも僕、どうすればいいかわからなくて……いっそ、その取引、受けたほうがいいのかな、って」


 錬金術師の青年が、乾いた顔面に笑みをにじませた。

 

「大丈夫なの!!!!!! 弱いことを理由に他者から搾取するほうが最低なのよ!!!!!! 自分の都合のよい強さを振りかざして人間社会を弱肉強食だなんてほざく奴は、ダンジョンにでも放り込んで本当の弱肉強食を思い知らせてやればいいの!!!!!!!」

「わ、わかってるんです……僕が弱いだけなんって。でも、いまさらどうしようもなくって……僕が、大学の他の世界を知らない世間知らずなのも本当で、他でちゃんと生きていける自信もなくて、だから、それならいっそ――」


 漏れ出た弱音に、レンはぎょっとする。

 ひどく、弱々しい口調。そして何よりも、染み出るように変化した彼の笑みは、レンの心胆を寒からしめるほど奇怪なものだ。

 もう何もかも諦めたような、骨の髄まで粉々に打ち据えられたようなどろりと濁った笑みが黒く広がる。


「全部、諦めて、きょうじゅの、イウトオリ――」


 錬金術師の青年の声が、死んでいく。外に出た乾ききった言葉が、ボロボロと崩れる。

 正直、レンにとって錬金術師の青年の悩みは理解と共感の範疇外だ。それでも彼が尋常ではない心境にあり、ぎりぎりまで追い詰められていることがわかった。

 いま、確実に彼は人生の岐路を選ぼうとしている。

 重大なはずの判断を、彼にとってどうでもいいはずの道端の少女に投げだすほどに、弱り切っている。

 明らかに人の道を踏みはずそうとしている言葉。これを全肯定しちゃまずいんじゃと、レンはおそるおそる奴隷少女を見る。

 彼女は、迷わなかった。


「しっかりするの!!!!!!!」


 傍観者の立場で怖気づいていたレンと、どれほど差があるというのだろうか。

 正面から対話していてなお相手の闇を怖れず、毅然と笑顔のまま銀髪を揺らし、奴隷少女はこの世の澱のすべてを吹き飛ばすように声を張る。


「あなたはそいつの言うことなんて気にしちゃダメなの!!!!!!! 老害とはまさしくその教授のことなの!!!!!!!! そいつには自分が権威を盾に隠れている犯罪者であることを自覚して欲しいの!!!!!!!! 業界権威もろとも滅んでほしいのよ!!!!!!」

「ああ、うぅうううう」


 スパッとした正論。

 多くのものをため込んで、限界だったのだろう。鮮やかに切り込んだ奴隷少女の声に、青年はとうとうボロボロと涙を流す。


「ゔぅ……す、すいません。男が泣くなんて、みっともないですよね」

「そんなことはないの!!!!!! 涙を流すのに資格はないの!!!!!! 人は誰だって泣きたい時に泣けばいいの!!!!!! 赤ん坊が生まれた時に泣くように、この世に生きる人はいつだって泣いていいの!!!!!!!!! 生まれてから死ぬまで、人は何回だって泣いてもいいの!!!!!!」

「う、ぅう……うぁあああああああん!」

「そうなの!!!!!! 泣くときは全力で泣くの!!!!!! 周りのことなんて考えなくっていいの!!!!!!! 力いっぱい泣き叫ぶの!!!!!!!!」

「うわぁあああああああああああああ!」


 わんわんと泣き始めた青年を、奴隷少女は全肯定する。

 男が泣くのはみっともないとか、人前で泣くなよ迷惑だなとか、屋外で泣いて恥ずかしくないのかとか、そんな感情は一切ない。ただひたすらに、錬金術師の青年の涙を肯定し、共にこぼれる心にため込んだ何かを体から吐き出させる。


「うあああああああああん! どうして、僕、ばっかりぃいいいいいいいいい!」

「そうなの!!!!! つらい時は泣いてすっきるするの!!!! こらえてばっかりじゃ体にも心にも悪いの!!!!!!! 悪いものを全部吐き出せば、見える風景も変わるのよ!!!!!!!!」

「あ゛ああああああああああああああああ!」


 このやり取りを見ていて、レンは気が付かされた。

 奴隷少女はただ言葉の表面を肯定するだけではないのだ。

 本人の望む心を引き出して肯定する。それが彼女なのだ。


「……」


 泣いている間に十分経ったのだろう。奴隷少女ちゃんは、口元にプラカードを当てて隠す。時間にはきっちりしている少女である。

 彼女の沈黙の姿勢に気が付いた青年は、涙をぬぐいつつもう一度、千リンを渡す。

 奴隷少女は再度プラカードを口元から外す。


「うん!!!!!! まだまだ聞くのよ!!!!!!! あなたにはまだお悩みがいっぱいあるはずなの!!!!!!! えへっ!」

「はいっ、まだ言い足りないんです……!」


 奴隷少女に答えた錬金術師の青年の顔には、だいぶ生気が戻っていた。


「む、昔から、僕は人付き合いが苦手で、運動もダメで、だから勉強を頑張ってきたんですっ。アカデミーに進んで、博士課程に残って、助教授になれて、なのに、なのに、こんなことに……!」

「いまがつらいのはわかるの!!!!!! だから頑張った自分を後悔しちゃダメなの!!!!!! 苦手な部分を自覚して、それを別の長所で補うために勉学に励む!!!!!! あなたは学生時代からの研究者の鑑だったの!!!!!! 誰にでもできることじゃないの!!!!! あなたは選ばれた人で、掴み取った学者でっ、国の未来をしょって立つ技術者なの!!!!!!!」

「で、でも学生の頃から得するのは要領のいいやつばっかりで……それが、悔しくって……! 研究して、その成果が出そうで、ようやくって思ったのに……それを利用されて……! 恩人だと思ってた教授はあんな奴で、結局僕は、見る目がないんだなって……!」

「あなたはなに一つ悪くないの!!!!!! だからあなたが気に病むことなんてなにひとつないのよ!!!!!! あなたは頑張ってるし、着実に前に進んでるの!!!!! それがどうして人を食い物にするような奴に邪魔されなきゃいけないのよ!!!???!!! そんなの絶対おかしいの!!!!!!!」

「そう、ですか……?」

「そうなの!!!!!!!! あなたはすごいの!!!!!!! 勉強を頑張って積み重ねて、研究で成果を出した!!!!!! とってもすごいことなのよ!!!!!」

「そう、ですよね」

「まったくもってその通りなの!!!!!! あなたの成果を盗んだ奴は、悪行が露見して失脚するに決まっているの!!!!! だってあなたの成果はあなたのものであるべきなの!!!!!!!」

「ですよね!」

「そうなの!!!!!!! 既得権益と業界利害こそがこの世の発展を阻んでいると言っても過言ではないのよ!!!!!! そのくせ識者のような面をして講釈垂れているなんて信じられないの!!!!!」

「本当にそうなんです!!」

「カスみたいな教授は、きっと天罰覿面なの!!!!!!! すぐにでもいなくなるのよ!!!!! だからあなたのような若い人が、業界に風穴を開けるの!!!!!! 新風が必要な時なのよ!!!!!!! その一陣の風に、あなたがなるの!!!!!!!!!!!」

「はい!!」


 奴隷少女に返答する錬金術師の声にも張りが出てきた。十分経ってさらにもう一回。彼は声を大にして今までの人生の不満を吐き出した。

 三十分もの間、いままでため込んだ愚痴をこぼし続けたのだ。

 そして、時間が来た。

 奴隷少女がぴたりと口を閉じて、プラカードを口元に寄せる。

 三度目の延長は、なかった。


「ありがとうございました!」


 錬金術師の青年は深々と頭を下げたあとに、明るい表情で立ち去った。

 彼の背中を、奴隷少女は物静かな微笑みで見送った。

 そしてレンはといえば、初めて知る世界の闇に考えこまされていた。

 世の中、いろんな人種のいろんな悩みがあるものである。

 頭のいい人間はもっとスマートかつ理性的に生きているのだと思っていたが、そんなことはないらしい。結局はどこも変わらない。がつがつした人間が、ドロドロした争いを繰り広げている。穏やかに生きるなんて損だとばかりに食い荒らす。そうして弱い人間を踏み台にしているのだ。

 あの錬金術師の青年に比べて、自分の環境はどうだろうか。

 確かに冒険者業は過酷だ。でも、ある意味では分かりやすい。

 少なくともレンの周囲には、あの彼が被害を受けたような『自分のこれから』を操ろうとする悪人はいない。

 レンを目の敵にするあの女魔術師ですら、厳しくはあっても間違ったこと、理不尽なことは言っていないのだ。

 それに少なくとも、自分は認めてくれる人がいる。田舎から出てきたおのぼりで、何も持たないレンをパーティーに入れてくれた先輩冒険者たちは、相談すれば惜しみなく答えてくれる。いま身に着けようとしている技術は、きちんと自分のものになる。先輩冒険者は、言ってくれたではないか。

 レンには、これからがあると。

 そもそも自分は錬金術師の青年のような悩みにいたる立場に及んですらいない。成果を出す以前の段階。自分はまだまだひよっこなのだ。

 そうだろう?

 まったくもってその通りだ!


「ぅっし!」


 一人で自己肯定をしたレンは、気合を入れなおす。

 自分は恵まれている方だ。一人、ちょーっと高慢ちきで気に入らない相手がいるだけじゃないか。

 今日も利用はしないでおこう。そう思って奴隷少女を見て、気が付いた。


「……」


 明後日の方向を向いた奴隷少女が鋭い目をしていた。

 どこに視線を向けているのか。いつもプラカードで口元を隠している時は楚々とした微笑みを浮かべるばかりだというのに、初めて見る表情である。

 思わずどうしたんだろうと見つめていると、レンの視線に奴隷少女が気付いた。


「……」


 レンと目を合わせた奴隷少女はすぐに目元を緩めて、にこっと微笑む。

 気のせいだったのかな、それこそ虫でもとんでいたのかもしれない。首を傾げつつ、レンは広場を後にする。

 まだまだ、自分は自分で頑張れる。とりあえずの目標は、一つ。


「ぜってぇ、あの先輩をあっと言わせてやる!」


 まずはあの女魔術師に、自分を認めさせてやるのだ。

 負けん気の強い目標を上げるレンを、奴隷少女は楚々と微笑んで見送った。

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